見まごう邪馬台国

◇古代日本語と朝鮮語の関係

 日本語は文法的に朝鮮語、音韻的にはポリネシア系に近く、古代には8種あったとされる母音は5種に減り、母 音調和等、音韻上での朝鮮語からの影響は消滅したとされます。また、語彙の面でも日本語と朝鮮語に共通する単語は非常に少く、4世紀頃と7世紀頃に朝鮮半島から多くの人々が渡来したにしては、その影響は大きくないとも云われます。私見では、地理的状況から現在でも一衣帯水の関係にある日韓、文法的にも同形 式として発展した言語に関係性がないこと等、あり得ないと考えます。 仮にそうだとすれば、何らかの理由や経緯が在って然る可きだと思います。
 古代朝鮮語の資料は、10世紀の高麗王朝期以降のもの以外、余り残っていないらしく、古代日本語との関係を研究するには材料不足と云う指摘があります。 東京外国語大学の趙義成氏等に拠ると、万葉集が朝鮮語で解けると云う研究者や論者達は、勝手に古代朝鮮語を創作して万葉仮名と対応させていると詳しく解説 されています。以下、「記紀」や万葉集は韓国語で読めると云う研究者や論者の有名な説(【】内)を参照し、古代日本語(倭語?)と古代朝鮮語の関係を考えてみましょう。

 【日本書紀(以下・紀)や古事記(以下・記)の書き下し文に多少の解説を加えると、かなりの部分が理解できるので、八世紀の日本語は現代日本語と余り遠くないと考えられる。「記紀」を無理矢理、朝鮮語で読み解こうとする説は別として、現代韓国人は理解できるのだろうか。
 例えば、「紀」月読尊が保食(ウケモチノ)神に食物を乞うたが、汚れたものを出したと怒り殺した。その亡骸から家畜や穀物ができた在る。このままでは何のことだか判らないが、朝鮮語で解釈すると次のような掛詞になる。

 (1)頭(アタマ)から馬(ウマ)      頭(mara)から馬(mar)
 (2)額(ヒタイ)から粟(アハ)      額(cha)から粟(choh)
 (3)眉(マユ)から蚕(カヒコ)      無し
 (4)目(メ)から稗(ヒエ)        目(nun)から稗(nui)
 (5)腹(ハラ)から稲(イネ)       腹(pai)から稲(pyo)
 (6)陰部(ホト)から麦(ムギ)豆(マメ) 陰部(poti)から麦(pori)小豆(pat)

 朝鮮語では体の部位と化生した動物や植物とが奇麗に対応するので、この神話は朝鮮半島で生まれ、日本語に翻訳されたものと考えられる。翻訳によって原語にあった掛け言葉が全く意味の判らないものになってしまったのだとすれば、古代朝鮮語は現代朝鮮語とそんなに違わず、日本語とはかなり相違していたと考えることができよう。】
 
 12世紀半ば~13世紀朝鮮半島の高麗王朝時代に成立した古文献にも似た様な説話が記載されると、何かで読んだ気がします。確かに朝鮮語に拠る近似音が使われます。但し、上記、日本書紀や古事記の書き下し文に多少の解説を加えるとかなりの部分が理解できるので、八世紀の日本語は現代日本語は余り遠くない。 としますが、「日本書紀」成立当初から現在の訓読点が在り、それがあるがままに書写されてきたと云う前提であれば、当時の言語と現日本語に大きな相違はないと云えます。ですが、現存最古(奈良後期~平安初期)の「紀」写本には仮名や訓読点、校異等の注記はありませんので、古態には訓読点等はなかった。詰まり、成立当初の700年代初期の言葉とする確証はありません。その後、9世紀後半~10世紀半ばの写本には、平安中期と後期、一条兼良に拠る室町期、三期 の訓読点が付されます。その平安中期とされるものが、現在、見られる訓読点と略同じで、平安中期に書写された後の書き足しではないとすれば、平安中期から後期には、現日本語に近づいたとして良いでしょう。今回は、ここ迄とします。

母音調和=一つの語に現れる全ての母音が、或る音声上の特徴、例えば、円唇・前舌等を共有 する事。トルコ語・フィンランド語・朝鮮語等にはみられ、曾て、古代日本語にも存在したと云われる。おそらく、大陸北方に居た遊牧騎馬民族の突厥族や匈 族・鮮卑族等の言語に在ったものが、漢族の拡がりに因るのか、周辺部へ分散して影響を及ぼしたと考える。
古事記=稗田阿礼が天武天皇の勅により、誦習した帝紀、及び、先代旧辞を太安万侶が元明天 皇の勅により撰録、712(和銅5)年献上。現存する日本最古の歴史書(三巻)とされる。江戸期、真福寺(宝生院前身)に残されていた「古事記」写本を本 居宣長の門人で尾張藩士稲葉通邦が発見する迄、行方不明だったと云われる。真福寺第二世信瑜(しんゆ)の命で寺僧賢瑜が、応安4(1371)年に上・中 巻、翌年に下巻を写し終えて、信瑜が校正した。全て流麗な古漢字で書かれ、訓読点や訓注はない。全巻揃ったものでは、現存最古。奥書に「執筆賢瑜俗老廿八 歳」とある。尚、上・下巻と中巻は伝来系統が異なるとされる。また、真福寺本に次いで古い、永徳元(1381)年に道果が書写した。上巻前半部しか現存し ない。訓読点が記され、所々に訓があり、道果の書き込みもある。その目的は校正だったのではないかとも云われる。
 真福寺=名古屋市中区にある真言宗の寺。別称「宝生院」。通称「大須観音」。建久(1190~1199)年中、尾張国中島郡大須郷(岐阜県羽島市)に建 立、中島観音堂と称したものを1612(慶長17)年現在地に移建。古事記・日本霊異記等の古写本を蔵し、大須本・真福寺本と称する
古文献=『三国史記』朝鮮の現存最古の史書。50巻。高麗の仁宗の命で金富軾等の撰。 1145年に成る。新羅・高句麗・百済の三国の歴史を紀伝体に記す。『三国遺事』三国史記に漏れた事項等を集録。5巻。高麗の忠烈王の時、僧一然 (1206~1289)撰。三国の遺聞、特に仏教説話が多く、風俗・地理等の資料を含む。
訓読点=当時、「記紀」を漢文を読み理解できる支配者層の知識人には訓読点等の必要ない。もしかしたら新しい語と旧訓の整合性を持たせるための校正作業だったのかも知れない。


 
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  1. 2016/02/25(木) 21:19:38|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇和語

 古来、この島国には大陸を北回りで渡来した狩猟採集民、南回りで渡来した海民や水耕稲作民、朝鮮半島を経て渡来した遊牧騎馬民や畑作民等、様々な人々の 言語が飛び交い、「記紀」成立期、未だ、現日本語と同等の文字体系や文法形態は成立していなかったと思います。例えば、朝鮮半島の百済(ペクチェ)と親密 な交流の在った飛鳥期、中国大陸の隋・唐と新羅(シルラ)に強い影響を受けた奈良期~平安前期を経て、平安中・後期、これらの呪縛から解き放たれたかの様 に独自の文化が萌芽、和語と思しき言語が成立し始めたのでしょう。仮名文字も万葉仮名を簡略化して創り、大和や東国(蝦夷)と西国(熊襲)等の言語も併せて発展し、現代日本語に近い言葉や文字と文法体系として成立しました。
 「記紀」は神名等に万葉仮名を用い、文法や漢字の用法に和臭は見られますが、何れも漢文体で記されます。「紀」の仮名や訓読点等は、古くても平安期の9 世紀以降の成立としましたが、北条氏や足利氏等の板東武者が表舞台に立った鎌倉・室町期、古文書は、書写される過程で、その本拠、東国や西国の文化や言葉 等、担い手の解釈に拠る仮名や訓読点、校異等も取り込まれました。それが故、「紀」の写本は南北朝時代を経た室町期のものが全巻揃い、注釈本も残ります。 また、江戸前期、真福寺で発見された古事記も本居宣長に拠る注釈本があるのだと思われます。
 ただ、これらの本文や説明文は漢文体、神名や歌謡は略万葉仮名に拠りますが、用いる漢字音は、「記」と万葉集は呉音、「紀」は漢音と云う違いがあります ので、夫々、編者の思想背景には、古来からある神道や「他し神」の仏教等、何らかの違いがあったと推測されます。尚、鎌倉期以降、武家の思想背景として仏 教(禅宗)と共に儒教(朱子学や陽明学)も用いられました。
 一方、朝鮮半島は大陸と陸続きだったためか、北方中国の唐王朝李氏の影響下にあった新羅(朴氏・昔氏・金氏)を倒した王建が建国した高麗時代(10~15世紀)の中期朝鮮語を基本に現代朝鮮語として成立、その前時代の文献や文書等は殆ど焚書され、未だ古朝鮮(韓国)語の詳細は分からないと云われます。その後、中国の唐王朝系李氏朝鮮王朝となり、儒教思想が採用された。15世紀半ば、大陸の影響から解き放たれたのか、世宗大王の訓音正字(ハングル)発布が契機となったのか、朝鮮や韓族的な意識が芽生え始め、独自の文化や言葉が急速に発展したのでしょう。
 但し、両国とも支配階級の公文書等では漢字文が使用された。被支配階級は現代日本語の訓と同様、旧来の言語に近いものと推測されますから、その辺りの扱いには十分に注意する必要が在ります。
 尚、前項の(3)眉(まゆ)から蚕(*蠒)には朝鮮(韓国)語に拠る対応が見えません。「紀」天照大神に食神の保食神の様子を見て参れと請われた月読尊が、その所作を見て汚したものを出すと疑って殺した食神の亡骸に生りしもので、「古事記」にもよく似た説話があります。
 八百万神に神遣らいされた速須佐之男命は大気津比賣に食物を乞い、気都比賣の所作を見て汚したものを出すと疑い大宜津比賣を殺す。その亡骸の於頭(かしら)生蠶(かひこ)、於二目生稲種(もみ)、於二耳生粟、於鼻生小豆(あずき)、於陰(ほと)生麦、於尻生大豆(まめ)とあります。
 食神の名が大気津比賣→大気都比賣→大宜津比賣と変遷、行為者も須佐之男命とされます。また、「紀」頂化為牛馬は見えず、蠒(蠶)や穀類も違う部位に生りますので、掛詞と云う言葉遊びの類で食物の発生起源を語る説話ではないでしょう。次回から一つ一つ見ていきましょう。

仮名=漢字の草書から創られた女文字の平仮名は手紙等の文章に使われるが、漢字の旁や偏から創られた片仮名は漢文の訓読点に用いられる。
真福寺=名古屋市中区にある真言宗の寺。別称「宝生院」、通称「大須観音」。建久 (1190~1199)年中、尾張国中島郡大須郷(岐阜県羽島市)に建立、中島観音堂と称したものを1612(慶長17)年、現在地に移建。古事記・日本 霊異記等の古写本を蔵し、大須本・真福寺本と称する。
北方中国==唐の初代皇帝李淵(565~635)、廟号高祖、字は叔徳。先祖は隴西(甘粛)の李氏という。祖父・父は共に唐国公に封ぜられ、母は、鮮卑族独孤氏の出。初め隋に仕え、太原留守、617年次子世民(太宗)の勧めによって挙兵。突厥の扶けを借り、群雄を破って長安を取り、煬帝の孫恭帝(楊侑)を擁立、唐王となる。翌年、煬帝が、その臣に殺されるに及んで帝位(618~626)につき、長安に都して唐と号した。
 唐音=宋・元・明・清の中国音を伝えたものの総称。禅僧や商人等の往来に拠り、中国江南地方の発音が伝来、行灯(アンドン)、普請(フシン)とする類。 呉音=古く中国の南方音で、行(ギャウ)とする類。仏教用語等として後世迄用いられた。平安時代、後に伝わった漢音を正音としたのに対し、和音(わおん) ともいった。漢音=唐代、長安(西安)地方の標準的な発音。遣唐使・留学生・音博士等に拠り、奈良~平安初期に伝来、官府・学者は漢音、仏家は呉音を用い る事が多く、行(カウ)、日(ジツ)とする類。宋音=唐音の一部分。日本の入宋僧、または渡来した宋僧が伝えた。実質上は唐末から元朝の初め迄の音、鎌倉 時代迄に渡航した禅僧・商人から民間に流布した音と同一のもの、行(アン)、杜(ヅ)とする類。
王建(877~943)=高麗太祖、松岳・松都(開城)の人。仏教を崇信。935年新羅を併合、翌年、後百済を従えて半島を統一。高麗(918~1392)=都は開城(松岳・松都)。仏教を国教とし、建築・美術も栄えたが、後期、元に服属、34代で李成桂に滅ぼされた。高句麗(こうくり)。一般に朝鮮の称。
 莽(BC45~23)=漢末の簒立者。字は巨君。10代元帝(劉奭)の皇后弟の子儒教政治を標榜、人心を収攬する。平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位(8~23年)に就く。次いで真皇帝と称し、国を奪い「新」と号す。その政策に反対する反乱軍に敗死、後漢が復興する。
李氏朝鮮(1392~1910)=太祖李成桂(イ・ソンゲ)が高麗を倒して建国、都は 漢城(ソウル)。対外的には朝鮮国と称す。1897年に国号を大韓帝国と改める。国教は朱子学(儒学)。朝鮮の最後の王朝。朝鮮王朝。1910年(明治 43)日本に併合され、27代(519年)で滅んだ。
言葉=現在でも漢字語が多く見られる。例えば、挨拶に使われる「感謝」「安寧」「未安」、「健康」「約束」「医師」等。
「紀」=頂牛馬化為→頭(mara)から馬(mar)、顱上生粟→額(cha)から粟(choh)、眉上生(まゆ)→無し、眼中生稗→目(nun)から稗(nui)、腹中生稲→腹(pai)から稲(pyo)、陰(ホト)生麦及大小豆(まめ・あずき)→陰部(poti)から麦(pori)と小豆(pat)
気都比賣=「記」建速須佐之男命が大山津見神の娘神大市比売を娶り生む子、大年神と食神宇迦之御魂神、その大年神の子羽山戸神の妻大気都比賣とあり、「都=合わせる」と云う語義からすると、男系の武人(+川民)と女系巫女(+耕作民)の併合として良い。




  1. 2016/03/03(木) 13:57:13|
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◇現代日本語と和語

 「記紀」成立以前の言葉と現代日本語の訓音や語彙の直接的な繋がりを推定するのは難しいでしょう。但し、現存の形式として室町期以降に成立したとした 「記紀」の訓音や語彙を通じ、その成立期の言語と現代日本語との関係を推定できるかも知れません。詰まり、他国の言語に拠らずとも関連づけられると考えま す。以下、先掲の(1)~(6)の朝鮮語との対応に就いて使用される漢字、その音訓と語義等を再検証し、私見を述べてみます。

 (1)頭(あたま=mara)から馬(うま=mar)
 「紀」神の頂(つむじ)に牛馬に化けて為る。広辞苑「頂」=頭、頭上。同訓「戴く」=頭に 載せる、高く差し上げる。本来、貴人の前で手を高く掲げ、ひれ伏して額衝くと推定されます。また、端(ハタ)→始(アタマ)と終→始(ツム)とすれば、頭 髪が集まる頂(つむじ=詰道)、詰・摘→終(つむ)=途切れる、積→集(あつ)む、瞑(つむ)る、紡(つむ)ぐ、俯(うつむ)く等も同源になり、頂(つ む)→頭(おつむ)→集(あつむ)→頭(あたま)と転音しました。
 「記」頭(かしら)に於て蠶(かひこ)生るとする。この「カシ・ラ」も河岸(かし)や端(はし・かし)と同源で、一番(始)、端境(終始)、最高(終)等の語義に派生し、頭(かしら)=首領(どん)にされます。
 尚、モンゴル語でも馬(mar)で、中国語の馬[mag][ma(mba)][ma](ゥマ/ゥバ)」も遊牧騎馬民の言葉に影響されたのしょうが、古代 朝鮮語も朝鮮半島南部に住んだ韓人系言語だけではなく、中国大陸(中原)の政情不安に因る人々の移動で北部のモンゴル平原から押し出された遊牧騎馬民の烏丸・鮮卑・女真・扶余(朝鮮族)等が半島北部に持ち込んだ言葉にも影響されたと考えられます。
 尚、馬(mar)は長い頭と首の動物で、男性のトーテムにされます。強くて速く走れる優秀な種馬「アズラガ」に対する「モリ」は去勢馬だけではなく、温和しい牡馬や馴れた牝馬も含まれるのでとすれば、去勢馬=モリと韓国語の頭=モリ(moli/mara)は通音する理由かも知れません。更には、日本語の男性器マラ(mara)にも何らかの因果関係がありそうです。
 例えば、韓国語で対応のない「牛」は、男性器(ら)の象徴、馬(午)→杵(きね)に対し、女性の象徴を臼(うす)とすれば、「ウスィ→ウシ(牛)」で、大国主神の「ヌスィ→ヌシ(主)」にも繋がると考えられます。
 「記」御合(うけひ)の後、天照大御神が忌服屋で神御衣を織っている時、スサノヲが、(棟)を穿ち天之斑馬(ぶちこま=白黒→陰陽)を逆剥ぎにして落とし入れたため、天服織女は驚き、⑦梭(ひ)で陰(ほと)の上を衝き死ぬ。それが原因で神遣らいされて食神に食物を乞うとします。
 述べてきた事と、「紀」頂に牛馬化為る有りとする事、駿馬(しゅん・)と「女」と同訓にされる事、日本人が持つ輪廻転生思想や神仏混淆の思想等を考慮すると、この「頂に化けて為る牛馬」は以下の関係で対応します。

