見まごう邪馬台国

◇狗奴国

   ~其南有狗奴國、男子爲王、其官有狗古智卑狗、不屬女王

 狗[kug][kəu][kəu]=句(小さきもの)、子犬、子馬(駒)。後、犬の総称とされる。「句」=小さく短い事→卑しきものと云うニュアンスで使われる。
 奴[nag][no(ndo)][nu]=捕らえた女で祭祀官下属の女囚。

 使われる漢字の音を併せると、「クナ(クヌド)」で、語義を考え併せると、矮小で卑しい祭祀官下属(女囚)の国といったニュアンスで、これを狗奴国→狗 奴羅→百済とすれば、その救済にと九州に下向した斉明天皇崩御後、その子、中大兄皇子(天智)が称制を経て即位、遷都した大津宮は滋賀県大津市(瀬田)付 近だが、福岡県朝倉郡朝倉町(現朝倉市)須川付近に陵墓伝承地の橘広庭があり、此処から南下(くだり)、九州内陸部熊本県菊池郡大津(おおづ)町瀬田・古城・真木、大分県大分市大津、高知県高知市大津、徳島県鳴門市大津、大阪府泉大津市、滋賀県大津市へ遷都した。

 ○狗古智卑狗
 狗[kug][kəu][kəu]=句(小さきもの)、子犬、子馬=駒。後代、犬の総称とされる。「句」=小さく短い事→卑しきもの。
 古[kag][ko][ku]祝禱を入れた器とそれを護る「干」=武舞に用いる装飾のある盾との合字。
 智[tıeg][tıĕ][tsi]=(字統)初形は、矢と干(盾)と口に従う。矢と盾は共に誓約に用いる。屡々、兵器は聖器とされる。「口」は祝禱を納める器で、神に対して誓約する事を表す。知と立意が同じで、干(盾)を加えた字形と在る。
 卑[pieg][pi][pi]=酒を注ぐ柄杓を手に持つ形。使役や高低のニュアンスから卓(大匙→勝る)に対応して尊卑の語義に派生する。
 狗[kug][kəu][kəu]=子犬(子馬=駒)、後、犬の総称。

 使われる漢字の音を併せると、「クッカッチェッ→クカチェ→クカテ」で、弓と盾を聖器とし、狗奴国王卑彌弓呼と盟神探湯(くかたち)の儀式をして誓約し た。先述した様に、卑狗(=彦)は柄杓から酒を受け、誓約の器に矢と盾を奉じて護る王直属の神祇官や文官で、直属の武官を管轄したと考える。
 例えば、国東半島の大分県西国東郡香々地町(カカヂ→カカチ→カカシ)、愛知県稲沢市陸田(くがた)馬山町、石川県加賀(かが)市等、他にも久賀・久我・古閑・古賀等も同系と考える。「墨子・経説」逃臣は、その処を智らず、狗吠は、その名を智らずと在り、「狗古智」は、門前で犬の鳴き声を真似たとされる隼人とも関係があるのかも知れない。
 
 ○卑彌弓呼王
 卑[pieg][piĕ][pi]=酒を注ぐ柄杓を手に持つ形。
 彌[miər][miə(mbiə)][mi]=前出、「爾」で、豊かな毛髪と女性の美しい文身。弓は男性のトーテムで、爾支にも使われた爾(矢)を射る弓。
 弓[kıəuŋ][kıəŋ][kıoŋ]=ゆみ、歩測で土地を測量する時、土地の長さを表す単位(一歩=六尺)。弓の形を現す象形文字。
 呼[hag][ho][hu]=(字統)乎が初文、神事に於て神を呼ぶ時に用いた鳴子板の形。また、状態を表す語に付けて語調を強める語。

 漢字の音を併せると、訓みは「ピェミェキゥァッヌッハッ→→ペメクァッヌッァッ→ピメカナ(秘狗奴)」「ピメクァヌックァ→ピメカヌカ(秘華夏)」、 その語義を考え併せると、弓は男性トーテムで、宗女系卑弥呼に対して伊都国から祭祀権を奪われた母系「奴(箕子)」を祀る覡王で、本来、委奴国男王の系統(婿=父系)。
 「記紀」天降条、葦原中国を平定せよと天之麻迦古(天鹿児)弓と天之(天)羽羽矢を高御産巣日神から授り、天若日子(天稚彦)は遣わされるが、大国主神 に媚び諂い、娘下照比賣(亦名高比賣)を娶る。その弓矢の返し矢が天若日子(天稚彦)の胸に命中して死ぬ。その後、剣神伊都尾羽張神後裔の建御雷神(「紀」武甕槌神)の出雲国譲となる。

