見まごう邪馬台国

◇韓国(朝鮮)の行政区画

 韓国の洞(Tong/Kor) 里(Ri/Maur) 村(Chon/Maur) 坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)等と、日本語の「県」「郡」「市」「町」「村」の行政区画の違いは何でしょうか。
 東洋言語の比較研究の開拓者として世界的に有名な言語学者で、国語辞典「広辞林」の編者金沢庄三郎氏は、以下の箇条書きで説明します。

【(1)朝鮮に於ける最も普通に集落を表す名詞は「~洞」「~里」である。
 (2)2つと同義で、位置や地勢により、村、坪、田、地、基、原、亭、站、岱、津、谷、浦、城、島等を用いる。
 (3)代表的な名詞の音読みと訓読み韓国語の固有読み)は、以下の通り。*()内は漢字音読/訓読

   洞(Tong/Kor) 里(Ri/Maur) 村(Chon/Maur) 坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)

 (4)これらの地名接尾語には、本来、多少の使い分けがあったが、かなり混同される。
 (5)里や村の朝鮮語固有読み、Maur(マウル)には、Mori(モリ)、Mari(マリ)、Mar(マル)、Mor(モル)、Mouri(モウリ)等の変化形がある。
 (6)坪の訓読みの方も、Pur(プル)、Pari(パリ)、Pori(ポリ)、Puri(プリ)の変化形がある。朝鮮語のP音は語中で、Bur(ブル)、Bari(バリ)、Bori(ボリ)、Buri(ブリ)になる。
 (7)坪(Por/ポリ)は、古代に於て、「伐」の字を用いられ、三韓では「城」と同じ意味に使用されていた。その他、尚、夫里、卑里、不離、巴利、頗利等の字が充てられた。
 (8)金沢論文に引用されている邪馬台国九州説を最初に唱えたことで有名な歴史学者の白鳥庫吉博士説に拠れば、上記、Pur、Por が Bur → Mur → Maur になった。
 (9)この Pur(プル)、Por(ポル) は、日本語の古語では「フレ」にあたり、プレ(pure)と発音していた。後の地名の「フル、バリ、ハル、ハラ」等は、全て、この「フレ」が転訛したもの。】 *半角の片仮名は韓国語のパッチム=母音を持たない子音、以下同

 上記、(1)~(9)迄を、一つ一つ取り上げながら、私見を述べてみたい。

 >(1)朝鮮に於ける最も普通に集落を表す名詞は「~洞(Kor)」「~里(Maur)」である。

 金沢庄三郎氏も、上記、(4)で、これらの地名接尾語には、本来、使い分けがあったが、かなり混同されるとします様に、~洞(Kor)、~里(Maur)も同義ではなく、その地域の地形の状況や状態が違うと考えます。
 前者のKor(洞=コル)は、日本語の洞(ほこら)=矛で突いたような細長い区画=先を見通せる事や、刳(くる)=刃物で抉り、穿ち穴をあける事と関連があるとすれば、山に挟まれた谷間口で、川が流れる等、見通しが利いた集落と考えられます。
 例えば、福岡県北九州市を南北に別ける洞海(どうかい)湾は、旧く「くきのうみ」と呼ばれていました。この頃、遠賀川下流域で繋がっており、潮汐に拠る潮流のある水道でしたので、この「洞(くき)=岫」は、漏(も・る)の古語(くき・し)と関連があるでしょう。それが故か、その南側の同市戸畑区から小倉北区・南区一帯に架けては、企救(くく→きく→きくら→こくら)郡と呼ばれました。
 ~里(Maur)を「マゥル→モル」にしますと、「漏・洩(もる)」と繋がるのかも知れません。ただ、盛(もる)、守(もる→まもる)と在りますので、漢字「里」の語義からすると、土を盛り、作物を守る畝を作る耕作民が住む、城壁のある条里制の集落(区画)と考えられます。
 韓国語には小さな口で発音する「オ」があり、漏・洩(も)る=「モゥル」は「ム」と「モ」の中間音で、韓国語「水(ムル→ブル)」に近い音かも知れません。一方の「盛る」「守る」は大きな口の「オ」の「モル→マォル」に近い音とすれば、日本語の「丸(まる)」とも繋がります。
 現代韓国語には、馬(mar)、言葉(mar)等がありますので、日本語の「ま」の発音に近い音「マ」ではなく、前者は「マ」と「モ」の中間音になります。

洞(くき)=洞海湾付近の地図で確認すると、水道の南北海岸縁迄、山裾が迫る地形です。同音の茎(くき)も上下の両端が通じた水道として良い。「紀」伊奘諾が黄泉国から還る時、何事か伊奘諾に云ったとされる白山神社等に祀られる菊理(くくり→きくり→くきり)媛は、括(くくる)=二つ以上の物を縄や紐の両端を繋ぎ併せる事になる。また、「ホ・コラ」の「ホ」は、穂先補や炎(ほのほ)等に使われる先端の事で、行き止まりのがある事を示唆する。
 尚、現日本語では、ア・イ・ウ・エ・オと云う五母音とされますが、現韓国語には「ア」「オァ」「オゥ」「イ」「ウ」「ィウ」「アィ(大口形のエ)」「オィ(小口形のエ)」等、様々な母音がある。クク→キク→クキ等の転音は、そうした曖昧な母音に拠る振り分け方の違いが要因と思われる。