    「紀」父性=京都の八坂神社(祇園社)の牛頭天王=頭(須勢理毘賣→八坂姫)と身体(素戔嗚尊)
    「記」母性=福岡県太宰府市の観世音寺の馬頭観音=頭(大国主神→大己貴命)と身体(須世理毘売)

 室町期、「紀」父系女子(馬頭観音→牝馬)を嬪(母性)とし、「記」母系男子(牛頭 天王→牡牛)を皇孫(すめみま)として生した皇子を乳母(めのと)が育むと云う天皇家の思想的な形式が成立、生母が子を養う母系制と違い、家長制での実父 と養母の乳が「ちち」と同訓にされます。日韓両国の言語に類似点や関連性は無いとは云いませんが、韓国語の牛(so)との対応は無視しますので、我田引水 の類でしょう。

(1)~(6)=頭(アタマ)から馬→頭(mara)から馬(mar)、額(ヒタイ) から粟→額(cha)から粟(choh)、眉から蚕→無し、目から稗(ヒエ)→目(nun)から稗(nui)、腹から稲(イネ)→腹(pai)から稲 (pyo)、陰(ホト)から麦及大小豆(マメ)→陰(poti)から麦(pori)小豆(pat)
集(あつむ)→頭(あたま)=毛髪の渦巻きが集まり終息する所=旋毛(つむじ)→終 (すむ/つむ)=了(すむ)。また、澄(すむ)=濁りが沈殿して底に溜まる。住(すむ)=耕作民が留まり暮らす(狩猟採集民や遊牧民は移動しながら暮ら す)。旋風(つむじかぜ)は頭頂の旋毛が渦巻く事→回転する。
端(かし→はし)=ハ行には「端境」「区別」等のニュアンスが在り、尾っぽの「ぽ (ホ)」も先端と云う語義で、尾(後部)の先端として良いが、面や線ではなく「点」に近い。例えば、穂=先端、誉める・秀(ホ→ヒィ)でる=抜きんでる、 火(ホ)=炎の先端、歩=点々と続く足跡、浦=膨らんだ水際の先端、帆=風を受け膨らんだ布の先端、干(ホ)す=溜池で減水して底に留まる、掘る=一段下 げる→抜く、星(ほし)=光点、「ぽつんと一人」等。
どん=接頭辞「ど」=罵り、卑しめる意。その程度が強い事を云う語の撥音化か。どん尻(どんじり)は、尻を罵って云う語。西日本や茨城・愛知県等、最後・最下位・びり・どんべ。「どんけつ」は最も終りである事。最後・どん終い等。上記、首領、一団や仲間の長・頭・魁は一番最後に控える人=最高。「びり」=人を罵って云う順位の一番下、一番最後。遊女・女郎。使い古して性(しょう)の抜けた布→びりびりに破れる襤褸(ぼろ)布。
馴(ナ)れる=巡・順等と同系で、巡=流れのままに進む。順=流れに向かう。馴=馬が流れ(人の指示)に従う。*「慣」=反復して覚える
牛[ŋıog][ŋıəu][niəu]=上古音(中古音)では鼻濁音「ヌギォ(ヌギェウ→ヌゲゥ)→ギゥ」、近世音では「ニェウ→ネゥ→ニゥ」。
梭(ひ)=織機の付属具。製織の際、緯糸を通す操作に用いる。木や金属製で舟形に造ったものの両端に金属・皮革等を被せ、胴部に緯管を保持する空所がある。一側に穿たれた目から糸を引き出し、経糸の中を潜らせる。
駿馬(しゅん・め)=「紀」保食神の頂に牛馬化し為る~云々、陰(ほと)から麥(む ぎ)及大小豆(まめ・あずき)生るとするが、「記」大宜津比売の頭に蠶生る~云々、陰に麥生る。尻に大豆(まめ)生るとするので、男の陰部=男性器と肛門 の二穴、女の陰部=女性器及び尿道口と肛門の三穴からすれば、「紀」=女性、「記」=男性に転生したと考える。もう一つ、豈(あにはからんや)=大きな高坏(大豆)で、これに作物を意味する「丰(ほう)」を付すと、豐(ホゥ・ゆたか)と云う字になり、卑彌呼の宗女臺與(タィ・ヨ→豊)と筑紫(九州)の「記」日別と建日向日久士比泥別(豊国)。「豈(大豆)」は狗奴国王の卑彌弓呼に繋がるのかも知れない。*壹與(イッヨ→伊豫)=四国
牝馬(ひん・ば)=嬪(ひん)は君主の寝所に侍する女官。夫人に次ぐ四位・五位の者 (=嬪御)。平安期、後宮の女官で、女御(にょご)の次位、天皇の衣を換える事を司り、天皇の寝所にも侍した後世の更衣(こうい)。尚、牝[bien] [biěn][piən]と嬪[bien][biěn][p'iən]とあり、子を産む母性の意味を持つが、同様に扱われる雌雄の雌[ts'ieg] [ts'iě][ts'ī]は違う発音になり、「雄」に対して小さいとか、弱々しい、控えめな等の語義とある。



  1. 2016/03/10(木) 14:04:47|
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◇日本語「今(いま)」と韓国語「額=イマ(ima)」

  (2)額(ひたひ=cha)から粟(あは=choh)

 「紀」顱上に粟生れりとします。漢和辞典「顱」=コウベ、アタマ、丸い頭、頭骸骨=髑髏(どくろ)、「解字」盧=丸い壺+頁(かしら)を併せた会意文字で、爐(炉)等と同系の漢字とあります。詰まり、髑髏の形状から丸い壺を伏せた状態で、顱頂骨は頭頂部の平らな部分とありますから、「」は頭髪の生え際、顱の上は頭頂部の旋毛(つむじ)付近になります。一方、広辞苑「額(ひたひ)」=冠や烏帽子の縁が当たる部分。髻(もとどり)の前に付ける女子の飾り(蔽髻) とありますので、「顱」自体を表すのではなく、顱を覆うもの、額縁も周縁を付けた絵画等の入物とすれば、おそらく、額(ひたひ)とは、付属するもの、被り もの、帯びて覆うもの→何かで被覆する事で、そうした状態を示唆する浸・漬(ひたす)や、養(ひだす)等も同源になります。これを漢字で表記すると「被 帯」とできます。 また、額(でこ)と呼ぶからか、同項には物の差し出た所とあり、本体に付属した出っ張りが日差しを受け止めて影を作る庇(ひたし→ひさし)にも派生しま す。また、この額(出拠)を最先端とすれば、韓国語の額=イマ(ima)ともあり、日本語の今(いま)も時間的な最先端になります。では、「粟(あは)」との対応は何でしょうか。
 漢和大辞典「粟」=穀類の総称、稲・麦・黍等の穀類に外穀の着いたままのものとあり、よく似た字形「栗」の解字は、上部の「襾(ア)」は樹上の毬栗(いがぐり)とありますので、「襾」=籾穀(もみがら)や上皮等の外殻、「米」=搗いた穀類の実(玄米)として良いでしょう。また、「記」二つの耳に於て粟生るとし、耳が庇(ひさし)の如く側頭部から出っ張る特徴的な形状と関係するのか、「食パンの耳」等の付属物であると共に「耳を揃える」等とされる外端とすれば、耳=芒(のぎ)、粟=胚芽を持つ籾で、籾殻を除いた玄米を精げて残った外皮の粉を糠(ぬか)と呼び、それに順い「額(ぬか)」と訓じます。では、「粟」と顱上(頭頂)の対応は何でしょうか。同訓の漢字に下記があります。

   泡=空気を含んで丸く膨れた泡(あぶく) *泡沫(うたかた)
   沫=水など細かい粒や泡 *飛沫(しぶき)
   淡=刺激がない様(あふし→あはし)・味や色が薄い状態 *淡海(あふみ)

 上記の共通項を「形だけで、中身のない外殻」とすれば、「粟」の籾殻が付いた穀類の総称から、中身(上皮や実)を保護する籾穀→脳を保護する中空の丸い壺(頭蓋骨)の上=蔽髻、詰まり、庇や耳と芒(のぎ)の如き付属物で、糠(ぬか)や額(ひたひ→ぬか)も実(頭)を外し、抜かしたものです。
 本来、巫覡系の額田姫王は額田大君でしょうが、大海人皇子(天武)との間に十市皇女(大友皇子室)を儲けたためヌカタ・メオウ→ヌカタ・ベオウと呼ばれたのでしょう。「紀」天智天皇の後宮に召されたとされるが、その後、子は生してないので、巫女として仕えたのかも知れません。天武天皇は、皇極天皇の子とされますが、天智天皇の娘太田皇女(嬪)に婿入り、讃良皇女を皇后として即位、その後、皇后も持統天皇として即位します。
 南北朝の併合後、北朝が天皇、南朝が皇后を出したのか、姉(生母伊邪那→兄)、妹(乳母伊邪那→弟)を併せ、耳(ミミ)を成し、転生した男系を父として皇孫を産み育てると云う思想的な機構が成立します。皇孫を「スメミマ(祖女御体・祖女御孫)」、天照皇祖神裔の天皇(すめらみこと=祖女羅命)と訓ずる理由で、この御母や御孫(みま)は日本府があったとされる任那(みまな)の「ミマ」と同源でしょう。

髻(もとどり)=髪を頂に集めて束ねたところ。「本取」の意、髪を頭の頂に束ねた所。また、その髪。*たぶさ
今(いま)=広辞苑「ま」ともあり、過去と未来の間となる。詰まり、これも間(ま)・真(ま)と同様、二つを併せ持ったものと云う語義になる。韓国語では、今(チ・グム=時今?)、今頃(イマム・テ)、英語では、[head line][latest]=最新→現在→今。
襾[・ag][ă][ia]=上から蓋を被せた様を表す象形文字で、覆う、被せる等の語義。詰まり、「アハ」=外端→外殻→外側。*「西」とは別字
耳=訓「みみ」は、その漢字音[niəg][niei(rıei)][ri]=ニェィ ニェィ→ネィネィ→ニニ→ミミと転音する。任那(ニムナ→ミマナ)も同系の転音と考える。その字音「ジ」は、[ri]=ゥリ→ヂィ→ジと転音したか。二 つの目(ムム→メメ)で見て、二つの耳(ニニ→ミミ)で聞き、鼻(ビ→ファナ)で香りを利く(嗅ぐ)。和語や和訓等と簡単に云うが、日本語や朝鮮・韓国語 にも漢字音に拠る造語が多く見られる。*鼻の本字、「自」[dzied][dzii][tsï](ジィッ)
糠(ぬか)=水を含むとヌカルミ(糠る水→泥濘)、ドロドロになり、足等がスッポリと 填り抜けないので歩きづらい。そうした動作が当事者の気持ちや意識から少しずれて遅れるため、先を越されて「しまったぬかった」と間の悪い事、間の抜けた となり、その時間差が、刀身を納めた鞘から引き抜いたり、トンネル内を走り抜ける事にも使われる。
ヌカタ・メオウ→ヌカタ・ベオウ=生母(みま)→養母(乳母)→巫女と変化する神功皇后と仲哀天皇との子、応神天皇は皇后の化身、比賣大え た。その御子額田大中日子命(生母高木入日賣命)系統か、額田部(ぬかたべ)皇女は、敏達皇后(生母)から甥で摂政の聖徳太子の乳母を経て推古天皇(巫 女)として即位。また、舒明皇后(中大兄皇子の生母)→皇極天皇(大海人皇子養母)→斉明(巫女+摂政中大兄皇子)も同系の変移になる。
天武天皇=神武天皇・文武天皇・聖武天皇・桓武天皇等に使われる「武」字には武器の語義ではなく、血縁の「嫡嗣」とは違い、継(まま)=養子や婿入と云う意味がある。上記、神武天皇は東遷後、その地の神の子とされる五十鈴姫に婿入りする。天武天皇も皇極斉明のつ讃良比賣(持統)に婿入、桓武天皇も光仁天皇の娘酒人内親王を嬪にしたとあり、天智の女系統に婿入したと考える。
任那=「イ+壬」→「女+壬」とすれば、孕む女人(御母)の血統を有し、御孫(みま) を為す国を示唆します。「五行説」北の壬(みずのえ)は、来世の魂(陽気の水)が還る北極星(天宮)で、魂(胤)を陰極(子宮口)に受け容れ、胎中で育み (妊)、東南「四緑木星(辰)」の陰(ほと)で産む(娠)。 






  1. 2016/03/19(土) 09:25:59|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇和語「甲(かふ)」と韓国語「飼(kiuda)」

 (3)眉(まゆ)から蚕(かひこ)

 何故か、眉(nun・ssop)から蚕(nwe)は韓国語の対応が見えません。「紀」眉上に蠒生れりとします。例えば、漢和大字典「蠒(爾+虫)」は繭(まゆ)の別字とあり、眉(まゆ)と通音して対応します。一方、「記」頭に蠶(かひこ)生るとあり、蠶は毛髪(桑の葉)から眉上に移動、繭を被るのでしょう。おそらく、眉(まよ→まゆ)が繭と通音する理由は、平安期の公家や武家の女性は眉を剃り、楕円形(繭形)に描いた事と思われます。
 例えば、蠶(かひこ)も繭(まゆ)を被る甲子(カヒコ)=飼子で、「飼ふ」=囲いで覆われる場所や屋内で養う事になります。詰まり、同訓の貝(カヒ)も殻を被るものになります。また、頭(カシ・ラ→カチゥ・ラ)に転音、「広辞苑」頭(かぶり)とあり、被(かぶ・る)・冠(かむり)・甲冑(かぶと)・禿(かぶろ)・蕪(かぶら)等も同源になります。それが故でしょうか、「紀」(1)頂に牛馬の化し為り有るに関連し、被った繭を破って出た成虫(蚕蛾)が交尾後、直ぐに死ぬからか、口の利けないおしら(唖等)様と呼ばれ、桑の木でできた馬頭のもの、烏帽子を被る等、男女一対の偶像にされます。
 「紀」天照大神が繭を口に含み糸を手繰り、紡ぎ出すとあり、成虫(蚕蛾)は口中から腹中に移動、陰(ほと)で転生するのか、尻から体外に排出されるのかも知れません。また、「記」建速須佐之男命との誓約(うけひ)後、天照大御神は斎服殿で機織る時、その頂(棟)から逆剥ぎの斑駒(ぶちこま)を堕とし入れ、驚いた機織女が梭(ひ)に陰上を衝いて死んだ後の岩戸隠れとすれば、天照大御神や大気津比賣に転生したのかも知れません。
 「記」食神大宜都(げつ→いつ・いと)比賣の説話後、八百万神に神ヤラヒされた速須佐之男命が、肥河上でヤマタノヲロチ退治する時、大山津見神の子足名 椎と手名椎夫婦の娘櫛名田比賣を櫛(簪)に変えて御角髪(御髻)→耳鬘(みみづら)に刺すとします。これは先述の牛頭天王系の(頭)櫛名田比賣→八坂姫+(体)須佐之男命(素戔嗚尊)ですが、退治後、須佐之男命は足名椎に我が首(おびと)たれと命じますので、足 名椎+須佐之男命になり、足名椎を櫛名田比賣の父とすれば、どちらの系統にも属しません。ただ、根堅州国で須佐之男命が娘須勢理(須世理)毘賣に転生した とすれば、先述の馬頭観音系足名椎+須勢理毘賣になります。また、足名椎が娘櫛名田比賣(八坂姫)に輪廻転生すると牛頭天王系にもなります。
 また、「記」帯(たらし)を「紀」足とするので、帯(たらし→おび)=負ぶとすれば、「記」出雲神話は大国主神が須佐之男命の娘須勢理毘賣→須世理毘賣を背負い根堅州国から出て出雲大国を建国すると、牛頭天王系(頭)須世理毘売+(足)大国主神になります。「記」須世理毘賣(頭=持統)を背負い根国から出て行った大国主神→大己貴命(浄足=天武)の併合と考えられます。また、「紀」高御産霊神と天照大神に天鹿児弓と天真鹿児矢を授かり、天降った天稚彦が大己貴命(大国主神)の娘を娶ったと云う記述にも繋がります。
 こうして変遷からか、「記」葦原色許男→大穴牟遅命→大国主神と輪廻転生させ、「紀」大己貴命は須佐之男命の五世(六世)孫として、何れにしても万世一系を示唆するべく記述されます。また、佐賀県の或る神社では神無月に大国主神がお忍びで来ると云う伝承が在り、その足を洗い浄めるために村の若者が水を汲むと云う神事が行われる。大国主(女系大穴持命)神は縁結びを司るので、この神事は婿選びとして良いでしょう。