大 津町=北側の同県菊池市大平・木野と鹿本郡菊鹿町米原付近には百済式山城の鞠智城跡、南側の同県八代市大平・長田町・奈良木・日置町・日奈久馬越町櫛山・ 二見大野町・古麓(懐良親王御陵)・宮地町、同県八代郡(現八代市坂本町)坂本村鮎帰・久多良木(きうたらき)・板持と百済来川が在る。
九州管内に熊本県玉名郡岱明町古閑、同県山鹿市古閑、同県鹿本郡植木町上古閑・後 古閑・亀甲・轟、同県菊池郡(菊池市)七城町新古閑、同県菊池市新古閑、同県上益城郡益城町古閑、同県下益城郡富合町古閑、同郡砥用町古閑、同郡松橋町久 具(くぐ)、同県阿蘇郡(現南阿蘇村)久木野村河影、熊本県水俣市古賀、長崎県長崎市古賀町、同県大村市古賀、佐賀県三養基郡中原町原古賀、同県鳥栖市古 賀町・原古賀等、同県佐賀市蓮池町古賀、同県佐賀郡東与賀町下古賀、同郡川副町西古賀、同県小城郡(小城市)芦刈町古賀、福岡県八女市前古賀、同県山門郡 三橋町今古賀、同県柳川市古賀、同県三潴郡大木町絵下古賀、同県筑紫野市古賀、同県太宰府市通古賀、同県古賀市古賀、同県久留米市原古賀、同県嘉穂郡(現 飯塚市)筑穂町北古賀、同県遠賀郡水巻町古賀、同郡遠賀町今古賀、同県大川市鬼古賀、中古賀、同県甘木市(現朝倉市)古賀、同県朝倉郡(現朝倉市)杷木町 古賀、滋賀県高島郡安曇川町古賀。古閑は殆どが熊本県内に在り、古賀は長崎県・佐賀県・福岡県の三県に跨る。
覡王(男王)=委奴国連合の巫女王卑彌呼→臺與(豊玉姫)の家系から壹與(乳母玉依姫)が嫁入り、狗奴国王(葺不合尊)の妻になり、分裂した。おそらく、現在の天皇家と同様、王と母系祖神が同衾し、豊壌と繁栄を祈願する。 






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  1. 2015/05/01(金) 16:39:44|
  2. 4.国名と官名
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◇侏儒国と倭人

 編者陳寿は、傍国名を羅列した後、「~有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、男子爲王。其官有狗古智卑狗、不屬女王」と南側に女王国に属さない狗奴国 があるとして、倭地に住む倭人の風俗や気候と、その生態等を述べる。その傍国に就いては「傍国考」で後述するとして、続いて以下の如き不思議な記述が見え る。この国の人々と東側に在る倭種の国との関係性を考える。

  女王國東渡海千餘里復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里~
   
 上記を読み下すと、女王国の東渡海すると千餘里で国が有り、(女王国に属さないが)皆倭種。又(倭種とは異人種だが)、侏儒国有る。その南に在り、背丈が三・四尺(1㍍前後か)、女王を去る四千餘里となる。国名に使われる漢字は藤堂明保編「漢和大辞典」に拠ると以下の如く在る。