企救(くく→きく→きくら→こくら)郡=古代、遠賀川沿岸部に巣くったとされる物部族の一つ聞物部(きくもののべ)氏の領地と伝承される。尚、「キク」とは耳で聞くだけではなく、鼻が利く、目が利く、口を利く、薬が効くとも使われますので、感覚が繋がる事、A点からB点が通じ、病気等の因果関係に適う事。
 尚、「ラ」=等・羅で、単一点ではなく、多数・区画を表す語、新羅(しぎ)・百済(くだ)、群がる→村(むら)等。奈良(な)は、均し、平す事に関係して京都を開いた所と考えられます。

丸(まる)=毬・鞠(まり)、椀(まり)、放(まり)等は同源となります。おそらく、後者の二つは、放物線との関係から半円形になる蒲(がま)や、魚肉の練り物の蒲鉾も円筒状の穂花からでしょうが、現在は板上に半円筒形に盛る。また、同様の円形や半円形の鎌(刃の形状)・釜(底の形状)・窯(天上の形状)を表す「カマル→カマッ→かま」もある。
 尚、船の名称や城の本丸や二の丸に使われる理由は、海(女神)に対する男性のトーテムとされる馬(Mar)=船(男神)と同様、軍隊が駐屯する里や村の韓国語(Maur)等と関連し、城(土に成る)とすれば、陰神(女性)の土台上に立つ陽神と云う関係か。



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  1. 2016/10/19(水) 00:10:15|
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◇地名の接尾語

 >(2)2つと同義で、位置や地勢により、村、坪、田、地、基、原、亭、站、岱、津、谷、浦、城、島等を用いる。

 金沢庄三郎氏も、上記の地名語尾は「使い分けがあった~」としますので、人が群がり、住む所と云う基礎的な共通項だけで括られます。そこで漢字の語義を順に見ていくと、以下の如くなります

  「村」=邨(そん)に通じる。屯=集合した軍隊と、その場所、仲間や或る職業の者が屯する場所
  「坪」=平地、区画された土地→条理の邑で農民→評・郡(こほり/むらがる)・壺に通ず
  「田」=区画された耕作地と、そこに通じる道→農耕民の集落(農村)
  「地」=うねうねと続く大地→畑作と牧畜する人々の集落か
  「基」=土台となるべく積土→部族長や領主の城郭や城壁の在る集落
  「原」=平らで広く、多く草が生えた土地、特に耕作しない平地、野原・原野→牧畜民の集落
  「亭」=阿舎・屋敷・住居→部族長や領主の館がある集落
  「站」=宿駅→馬子や荷役の人夫が住む集落
  「岱」=泰山の別名、山→牧畜民や狩猟民の小さな家族単位
  「津」=川の湊、対岸に渡る所→川民や沿岸航海民家船)と荷役人夫の集落
  「谷」=水の湧く、山と山の間(峡谷)→水守の集落?
  「浦」=海や湖の陸地に入り込んだ所→漁労民の集落
  「城」=土を盛り、敵を防ぐ→部族長や領主の城郭や城壁のある集落
  「島」=海中や水中から突出している所→海民の集落

 以上と、その字音とを考え併せながら、近い語義を持つもので括り、整理すると以下の如くなります。

  村[ts`uәn][ts`uәn][ts`uәn]=軍隊が駐屯するか、鍛冶職人等、同業の人々が集住する地域。
  坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ]=揚子江中流域の小さな平地→区画整理された耕作地を持つ地域。
  田[den][den][t`ien]=平にして区画整理された耕作地を持つ地域。

 上記の前者「村」は、区画された耕作地の有無は定かではありません。後者の二つは、平野部の条里制を持つ「里」と殆ど同義で、租税を徴収するための官吏や守衛の武官が常駐していました。 

  基[kıәg][kıei][ki]=土台をもつ建物が有り、周囲に城柵を設けておらず、周辺部の治安は確保される。
  亭[deŋ][deŋ][t`iәŋ]=物見櫓を持つ建物が有り、周辺部の治安は万全に確保されてない。
  城[dhieŋ][zıєŋ][tʃ`ıєŋ]=周囲に城柵を設けた建物が有り、最前線で近隣は対立する勢力圏内になる。

 上記は城下町で、前者「基」には官吏や武官の役所、後者の二つには軍隊が常駐。周辺には商家が並び、人々が集まり市が立つ。ただ、区画された耕作地の有無は定かではありません。

  地[dieg][tii][ti]=区画されていない耕作地と牧畜を営む人々が定住する地域。
  原[ŋıuăn][ŋıuʌn][iuen]=区画されていない草原等で、ゲル(天幕)で移動しながら遊牧する人々が暮らす地域。
  岱[dәg][dәi][tai]=区画されていない山腹等で、幾つかの拠点を移動しながら狩猟と採集を営む人々の地域

 上記は、区画された耕作地を持たない人々の地域だが、庸や調等、賦役は課された思われます。

  津[tsien][tsiĕn][tsiәn]=河川航行に拠る荷役や渡しに従事する河民の拠点。
  浦[p`ag][p`o][p`u]=漁猟と沿岸航海に従事する漁民の拠点。
  島[tog][tau][tau]=外洋や沿岸航海に従事する海民の拠点。

 上記は、河岸や海岸、海上に立地する地域で、庸や調や、荷役等の賦役を課されたと思われる。

  站[tăm][tʌm][tşam]=兵站(へいたん)等と使われるので、馬子や荷役人夫、宿屋や商家、鍛冶等の職人等が住む集落。
  谷[kuk][kuk][ku]=河川や湧水や泉のある峡谷とすれば、官吏や武官が駐屯する「村」「基」「亭」「城」等の水源を守る人々が住む地域か。