蠶=「蚕=蚯蚓(みみず)」の本字。飼い蚕(かいこ)の意、蝶目鱗翅(りんし)類、蚕 蛾の幼虫。孵化した時は黒く見える毛蚕(けご)・蟻蚕が、第1回の脱皮後、灰色になる。多くは暗色の斑紋を具え、13個の環節がある。通常、4回、脱皮す るための眠(みん)を経て成長、絹糸を吐いて繭をつくり、中で蛹(さなぎ)になり、羽化した蚕蛾は繭を破り、外に出て交尾・産卵後に死ぬ。繭から絹糸を取 る。家蚕(かさん)。御蚕(おこ)。おしら。
眉「マユ(マヨ)」=状態から間(マ)が凭・依(マヨッ→マヨ)る。形状からマユ=弓(マユルム→マユーム→マユム)とすれば、弓(マユム→マユ)となり、間よる弓なりの形状として良い。
貝(カヒ)=二枚貝の場合、合(カフ→カヒ)で、巻き貝の場合、甲(かひ)→被(かぶ)ると考えられる。*被る(suda)
カチゥ・ラ(kazira)=鬘(カジゥラ→かずら)は蔓草や花等を頭髪の飾りとしたもの。頭髪に添えるため、毛髪を束ねたもの。髢(かもじ)、添髪。仮髪=毛髪で種々の髷型をつくり、俳優等が扮装のため、髪型を変えるために被るもの。
おしら(唖等)様=東北地方の民間で信仰する養蚕の神。巫子(いたこ)が祭る。おしら神。おしら仏は、桑木で作った馬頭のもの、烏帽子を被ったもの、男女一対(牛と馬?)の偶像。尚、垂仁天皇の本牟智和気王や天智天皇の建皇子は口が利けなかったとされる。
尻から体外=次に火之夜芸速男神を生む。亦名火之炫毘古神。亦名火之迦具土神。この子を生み伊邪那美神は御陰(みほと)焼かえ病臥せる。この時、多具理邇生る神の名金山毘古神と金山毘売神。屎成る神の名波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神。尿(ゆまり)成る神の名弥都波能売神と和久産巣日神。この神の子は豊宇気毘売神。伊邪那美神は火神を生みて遂に亡くなる。例えば、蠒(まゆ)=爾+とすれば、多具理邇の邇(之繞+爾)は繭の糸を手繰る事、その繭を解くための湯が滾(たぐ→たぎ)る事に関連し、「広辞苑」やま(よま)=撚糸・縒縄、釣糸、及び、網糸とあり、多具理邇生る金山(カナヤマ→キヌヤマ→絹やま)毘古・金山毘賣とも考えられる。*屎に成る神=(男女の一対のおしら様?)、尿(ゆまり)=湯放り
斎服殿で機織る=現在でも宮中で皇后自身が蚕を養い絹布を機織り、斎衣を作ります。
斑駒(ぶちこま)=白黒の馬(まだらうま)、牡馬と牝馬で、「紀」保食神→天照大御神、尚、「記」天降条で一ヶ所、天照大御神を天照大神とする所があり、機織女→天照大神に転生すると考える。
八坂姫=京都の清水寺(坂上田村麿の菩提寺)のある東山麓に鎮座する八坂神社に祀られる。「記」伊邪那命 は、最後に三人の貴い子を得たと大いに喜んで、首飾りの玉の緒(を)をゆらゆらと揺らして天照大御神に与えて、高天原(たかまのはら)を治めなさい。その 首飾りの玉の名を御倉板挙之(みくらたなげの)神と云う。月読命に夜之食国(夜見国=黄泉国)を治めなさい。建速須佐之男命に海原(うなばら→あまのはら)を治めなさいと 云ったが、須佐之男命は嫌がり、伊邪那伎命が川の中程で禊ぎし、伯耆山(伊邪那美→月読命)と海を繋ぐ河川を河上(多賀の淡海)と河下(青海)に分けて、 与えようとした海原ではなく、天照大御神の高天原を奪おうとする。その乱暴狼藉で、「紀」甚だ無道(あずきなし=小豆為し)と神遣いされると、肥の河上= 坂の上でヤマタノヲロチ(月読命→大気津比賣→大宜津比賣)を退治、大山津見神の女系櫛名田比賣(月読命→月夜見命→継黄泉命=根堅州国)と繋がり、天照 大御神(保食神→天照大神)と対立した。尚、「伎」=耕作民や漁民、手業や技芸等、人の技能の語義とされるが、この場合、男系と女系に分ける。また、 「岐」=山を分ける(八坂)事で、頂=頭(帯→負う)と麓(足)と云うニュアンスを持たせる。
足名椎+須佐之男命=天智天皇と太政大臣の大友皇子と云う関係とも考えられる。但し、この場合、足名椎は須佐之男命の実父ではないので、義父天武(大海人皇子)天皇で、大友皇子=須佐之男命、十市皇女=櫛稲田姫と考えられる。
浄足=天武と持統の子で早世した草壁皇子と天智娘の阿閇皇女(元明天皇=日本根子天津御代豊国成姫)との娘、元正(日本根子高瑞浄足姫)天皇と、同母弟の文武(倭根子豊祖父)天皇。
高御産霊神と天照大神=「記」高御産巣日神と天照大御神とし、他も夫々、天稚彦→天若日子、天鹿児弓→天之真迦古弓、天真鹿児矢→天之波波矢、大己貴命→大穴牟遅命と在り、神名や人名に使われる漢字が違う理由を通説的には呉音だからとされる。
  1. 2016/03/25(金) 11:49:11|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇日本語「眼(め→まなこ)」と韓国語「鼻(kʰot=コッ)」 *右肩[h]=激音 花[’kot]の左肩[’]=濃音 

  (4)目(め=nun)から稗(ひえ=nui)

 「紀」眼中まなこ)に稗生りとあり、漢和辞典「稗」項、小さい・細かい・卑しい、「解字」禾(穀類)と卑(背が低い・小さい)、「婢=端女」と同系字で、訓音「ひえ」は漢字音[buĕg][buăi][puai]から「プァィ→ピェ(ペ)→ヒエ」、辺(へ)とすれば、保食神の顱上に生る(籾)が左右に別れ、「記」大気都比賣の二つの目にて稲種(母実)に生る。また、左右の耳にて生る。にて小豆(あずき)生る事、伊邪那岐が黄泉国から竺紫日向橘小門へ還り到り、禊ぎの後、左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと建速須佐之男命が生る事で示唆する事は、家父長制の伊邪那岐命と後妻(「紀」菊理媛?)との生みの子=愛子(まなこ)と考えられます。
 目[mıuk][mıuk(mbıuk)][mu]、女[niag][nio(ndio)][niu]が同訓の「メ」、「記紀」生母豊玉姫と乳母玉依姫、二人の女が御母(みま・オン)として御子を産み育てるとしますので、次項とも関連して、何れかの目(め=女)の中、子宮で妊み、一方が母乳(ちち)で育てます。
 「記紀」須佐之男命の子大年神が天知迦流美比売を娶り生む子、羽山戸神が大気都比賣を娶り生む大山咋神(山末之大神) とあり、主=女系牛とした様に二人の女(美/見)の何れかが転生して父系になり、陰陽揃い皇孫(みま)を生すと云う、輪廻転生思想を左目の天照大御神と右 目の月読命の中、一方が「紀」陰に生る大豆(まめ=真女)と麥(尿)・小豆(御子)、一方が「記」伊邪那伎の鼻(はな=コッ)に生る父系統須佐之男命に転 生する事を「記」鼻に生る小豆(あづ・=岐・伎)→阿曇(あず)として示唆します。
 一連の流れを「記」騙した鮫(サメ=左目)に毛を毟られた裸(あかはだか)の稲羽素菟が、大国主神の助言で蒲黄を敷き散らした上を転び本の膚に戻る事、皇孫天津日高日子番能邇邇芸命と天宇受賣命は、一番(はな)の鼻が長い猿田毘古の道案内でクシフルタケに天降ると、前後が入れ代わり、天宇受賣命に先導された猿田毘古命が伊勢の海で溺死、姉系猿女(サルメ→サメ) 君の名を負う事、更には、「記紀」新羅討伐条、神功皇后が海に入り禊ぎすると、髪が自然に解けて二つに別れ、男子の御角髪(みみづら)になる事、火之迦具 土神に陰を焼かれて神退りした伊邪那美を追った伊邪那岐が黄泉から還り、阿波岐原で禊ぎする伊邪那伎に転生する様に、垂仁の皇后沙本毘賣→佐波遅比賣(鯖 →姉)が沙本毘古王として青海(東海)で群れて泳ぐ青魚の「アヂ(鯵)→アジ→アニ」に転生する等、その経緯を「紀」天照大神と保食神(月読尊)、「記」天照大御神と大気津比賣(須佐之男命)の説話とします。
 中大兄皇子(斉明の称制)の産後、舒明皇后は女系皇極天皇として即位、同母弟の孝徳天皇を挟み、斉明天皇(巫女)として重祚、十年の称制を経て、男系天智(天之命開別尊)天皇(兄=覡)として即位して大津宮に遷都、大友皇子を太政大臣(摂政)にすると、皇統は女系と男系に分裂(耳成)、天皇崩御後、壬申の乱で大友皇子(鯵)を倒し、大海人皇子は天智の女系太田皇女と讃良皇女を娶り、天武天皇(牛頭天王)として即位、皇統は左右の耳から顱上に移動して併合する。天武天皇崩御後、再度、男系奈良坂(阿弖流為→兄系蝦夷)と女系清水坂(坂上田村麿)とに別れて平安遷都。東山の清水寺西麓、朱塗(赤)の八坂神社に、天智系光仁天皇(白壁王)の娘で、桓武天皇の嬪(ひん)酒人内親王が八坂姫(馬頭観音系)として祀られます。