 侏[tiug][tʃıu][tʃıu]=背の低い人(侏儒)。「解字」朱は株の源字で、短く直立するの意を含み、「イ(人偏)+朱」で会意兼形声文字 とある。「字統」旧くは朱儒とされた。身体に障害のある者も列するが、侏儒は優倡侏儒として宮中に仕え、戯弄の対象とされる者もあった。
 儒[niug][niu(riu)][riu]=孔子の教えを伝える人、教養のある人、学者、広く文物に関する趣味や仕事。「解字」需は雨+而(ひげ) の会意文字で、水に濡れた柔らかいヒゲを示す。「濡」の源字で、「人+需」の会意兼形声文字、性行の柔和な人、文物に携わる穏やかな人と在る。
  尚、「字統」声符「需」=雨乞いする下級の巫祝で、儒は、その階級とする。「説文」柔なり、能く人を安んじ、能く人を服す。又、儒なるもの濡なり、先王の 道を以て能くその身を潤すと在るが、編者の白川静氏は、こうした義は儒教が国家的教義となった後の考え方とする。孔子は、巫祝の伝統から普遍的な人間の道 を求めた。高い司祭階級から極めて思弁的な荘子学派を輩出、思想の成立には、何らかの意味での宗教的な体験を必要と云う。春秋戦国時代の思想家墨子(墨家祖)は魯の人で、姓の「墨」は顔が黒かったためか、入墨の意で一種の蔑称とも云われる。名は翟(てき)。その学派は富家の喪をあてにする葬儀屋だったと云われる。それが故、儒家の経典には喪葬儀礼に関する物が多いと云う。

 使われる漢字の音を併せると、「チゥニゥ(ッシュリゥ→シュジゥ)→ツヌ(ッシゥジゥ→スズ)→ツノ」、その語義を考え併せると、背の低い、柔和な人々(矮人=ひきうと)になる。例えば、「矮」=矢(誓う、列する)+委(稲魂を被り、舞う女性)、「需」=雨乞いする下級の巫祝とも関連し、狗奴国王の卑彌呼の神器と同様の「弓」で矢を放つ人と云うニュアンスを持つ。詰まり、「角」=鏃(父胤→稲魂)として良いのかも知れない。地名としては、福岡県田川郡添田町津野、長崎県北松浦郡佐々町角山免、大分県大分市角子原(つのこばる)、同県中津市角木、同県竹田市中角、宮崎県児湯郡都農町、滋賀県高島郡今津町角川等がある。
 「チヌ」とすれば、大阪湾の古称、茅渟鯛(三歳魚迄、性別が定まらない→稚児=背が低い)の事とも考えられる。近似地名としては、滋賀県大津市千野、高知県長岡郡大豊町千野々、大分県津久見市千怒等がある。また、「スズ」とすれば、福岡県築上郡吉富町鈴熊、熊本県鹿本郡植木町鈴麦、大分県日田市鈴連町、宮崎県都城市早鈴町等が在る。

墨子=宋に仕官して大夫となる(前480頃~前390頃)。その著書。翟[dɔk][dek][tiək]=高く上がった雉の尾羽。舞楽で手に持って舞う。北方の遊牧民族「狄(鳥葬か)」に当てた用法。*別音[dăk][dʌk][tsai]=姓氏とある。
「ツノ」=三重県四日市市高角町、同県度会郡玉城町中角、京都府京都市南区上鳥羽角田町、兵庫県揖保郡新宮町角亀、奈良県奈良市角振、同県宇陀郡榛原町角柄、島根県江津市都野津町、同県飯石郡頓原町角井、山口県都濃郡鹿野町鹿野、同県豊浦郡豊北町角島、徳島県勝浦郡勝浦町中角、香川県高松市鹿角町、高知県中村市角崎、同県宿毛市中角、同県長岡郡本山町高角、同県高岡郡窪川町川角、同幡多郡大月町才角等。
「スズ」=「紀」神武天皇正后の五十鈴(いすず)姫と関連するか。他にも石川県珠 洲市、滋賀県蒲生郡蒲生町鈴、三重県鈴鹿市稲生・弓削・矢橋、同県松阪市五十鈴町、和歌山県和歌山市鈴丸丁、大阪府茨城市五十鈴町、兵庫県姫路市四郷町鈴  同県伊丹市鈴原町、同県三田市鈴鹿、岡山県英田郡作東町鈴家(すずけ)、広島県広島市安佐北区安佐町鈴張、山口県防府市鈴屋、同県阿武郡須佐町鈴野川、 徳島県徳島市川内町鈴江、同県幡多郡佐賀町鈴等。 
  1. 2015/05/07(木) 15:03:39|
  2. 4.国名と官名
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◇侏儒国の位置