 上記は、集落の状況や状態に拠る生業に違いがある。何れも区画された耕作地は無いが、庸や調を課された。  以下次回。

区画整理された耕作地=豊臣秀吉も行ったとされる検地の如く、面積から収量を計算し、租税を徴収するための田畑。

庸や調=租庸調は、唐の均田法下の税制。土地を給与された丁男(ていだん/21~59歳)に対して課した現物税。租は粟2石、旧、年20日間の力役が1日につき絹3尺に換算されたもの、調(「徴」と通ずる)は土産の絹2丈と綿(まわた)3両、または麻布2.5丈と麻3斤。後、両税法がこれに代わった。日本でも大化改新以降に同様のものを制定。
 庸(ちからしろ)=律令制の現物納租税の一種。大化改新では仕丁(しちょう)・采女(うねめ)の衣食用として1戸につき布1丈2尺・米5斗。大宝律令制定後は、唐の制度にならって毎年10日間の歳役(さいえき)の代納物とし、成年男子一人につき布2丈6尺、または米6斗。奈良・平安時代を通じては、布1丈4尺、または米3斗が一般。
 調(みつぎ)=律令制の現物納租税の一種。孝徳朝の大化改新では田の面積に応ずる田調と戸毎の戸調とがあった。7世紀末から唐の制度にならって成年男子の人頭税とし、繊維製品・海産物・鉱産物等、土地の産物を徴収した。分量は麻布・栲布(たえのぬの)の場合、一人当り2丈8尺。他に調副物(ちょうのそわりつもの)という付加税もある。




  1. 2016/10/25(火) 22:01:48|
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◇漢語音と固有語音

 >(3)洞(Tong/Kor)、里(Ri/Maur)、村(Chon/Maur)、坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)~云々。 

 (3)洞[duŋ][duŋ][toŋ]、里[lıәg][lıei][[li]、村[ts`uәn][ts`uәn][ts`uәn]の前者の三つは中古音以降に拠るもので、こうした漢字音が使われる理由は、大陸内の先進文化を持ち込んだ人々は官僚や為政者は行政区画の集落・村落を表す言葉に自国の言語を使ったからで、下層階級でも使われて転音・転訛しました。
 後者の坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ](Pyong)は、漢字音が「ピァヌ→パヌ→パヅ→パル」と変異・転音して韓国語の(Pur、Pari、Pori、Puri)にされて、日本語でも、Pur(パル→ファル→ファルァ→ハル)=原(ハル・バル・ハラ・バラ・ワラ)、Pari(パリ→ハリ)=張・治・針等に転音します。
 坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ]の漢字音(ピァヌ→パヌ→パル)が「Pur」「Pari」「Pori」「Puri」に変異・転音したとすれば、「Tur」は異系の固有語で、当初、北部九州でも、Bari(バリ)=張・治・針(バリ)だったが、そうした異系の固有語を携えた人々が、大陸北部や朝鮮半島から追われて列島に渡来して影響を及ぼしたのか、「ツル→ツヅ→ツブ→ツブォ」の如く変異・転音、日本語の訓音「つぼ」になったと考えます。

 >(5)里や村の朝鮮語の固有読みのMaur(マウル)にも 「Mori」「Mari」「Mar」「Mor」「Mouri」等の変化形が在る。

 上記が単なる転音か、何か違いがあるのか判然としませんが、里・村「Maur(マゥル→ムル→ムルァ)」=村(むら)、Mar(マル→マル)とMor(モル→モル)=~丸(まる)・守、Mori(モリ)とMouri(モゥリ)=杜・森・等に転音します。
 こうした言葉を使う中国大陸の漢民族や遊牧騎馬民族、政情不安で朝鮮半島や列島に渡来した人々の出自は近かったが、獲物を追って朝鮮半島や列島に渡来した大陸北のアムール川沿岸部の狩猟採集民等、大陸南の海洋民や耕作民等、先住民の使う言語もあったと推測されます。

 >(6)「坪」の訓読みにも「 Pur」「Pari」「Pori」「Puri」等の変化形があり、朝鮮語のP音は語中で「Bur」「Bari」「Bori」「Buri」になる。

 漢字音は上古音「B」→近世音「P」が多くあり、現代、韓国(朝鮮)語では会話中、頭の清音や半濁音は濁音的な強音化することからも、Bur(Bori・Buri)→Pur(Pori・Puri)となっても良いのでしょうが、本来の音韻はB音系だったと推測されます。一方、日本語では以下の如く転音したと考えられます。

  原(baru → paru → faru → haru/bara → para → fara → hara)
  丸(baru → maru)
  茨(ibara → ipara → ifara → ihara)
  治(bari → pari → fari → hari) *張・縁(へり)→渕・淵