稗(ひえ)=イネ科の一年草。中国原産、日本には古くから伝わる。種子はやや三角形の細粒、強健なため、救荒作物として栽培、粒を食用とした。粒・茎葉は飼料として優れるが、今は栽培が少ない。水田等に稲の雑草として混じる。
 「記」大気都比賣の頭に於て蠶(かひこ)生る。二つの目に於て稲種(もみ)生る。二つの耳に於て粟生る。鼻に於て小豆(あずき)生る。陰に於て麥生る。 尻に於て大豆(まめ)生る。一方、「紀」保食神之頂は牛馬に化け為る。顱上に粟生る。眉上に蠒(まゆ)生る。眼中に稗が生る。腹中に稻が生る。陰(ほと) に麥(むぎ)、大小豆(まめ・あずき)が生るとあり、小豆を陰(ほと)とする。*韓国語の尻[ondoŋi]・虎[horaŋi]・猿[won-suŋi]・猫[ko-yaŋi
 白山権現=本社は石川県白山市三宮町、奥社は白山頂上にある元国幣中社。祭神は白山比咩神(菊理媛神)と伊弉諾・伊弉冉尊。全国の白山神社の総本社。加賀国一の宮。*権現=仏が衆生(しゅじょう)を救うために種々の姿をとって権(かり)に現れる事。また、そのの姿。権化(ごんげ)。
  本地垂迹説=他し神の仏が化身し、日本の神として現れる事(熊野三所権現・山王権現等)
  反本地垂迹説=日本の神が化身し、他し神の仏として現れる事(春日大明神・稲荷大明神等)
 比叡山(ひえいざん)延暦寺の称。日吉(ひえ)神社は滋賀県大津市坂本(比叡山東麓)の元官幣大社。東本宮に京都の松尾(まつのお)大社の祭神でもある大年神の子大山咋神(亦名山末之大主神)、西本宮に大己貴神(亦名大国主神)を祀る。古来、山王(さんのう)権現(山王二十一社)と称す。最澄が三室山(みむろやま)の大三輪神大物主神を勧請し、中国の天台山国清寺の山王祠に倣い神号を山王と奉り、比叡山の守護神とした。
尚、太田道灌が近江の日吉神を江戸城に勧請した東京都千代田区永田町の元官幣大社日枝(ひえ)神社、主神は大山咋神、相殿に国常立神・足仲彦尊と伊弉冉神(牛頭天王)を合祀、別れていた青海(伊弉冉神)と淡海(伊邪那岐)の二系が併合する。*大和三山の耳成山
ヒエ=小さい・細かいとすれば、「記紀」大国主神(大己貴命)と共に国造りした小さな「スクナヒコナ」は粟幹(あはがら)に弾かれて常世国へ行った在る。また、「紀」高天原から神遣いされる素戔嗚尊には「甚だ無道(あずきなし)=小豆為し」とある。
耳(gwi)=左右二つの目(め)で見る→左右二つの耳(みみ)で聞く字音[niəg][nieirıei)][ri]が、ネィネィ→ニニ→ミミで、任那(ムナ→マナ)と同系の転音で、字音「ジ」も[rıei](ゥレィ→ゼィ→ジ)、日[niet][niět(riět)][rıəi](ゥリツ→ジツ)と同系の転音になる。尚、「紀」伊奘諾尊が黄泉国から還る時、何事かを耳打ちしたと云う菊理媛(後妻?)は、目が利く、鼻で香りを利き、口が利き、耳で声を聞くに関連すると考えられる。
 牛[ŋıog][ŋıəu][niəu]の上古音や中古音は鼻濁音「ヌギォゥ→ギォ/ヌギェウ→ギョゥ」、近世音「ニェウ→ネゥ→ニゥ」となり、 女[niag][nio(ndio)][niu]の中古音「ニォゥ(ヌジォゥ)」、近世音「ニゥ」と略同音になる事も、雌のトーテムとする理由になる。* 乳[niug][niuriu)][riu]=「ニゥ(ジゥ)→汁(ジゥ)」
生みの子=禊ぎ前に生む子は後妻(乳母)にとって継子(ままこ)。父(ちち)系須佐之男命 系統大山津見神の娘、神大市比売を娶り生む子大年神。宇迦之御魂神。大年神が神活須毘(かむいくすび)神の娘伊怒(いぬ)比売を娶り生む子大国御魂神・韓 神・曾富理(そほり)神・白日神・聖神。また、香用比売を娶り生む子、大香山戸臣神・御年神。天知迦流美豆比売を娶り生む子、奥津日子神と奥津(大戸)比 売命(竈神)・大山咋神(山末之大主神)は近江の日枝山と葛野(かどの)の松尾に鎮座、鳴鏑を持つ神。庭津日神・阿須波神・波比岐神・香山戸臣神・羽山戸神・庭高津日神・大土(土之御祖)神。大年神の子は十六神。その羽山戸神食神大気都比賣を娶り生む子、若山咋神(麓のタノカンサー)・若年神(春)・妹若沙那売神(五月女)・弥麻岐神・高津日(夏之売)神・毘売神・久久年神(冬)・久久紀若室葛根神、併せて八神、何れも夏から稔りの秋に移る事、豊穣神や食神に関連し、男系小(赤色)や、女系大豆(・生成り)が、赤裸の菟(うさぎ)が蒲黄の上を転び、本の肌色に戻った事にも繋がる。*子[tsiəg][tsiəi][tsï](ッシ→チ/ジ)=自[zi]=鼻
メ=「目」の漢字音「ミゥッ(ム)」と、枝(えだ)・益(えき)・選(え)る・鰓(え ら)・駅(えき)等、本線から外れる、先行する等、外方向へのベクトルを持つ母音の「エ」を付けた「ムェ→メ」は左目と右目、これに完全・全体、前向き 等、正方向へのベクトルを持つ母音の「ア」を付けた「メァ→マ」は左右二つの目を合わせ、目交(まなか)い、眩(まぶ=目伏)しい、睚(まなじり)、目の 当たり等。尚、母音「イ」=内方向へのベクトル、母音「オ」=動きがない(存在)。また、「漢和大辞典」眼[ŋən][ŋʌn][ian](ヌゲァヌ→ ゲン・ヌガヌ→ガン)の訓「め」「あな」とあり、「マナコ」=真中(黒目)か。尚、美[mıuər][mıui(mbıui)][muəi](mĕi)= ミゥェル→ムェッ→メッ/ミゥィ→ムィ→ミ(ムビ)、子=元(陰陽「メッ=美」と「キ=岐」)から別れ出て生じたもの。
二人の女(め)=母[muəg][məu(mbəu)][məu]が「ムァッ→マ・ マゥ(バゥ)」は、又(また)、上下・左右の間、陰陽二つの真、上下の瞼(まぶた)等の「マ」と同源で、「生母(あめ→あま→あば)が産み、乳母(うま →うば)=姨(おば)が養育する=乳(まんま)を与える=飯事(ままごと)。「アバ」=北陸地方で、未婚の女、妹。中国・四国地方では伯叔母(おば)、東 北北部で母、主婦(あっぱ)。現在、生み育てる事が母の役目とされるが、「マ→モ(バ→ボ)」と転音、「その上に」と云う語義で使われる助詞「~も」と同 源になります。英語「mama」や伊語「mamma」も養母+生母と云うニュアンス。
本の膚=生なり(蒲黄色)で、宗像大社や出雲大社等の白木造り、裸(あかはだか)は朱 塗りの建物で、宇佐八幡宮と出雲大社、或いは、朱塗りの春日大社と白木造りの伊勢神宮で、述べてきた事とも関連し、本地垂迹説と反本地垂迹説と云う関係が 考えられる。尚、天照皇祖神を併祭した熱田大社や鹿島大社は神宮と称す。
皇孫番能邇邇芸(ニニゲィ→みみぎ)命=笠沙岬で大山津見神の娘木花佐久夜毘賣(神 阿多都比賣)を娶り、筑紫の隼人祖火照命、火須勢理命、火遠理(亦名天津日高日子穂穂手見)命を生むが、姉の石長比賣は醜いので返したと在る。火照(穂手 理)命は、先述した馬頭観音菩薩として大分県・熊本県・宮崎県の高千穂のクシフルタケ=九重(クシフ)の山に天降り、火須勢理命に但し書きはないが、前後 が入れ替わり、牛頭天王として伊勢海から熊本県・鹿児島県・宮崎県の高千穂峰霧島に天降り、須世理毘賣+大国主神(牛頭天王)として転生。この二系を併せ た人格が火遠理(火折)命=天津日高日子穂穂手見命と考えられる。尚、山口県山陽小野田市高千帆と云う地名が在る。尚、番(つがい)=陰陽揃い天津(あつ)。
鯵(あぢ)=鯖(サバ→スアマ→サマ)・秋刀魚(さんま)・鰯(いわし→よわし)等の 群れて泳ぐ青魚や紫陽花(あぢさゐ)も小さな萼片が半球状に集まり咲き、赤色や青色に変化する。邪馬壹国時代は傍国「斯馬(スィマ→セマ→サバ)国」です が、後代、姉→兄(天智→大友皇子)と姉+妹→弟(天武)と云う関係で分裂、東海(遠江)は、現・中部以東になります。兄の生みの子大友皇子は、後の坂東 武者と考えられます。*「キ」=岐・伎
斉明の称制=中大兄皇子が巫女(斉明天皇)の言葉を受けて伝える制度、後代の摂政(太政大臣)と考える。その後、天之(あめの)=姉系を別けて開き天智天皇として即位する。
女系と男系=万葉集に、そうした経緯を詠った額田姫王の「茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖振」→武良前野(紫野=天武の後宮)に逝く(行かず)、標野(天智の祭祀を司る)へ行く。君の袖振るのを野守(天智)は見ないかしら。天皇は大海人皇子(天武)の娘で大友皇子妃の十市皇女を産んだ額田姫王を後宮に召すが、子を儲けないので巫女と考える。姉系太田皇女(耳梨山)と妹系讃良皇女(持統→弟系文武=雲根火山)、兄系大友皇子(高山=かぐやま)。他にも以下の歌がある。*草壁皇子と天智の娘阿閇皇女(元明)の子(元正天皇)の子「文武天皇」、
  高山波雲根火雄男志等耳成與相諍伎 神代從如此爾有良之古昔母然 爾有許曾虚蝉毛嬬乎相挌良思吉
  高山與耳梨山與相之時 立見爾來之伊奈美國波良
顱上=女系讃良皇女を皇后として併合、大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位する。後代の南北朝に係わり、以下の如く比定される。
  平城京(右目=妹+左耳=兄)→南朝(馬頭観音)=大和(百済系)と飛鳥(熊襲=蝦夷)
  平安京(左目=姉+右耳=弟)→北朝(牛頭天王)=山城(新羅系)と山背(熊曽=隼人)
白壁(しらかべ)王=女房詞で、白壁は、大豆(まめ=真女)から作られた豆腐とある。例えば、「あに(さ に)」と訓じられる豈は、山=大きい+高坏=豆、詰まり、大豆(おおきなたかつき)に食神のため多くの供物(丰=ほう)を捧げる事=豐(とよ)で、姉系卑 彌呼宗女臺與(とよ)+男弟伊都国王、兄系蝦夷=狗奴国王卑彌弓呼+妹系宗女壹與(いよ)と云う関係で、表に女性が立つか、男性が立つのかの違いになる。
馬頭観音系=長野県諏訪市の諏訪大社の祭神建御名方富神+八坂刀賣神になる。おそらく、山の女神山末大神(大山咋神)が麓の田畑に下ると、早乙女に拠る春祭り(田植祭)を行い、タノカンサー(稲の生育を見守る養父)に作物の生育を祈る。秋、大山咋神が山の女神として還ると、秋男が、秋祭りとして豊穣への感謝と翌年の豊穣も祈る(仰山)。



  1. 2016/04/05(火) 08:45:37|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇近江と青海

  (5)腹(はら=pai)から稲(いね=pyo)

 「紀」腹中に稲生る。とあります。前項、眼(め)中の稗[buĕg][buăi][puai(pai)]と、近似音の韓国語「腹(pai)」から「プァィェ→ファィェ→ハィェ→ヒェ→へ」とすれば、尻(けつ→しり)に生る大豆=糞や屁(へ)なるのでしょうが、次項とも関連し、「記」二つ目に稲種(籾→粟=穀付き)生ると、同訓の「目(め)=女」から、天照大神が蠒(まゆ)を口に含み糸を手繰ると蚕蛾を育む繭(子宮)が失われて、保食神が転生した羽山戸神の妻大気都比賣の孕み子(蛾)が稲子()として陰(ほと)に生るか、腹中で胎児が臍(へ)の緒で繋がります。詰まり、稲(いね・いな)と命(いな・ち→いの・ち)は同源でしょう。
 「紀」顱上に粟生るを、「記」二つの耳に粟生るとし、「記」仲哀天皇(足仲彦)と離縁した神功皇后(息長比賣)の御子応神天皇の五世孫、継体天皇が尾張連等祖凡連の、目子(のこ)郎女を娶り、生む御子広国押建金日命(安閑)、建小広国押楯命(宣化)と、意祁(仁賢)天皇の御子手白髪命を娶り、生む御子天国(あめくに)押波流岐広庭命(欽明)の二統と、「三尾君等祖」若比売を娶り、生む大郎、出雲郎女と、「三尾君加多夫の倭比売を娶り、生む大郎、丸高王、王、赤比賣郎女(他)として分裂する。
 同様に中大兄皇子と中臣鎌子は父系蘇我稲目の子馬子(うまこ→のこ)を滅ぼし、その母系を併合後、大津宮の天智天皇(姉系斉明→兄系大友皇子)と藤原京(藤原鎌足)の妹系持統天皇(飛鳥浄御原宮の弟系天武)の二統が並立します。
 それが故、天之命開別尊(天智)天皇も古人大兄皇子の御子倭姫王を皇后とし、阿倍倉梯麻呂大臣の女橘(いらつめ)を娶り、飛鳥皇女と新田部皇女(天武妃)、栗隈首徳萬の女黒媛を娶り、水主皇女を生む(他)等、よく似た姻戚関係がみえます。
 「五行説」東で生まれた嬰児(日子)は、東南(四緑木星)で身体を司る魄が具わり、赤子として健やかに育つはずが、東「三碧木星」の碧(青緑)で阻まれて東海地方の遠江(とをつうみ)=青海尾張(終)へ向かいます。
 滋賀県近江八幡市緑町・同県東浅井郡虎姫町中野町(姉川)・同県愛知(えち)郡愛知川町の東側、不破関を挟み岐阜県郡上郡大和町・同郡八幡町以東は東海に群れ泳ぐ青魚の鯵(アチ→アジ→アニ)、群青の領域で、愛知(あいち→あち→あじ)県に分けられます。
 伊邪那大神の青海原を治めよと云われた須佐之男命は、妣の根堅州国へ行きたいと駄々をこねて伊邪那大御神に神遣いされる。天照大御神に暇乞いをと参上った高天原で、誓約(うけひ)に勝ったと乱暴狼藉に及び、再度、神遣いされ、之河上に到り、ヤマタヲロチを退治、櫛名田比賣と神大市比賣を娶り転生します。
 また、「記」神功皇后が海に入り禊ぎすると髪が自ずと解け、男子の御角髪(みみづら=耳鬘)になり、神功に応えた応神天皇が丸邇比布礼能意富美の娘宮主矢河枝比売を娶り生む宇遅能和紀(ウヂノワキ)郎子・妹八田若郎女・女鳥王。矢河枝比売の妹袁那弁(をなべ)郎女を娶り生む宇遅之若(ウジノワカ)郎女とあり、皇統は宇遅和気郎子(左耳=姉→兄)と宇遅若郎女(右耳=妹→弟)の東西に分裂、継体即位で二統の並立を経て、「紀」顱上に粟生り=併合します。
 京都府亀岡市の出雲大神宮、同府福知山市の元伊勢宮(内宮天照大御神と外宮豊受大神)、伊勢(いし→いせ)神宮境内を流れる五十鈴川の別名御裳濯(みもすそ)川に宇治(うじ)橋が架かり、内宮と外宮を併合。その後、尾張一の宮熱田大社(草薙剣=素戔嗚尊)は天照皇祖神(八咫鏡)を併祭して熱田神宮と称し、東西が併合されます。

稗=中国原産、イネ科の一年草。種子は、やや三角形の細粒。強健なため、古来、救荒作 物として栽培、粒を食用とした。粒・茎葉は飼料として優れる。 腹[pıuk][pıuk][fu]、稲[dog][dau][tau]、豆[dug] [dəu][təu]、糞[pıuən][pıuən][fən]、白[băk][bʌk][pai(po)]、魄[p`ăk][p`ʌk][p`o]

粟(あは)[siuk][siok][siu]=東アジア原産、イネ科の一年草。五穀 の一。日本では畑作での食用作物だった。実は小粒で黄色。米と混ぜて炊き、飴・酒の原料、小鳥の飼料。糯粟は餅とする。粟(しょく→そく→ぞく)=穀物の 事、扶持米、粟粒、容積の単位=勺の1万分の1。穀物(穀類)=主食となる米・大麦・小麦・燕麦・粟・稗・黍・玉蜀黍(とうもろこし)・豆類。

継体天皇=第26代、第15代応神天皇の御子若野毛二俣王の子の意富富杼王(妹は第19代允恭天皇の大后の曾孫)。先の意富富杼王の子孫の記述から、この一族は近江国(滋賀県)や越前国(福井県)周辺が地盤とされる。
 「紀」足仲彦(仲哀)天皇の五世孫倭彦王は、現京都府北桑田郡(亀岡市)の丹波国桑田郡に坐すとあり、京都府北桑田郡美山町を源流とする由良川は西流して同府福知山市付近から北上、福井県舞鶴市神崎で日本海に注ぐ。淘=(「由良」とも書く)砂を淘り上げて出来た平地。ゆり。
 「記」丸高王→「紀」三国公祖椀子(まるこ)皇子とし、「記」は、この三国=近淡海とする。福井県坂井郡三国町三国は九頭竜川と、その支流兵庫川の中州、大阪府大阪市淀川区三国 は淀川と神崎川の中州、同府堺市堺区三国ヶ丘は大和川と石津川の中州(扇状地)に在る。

他=息長の娘麻組郎女を娶り生む子、佐佐宜郎女(伊勢神宮に拜く)一柱。坂田大俣王の娘黒比売を娶り生む子、神前郎女、田郎女、白坂活日子郎女、野郎女(長目比売)、四柱。阿倍之波延(はえ)比売を娶り生む御子若屋郎女、都夫良(つぶら)郎女、阿豆(アヅ)王、三柱。「紀」多少の違いはあるが本筋は「記」に順ず。ただ、「赤比賣郎女」「白坂活日子郎女」等、性別を表す尊称自体が名前にされる事や、大郎子と大郎女と性別が変わる事、更には、意祁天皇祖父「記」白髪大倭根子命(清寧天皇)が、「紀」白髪武広国押稚日本根子尊とされる事にも意味があり、欽明天皇(皇后姫=宣化の御子)の三皇子と一皇女が即位する事は、「私説」姉・兄・妹・弟と云う四つの皇統に関連すると考える。
ササゲ(荳角・大角)豆=マメ科の一年生作物。ヤッ コササゲ(ハタササゲ)・ササゲ・ジュウロクササゲの3亜種がある。アフリカ中部原産。9世紀頃に伝わる。夏、淡紫色の蝶形花をつけ、秋、莢(さや)を結 ぶ。暑さに強い。莢・種子を食用とする。ササギ。継体紀「荳角、此をば娑佐礙といふ」
 また、から「聞→菊」、山口県豊浦郡豊田町と同郡菊川町(龍王神社)境、華山中腹西側に仲哀天皇殯葬所跡があり、周防灘を挟み対岸、福岡県北九州市小倉の旧地名の企救(きく)、北の洞海(くきのうみ=漏海)対岸の同市若松区は白山神社(菊理媛)が三所に鎮座します。

赤子=「白」上部の点(チュ)は、精神の動きを司る魂(日=白)と身体の動きを司る魄 (月=白)になる。白々とした曙光、その太陽が南中して明るくなる事を「赤」とし、両足の二点で足が立つ事を示唆、「人」の両肩の二点を付し、すくすくと 育ち、成人する事を「火」の文字で表す。*昌(さかん)。

三碧木星=伊邪那岐命は「愛しい我が妹の命を一つ(け→こ)に替えてしまうとは」と言い、枕元に腹這い、元に腹這い泣いた。その時、涙(那美足)から成り出でた神は香山の畝尾本に鎮座する名は泣沢女神(伊邪那美の魄)。その亡くなられた伊邪那美を出雲国と伯伎(ははき)国の境にある比婆之山に葬り、帯びていた十拳剣を抜いて、その子迦具土神の首を斬った<中略>。その剣の名は、天之尾羽張(あめのをははり→あめのをうはり)、亦名伊都之尾羽張(いつのをわり)とある。

近江八幡市緑町=白山神社、同市江頭町には日吉神社、同市田中江町には日枝神社、同市赤尾町の白髪(しらが)神社遺跡(白髭神社遺跡?)。尚、埼玉県大里郡妻沼町大字妻沼字女体1038 の白髪(しらひげ)神社祭神、白髮大倭根子命 配祀 天鈿女命、猿田彦命、倉稻魂命 合祀 須佐男之命。また、姫路市別所町佐土字北出口499の白髭(し らひげ)神社祭神、猿田彦大神。本来、猿田彦神社で、その後、当地大村山麓に遷座したと云う。僧円珍が唐からの帰国の際、その船縁に現れ、仏法守護を云わ れた新羅明神を白髭神と誤り伝えたと云われる。更には、近江国(大津市)の園城寺に新羅善神堂が鎮座、園城寺開祖智証大師円珍が唐から帰朝時、船中に顕れ た新羅国神を祀った。これが新羅明神で、素盞嗚尊とも五十猛神とも云われる。また、民間伝説では、神功皇后の半島征伐途中、的形の沖に差し掛かった時に波 が荒れ、思案の最中に波間から一人の老人が現れ、「このまま行けば必ず遭難する。海が穏やかになってから出発せよ。」とのお告げがあったと云う。その老人 を祀ったのが、白髭神社(猿田彦)と云う。