   女王國東渡海千餘里、有國皆倭種。有侏儒國在其南、人長三四尺女王四千餘里~

 これを以下の如く説明する研究者が居る。【倭人伝中、筆法による観点から解釈する上で重要な鍵となるのは「朱儒國」である~。先ず、問題となるのが、人長三四尺の解釈となる。人の丈が1㍍程度というのは、倭種に於ては考え難く~。しかし、侏儒國が小人を導くための人の喩えであると考えると、侏儒國自身が人となる。その解釈は、其の南に侏儒國が有り、人に喩えれば、1㍍程度の身長の国となる。ここで比べる相手は誰かという事になるが、その答えが「女王四千餘里」にある。即ち、女王が、その位置から移動してという事であるから女王が住んでいた所という事になる。即ち九州島となるが、倭人伝中で確認できるのは、投馬国は水行二十日、邪馬台国は水行十日・陸行一月が示すサイズとなる。 女王の居住する島のサイズとなり、単なる行程を表す文ではない事が解る。即ち、陳寿の筆法が具現されている事の証といえる。】

 上記、「女王国東渡海千餘里復国有皆倭種」は、先述した邪馬壹国に服属したを南海域と区別した東海域の倭種で、その身長の記載はないが、侏儒国の人々には、態々、身長三・四尺と特筆する。上記では、侏儒國の人々も倭人とするが、陳寿は「有国皆倭種」と狗邪韓国南側の邪馬壹国伊都國連合に服属した倭人と同人種の国とした後、改めて「有 る侏儒国~」とし、文脈を分ける。詰まり、比べる相手は皆倭種と呼ばれた人々で、邪馬壹国伊都國連合に属さないが、東側の山島に依りて国邑為す倭種の国か ら見て南側に居る身長1㍍前後の背の低い異人種が住む国として認識した。その人々をインドネシア東部のフローレス島で発見された身長1㍍前後の原人系統とも云われる人々に比定する。氷河期、浅くなった海を筏船等で南風に吹かれて南西諸島を経て北上、南九州に渡来し、石器を使い、槍や弓矢に長け、狩猟と採集で糧を得る彼等は、鬱蒼と茂る森林に住んだため、長い間、異人種との混血が無かったと考える。
 上記、女王の居住する島のサイズが領域の広さか、南北の距離なのかは判りかねる。ただ、これを女王の住んでいた所として、侏儒國に居た女性を女王に迎えたとするのだろうが、異人種の女王を共立したとすれば、その理由は何だろうか。「女王四千餘里」を読み下すと、(魏使の居た)女王(の宮殿)から(東南方向へ)四千餘里を隔てる。私説では、水行13~15日程、陸行では、2ヶ月程で着く距離と考える。次ぎに下記の如く在る。

  有裸國黑齒國在其東南船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里

 上記、「参問倭地=女王に目見え、問うた倭地」とは、当地の官吏から知らされた海民の領域を含まない大陸が絶えた海中の州島上、絶えたり、連なったり、女王国と男王狗奴国の領域を併せた周囲五千餘里、周辺部から東渡海千餘里に有る國は皆倭種だが、有る(倭種とは別種の侏儒國は女王の居る宮殿から東南へ四千餘里を隔たり在る。有る(侏儒國とは異種の)裸國と黑齒國は、倭種の領海から)東南へ一年ばかり、船で行くと、(倭種の国が)在る。これらは周旋可五千餘里の倭地の領域には含まれない。この二国をハワイ諸島とする研究者もいるが、小笠原諸島父島や母島、北の聟島(むこじま)等の列島付近に比定する。おそらく、「船行一年可至」とされた理由は、略沿岸航海と河川航行で約半年の日程で往復する魏の京都と違って行程の多くが外洋航海に拠るので、往来に適した風向と潮流を待つため、で一年を要すと考える。