 朝鮮半島史上、唐王朝の後ろ盾で朝鮮半島を統一した新羅(韓族?)が滅び、大陸北部の北魏系の仏教思想を国の根本とする高麗期の焚書に拠って古文献の殆どが失われたので、朝鮮(韓国)語学界でも、未だ、古朝鮮の固有語や語音の全貌は分からないと云います。
 その仏教系の高麗が滅び、出自が漢水東岸付近の唐国公李淵(高祖)の興したに拠る唐王朝の関係者と思しき中華思想の儒教を国の根本とする李氏朝鮮王朝時代の言葉は、当時の漢字の近世音に強く影響されたと推測されるので、それ以前の漢字語の多くが固有語として変異。転音して残ったのかも知れません。詰まり、大陸東北部の狩猟採集民と東沿岸部漁労民の言葉、大陸北部から逃れて来た騎馬民族の言葉、焼畑農耕と牧畜を生業とする北部漢民族が持つ漢字音等が重なり、現在の朝鮮(韓国)語は成立したと考えます。
 日本語は大陸を東流するアムール川周辺部の狩猟採集民等が、北回りでオホーツク海を経て北海道へと南下した東日本の縄文人?、大陸南側の海民や狩猟採集民が南西諸島を経て南九州や太平洋岸に渡来した西日本の縄文人?、南中国系水耕稲作民が海民を伴った南方系弥生人、大陸の政情不安に因り、北中国系焼畑耕作と牧畜民や騎馬民族が朝鮮半島を経由で逃れてきた北方系弥生人等、様々な言葉が混ざり合い成立しました。

パヌ→パヅ→パル=何れも舌の位置が上顎に付かない状態で発音されるため転音しやすい。また、

ツブォ=現代韓国語に在る小さい口で発音するウに近い「オ」では、粒(つぶ)=小さなもの、大きな口で発音するアに近い「オ」との違いで、日本語では、坪(つぼ)=小さな区画にされたと考えられる。同様に、イの口形でウに近い音にすると、禿(ちび)=短い・低いになる。
 鐔(つば)は、刺身の端(つま)や、夫(つま)・妻(つま)・爪(つま→つめ)等と同源で、刀身の端で握る手を保護するもの。「ツマ→ツバ」に転音したと考えられるので、これらに関係性はないだろう。同音の唾(つばき→つば)は、「つ・吐き→つばい→つば」に転音したと考える。

里(さと)=人家のある所・村邑、都(みやこ)に対し、田舎(いなか)・在所、遊里(くるわ)の野暮な客。育ち・素姓等、正邪、良悪、内外、聖俗等をニュアンスを含み使われます。宮仕えの自家⇔内(だい)。妻・養子・奉公人等の実家。寺に対して俗世間・在家。養育料を添えて子供を預ける事や、その家等とある。一方、里(り)=地上の距離を計る単位。36町(3.9273≒4㌔)に相当する。昔は300歩、即ち今の6町の定めであった。律令制の地方行政区画。大化改新以後、50戸を以て1里とした。715(霊亀1)年に里を郷と改め、新たに郷の下の小行政区として1郷を2~3の里に分割したが、740(天平12)年に廃止。古代の条里制で6町四方(36町歩)の正方形の地積。中国で、秦漢代以前の集落の称。秦漢代に行政機関を置いて以後は、地方行政区画の名。唐では100戸をもって1里とした。

~丸(まる)=Mar(マル→マル=丸)とMor(モル→モル)守(もる)は、環濠集落の人々の集落を指す言葉、Mori(モリ)とMouri(モゥリ)=杜・森等は、狩猟採集民の集落を指す言葉だったかも知れません。

縁(へり)→渕・淵=見まごう邪馬台国の次章「傍国考」でも詳述するが、傍国として記述される巴利国を「ヘリ→へら→ひら」とした。

北魏=中国北朝の最初の国で、遊牧騎馬民の鮮卑(せんぴ)族拓跋(たくばつ)珪(道武帝)が、386年魏王を称し、398年平城(山西省大同)に都し、建国。494年洛陽に遷都。534年東魏・西魏に分裂、東魏は550年、西魏は556年滅亡。魏。拓跋魏・後魏・元魏等とも称。

高麗期=太祖王建の建国(935-1392)。その王建と、前漢を倒して「新」と号した王莽(在位8~23)=前漢末の簒立(さんりつ)者。字は巨君。漢王元帝皇后の弟の子。儒教政治を標榜して人心を収攬、平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位に就く。ついで真皇帝と称し、国を奪って新と号した。その政策に反対する反乱軍に敗死し、後漢が復興した(前45~後23)。

漢水(Han Shui)=長江の最大支流。全長1532㌔。中国陝西省南西隅に発源、漢中を経て湖北省に入り、曲流しながら武漢で長江に注ぐ(漢江)。尚、黄河と揚子江に注ぐ河川は「~水」と呼ばれる。
 その漢水東側には、隋3世恭帝の禅譲を受けて建国した統一王朝「唐(高祖李淵)」が在る。また、その南東側の河川(清発水?)沿岸には、北周の武将楊堅が静帝の禅譲を受けて建国した「隋」がある。*漢和字典所載の中国歴史地図「春秋時代」

東日本の縄文人=水耕稲作に適さない土壌の長野県諏訪地方の八ヶ岳山麓には、尖石遺跡等、先史時代や縄文時代の遺跡が多く分布する。火焔土器(新潟県)等、西日本の縄文遺跡と一線を画す。また、遮光器土偶や仮面土偶等、大部分が女性を象る。*大地の母神=産土(うぶすな)神




  1. 2016/11/01(火) 09:37:52|
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◇伐(ボル)