中野町=滋賀県東浅井郡虎姫町中野の矢合(やわい)神社(葦那陀迦神)は、高時川、田 川と姉川が合流する中州にある。延喜式神名帳に近江国浅井郡十四座の一、この一帯の山を八相(やわい)山と云い、古くは八相社(八相大明神)。往古より、 弓矢の神事ありて村民盛んに射的を神前で行ひ、多くの矢が行き合うことから矢合の文字を以て社名とする。葦那陀迦神は葦の生じ易い水辺を司どり給ふ神。こ の地、古くより、氾濫を繰り返したので、この神を祭る。世に云う、世々開(せせらぎ)長者は水の湧き出ずる状を表す語で、村民篤く敬仰す。境内に現存する 鐘楼は戦火をまぬがれし道成寺のものを移築したものなり。*矢合(やあい)神社「猿田彦神、應神天皇」滋賀県伊香郡西浅井町岩熊(やのくま)

不破関=岐阜県不破郡関ヶ原町松尾付近にあった古 代の関所。吉野に隠遁していた大海人皇子(天武)派が壬申乱に於て結集した所とされる。その経路には、桜峠・佐倉峠等の地名が見える。また、「八幡」とは 夫婦を分ける事(離縁)で、それが故、神功皇后の夫仲哀天皇は宇佐八幡宮ではなく、関門海峡を挟んだ対岸(下関市)の住吉神社に祀られる。

ヤマタノヲロチ退治=建速須佐之男命が出雲国でヲロチを退治、草薙剣を天照大御神に献上すると、再度、高天原での誓約の場面に移り、転移します。尚、ヲロチを三つに斬るともあり、その一つが剣神の御雷神に敗れた御 名方神が逃げ込む科野で、剣国が女系天之尾羽張と、陰陽(3+2=5)揃った伊都之(いつの)尾羽張とに分裂します。豊葦原瑞穂国と葦原中国、黄泉国(出 雲国と妣の根堅州国)に三分されたと考えられます。長野県の諏訪大社祭神建御名方神(妃八坂刀売)後裔が、平安期、諏訪地方から長良川や木曽川を流れ下 り、河川や陸地の終る尾張地方で、後代、坂東武者と呼ばれた人々として返り咲きます。

東西=福井県吉田郡永平寺町に「永寺」、その南側の滋賀県神崎郡永源寺町(現・東近江市)には「永寺」が在り、平安後期だろうか、この付近を最前線として西側の平家(+宗像氏か、松浦氏)と東側の源氏(+北条氏)が向き合い対立していたと思われます。

草薙剣=ヲロチのを斬った時、自身の剣刃が毀れたので、裂き割ると出た尾張一宮熱田神宮の草薙(十握)剣(建速須佐之男命の「建」)で、とも関連して伊邪那岐が一つ木の火之迦具土神を斬った剣名「天之尾羽張(亦名・伊都之尾羽張)」を、羽[ɦıuag][ɦıuo][ɦıu](iu→ü)の漢字音はヤ行「ユ」の近似音だが、日本語の「ウ」+「ハリ(hari→ari)」で「ワリ(uari)」として訓じると、「あめの(いつの)をぅはり→あめのをわり」になる。
 尚、伊勢平氏流平忠盛の娘婿、清盛の娘徳子が産んだ安徳天皇を祀る山口県下関市の赤間神宮にも御裳(みもすそ)川、愛知県一宮市に天照大神を祀る御裳神社がある。
 伊勢神宮の天照皇祖神御神体、八咫(やあた)鏡=八(捌→別)+阿手(あた)+鏡となり、「紀」左手に白銅(ますみ)鏡を持つと大日孁尊、右手に白銅鏡 を持つと月弓尊、また、御首(みぐし)を廻らせて顧眄之間に素戔嗚尊とあり、左手の大日孁尊を別けて、「紀」天照大神と「記」天照大御神、或いは、両手を 左手「天照大神」と右手「月弓尊」にされたと考える。*咫=拳の幅、或いは、掌の長さ
  1. 2016/04/15(金) 00:30:28|
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◇入口と出口  1

(6)陰(ほと=poti)から麦(pori)と小豆(あずき=pat)

「紀」陰(ほと)に麥(むぎ)及び大小豆(まめ・あずき)生るとあり、韓国語の対応では、麦(pori/maek)と小豆(pat)の二つだけ、大豆(koŋ)での対応を無視しますから、これも我田引水の類として良いでしょう。
「記」須佐之男命に殺された大気都(けつ)比賣の鼻にて小豆(あず)生り、陰(ほと)にて麦生り、尻(けつ)にて大豆(まめ=糞)生り、陰(ほと)に生る麦(バク→マク)=播くとすれば、尿(ゆまり)と精(胤)を播く性器=精播(ちんぽ)として良く、「記」大気津比賣は男性保食神に転生した考えられます。一方、「紀」月夜見尊に殺された保食神の亡骸の陰(ほと)には三種の穀類がなりますので、女性の大気都比賣に転生したのかも知れません。
「紀」神之頂に為りある牛馬と関連し、須佐之男命に殺された大気都比賣の鼻に生る小豆(住吉筒之男三神=あず・)の「キ」と伊邪那岐(伊邪那伎)の「キ」は同義で、これが「鼻」の大きさが男性器の大きさに通ずると云う俗信の由縁としょう。
「紀」保食神の陰(ほと)には三種の穀類が生りますから、「記」伊邪那伎神が鼻を洗って生る須佐之男命と神大市比賣との子、大神が知迦流美比売を娶り生む子の羽山戸神が母系大気都比賣を娶り生む子が巫女大宜津比賣へと、以下の如くに輪廻転生したと考えられます。

速須佐之男命 → 大年神(麦=尿と精子) → 父系羽山戸神 → 巫女大宜津比賣(馬頭観音)

食神大気津(尻)比賣(大豆=屎)→ 保食神 → 母系大気都(女陰)比賣(麦=嬰児)

黄泉国から還って阿波岐(あは)原で禊ぎした伊邪那大神が川の中程で、左の御目を洗った時、天照大御神が生り、右の御目を洗った時、月読命が生り、御鼻を洗った時、建速須佐之男命が生り。その左右の目(メ=見)から生った女性(美)の天照大御神(日光の化身→鏡)には、高天原を治めよ。月読(夜見)命(太陰→月光)には夜之食国を治めよ。鼻から生まれた兄系建速須佐之男(スサノ)命には海原(安曇=あずみ)を治めよ云われるが、須佐之男命は嫌がり、神遣いされる。最後に伊邪那大神は淡海(あふみ→あは)の多賀に坐すとしますので、先述した青海(あふみ→あをみ)と併せ、「紀」顱上(中央)に生る粟(籾)が、「記」左右の耳に移動、皇統が二統(三系)に分裂した事を示唆します。
また、顱上の粟から、眉上で繭を被り、孵化(転生)する蚕蛾の如く、「紀」眼中(「記」二つの目に稲種)に生る小さな稗は、年下の牛頭天王(=素戔嗚尊)に転生します。こうした二系統を構成する男女四系への変遷を、「記」左右の目になる稲種、左右の耳に生る粟として示唆します。
漢和大字典に拠ると、「委(早乙女が舞う姿=タノカンサーと交わる)、「(男が舞う姿=山神と交わる)」とありますので、天皇の新嘗祭や大嘗祭が神と同衾し、豊穣や子孫繁栄を祈願する事と同様の意味があります。
また、「繭」と・剣の三つは現代音[jian]で、中古音も近似音だからでしょうか、 蚕蛾(おしら様)との関連を示唆するのか、「紀」口の裏に蠒を含み糸を引く天照大神と、首を廻らして国に向き口から飯出す、海に向き口から鰭広と鰭狭を出 す、山に向き口から毛の麁(あらし)と柔(にこし)を出す保食(うけもち)神とは違い「記」大気都比賣は鼻口(鼻水)、尻(屎)より種々の味物(ためつも の)を取り出して云々とし、食べる「口」自体からは何も出さないので、大気津比賣は口を噤んだ蚕蛾(おしら様)で、唖=忍(しのぶ→おし)と考えられます。

精(胤)を播く=精[tsieŋ][tsiɛŋ][tsiəŋ(jing)]・播 [puar][pua][puo]、伎[gieg][gis][ki](ji)  岐[gieg][giĕ][k`i](qí)、子[tsiəg][tsiəi][tsï](zi)、鼻の本字=自[dzied][dzii][tsï] (zi)、鼻[bied][bii][pi](bi)=ビィ、美[mıuər][mıui(mbıui)][muəi](mĕi)=ムィ(ムビ)とあ る。

糞=そこで日子国夫玖(ヒコクニブク)命が「そちら側の人から、まず忌矢(いはひや))を放ちたまえ」と求めので、その建波爾安(タ ケハニヤス)王が射たけれど命中せず、国夫玖命が放った矢によって、建波邇安王は射られて死んだ。そのため、その軍勢は、悉く敗れて逃げていった。そこで その逃げる軍勢を追い詰めて久須婆之度に着いた時、皆、追い込まれて糞をもらして褌にかかった。そこでその地を名付けて屎褌と言う。今は久須婆と言う。
伊邪那岐と伊邪那美が、次に生んだ神の名は鳥之石楠船神亦名を天鳥船神、次に大宜都比売神、次に火之夜芸男神亦名火之炫毘古(ヒノカガビコ)神、亦名火之迦具土神。この子を生んだことで、陰部を焼かれて病に臥せってしまった。この時、多具理邇に生る神名は金山毘古神、金山毘売神。次に糞から成り出でた神名は波邇夜須毘古神波邇夜須毘売神。次に尿(ゆまり)から成り出でた神名は弥都波能賣神、和久産巣日神、この神の子は豊宇気毘売神(伊勢の外宮)。そして伊邪那美神は火之神を生んだことで、遂に亡くなられた。こうした神話と同様、輪廻転生を示唆する。

あず・き=「アズ・伎」=底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は墨江の三柱 の大神である。「アズ・見」阿曇(安曇)連等(乳母玉依姫)が斎き祀る底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神と考えられる。尚、アズキ→ア・ヅキを阿 月→東月とすれば、明方に見える月、詰まり、生まれたての太陽=日子(嬰児)で、アズミ→アツミは東海で群がり、泳ぐ青魚の鯵(あち)に変化する。*集 (あつ)む→紫陽花(あぢさい)
東大寺の仏殿を背に南大門を見ると、左に阿形、右に吽形の金剛力士像が立つ事と関係して、本来、万国共通で、左(日垂り→ left)=西ですが、日本では天皇が北極星の化身とされ、東西が併合されると反転し、左(スア→ア)=東、右(ウ)=西にされる。東海→阿津海(あづ ま)。*海[məg][hai][hai]

大宜津比賣=羽山戸神が大気都比賣を娶り生む子は以下の如くある。
若山咋神=大山咋神(山末之大主神)と同様、秋から春にかけて山へ還る水神
若年神=大年神と同様、年穀を司る
若沙那売神(さなめ→さのめ)神=早乙女(さおとめ)の化身
弥豆麻岐神=山麓に下った水神=川神?
夏高津日(夏之賣)神=夏の高い日差しの化身 → 日光の化身天照大御神の文身
秋毘売=収穫を終えると、来年の春先迄、山へ帰る豊穣神で、若山咋神(山末の大主神)の化身
久久年神=営々と続く年次を司る重陽の神、菊の節句
久久紀若室葛根神=新嘗祭のため葛蔓草で作った綱で木材をでい仮設した家屋?

伊邪那大 神=伊邪那伎大神、なんと恐ろしい穢れた国を訪れてしまったのだ。竺紫日向橘小門阿波岐原を訪れて禊祓をしようと、投げ捨てた杖から成り出でた神名は衝立 船戸神。帯から成り出でた神名は道之長乳歯神。嚢(ふくろ)から成り出でた神名は時量師(トキハカシ)神。衣から成り出でた神名は和豆良比能宇斯能神。袴 から成り出でた神名は道俣神。冠から成り出でた神名は飽咋之宇斯能神。左手の腕輪から生まれた神名は奥疎神。奥津那芸佐毘古神。奥津甲斐弁羅神。右手の腕 輪から生まれた神名は辺疎神。辺津那芸佐毘古神。辺津甲斐弁羅神。以上の船戸神より辺津甲斐弁羅神迄の十二神は身に着けていた物を脱ぐ事で生まれた神。上 の瀬流れが速い。下の瀬は流れが弱いと云い、初めて中の瀬に沈み潜った。そして濯いだ時に成り出た神名は八十禍津日神。大禍津日神。この二神は、穢れた国 を訪れた時の汚れによって成り出た神。禍を直して成り出でた神名は神直毘神。大直毘神。次に伊豆能売。併せて三神。水底で濯いだ時に成り出た神名は底津綿 津見神。底筒之男命。中程で濯いだ時に成り出た神の名は中津綿津見神。中筒之男命。水上で濯いだ時に成り出た神名は上津綿津見神。上筒之男命。この三柱の 綿津見神は阿曇連等が祖神として祭祀している神。そして阿曇連等、その綿津見神の子宇都志日金拆命の子孫。その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱 の神は墨江の三柱の大神。また、伊邪那伎命が左目を洗った時に成り出た神名は天照大御神。右目を洗った時に成り出た神名は月読命。鼻を洗った時に成り出た神名は建速須佐之男命。以上、八十禍津日神より速須佐之男命迄の十四柱の神は、体を濯ぐ事によって成り出た神。尚、「記」伊邪那岐命伊邪那伎大神伊邪那伎命伊邪那岐大御神伊邪那岐大神と変化する。

高天原=「タカマノハラ/タカマガハラ」とされるが、左目(スアメ)になる天照大御神、右目(ウメ)になる月読命、鼻に生る建速須佐之男命や大気都比賣の鼻に生る小豆とも関連し、高山(かぐやま=香具山)を、鼻で嗅ぐと すれば、カグアメノハラ→カガメノハラ)。天照大御神(日光の化身=鏡)に高天原を治めよ(「紀」天照大神は以て高天原を治すべし)、月読命には夜之食国 を治めよ(「紀」月読尊は以て滄海原の潮の八百重を治すべし)、須佐之男命に青海原を治めよ(「紀」素戔嗚尊は以て天の下を治すべし)とするので、「カグ アフミハラ→カガウミハラ→カガミハラ」ともなる。もしかしたら木曽川流域の洪積台地に位置する岐阜県各務原(かがみはら)市松本町(白髭神社祭神猿田 彦)・那珂手力(手力雄神社)等、天之石戸開と関係があるのかも知れない。

多賀=滋賀県犬上郡多賀町多賀にある多賀(たが)神社は元官幣大社。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。長寿の神として、古来、上下の尊崇を受け、今は多賀大社と称。多賀大明神。多賀祭=毎年4月22日に行われる古式の神事。犬上郡の富豪・名望家を選んで祭の頭人(とうにん)を定め、黒袍(こくほう)を着け、騎乗して神幸に供奉、国衙(こくが)の使を模した御使殿(おつかいでん)にも供奉する。

男女四系=姉(斉明天皇→太田皇女→元明天皇)、兄(天智天皇→大友皇子)、妹(持統天皇→元正天皇)、弟(天武天皇→文武天皇)とした。尚、欠史八代とされる天皇を、その祖父母の系統、神武天皇と崇神天皇を現天皇家の父母系統とした。

唖=忍(しのぶ→おし)=「紀」中大兄皇子(天智)の御子皇子は唖 (おし)とし、「記紀」仁天皇の子本牟智和気(誉津別)王も言葉(もの)を言わない(口が利けない)とした後、御子と出雲との繋がりを示唆、「記」は御子 の唖が治ったとし、「オシ」の文字を「忍」「押」として使い分けます。垂仁天皇=伊久米伊理毘古伊佐知命、その後、和風諡号「紀」大足彦忍代別尊の景行天 皇が継ぎます。*忍代→唖(オシ)呂→足(下半身)、「記」大帯日子淤斯呂和気=牛の別→頂の牛(上半身)と考える。





  1. 2016/04/22(金) 09:08:15|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇まとめ

 日本と韓国が一衣帯水の関係にある事を鑑みるに、両言語に何らかの因果関係が在ったのは否めませんが、一方的に半島経由で思想や技術等が流入する事等、 あり得ず、日本側からも南中国や東南アジアからのものが流出しました。両者には親密な感情を持つ人々、敵対的な感情を持つ人々、殆ど無関心な人々も居り、 永い歴史の経過に拠って起こる意識の違いが、夫々の思想や宗教を変化させ、言葉の訓音や語彙が持つニュアンスの違いを生んだと考えます。
 例えば、韓国語の女性器(poji)と日本語の犬(ポチ)は妊婦のお守り、安産の象徴にされ、戌日に腹帯を買い、巻いたりする事とは同源ですが、韓国語では、犬=ケ(気?)とし、滋養強壮の効果がある高級料理とします。
 また、男性器「jaji」を日本語では「ちゃち」=安っぽい、お粗末な等とし、隠語で「摩羅」としますが、韓国語「頭(moli→mara)」や、男性のトーテムの「馬 (mar)」、モンゴル語「去勢馬=モリ」等、東アジアの言葉には似た音を持つものが見られます。更に、韓国語で女性器の別称「kinki」とし、これを 「禁忌」とすれば、倭の女王卑弥呼や、朝鮮半島の百済王族とされる百済(くだら)王後裔の女系高野新笠を御母とする桓武天皇が光仁天皇の娘酒人内親王に婿 入する等、近畿(きんき)の大和朝廷が永く母系制(女系)だった日本とは違い、儒教思想の韓国は父系(宗家制度)を重んじるため、韓国語では伯母や叔母 を、母の姉妹=imo(妹?)、父の姉妹=komo(姑母?)と、上下関係ではなく父母の系統で区別します。
 私説、「記紀」を読み解く鍵として皇統を姉(斉明)→兄(天智)と妹(皇極)→弟(孝徳→天武)の四系統に分けました。例えば、「豈(豆+山)」を、サニハカランヤ→スアニハカランヤ、とするので、「豈」を兄系、稲[dog][dau][tau(dau)]と豆[dug][dəu][təu(dou)]と、よく似た音にされ、「記」二つの目から稲種生るとし、目()=女と同訓にする事、豆(ま)と訓じる事等を考え併せ、豐=大きな高坏(山+豆)に供物(丰)を姉系豊玉姫(生母)として、大気都比賣の尻に生る大豆(真女)から兄系山幸彦と乳母玉依姫が別れ、豊玉姫(保食神)を斎き祀る巫女大宜津比賣に転生したと考えます。
 また、山幸彦の御子葺不合(アヅ伎)と継母で妻の玉依姫(アヅ見)を妹兄(いもせ)→妹背とし、「紀」眼中になる稗の同系字の婢=小さい女→妹系が生む末弟(麦=武岐)の神(他三人の兄)と同系天と皇孫倭根子豊祖父(文武)天皇を弟系、姉系夫人の藤原宮子を夫婦(めおと)としました。
 この説話は、陰陽五行説の輪廻転生思想から西北(陰極)の乾(戌亥)を天之(あめ)=子宮とし、邪馬壹国の巫女王と男弟、東遷後の飛鳥での女帝と摂政(聖徳太子)の系統から平城京や平安京の天皇と皇后を併せた天津(あまつ)の系統への変遷を示唆すると考えます。
 もう少し理路整然と説明できると思っていましたが、文章力のなさを痛感します。最後に「記紀」説話に関連する漢字音を列挙しておきます。(了)

 頂[teŋ][teŋ][tiəŋ]、牛[・ŋıog][ŋıəu][niəu]、馬[mag][ma(mba)][ma]
 顱[hlag][hlo(lo)][lu]=額[ŋăk][ŋʌk][o(è)] 粟[siuk][siok][siu] 凸[t'uət][t'uət][t'u]=額 糠[k'aŋ][k'aŋ][k'aŋ]
 「記」耳[niəg][niei(rıei)][ri]) 粟[siuk][siok][siu]
 眉[mıuər][mıui(mbıui)][muəi] 繭(蠒)[kān][ken][kien]
 「記」頭[dug][dəu][t'əu] 蠶[dzəm][dzəm][ts'an] 類字=潜[dziəm][dziɛm][ts'iem]・簪[tsəm][tsəm][tsam])
 眼[ŋēn][ŋʌn][ian] 稗[buĕg][buăi][puai(pai)]
 「記」目[miuk][mıuk(mbıuk)][mu] 稗[buĕg][buăi][puai(pai)] 母[muəg][məu(mbəu)][məu]
 腹[pıuk][pıuk][fu] 稲種[dog][dau][tau(dàu)] 米[mer][mei(mbei)][miəi]
 陰[・ıəm][・ıəm][iəm(yin)] 麦[mluək][muɛk(mɛk)][mai]  
 「記」鼻[bied][bii][pi(bı)] 豆[dug][dəu][təu(dòu)] 尻[k'og][k'au][k'au(kao)]

ちゃち=「しゃち」とすれば、サチ(幸)の転音か、狩の幸運をもたらす霊力とあり、豊玉姫の夫山幸の弓矢か、海幸の釣鉤か。また、鯱(しゃち)=クジラ目の歯クジラの一種。体長約9㍍。背面は黒、腹は白色。頭は円錐形で歯鋭く、背鰭は大きく逆鉾状。世界中の海に分布。
 鯱鉾(しゃち・ほこ)の略、頭は竜、背に鋭い棘のある海魚の形。大棟両端につけ、城郭建築に多く、鴟尾(しび)の変形。瓦・銅・石・木等で作る。
 「マツカサウオ」の方言。松毬魚=海産の硬骨魚。全長15㌢。外観は松笠に似て黄色。頤(あご)にある一対の発光器はバクテリアの作用で光る。鯱張(しゃちほこば)る= 〔自五〕鯱の様な厳めしい構えをする。緊張して堅くなる。

馬(mar)=草原(くさはら)を走る馬(マル)とすれば、海原(うなばら)を走る船 と云う関係があり、船の呼称の「~丸(まる)」には因果関係がある。また、ギリシア神話等では、海神を男性として、船の舳先には女性を飾る。古来、中国大 陸東南部では海の安全を守護する女神として媽祖を祀り、日本でも宗像海人の祀る三女神からも判る様に女性とするため、丸=麻呂(まる/まろ)は男性の尊称 とされる。
 但し、宗像海人が伝えたとされる全国の素潜り漁には海士(あま)も居るが、宗像では海女(あま)が潜る理由は、日本海沿岸部の漁民は船霊として長野県の諏訪神社(上社建御名方富/下社(八坂刀賣)の御札を祀る事と関係が在ると思われる。

継母(ままはは)=火之迦具土神を産み、陰(ほと)を焼かれて神避りし、黄泉(余母→ 余美→夜見)国へ行った生母伊邪那美と対立するかも知れない。その伊邪那岐に首を斬られた火之神が海原を治めよとされた建速須佐之男命(肥之河上=建日 別)。また、母性の伊邪那美が高天原を治めよとされた天照大御神(余母→巫女)と夜之食(よるのをす/よるのうけ)国を治めよとされた月読命(菊理媛?= 継母)に転生したか。

眼中から稗生る=「記」二つの目に稲種生るとあり、小さな粒の稗(妹=玉依姫)と大きな粒の米(姉=豊玉姫)と云う対比と考えられ る。また、「紀」大国主神と共に出雲国を造ったとされる少彦名(スクナヒコナ)命は大国主神の掌に乗る程、小さいとあり、行きて熊野の御碕に至りて、遂に 常世郷に適ましぬ。亦曰はく嶋に至りて、茎(あはから)に縁(のぼ)りしかば、弾かれて常世(とこよ)国へ行ったとある。
 常(とこ)=床(一段高く続く所)か、常陸(ひたち)は、ここ迄の東西に伸びる陸地が終り、海上へ太陽が顔を見せる所(日立)として良い。ただ、この海 を東海(あふみ)=伊勢湾とすれば、当初、常陸は三重県伊勢市や津市付近とも考えられ、二見浦の夫婦岩から昇る太陽を拝むが、現在、「ヒタチ」に近い地名 は見あたらない。
 秋田県北秋田郡阿仁町比立内(ひたちない)、岩手県宮古市日立浜町、千葉県柏市日立台、茨城県牛久市ヒタチ野西、静岡県清水市日立町、京都府京都市京区 常陸町以外は見えないが、日田や飛田等も同源とすれば、 滋賀県蒲生郡日野町日田(ひだ)゙ 滋賀県犬上郡多賀町樋田(ひだ)、熊本県熊本市 飛田(ひだ)、大分県竹田市飛田川(ひだかわ)。「月出(つきで)」は、茨城県稲敷郡江戸崎町月出里(すだち)、千葉県市原市月出、三重県飯南郡飯高町月 出、滋賀県伊香郡西浅井町月出、大阪府門真市月出町、熊本県熊本市月出、大分県日田市月出町等がある。最後の日田市月出町付近には月出(かんとう)山とあ り、この場合、不破関や箱根関等ではなく、太宰府政庁の苅萱(かるかや)関(太宰府市通古賀付近関谷)東側になる。
 尚、北海道南東側、目梨(めなし)郡羅臼町の知床(しれとこ)岬も、陸地が終わる所=尻・後(しり)・陸(とこ)で、その海上に浮かぶ国後(くなしり)島も同系と考えられる。また、南側の納沙布(のさっぷ)岬や、北端の稚内(わっかない)市、宗谷海峡に突き出た半島の野寒布(のしゃっぷ)岬等、アイヌ語源とされますが、和語でも説明できると思います。

天皇と皇后=両朝から交互に即位させると云う約定で、南北朝の併合後、天皇の御名には 「~仁」とあり、北朝系統の天皇だけと思えるので、南朝系は皇后を出して、天皇と皇后が互いに斎き祀るのだと思われる。それが故、天皇(「紀」天照大神) と皇后(「記」天照大御神)を併せた「天照皇祖神(父母神)」が伊勢神宮内宮(外宮豊受大神宮=食神)に祀られるのだと考える。

蠶=日本語「サン」 北京語[can] 満州語[coin] 上海語[sseu] 客家語[tsam] 広東語[chaam] 台湾語[chham] 






  1. 2016/05/02(月) 08:42:19|
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◇ワッショイとワッソ

 日本の祭りで使われる掛け声「わっしょい」の語源由来を、韓国語「ワッソ(来た)」とする論説の一つは、凡そ、【】内の通りです。

 【御輿を担ぐ時等に使われる掛け声の「ワッショイ」を、古代朝鮮人が日本に到着、ワッソ・ワッソ(来た・来た)と喜びを表した事が始まりで、最初に韓国 語「ワッソ」が語源という説を主張したのは、啓明大学校教授金思燁や作家の金達寿と云う。その金思燁は、ワッショイの「ワッ」は朝鮮語の「来」の訓音「ヲ ((ワ)」(o)に過去時相助動詞「叱」(s)が付いて、来叱(o+as=was、o+s=os)、ショ(sjo)は尊敬の意を表す補助語幹、「イ」は相手に注意を喚起する意と感嘆の意も含む語尾で、全体の語義は、(神が)来られましたよ。になると主張、日本語「ワッショイ」の起源とした。】

 上記には反論あり、古代朝鮮語は殆ど解明されておらず、「ワッソ」という形態が使われる様になったのは16~19世紀末の中期朝鮮語の後半以降とされ、 朝鮮語「ワッソ」を「ワッショイ」に関連付ける合理性はない。よく云われる日本の文化を韓国起源と剽窃する韓国起源説の一つとだとする人もいます。
 私見では、古代朝鮮語の全容が解明されてないのであれば、古朝鮮語に「ワッソ」が無かったとは云えず、歴史的にいえば、豪華な神輿や飾山笠等が現れたの は室町後期~江戸期とされますから、16~19世紀末の言葉が使われたとしても不思議ではないと思いますが、この時期に渡来した人々か、この頃に朝鮮半島 と密接な繋がりのあった人々となりますので、豊臣秀吉の朝鮮出兵の後、陶磁器の職人等が考えられます。
 ただ、中世以降に成立したと仮定して、現在、韓国内では、日本の神道に近い宗教的な行事 は扶余族の巫女が行う祭祀くらいで、この時にも何らかの声を発するのでしょうが、それに就いての言及はない様ですので、現在の朝鮮半島で近いものが使われ ていないのかも知れません。こうした事を考え併せると、この言葉の担い手を16~19世紀末に渡来した人々とするには、少し無理があるのかも知れません。
 況してや、古来、中国大陸や朝鮮半島内での政治状況が変化した事に因り、安住の地を追われて命からがら逃げてきた加羅や百済、更には新羅や高麗等、崖っぷちの人々が居り、この列島に向けて必死の思いで渡海、到着した時に発した声だとすれば、遙々、来たではなく、やっとの思いで辿り着いたと云う安堵の言葉を発するのでないでしょうか。更に、韓国語「ワッソ」の発生時期の如何に関わらず、語源とすれば、亡命人を担ぎ乗せた海民や迎えた人々は彼等を、神、若しくは貴人として崇めるか、強制されていなければ成立しません。
 例えば、渡来系製鉄民が祀る火之神との関係を取り沙汰される宇佐八幡神は、奈良時代、東大寺の大仏建立に際して金と銅を勧進し、開眼供養に参列するため、神 輿に乗って行ったと云う記述が、『八幡宇佐宮御託宣集』等にあり、古くは、朝鮮半島内で使われていた言葉として、弥生期に半島経由で渡来した人々が自身の 神を乗せた御輿の担ぐ時、「神が来られましたよ」と取り巻きの人々に知らせるとすれば、先の金思燁氏の説も整合性はあるかもしれません。しかし、朝鮮半島 からの渡来系神様と伝承される神社だけでなく、日本古来の神様も多くあります。また、神輿は天皇や貴族を乗せて担いだ御輿が発展したとも云われますので、上記の論拠では十分な条件とは云えません。
 詰まり、「わっしょい」を韓国語「ワッソ」を語源とするには某かの疑問が残ります。今回は、ここ迄にして、次回は少し見方を変えて、日本古来の祭祀からの語源として考えてみたいと思います。

来叱(o+as=was、o+s=os)=現代韓国語には現代日本語と比べものならな い程の多くの母音がある。上記の如く、「オ」=「ア」に近い大きな口形で、「オ」と発音するものと、「ウ」に近い小さい口形で、「オ」と発音するもの。 「ウ」にも口を尖らせて発音するものと、「イ」の口形で「ウ」と発音するのもの等がある。旧くは日本語にもそれと同等か、近い数の母音が有ったと仮定しな いと、こうした転音は起こりえない。ただ、これが朝鮮半島由来の発音だったのか、どうかは判然としない。

中世以降=16世紀以降とすれば、朝鮮半島は仏教思想を国の基盤とした高麗が滅び、李氏朝鮮王朝が統一して100年程を経ており、現在と略同じ言語が使われたと推測される。

言葉の担い手=1900年代中期頃に使われた韓国語(ch'onggak)が語源とされる総角(チョンガー)、韓国(朝鮮)で未婚男子。成年を過ぎた独身男子の蔑称。旧髪型の名称(成人前の男子は結髪せず冠を着けず、髪を後ろに編みさげる風習があった)。俗に独身の男。

火之神=製鉄民だけではなく、陶磁器の職人も火之神(+土之神)を祀るかも知れない。弥生期、渡来した彼等独自の言葉だったとすれば、半島由来と云える。但し、こうした職人も中国大陸からの流入と云われる。

神輿=和歌山県那賀郡粉河町(現紀ノ川市)中鞆渕58の鞆渕八幡の神輿は国宝の沃懸地鈿金銅装神輿とされる。安貞二(1228)年石清水八幡宮が神輿を新調したので、古い神輿をもらい受けたと伝わる。平安時代の貴族の輦台(レンダイ)に類似する形と云う。

日本古来=原人が発生したと云う証拠はないので、氷河期、北回りで凍った北海を南下して北海道から中部付近に住んだ人々と、朝鮮半島 を経由して西日本に住んだ人々、二種の縄文系狩猟採集民、大陸東南部から南西諸島を経て耕作民を伴い渡来した海民等、半島経由の弥生系遊牧騎馬民や畑作民 以外とする。 






  1. 2016/05/05(木) 16:47:43|
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◇唱和