 >(7)坪(Por)は、古代において「伐」の字が用いられ、三韓では「城」と同じ意味に使用されていた。その他、夫里・卑里・不離・巴利・頗利等の字も充てられた。

 三韓時代、「坪(ポル)→伐」は「城」と同じ意味に使用されたあり、佐賀県と福岡県境に聳える背振(せふり)山系北尾根の雷山の朝鮮式山城とされる神籠石があり、「夫里(フリ)」と関係が在るのかも知れません。但し、「魏志韓伝」~卑離国と云う国名が幾つか見え、散在山海間無城郭としますので、「城」ととするには疑問があります。

 馬韓在西。其民土著種植、知蠶桑作綿布。各有長帥、大者自名爲臣智、其次爲邑借。散在山海間無城郭。有爰襄國、牟水國、桑外國、小石索國、大石索國、優休牟涿國、臣濆沽國、伯濟國、速盧不斯國、日華國、古誕者國、古離國、怒藍國、月支國、咨離牟盧國、素謂乾國、古爰國、莫盧國卑離國、占離卑國、臣釁國、支侵國、狗盧國、卑彌國、監奚卑離國、古蒲國、致利鞠國、冉路國、兒林國、駟盧國、内卑離國、感奚國、萬盧國、辟卑離國、臼斯烏旦國、一離國、不彌國、支半國、狗素國、捷盧國、牟盧卑離國、臣蘇塗國、莫盧國、古臘國、臨素半國、臣雲新國、如來卑離國、楚山塗卑離國、一難國、狗奚國、不雲國、不斯濆邪國、爰池國、乾馬國、楚離國、凡五十餘國。大國萬餘家、小國數千家、總十餘萬戸。

 先掲の言葉と「卑離」が漢字音に拠る訓音として、「漢和大辞典」に拠ると、以下の如く何れもP系とL系音で、これを片仮名書きすると、近似音ですが同音にはなりません。次いで、夫々を日本語に照らし併せると以下の如くなります。

  夫[pıuag(pıuo)][pıu]・里[lıәg][lıei][li]=ピゥァッ(ピゥォ)・リァェッ→プァ(プォ)ラェ→パ(ポ)レ
  卑[pieg][piē][pi]・里[lıәg][lıei][li]=ピェッ・リァェッ→ペレ
  不[pıuәg][pıәu][fәu]・離[lıar][lıe][li]=ピゥァッ・リァゥ→プァッラゥ→パル
  巴[păg][pă][pa]・利[lıed][lıi][li]=パ・リェッ→パレ
  頗[p`uar][p`ur][p`o]・利[lıed][lıi][li]=プァゥ・リェッ→パゥレ→プレ

○夫里(パラ/ポラ)=原(はら)/洞(ほら)、区画整理された耕作地(里)を持ち、「はら=腹」と同源の平野。
 後者の「ホラ」=掘ると同源の口を開けた奥まった所=谷間で、出入口を持つ洞・岫(くき)とは地形的に違う。
○卑里(ピェラ→ペラ)=箆→平(へら→ひら *たい)、これも区画整理された耕作地(里)を持つ平野。
巴利(パレ)=張・墾・治(はれ→はり→へり)で、河川が運ぶ土砂が堆積し、開けた扇状地等を治水工事で開墾した先端=縁(へり)。
○不離(パル)=原・春・張・茨(ぱら→ばり)は、巴利(パレ)と同形ですが、瓦礫の拡がる荒れ地か、ゲル(天幕)が散在する草原。
○頗利(プレ)=触・村(ふれ)等、長崎県の壱岐の~触(ふれ)と同形語か。

 「卑」=平たい柄杓を持つ形象、酒を注ぐ事から使役の意味を持ち、引いては卑賤の義とある。「夫」と「卑」は地形的な状況以外にも生業の違いを示唆、大夫(たゆう)、小作人や被差別民等の違いかも知れません。
 卑[pieg][piē][pi]・離[lıar][lıe][li]( ピェッ・リァゥ→ペラゥ→ペル)は馬韓域の中央部から離れた賤しい僻地(縁=へり)、不離(はる)国は中央に隣接する土地で、何れも耕作地の有無は定かではありません。また、頗(=すこぶる)・利(=収穫)国(プレ)は鉱物や鍛冶等、優れた利益を生む土地と考えます。
 「魏志倭人伝」道程の国々には官卑狗・副卑奴母離と在り、傍国巴利国等にも官吏や武官が派遣され、物見台を設けた役所等が在った。上記の何れもが城郭はないが、環濠や柵壁を廻らせた集落自体が「城」とされたのでしょう。

背振(せふり→そふり)山=韓国の首都「京城(セォウル)」かと云われるが、玄界灘側の尾根「雷山」と有明海側の尾根「帯隈山」には百済式山城と云う説もある神籠石が在り、城のある背後の山と云う意味の名称と考える。

莫盧國=同国名が二つあり、邪馬壹国への道程「奴国」、傍国「奴国」と同様、国々の位置関係を示唆する。また、不彌国は、その道程の不彌(はみ)国と同音で、二者は何らかの関係があるのでしょう。伊都国との中間に位置する佐賀県多久市別府(仁位所)、長崎県下県郡豊玉町仁位(対馬)、他にも福井県足羽郡美山町仁位、兵庫県佐用郡上月町仁位、山形県山形市二位田、新井田、仁井田、二位田等、東日本に多い。半島にもよく似た地名があるのかも知れない。また、卑彌(ぴめ)国は、女王卑彌呼の「卑彌」と同音が使われるので、「秘め」「姫・媛」等、司る役目等の関係性が在ると思われる。
 莫[mag/mak][mo(mbo)/mak(mbak)][mu/mo]廬[hlag(hlo)][lo][lu]とあり、漢字音を併せると、「マッゥロッ→マロ→マル」、地名接尾語の「~丸」に近い音になる。~丸(まる)=Mar(マル→マル)=丸とMor(モル→モル)=守(もる)は、環濠集落の人々の集落を指す言葉、Mori(モリ)とMouri(モゥリ)=杜・森等は、狩猟採集民の集落を指す言葉だったかとした。莫(草むらに日が隠れる)、廬(火桶・火入れ・黒い、柳で作る飯櫃)とあり、生活習慣の違う蒙昧で言葉の通じない国と云う意味かも知れない。

洞(ほら)=滋賀県伊香郡高月町洞戸(ほらど)、京都府京都市右京区北嵯峨洞ノ内町(ほらのうち)町、兵庫県三田市洞(ほら)、和歌山県日高郡印南町上洞(かぼら)、鳥取県鳥取市洞谷(ほらだに)、高知県高知市洞ケ島(ほらがしま)町、熊本県下益城郡砥用町洞岳(ほらおか)、沖縄県宮古郡城辺町保良(ぼら)等、何れも谷間や、なだらかな盆地にある。

平(へら→ひら)=滋賀県高島郡朽木村平良(へら)、兵庫県豊岡市戸牧(とべら)、同県氷上郡市島町戸平(とべら)、和歌山県東牟婁郡古座川町南平(なべら)、広島県廿日市市平良(へら)、同県廿日市市平良(へら)、大分県宇佐郡院内町景平(かげへら)や、現在、全国的に見られる平野(ひらの)・平田(ひらた)・平井(ひらい)等も同源か。

たい=東北地方等に多い、小高い台地や高原。岩手県の八幡平(はちまんたい)等。現在、台(だい)や岱(たい)等も使われる。尚、邪馬臺国に使われる「臺(うてな)=台」=四方を観望できるように作った高い土壇・建物。高殿。物を載せる台 。平たくて高い土地。物事の基となるもの。中央政府の官省、弾正台等。皇族・貴人等への敬語。

張・墾・治(はり)=三重県名張(なばり)市・同県桑名市播磨(はりま)・同県志摩郡浜島町南張(なんばり)、滋賀県守山市播磨田(はりまた)町・同県栗太郡栗東町荒張(あらはり)・同県甲賀郡甲西町針(はり)・同県伊香郡余呉町針川(はりかわ)・同県高島郡新旭町針江(はりえ)、京都府京都市北区西賀茂榿ノ木(はりのき)町・同市上京区針屋(はりや)町・同府京都市南区西九条針(はり)小路町・同府中郡峰山町新治(にんはり)、大阪府大阪市阿倍野区播磨(はりま)町・同府大阪市東住吉区針(はり)中野、兵庫県神戸市中央区播磨(はりま)町・同県加古郡播磨(はりま)町、奈良県桜井市針道(はりみち)・同県山辺郡都祁村針(はり)、岡山県児島郡灘崎町川張(かわはり)、広島県広島市安佐北区安佐町鈴張(すずはり)・同県世羅郡世羅町戸張(とばり)、徳島県阿南市畭(はり)町・同県阿波郡市場町尾開(おばり)、同県阿波郡阿波町新開(にいばり)、同県麻植郡山川町榛木原(はりきばる)、同県美馬郡木屋平村南張(なんばり)、愛媛県松山市針田(はりた)町、同県今治(いまはり)市、同県北宇和郡津島町針木(はりき)、高知県高知市針木(はりき)、同県高知市針原(はりはら)、福岡県筑紫野市針摺(はりずり)、長崎県佐世保市針尾(はりお)、鹿児島大口市針持(はりもち)

巴利国=巴[păg][pă][pa](字統)器の把手の形。「説文」蟲なり、象を食う蛇なりとし、字を蛇形に解す。邑[・ıәp][ıәp][iәi](字統)囗(国構・イ)=城壁を巡らせた所と巴(多くの人が生活する)とある。利[lıed][lıi][li](字統)禾と刀、「金文」犂鋤や犂の形で見える。禾稲を刈り、収益を得る事=利益。
 尚、「倭人伝」傍国「為吾国」は象(ぞう)を使役する事に関連し、為吾国人が水田等の水利や土木工事を掌るための労働力を供す国か。見まごう邪馬台国の次章「傍国考」で詳述するが、巴利(へり)国を佐賀県北松浦郡(平戸市)田平町付近に比定した。
  1. 2016/11/08(火) 10:30:34|
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◇村と触

 >(8)~云々、歴史学者の白鳥庫吉博士説に拠れば、上記の「Pur」「Por」が「Bur → Mur → Maur」になった。

 漢字音の変化(上古音→中古音(唐音)→近世音)はB系→P系と云う転音が多く、P系→B系も極僅かあり、「Pur→Bur」という転音もあり得ます。ただ、中古音(唐音)では、マ(M音系)行→ムバ行(mB音系)に変化します。詰まり、ハ行の濁音バ行(ba)と、マ行鼻濁音(mba)が在りますので、こうした事に順いますと、「Pur→Bur→Mur」と云う転音だけではなく、「Mur→Mbur→Bur」とも転音もあったと考えられます。
 これらの言葉が漢語を使う支配階級だけではなく、民間レベルでも使われたとすれば、漢字音等の影響に縛られず、彼等の持つ音韻体系に拠ったと思われますので、問題ないでしょう。ただ、意味的な変異は在ったかも知れません。
 