◇唱和
 古来、日本人は農作物の豊穣を祈願し、感謝したり、海上での安全を祈願し、豊漁に感謝したり、祝う春祭りや秋祭り、杣人(そまびと)やマタギ等の猟師が 山神に入山の許しと安全を祈願する祀りがあったと思います。中でも子孫繁栄を願い豊穣と豊漁に感謝する日本の祭りで、氏子等が担いで練り歩く神輿は、天皇 や貴族の乗る御輿=鳳輦(ほうれん)を基本にして魔除けの巴紋や神紋で飾り、ミニチュアの神社の如く鳥居や玉垣、高欄等が付けられて発展したとされ、主に 奈良や京都を中心に一般化しました。平安期になると、近江の日吉大社、京都の八坂祇園社、今宮神社、北野天満宮や大阪の天満宮等でも神輿が作られたと云わ れます。
 韓国語「ワッソ=来た」として、例えば、日本語「来(くる)」と同音の言葉「くるくる回る」「繰る(くる)」「刳(くる)」「暮(くる→くらす)」「車 (くるま)」等から推測すると、「くる」は、回転する→往復すると云うニュアンスを持ちますので、おそらく、韓国語の「ワッソ」にも日本語の「来た」と同 様、行って来た→往復した→一回転と同様、行って戻る(往復)→輪す事を想定していると考えます。もしかしたら、輪廻転生とも繋がるのかも知れません。
 例えば、東日本の或る農村では、春先、男性の氏子代表が付近の神名備山に登り、頂上の祠(ほこら)に祀られる山神(+水神)に祈り、里の社に豊穣神タノカンサーを迎えて祀り、米作りを始める前、春祭りで豊穣祈願した後、苗代を作り、五月女(サーオトメ)が田植えをします。夏、一段落、秋に稔ると、若衆(秋男)が稲刈して豊穣に感謝し、翌年の豊穣もと願う秋祭りの後、タノカンサーは山神(+水神)として山上に還ります。
 こうした豊穣を感謝する祭等で、山神様(+水神)や氏神様を神輿に乗せて氏子代表が担ぎ御神幸する時の掛け声とすれば、村の歳時や行事を皆で担い、氏神社の祭りを和して背負ふ(せおふ→しょふ)事、和し背負い=「ワシセオヒ → ワッシォイ → ワッショイ」と云う転音と考えます。
 また、韓国語の来叱(o+as=was、o+s=os)と関連し、和尚(おしょ う)・和上(わじょう)とされますので、「ワッショイ → オッショイ」とする地方も在り、「ワッショイ」は、母音「オ」の口形で「ア」=「ワ」、口を窄 めた状態から開けて「ゥオ→オ」と云う口形の違いから、日本語では「ワ」と「ヲ→オ」に振り分けられた考えられます。また、「ソイヤ → ソーヤ →  ソーリァ(ソーリェ)」とされる事も在り、漁村等で定置網や、村人総出で地引網を一斉に引き上げる時の掛け声として、背負いやが、「シォイヤ→ソイヤ」に転音した思われます。
 現在、これも単なる掛け声とされますが、豊壌と豊漁を祈願する神事等で、半農半漁の村人総出で二手に別れて行われる綱引き等の行事での掛け声、シォイの(背負い)→ッセイの(一斉の)も同源かも知れません。
 古来、同様の神事とされる相撲で行司が掛ける声「はっけよい(八卦良い)」の語源も定かではないとされます。例えば、力士が動いている時、行司は土俵を 割らずに「残った、残った」と囃しますので、力士の動きが止まった時に掛ける声と考えられます。詰まり、身体の動きを司る魄(はく)が抜けている→気力が 失われているぞと云う意味で、覇気負ひ=「ハケオヒ→ハッケィオゥイ→ハッケヨーイ」と転音したと考えられます。
 もう一つ、こうした豊穣祭や感謝祭との繋がりで、大量・多数と云う語義の「仰山(ぎょうさん)」も晩秋から翌年の春に架けて山に還る豊穣神タノカンサーである山神(+水神)や氏神様、更に、家の祖霊に対し、感謝と畏敬の念を込めて山を仰ぎ見ると云う意味になります。(了)

行って来る=朝、母親に対して子供が学校に行く等、現在の居所から目的の場所に向かう 時の挨拶「行ってきます」には、また、戻って来ると云うニュアンスがあり、これを少し丁寧した「行って参ります」の「参る」にも回るや舞う等、ニュアンス がある。尚、「降参する」等と使われる場合でも、対立していた二者の敗者が勝者に向き合い、遠ざかる動きが回転して近づく方向に変わる。

タノカンサー=陽気の良い春先、山神は水神(男神)として山から下り、晩秋になると、山神(女神)として山に還る。春先は、田楽舞で 山神を降ろし、五月女(早乙女)が田植えをする。稲刈り後、長(和ぐ)月に豊穣祭の猿楽舞(神楽舞)で感謝を表し、山神が神南備山に戻ると神無月となり、 新穀で御神酒を醸(かむ→かも)します。尚、日吉神社(大山咋神=水神?)と同祭神の松尾大社を酒造りの杜氏が崇敬する理由も同様と考える。

秋男=「記」兄の秋山之下氷壮夫(アキヤマノシタヒヲトコ)、弟の春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミヲトコ)と云う二神あり。その兄が 言うに「伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)を求めたけれど結婚できなかった。お前は、この嬢子(をとめ)を得る事ができるか」と、弟は「容易い事です」と答え たので、「もし、お前が、この嬢子を得たならば、身の丈の甕に酒を醸(かも)し、山や川の産物を悉く用意し、宇礼豆玖(熟れづく)としよう」に言った。兄 の言葉を詳しく母に申し上げると、藤の蔓を取り、一晩の間に衣服と履物を織り縫い、弓矢を作り、その衣服等を着せ、その弓矢を持たせ、嬢子の家に向かわせ た。その衣服や弓矢が悉く藤の花になり、その弓矢を嬢子の家の厠に立て掛けた。伊豆志袁登売は、奇妙に思い持って来ようとした時、嬢子の後ろに立ち、その 家に入って結婚した。そして一人の子が生まれたのである。

和尚・和上=漢和大辞典に拠ると、和[ɦuar][hua][huo]、上古音・中古音では「ワ」、近世音では「ホ→ヲ(ゥオ)→ オ」の近似音になる。隋唐期の中古音[hua]のH音がK 音となり、それが故、表題には「しょうわ」「しょうか」と云う訓がある。尚、女性名「和子(かずこ)」は、「くぁつ→かず」とされて、数えて和す員数の事と考えられる。

家の祖霊=日本人の大半は、死んだ人の彼世(霊魂)を司る仏教と生きた人の現世(魂魄)を司る神道と云う折衷に拠る本地垂迹説と云う宗教観で機能する。おそらく、死んだ人の霊魂は山に還り、浄霊されて天宮へ向かい輪廻転生する。それが故、寺は山号を持つのだと思う。





  1. 2016/05/15(日) 20:30:50|
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◇虎(とら)考

 広辞苑「虎」項、タイ語系南方方言、食肉目猫科に属す、アジア特産の猛獣で全長3㍍にも達する。上部と両側の色は黄色か黄褐色に黒い横縞模様があり、腹 部は白く、尾に黒い環がある。口は大きく鋭い牙を持ち、爪は鈎状に曲って鋭い。森林の水辺に棲み、昼間は洞窟等で過ごし、夜間に活動して種々の獣や鳥を補 食する。インドや満州、朝鮮半島に亜種が棲息する。
 「語源解説」古来、日本には棲息していないが、古くから「トラ」と呼ばれており、謎が多い。朝鮮語ホーラヌイ(horaŋ-i)からとする説や、古い朝鮮語の「ツル(tulu)=虎模様」が転じた等の朝鮮語起源説があります。
 虎(horaŋi)は、漢字音([hag][ho][hu])の中古音、狼[laŋ][laŋ][laŋ]を併せた造語とも云われますが、虎=ポム[pɔm]、狼=ヌクテ[nukte]と云う朝鮮語の固有語がありますので、同食肉目猫科に属す猫(koyaŋ-i)にも同語尾[-i]が付くので、猫属として括られると考えます。
 また、朝鮮語の鶴=ハク[hag]、その固有語のツルミ[tulumi]からすると、虎模様「ツル」は、鶴[ɦɔk][ɦak][ho(hau)]の近世音が虎と同音である事や、模様の形状が鶴嘴(つるはし)の形や鶴・鸛(こうのとり)等の飛ぶ姿に似るからか、似た音で呼ばれます。
 もう一つ、日本語の捕(とら)えると関連づける説もあり、朝鮮語起源と日本語的な「捕える」と云う解釈が加わったとしますが、これとて、古来より、虎の 毛皮が強い王者の証として捕らえられたのであれば、強い事が特徴的な名称になると思います。少し見方を変えましょう。
 私見で、古くから「トラ」と呼ばれた理由は、中国や朝鮮半島を含めた東アジア圏の文化や宗教観の輪廻転生思想も「陰陽五行説」西(白虎)とされる事に関連があると思います。
 漢和大辞典に拠ると、「狼(お・いぬ/おおかみ)」と似た漢字、狠[ŋuan(ɦən)][ŋuan(ɦən)][uan(ɦən)]=犬が噛み合う時に発する声。別音には「俗」物事の根が深く激しい様、根性が捻くれているとあります。
 二つの字形を「狼=犬+良(よし)」「狠=犬+艮(うしとら)」として、後者、「艮」=東北(干支丑(うし)=牛(失す)・寅(とら)=虎)の鬼門は、古来、鬼の出口とされます。漢和大辞典に拠ると、「艮」=「解字」目+匕(小刀)の会意文字とあり、よく似た字形の「匕(匙=さじ)」=魂を乗せ、天翔る天之鳥船(北斗七星)で天宮を目指します。
 一方、鬼の入口、西南「二黒土星(裏鬼門)=坤(コン)・未(ひつじ)=泥/申(さる)=猿」から霊魂は彼世(黄泉国)に去る。その干支「=猿」の韓国語「猿(wɔnsuŋi)」の語尾にも[-ŋi]、「羊」も漢字音と同じ[yaŋ]で、何故か、固有語はないらしい。  
 古来、東アジア圏で古墳等、被葬者の安寧を祈願して描かれる四神の一つ「西=白虎」とは、本来、黄色と黒色の模様を白色と黒色にし、亡者の穢れた肉体(黒)から抜け出た霊魂が彼世への入口、西北「裏鬼門(二黒土星)」から泉 国「中央(五黄土星)」へ行き、浄められ、魂と霊→魄に分けられ、「魂」は出口の東北「鬼門=八白土星(寅=とら)」から天鳥船で、北「一白水星(壬)」 の天宮に還った後、別の入口、陰極とされる西北の「六白金星(乾=戌亥)」が受け容れて妊み、「亥(ゐぬ)=猪(居ぬ→ゐづ→ゐる)」、再度、子宮(五黄 土星)で胎児を育むと、安産の象徴とされる戌=犬(いぬ)は、太(母性)とされる。その胎児が臨月を迎え、子宮から産出されると、犬=去(いぬ)とされます。
 一方、もう一つの出口、東「三碧木星(卯)」で輪廻転生した嬰児には、東南「四緑木星(辰)」で母乳を通じて「魄」を授かり、赤子として、すくすくと育ち、成人します。 以下、次回です。 

ホーラヌイ=虎[ho-raŋ-i]と猿[won-suŋ-i]は、接尾語の[raŋ-i]と[suŋ-i]が付いたものとある。この[raŋ-i ]= yaŋ-i → ryaŋ-i → raŋ-i  と転音、[ ko-yaŋ-i]の[yaŋ-i]は同語源とされる。また、[won-suŋ-i ]の[suŋ-i ]は、[beol-geo suŋ-i ]=裸の人と云う語義の[suŋ-i]で、これも霊長類の意味とすれば、[raŋ-i]も猫属として良い。尚、猿「wonsuŋ-i」にも[jan-nabi]と云う固有語がある。犬は、その鳴き声から[moŋ-moŋ-i ]や、子犬[gaŋ-ə-ji]が在る。

狼(お‐いぬ)=「忌詞」大犬の意。おおかみ。おいぬ様。「おおかみ(大神)」とあ る。ネコ目(食肉類)イヌ科の哺乳類。頭胴長約1~1.5m、尾長35~55㎝。毛色は灰色から茶色。犬の原種とされ、体形はシェパードに似る。曾ては北 半球に広く分布したが、西欧州・中国の大部分、日本等では絶滅。家族単位の集団で生活する。鹿等の大形獣の他、ネズミ等の小動物も食べる。日本の本土産は 小形でヤマイヌとも呼ばれたが、1905年奈良県を最後に姿を消し、大形の北海道産(別称エゾオオカミ)も1900年頃絶滅。
 尚、「老い」と云う言葉は、本来、負い・追い等と同源で、負う=背に荷を担ぐ事、追い=背に見て覆い被さる事で、老いは生きてきた年月を負う事で、「老いぬ=負いぬ」として良い。これと反対語が「若い」で、この場合、負う年月が少ない事、詰まり、数字が若いとなる。

丑(うし)=十二支の第2、動物では牛にあてる。北から東へ30度の方角。昔の時刻の 名。今の午前2時頃。また、凡そ午前1~3時の間、十二支の第2。中国の演劇の役名。道化役。「解字」手の先を曲げて掴む形を描いた象形文字とあり、魂 (鬼)を掴み取って天宮へ送ると云うニュアンスとすれば、丑(ウシ)と「失し」は関連があるのかも知れないが、午(うま)=杵(きね)との関係から牛=臼 (うす)と考えられる。
 尚、臼から杵(きね)=臼は女、杵は男を象徴。「記紀」国産神話、初め伊邪那美から声をかけたのが良くないと、生まれた蛭子(ひるこ→恵比須)と淡島 (胎盤)を流し去てきとし、女から男に働きかけるのは事は逆だとして、女王卑彌呼は宜しくないとするのかも知れない。また、男神の迦具土神を産み、陰(ほ と)を焼かれて亡くなった伊邪那美の頭方(まくらへ)で涙し、足方(あとへ)に涙した時、泣沢女神を生むとあり、伊邪那美命→男神迦具土神→女神泣沢女 神、伊邪那岐命→伊邪那伎命→天照大御神(伊邪那岐大御神)に転生すると考える。

鬼門=平安京の東北「艮(うしとら)」には、比叡山延暦寺を建立、出てくる鬼(兄=蝦 夷→姉)を浄霊し、永遠(延暦)の皇統(姉弟=めをと)を祈願した。現世の終末、南西「坤(ひつじさる)=京都市西京区南春日町」には、朝廷の尊崇の厚い 二十二社の一つ、藤原氏が奈良から春日明神を勧請した元官幣中社大原野神社がある。神仏混淆思想に拠る天台宗勝持寺(同区大原野)は役小角(えんのをづ ぬ)の開創で、後に最澄も本尊等を奉安したと伝う。平安前期、文徳期、範慶が大原野春日社の供養寺として中興。境内に桜樹が多く、俗に花の寺とも称。その 役小角は、伝承に拠ると生駒山中には前鬼と後鬼と云う鬼の夫婦は役行者に懲らしめられて従い修験者のために宿坊を営んだと云う。サルタビコとアメノウズメ の説話で互いに入れ替わり先導した前鬼、従った後鬼と考えられる。尚、東北地方等では、桜の樹や、その花には人の霊が宿るとも伝承される。

四神=北(玄武)=亀(陰→陽)と蛇(陽→陰)の合体。東(青龍)=珠(魂=陽気)を銜えて昇天する。尚、「火」も人に魂魄が揃った字形で、「赤」も人が立った正面の姿となる。南朱雀の「」は、成人した事を表す火(赤)から身体を司る「魄=(チュ)」が徐々に失われて足が動かない状態=年老いて身体が動かなくなり、「死」に近づく事を「紫」で示唆する。更に、精神を司る魂が抜け出て亡くなると、「(ひつじ)=亡骸」になる。