 >(9)この「Pur」「Por」は、日本語の古語では「フレ」にあたり、「プレ(pure)」と発音していた。後の地名の「フル、バリ、ハル、ハラ」は、この「フレ」が転訛したもの。
 
 漢字音の変化、上古音→中古音(唐音)→近世音からすると、P系→B系、P系→F系と云う転音が見られます。 日本語の現代音のハ行・バ行、韓国語のH音系は、漢字音と同様、旧くは、P系(パ)→B系(バ)とP系(パ)→F系(ファ)の二系の音があり、夫々の語源や意味合いは違っていたと考えられます。詰まり、古朝鮮語「Pur」「Por」が、全て一様に以下の如くと変化したとするには、少し、無理があるのかも知れません。

  フレ(pure→bure/fure→hure) フル(puru→buru/furu→huru)
  バリ(pari→bari/fari→hari) ハル(paru→faru→haru) ハラ(para→fara→hara)

 玄界灘に浮かぶ島、長崎県の壱岐には行政区画としての触(ふれ)が在り、これも古朝鮮語由来とされます。ただ、より朝鮮半島に近い対馬には見えない地名語尾の「触(ふれ)」が壱岐にだけに残った理由は何でしょうか。
 例えば、上記と同系には、振(ふり)・降(ふる)、村(むら・ふれ)等があります。村の訓「むら」が群(むらがる/むれる)と同源だとすれば、拡散していた多くの人が集中して群がると、袖が触れ合ったのか。おそらく、以下の如く転音したと考えます。

   ムラ(mura)→ムレ(mure)→ムブレ(mbure)→ブレ(bure)→プレ(pure)→フレ(fure/hure)

 詰まり、村(むら)→ムブラ(mbura)→プレ(bura)→触(pure/ふれ)と云う転音とも考えられますので、一概に古朝鮮語由来とはできません。おそらく、下記の如く転音し、語義が派生したと推測されます。

  触(ふる→ぶる)→群(むる)→村(むら)
  ↑
  治(ばり)→墾(はる) *春→晴(はれ)
  ↑
  張(はり)→放(ばうる→まる) *丸(まる)
  ↓
  原(はら)→茨(いばら) *荊(いばら)

 触(ふる→ふれる)の同訓、振・震・狂(ふれる)=横に外れる→互いに連絡している→関係性がある。また、古・経(ふる)・降(ふる)、柯(ふる)等も在り、古・経(ふる)は、A点~B点へ時間が過ぎる事、降(ふる)は、A点(高所)よりB点(低所)へ落下してくる事、柯(ふる→えだ)は、幹(A点)から別れて伸びた先(B点)とすれば、上記、振(ふる)・震(ふる)は、A点から中央、中央からB点への移動で距離感があります。尚、触(ふる・さわる)=付く事とすれば、これもA点とB点が連絡する事になり、何れの場合も語義は同源として良い。
 例えば、ハラ(原・腹・払)=平たい事、ハリ・バリ(墾・治・張)=平たく開ける、ハル(春・晴・貼)=冷気や雲が払われ、平になり視界が開ける、フル(振・降・震)=上下や縦横の動き等、最下層に基本語義を共有する同訓の異義語も、本来、幾分か発音が違っていたかも知れれません。
 今迄、述べてきた事を考え併せると、「Pur」「Por」が「Bur → Mur → Maur」とする全てが同源の言葉で、同音から派生・転音したとしても、何らかの語義的な変異があって然る可きでしょう。

墾(はる)=治水工事や土砂が堆積して拡がる原野を開墾する。放(ほうる→ばる→まる)→丸(まる)→巻(まるく)→種を播[pa](ばく→まく)、散らばる→開き張る→貼る、植物が芽吹き、葉を張り出し、曇りがちの空に日が差して晴る→春(はる)等、同源として良い。

まる=小便を放る(はう・る→ばう・る→まぅる→まる)等と使われた。尚、馬韓の一国「莫盧國=マッゥロッ→マロ→マル(放る→丸)」を生活習慣の違う言葉の通じない国とした。定住する畑作民ではなく、草原に羊や馬等を放牧する遊牧民の国かも知れない。
 (字統)「廬」の説明として、旅=旗を掲げて多くの人が出向する事で、軍行の集団(旅団=軍五百人)、一方、「斿」=一人で旗をを奉じて行くと在り、集団生活ではなく、家族単位で移動すると考えられる。

荊(いばら)=刺のある小木の総称。むばら。うばら→うまら(上代東国方言)。「薔薇」とも書く、野生のバラ類の総称。ノイバラの類。植物の刺・針。〔建〕唐破風(からはふ)等で、曲線の集まって生じた尖点。*薇(ばら)、威張(いばり)→角張る→刺々しい



  1. 2016/11/14(月) 21:55:00|
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◇丸(まる)と原(ばる)

 >(2)同じく九州の「~丸」地名も、この伐(Pur,Por)が「Mur、Maur、Mar」に音が変化したもので、韓国語の村(マゥル)と同語源ではないか。(3)「伐」の持っていた「城」という意味が、~原(ばる・はる)の方では、殆ど失われたが、~丸の方には残り、後世、「本丸」「二の丸」の様な城郭の一部を表す名称として残ったのではないか。

 人と戈の合字で、征伐する、木を伐る等の語義を持つ伐(Pur・Por)には城郭や城壁の語義としますが、日本語では子音語尾が「~つ)」となり、伐(ばつ)ですので、「パル→バル→マル(丸)」とは言い難いでしょう。
 例えば、円形=「丸」=マワル→マゥアル→マール(回・廻)と転音とすれば、伐(Pur/Por)=防御的な環濠集落や城郭の堀割(からぼり・みずぼり)に近い語義と考えます。これに順うと、船名の「~丸」は、戦艦の場合は城郭的になりますが、漁船や貨物船と客船等は海獣や波浪からの守護でしょう。また、東アジアでは、海神を女性と認識しますから、陰陽を合わせて男性の尊称「~丸(麿)」にされたとも考えられます。
  それは字形「城=土で成す」から陰性の土壇に建つ陽性(男)で、本丸=太郎丸(主)、二の丸=次郎丸(従)とすれば、地名の場合、人が住み、耕作地や放牧地にされた順序や時期かも知れません。
 もう一つ、椀(まり)=半円形で、水や酒等の液体を容れた木製食器は、張(はる→ばる→まる)と云う転音でしょう。
 
 「ラ」=等・羅は単一点ではなく、多数・区画を表す語で、新羅(しぎ)・百済(くだ)等、集まる→凝(こる)→郡(こほり)→群(むがる)→村(む)です。奈良(な)は均して平(なら)す事に関係し、京都(みやこ)を開いた所になります。
 「日本書紀」阿利那礼(ありなれ)河=天の川、「ナレ」=蕩蕩と波立たずに流れる大河を云う。鴨緑江と解されたが、新羅の国都慶州付近の北川の古名、閼川(ありなる)とされる。

 >この伐(Pur,Por)が「Mur、Maur、Mar」に音が変化したもの~云々。これをP音→B音→mB音→M音と云う転音とすれば、良いのですが、こうした言葉を邪馬臺国期や「記紀」成立期とすれば、「漢和大辞典」に拠ると、使われる上古音や中古音にはP音やF音もあり、地形や集落の「ハル・バル・マル」にも同音系の言葉があっても不思議ではないし、意味的な違いもあったと考えられます。
 例えば、殆ど同音の淵・渕(ふち)と縁(ふち)等、基本的な語義は「区切り」や「区別」を示唆しますが、語義のニュアンスは異なります。前者は深さの変化や流れの違いを示唆するので、中央が窪んだ鉢(pati/fati→hati)等と同系、後者は川縁(かわべり)→端(hata→kata)や別(petu→betu)等と同系とすれば、旧くは、山や河川も境界にされ、アイヌ語で、ベツ(betu)=暴れる川、ナイ=暴れない川、ペ(pe)=飲めない水、ワッカ=飲める水(湧水→若水)も区別する事に関係があるのかも知れません。
 詰まり、アジア大陸全体、特に東アジア等の言葉とも何らかの繋がりや関係性があっても不思議ではないし、況んや、一衣帯水の関係と云える日韓の言語に繋がりが在って当然でしょう。但し、古来、朝鮮半島内で全ての人々が同言語を使っていたのかは甚だ疑問で、それは日本の場合も同様でしょう。「魏志東夷伝」倭人条の記述からすれば、朝鮮半島南部の島々も対馬や壱岐が同一の領域として認識されていたと推測されますので、国境線も、現在と全く同じではありませんので、当時、活発な交流が在ったとしても、その後、国境が変化し、民族の移動したかも知れません。そうした経緯は、意識や宗教思想の変化を促し、言葉を変化させる動機になります。 (了)

海神を女性=西洋の帆船等は女性象を舳先に掲げる物がある。この場合、海神は、ギリシア神話に登場する男性のポセイドンと云う認識になる。日本でも男性の海士(あま)と、女性の海女がおり、分布的な特徴があるのかは分かりませんが、二通りの認識が在る様です。
 また、ポセイドンは馬神とされ、私説では、馬(男性のトーテム)=海人の船とした。

城(土で成す)=黄土を叩き固めた版築、土壁や土壇の築造法で、板で枠を作り、土を中に盛り、1層ずつ杵(きね)でつき固めるもの。中国の竜山文化に始まり現在迄、存続する。旧くは万里の長城等の城壁も版築で造られた。
 竜山文化=中国新石器時代の二大文化中の仰韶(ぎょうしょう)文化から発展した。山東省章丘市竜山鎮の城子崖遺跡によって命名。黒陶=中国先史時代(竜山文化期)の黒色土器。轆轤製で、表面は磨研され漆黒色。器形は変化に富み、後の殷周青銅器の祖形をしのばせる。

順序や時期=耕作地の場合、同時に成熟するのを防いだり、種類の違う種蒔きの時期や順番、放牧地の場合、春先、最初に放牧する所や二番目等の順番。ただ、三郎丸、五郎丸等、単独の場合、他は消失したか、三郎=荒ぶる・寂びる、四郎=背(しろ)・代(低湿地や河原)、五郎=五流(五つの流刑)、六郎=轆轤(ろくろ=陶器職人が住んだか)、九郎=刳(くり・くる=木地師が住んだか)、盆地や窪地等の当て字と考えられる。

アイヌ語=「p」と「b」の区別が無いので、別(べつ)=「pet」=「bet」として良い。また、「k」と「g」、「t」と「d」の区別も無いと云う。


  1. 2016/11/29(火) 16:39:23|
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