太(母性)=福岡平野東側の若杉山(福岡県糟屋郡篠栗町大字若杉)に坐す太祖神社(伊邪那伎尊→天照大御神))と西側の飯盛山に坐す飯盛神社の本社伊弉冉尊 合祀寶滿大神(玉依比売)→八幡大神(品陀和貴命)、中宮五十猛尊は、古代より夫婦山として国産伝説の基となった。
 茶碗をひっくり返した様な丸い姿の飯盛山は典型的な神奈備山。神社北側には志賀島で見つかった金印に就いて著した『後漢金印略考』で有名な青柳種信所縁 地の碑がある。尚、室見川を挟み飯盛神社東南には福岡県福岡市早良区四箇(しか)。他にも利根川と将監川中州の千葉県印旛郡栄町四箇(しか)、茨城県稲敷 郡桜川村四箇(鹿島神社・大杉神社)
 『宮川村史』大杉神社祭神久々能智神、五十猛命、大屋津姫命。三重県多気郡宮川村江馬に荻原神社が鎮座、荻原神社の創始年代は不明。文政七(1827) 年奉納の幡に「江馬大杉社榎村神社 奉再拝大屋津姫命大杉大明神廣前」とあり、当時、江馬大杉社か、榎村神社と呼ばれていた。度会延経の『伊勢国神名帳考 証』で、度会郡の延喜式内社榎村神社遺蹤地を江馬御に求めており、当社が後裔社とする。
 幡の大屋津姫命大杉大明神とは大杉神木の大杉明神と、その祭神大屋津姫命の事と思われる。大杉村の大杉明神は創立の歴史は分からないが、現在の神木の樹齢は1200年とされ、その隣の切り株が旧社とされている所から、その歴史は1200年程度としてよかろう。 そうすると大杉明神は山宮、荻原神社(大屋津姫・大杉大神・田心姫・他)が里宮か。とある。
 兵庫県龍野市龍野町四箇(よっか)付近の 同市揖保町中臣字宮ノ下の中臣印達(インタチ) 神社「五十猛神」の御由緒、宝亀元年六月十五日の創立と伝へ延喜式の制名神大に列せしも、中古より両部神道の為め、修験者が社務に干與するに及びて社背の 山上にありし十二所権現と唱ふる木像を本社に合祀の結果近世に至る迄、社名を蔵王権現とのみ称するに至る。明治10年10月10日願済の上、創立当時の社 名、中臣印達神社に復称、同年同月(明治12年5月とも)縣社に列せらる。とある
 「広辞苑」両部神道=本地垂迹(ほんちすいじゃく)説の根底をなす神仏調和の神道で、中世以降発達。御流・三輪流等の流派。明治以後、神仏混淆の禁止で衰頽。両部習合神道。神道習合教。

去ぬ= 〔自ナ変〕(近世後期、上方では四段に活用。関西方言に残る)行く。行ってしまう。去る。過ぎ去る。時が経過する。来る。死ぬ(=往ぬ)。帰る。腐る。悪くなる。

魄=身体を司るとされるので、乳母の乳(御食)=「五行説」白土(白金)を受ける事とすれ ば、伊勢神宮外宮の食神「豊受大神」に関係がある。一方、内宮の「天照皇祖神」は太陽光の化身(鏡)、「五行説」白水=魂(胤)になる。詰まり、山神(女 神)が水神(男神)=蛇となって里に降り、タノカンサーとして作物の生育を見守る案山子(養父)になる事と同じ。これも高天原からの天降りと同じで、例え ば、天照皇祖神(天照大御神→高木神)の血統が輪廻転生する事になる。神武天皇の正后五十鈴姫(伊須気余理比賣)は美和山神が蛇形として降り、里の娘と交 わり生まれる。

成人=南「九紫火星(朱雀)」の「火」は、「人(ひと)+(チュ=魂)+(チュ= 魄)」と云う字形で、嬰児に肉体を司る魄が宿り、魂魄揃い、赤子がすくすくと育ち成人する。朱色の「赤(あか)」も人の両足に魂魄が揃った事を示唆する。 また、天宮へ還った魂(精神を司る)を受け容れる陰極、西北「六白金星」=戌亥の戌(いぬ)=犬は人が大地に立つ姿とされる字形「大」の右肩に「(チュ)=魂」を付した「犬(いぬ)=去ぬ」は、それを育み送り出す安産の神とされる。「太」は、その魂が子宮に宿り、孕んだ状態の「亥(猪)=居」を表すと考えられる。
 尚、訓音「赤(あか)」は、天蓋が開(あ)き太陽が昇り、白々と明(あか)るくなる事、「明」の字形「太陽(魂)=白水」と「太陰(魄)=白土(白金)」が重なる事と、その訓音に拠ると考える。






 
  1. 2016/05/22(日) 20:00:46|
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◇入口と出口 2

 本来、西「七赤金星(白虎)」の干支「酉(とり)」は、仕込んだ清酒や醤油の酛(もと)を麹菌の力で発酵させて醪(もろみ)にするための甕(かめ)や樽 (たる)の象形ですので、「輪廻転生思想」で胤(魂)を受胎して育む子宮(酉)であり、嬰児を育む母乳(魄=麹菌)ともなります。
 欧州等でも鸛(こうのとり)等の大鳥には赤子を運んでくると云う伝承があり、亡く なった人の霊魂が「鳥(つる→とり)」等、飛ぶものに宿り、天に還って輪廻転生します。日本でも、お盆の頃、山から降り、里の田圃等で群れ飛ぶ蜻蛉(あき あかね)には、亡くなった先祖の霊魂(たましい)が宿ると信じられました。また、天宮へ運ぶ天鳥船=霊鳥(つる)の雁(かり/がん)も霊魂を宿して月に還 ると考えられました。
 韓国語でも、虎(horaŋi)、猫(koyaŋi)、揚羽蝶(horaŋ-nabi)、猿(jan-nabi) とされますので、東アジア一帯でも、こうした輪廻転生の思想や伝承等を共有するのでしょう。例えば、壇ノ浦戦で敗れ、西国へ追われた平家一門は、後代、輪 廻転生して表舞台に返り咲いたのでしょうか、その家紋は「揚羽蝶」とされます。最後に、述べてきた事を考え併せ、虎(とら)、鶴(つる)等の訓音に使われ る万葉仮名から考えてみます。
 「つ」甲「と」は[dug][dəu][təu]([dag][to][tu)、屠・徒・途・杜[dag][do][tu]が通用され、後者は、今でも「ツ」「ト」と読みます。更に、訓に拠る仮名の甲「と」=門・戸があります。
 甲「ト」と云う音は区切り、境目で、狭間や水道(瀬戸)、出入口、戸口(扉=とびら)等の基礎語義で、万葉仮名「つ」は、付・着・就・突(つく)や、続 (つづく)や繋(つなぐ)等の基礎語義と思われます。例えば、「つ=通」の上・中古音[tuŋ]=ツヌク→ツヌッ→ツゥ、近世音[toŋ]=トヌク→ト ヌッ→トゥ になります。一方、「ら」「り」「る」「ろ」には以下の音が通用されます。

  「ら」羅・邏[lar][la][luə]
  「り」=[lug][ləu][ləu] 理・里[lıəg][lıei][li]
  「る」=[lug][ləu][ləu] [hlag(hlo)][lo][lu]
  甲「ろ」=[hlag(hlo)][lo][lu] 乙「ろ」==[lıəg][lıei][li]

 もう一つ、戸[ɦag][ɦo][hu]と虎[hag][ho][hu]と近世音が同音ですので、「トラ」とは、黄泉国への入口「裏鬼門(坤=未申)」から天宮への出口「鬼門(艮=丑寅)」、陰極(子宮)への入口で霊魂の通り道、臨月の胎児が通る産道、嬰児が母乳の「魄」を宿すため通路(ツゥルィ・トゥラォ)=出入口や通り道で、耕作地や治水のための水流(つる)と同義の「通(ツゥ)・路(ルォ)」と云う意味で、 以下の如く転音したと考えます。

  ツル(鶴・水流) → ツゥルィ → トリ(酉・鳥) → トリァ →トラ(虎・寅)

 「記紀」は母系の男子として輪廻転生する伊邪那美(伊奘冉)と頚を斬られた御子の火之迦具土神(軻遇突智)を、裏鬼門から黄泉国へ追った伊邪那岐(伊奘諾)は、鬼門から天宮(竺紫日向橘小門阿波岐原)へ向かい川の中つ瀬(陰極)で禊ぎ祓い、神々を生した後、次々と名前が替わり輪廻転生を示唆します。
 平安遷都後、靡かない人々を討伐した桓武天皇は京都(けいと)の東北「(鬼門)」に比叡山延暦寺を建立、狼(おいぬ)→鬼(おに)=根性の捻くれたとして東海へ追い払われた鬼(=オァイヌ)→兄(あに)は西方浄土へ還られず、輪廻転生を封じられた蝦夷(えみし)は、アイヌ(東犬)として貶められました。
 尚、東北「八白星(鬼門・艮)」の寅(とら)の「解字」家の中で背筋を伸ばして居ずまいを正すとあり、人に馴れて従順な犬(ぽち)=「(ちゅ)」と違い、家に居着くとされる猫(ねこ→泥戸)とも考えられます。(了)

鸛=コウノトリ目コウノトリ科の鳥。世界に約19種あり、何れも鶴に似るが嘴が太く長 い。羽毛は大部分白色で、翼の大部分が黒色。脚は赤色。嘴で「かたかた」と音を立てる。形態・大きさ共に丹頂に似るが、本種は樹上に営巣。東アジアに分 布。ヨーロッパには近縁のヨーロッパ‐コウノトリが分布、赤ん坊を運んでくるとされる。日本では特別天然記念物に指定されたが絶滅、大陸から稀に冬鳥とし て渡来。鸛鶴(こうづる)。

トラ=「ト」「ツ」「ラ」「リ」「ル」に使われる万葉仮名は以下の如くなります。おそらく、ラ行の場合、本来、曖昧な発音だったのか、「ラ」「ル」「ロ」以外は無かったとも考えられる。
 ●「つ」 *訓に拠る仮名「津」(変体仮名)
 [dug][dəu][təu]  屠・徒・途・杜[dag][do][tu] *[dag][to][tu]
 菟[tag][to][tu]  通[tuŋ][tuŋ][toŋ]
 ●甲「と」 *訓に拠る仮名 砥[di]・戸[hu]・門[men]
 刀[dɔg][tau][tau]  斗[tug][təu][təu]
 [dug][dəu][təu]  *[dag][to][tu]
 屠・徒・途・杜[dag][do][tu]  渡[dak][dak][to]
 妬・徒・屠・図・塗・土[tag][to][tu]
 ●乙「と」 *鳥[niao] 十・止[shi]訓に拠る仮名
 得[tək][tək][təi]  徳[tək][tək][tə]
 等・登[təŋ][təŋ][təŋ] *異音[t`əg][t`ai][t`ai]
 騰・縢・藤[dəŋ][dəŋ][təŋ]
 台[təg][təg][tai] *異音[diəg][yiei][i]  臺・苔[dəg][dəi][təi]
 ●甲「ら」
 羅・邏[lar][la][lo]
 ●「り」
 [lıəg][lıei][li]  利・梨[lıed][lıi][li]  離[lıar][lıe][li]
 ●「る」
 楼・婁・漏[lug][ləu][ləu]  盧[hlag(hlo)][lo][lu]
 ●甲「ろ」
 楼・婁・漏[lug][ləu][ləu]  路・露[glag][lo][lu]
 魯[lag][lo][lu]  [hlag(hlo)][lo][lu]
 ●乙「ろ」
 =[lıəg][lıei][li]  呂・侶[glıag][lıo][liu]
 慮・廬[lıag][lıo][liu]

水流(つる)=戸[ɦag][ɦo][hu]・羅[lar][la][lo]の中 古音では、フォラ→ホラで、洞(ほら)=口が開いた所になる。尚、岫(くき)=山の洞窟とあり、福岡県北九州市の洞海湾は古名「洞海(くきのうみ)」で、 湾ではなく、旧くは遠賀川へ抜ける水道だった。漏(くき・くく)しとあり、同訓の茎(くき)も水分の通路で、通じている事、耳で聞(きく)も耳の穴を通じ て入った声や音を感じる事、括(くく)るも、繋(つな)ぐ=連続性になり、これを括(くび)るとすれば、首(くび)=括れて繋がる所で、先述した「来る」 も連続性→回転するとなります。

名前=「記」伊邪那岐命→伊邪那伎大神→伊邪那伎命→伊邪那岐大御神→伊邪那岐大 神と替わり変わり、最終的に淡海多賀に坐して転生すると、父祖の女系として輪廻します。一方、伊邪那美(生母)→泣沢女神(乳母/妻)→火之迦具土神(御 子/夫)に転生、母祖の男系として輪廻する。この二系が伊勢神宮に祀られる「天照皇祖神(父祖と母祖)/豊受大神(養父母)」と考えられます。





  1. 2016/05/27(金) 11:45:05|
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◇団栗(どんぐり)

 「どんぐり」の語源には諸説在りますが、この実を独楽にして遊んだため、独楽(こま)の古名「ツムグリ→ヅングリ→ドングリ」と云う転音で、「ツム」=回転すると云う意味があって旋毛(つむじ)・旋風(つむじかぜ)等に使われるとあります。
 私見では、頭頂をとんとんと叩きながら、お頭天々(オツムテンテン)と云いますから、ツム=終・詰・ジ(リ)=頂[ding](ヂゥ→チョウ)で、頭頂 の毛が渦巻く事から旋毛(つむ・じ)とされ、渦巻きの終始点ともなり、蝸牛(カタツムジ→カタツムリ)=片終り等に使われます。
 更に、藁や綿毛を捩って糸を紡(つむ)ぐ事、目を瞑(つむる→つぶる)ともなります。また、ツム→ツブ(粒)に転音して、潰(つぶ)す→小さくする事にも使われ、飛礫(つぶて)=投げる小石の事、語尾の「テ」は道具や武器の意味になります。
 また、太くて短身のコロコロとした形状の「ズングリ・ムックリ」は、ズム→ツム→トム(トン)と転音、富(とむ)=膨よかな事にも使われました。尚、ク リ=石の古語としますが、「クル→クリ」はクルクル回る等に使われますので、繰り返しや回転する事を意味する語で、それが丸い固まりとなり、繰り石(栗 石)=栗に似た丸い形状の石となります。*もっこり=丸みを帯びて盛り上がっている様。
 韓国語「トングルダ」、モンゴル語「トグリク」、日本語「トグロ(蜷局)」等、「トン/グル/ダ」「ト/グリ/ク」「ト/グロ」と云う構成とすれば、ア ジア圏で丸い事を意味する言葉は同源で、日本語「トグロ」は、タグル→トグリ→トグロと転音、綱等を手繰る時、円を描く手つきや、その綱が丸く積み重なっ た状態を意味で、蛇が蜷局を巻くと使われます。詰まり、グル(グリ)=回転する→丸い事にして良いでしょう。
 表題の団栗は当て字とされますが、「漢和大辞典」団[duan][duan][t'uan]=円い・丸いと、「クリ→コリ(凝)→堅い固まり=丸くて堅 い物とすれば、形状や性質を巧に表します。本来の音は、韓国語「トングルダ」に近いトンコリ(ドンコリ)で、凝(こり)と云う音に「栗」の字が充てられ て、ダンコリ→ダンクリ→ドングリに転音しました。
 尚、栗(くり)の語源解説には、表皮の色が玄(くろ)い事から「クロ」の転音、玄実(くろみ)の縮約とする説がありますが、木の実は殆ど同色相を持ち、 色が特徴的な事と云えません。また、落ちた実が石(くり)に似ているともありますが、「クリ」=石ではないとしました。更に、語源が分からないと出てくる 朝鮮語では、栗=「kul(クル→クゥ)」とあります。
 「栗」の解字には、実が落ちた後、毬栗(いがぐり)が樹上に残っている様子とあって、栗の実が抜け落ちた毬栗の形状=丸い穴とすれば、木切れを回転させ ながら削って作る木製の椀=刳り物の刳(くり)と同義で、毬栗は密集した粗い毛(棘)を持つ外皮=衣毛(イガ・エガ)に包(くる)まれた丸い物=凝り(コ リ)、髪の毛を短く刈った坊主頭を毬栗頭、剃髪が伸びた毬栗坊主等と丸い頭に棘状の毛が密生する様子を云います。
 最後に述べてきた事を考え併せると、クル(来る・繰る・刳る)には、連続する・回転する等の基礎的な共通項が全体を覆う事にもなり、包(くるむ)、車 (くるま)等にも使われます。おそらく、団栗と毬栗に使われる音は、本来、違う言葉で、前者は、凝り(コリ)=球形の固まり、後者は、刳り(クリ)=丸い 穴でしたが、木の実を代表の「栗」を充て、「クリ」と云う音に集約、木の実に関連した言葉として示唆しました。
 二つの語義が持つニュアンスを併せ持つ言葉には、胡桃(くる・み)が在り、堅くて丸い殻に包まれた実になります。(了)
 






  1. 2016/06/02(木) 20:34:51|
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