 
「東 夷伝」でも身長の記載は此処だけで、背の低い異人種と認識されたと思う。世界的に小人伝説や巨人伝説があり、欧州人の身長に比べると、モンゴロイドは低 い。江戸期、日本人の男女も150㎝前後とされ、背の低いDNAを持つ種が居てもおかしくはない。現在の常識で量るのは危険。
原人=インドネシア東部フローレス島のリアン・ブア(Liang Bua)洞窟から、9.5万年前~1.3万年前の人骨(成人)が発見され、ホモ・フロレシエンシス=フロレス原人と名付けられた(2004.10月のネイ チャー誌)。同じフローレス島で発見された3.8~1.8万年前の新人類の頭蓋骨化石から推定すると身長1m程の小型人類で、ジャワ原人から派生して狭い 島で進化した。小さな原人が1万年程前迄、生存し、ホモサピエンスと遭遇していた可能性もあると云う。
 本来、ピグミーと云う名称は、民族集団として定義されるものではなく、形質的な特徴によるものだが、実際上、熱帯雨林に住み狩猟採集を行う低身長の人々 を指す。フィリピン諸島アエタ、ベンガル湾のアンダマン諸島人、マレー半島のセマン等のネグリト(Negrito)は黒色人種中、東南アジア周辺部に住む 身長140㎝以下の諸民族の総称。フロレス原人の血を受けついでいるのでは?云う記事も掲載された。アフリカにもアジアにも低身長の人々がおり、地元では 洞窟に住む小さい人々に食べ物を入れた瓢箪を置いていたと伝承される。彼等は竹や木の筏等を使いフローレス島に渡った。
異人種=狗奴国が味方に引き入れたとすれば、有り得る。宮崎県えびの市で、特異な 形式の地下式横穴墓郡(5c末~6c初頭)が発見された。副葬品には朝鮮半島の百済か、伽耶渡りとされる遺物が見つかった。侏儒国との直結するのかは判然 としないが、異質な文化があったと云える。また、同県西都市童子丸の西都原古墳群等、この童子(如来の王子菩薩の異称、菩薩や明王等の眷属八大童子)と は、小さな人々の総称とも考えられる。
 平安期、蝦夷や俘囚等を移住させたとも云われるので、何らかの理由で倭種が流入してきた。同県日南市宮浦の元官幣大社鵜戸神宮に「紀」神武天皇の正后「五十姫」が祀られる理由かも知れない。  
周辺部=九州東北部の響灘沿岸は暗礁が多く、当地の海民(宗像海人)以外の航海は危険だった云われる事と、渡海と在る事からすれば、外洋航海民の港がある一大国か、對馬国等から出港、東側へ向けて渡海、玄界灘の沖ノ島を経て大島付近と考える。
風向=夏期の西南風(はえ)、冬期の東北風(こち)を利用した。寄港地は分からない。また、太平洋岸を流れる黒潮も夏期と冬期では流量や流域に変化があるのだろうが、黒潮本流南側に黒潮再循環流と呼ばれる反対方向に向かう流速0.3ノット程度の弱い流れが在ると云う。
往復=「至」〔自五〕=極・到・大・善と在り、 極限に及ぶやってくる~の結果そうなる。等の語義を考え併せると、道程に使われる「至」の場合、他国から邪馬壹国内に向かい至るが、この場合、東側に在る倭種の領海内を行って戻る=往復で一年と云うニュアンスと考える。 
  1. 2015/05/15(金) 11:02:31|
  2. 4.国名と官名
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◇遣魏使

  今以汝爲親魏倭王假金印紫綬 裝封付帶方太守假授 汝其綏撫種人勉爲孝順
  汝來使難升米・(都市)牛利 渉遠道路勤勞 今以爲難升米率善中郎將 牛利爲率善校尉 假銀印青綬

 今を以て女王卑弥呼には「親魏倭王」の金印紫綬、装封して帯方太守に付して假授す。汝、その種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。遠路遙々詣でた難升米は率 善中郎將、都市牛利は率善校尉と為し、銀印青綬(印影不明)を授くとある。尚、遣使の名称に使われる漢字は以下の如くなる。

 難[nan/nar][nan/na(ndan)][nan/na]=むずかしい事⇔易。災い。責めるべきところ。瑕。欠点。詰る事。
 升[thiəŋ][ʃıəŋ][ʃıəŋ]=穀量を計る器、「字統」=「斗」に極めて近く勺に一を加えた形。昇る。
 米[mer][mei(mbei)][miəı]=稲の果実。籾殻(もみがら)を取り去った玄米、精白した白米・精米。五穀の一、小麦と共に重要な穀物。粳(うるち)は炊いて飯、糯(もちごめ)は蒸して餅とする。

 使われる漢字の音を併せると、「ナヌツィァヌメゥ→ナヌチヌメ(ナシェメィ)→ナキメ(ナセメィ)」、語義を考え併せると、租税等を管理する官吏と云っ たニュアンスになる。また、「記紀」葦原中国を平和せと遣わした天若日子(天稚彦)の状況を詰り、射殺された名無し雉(泣女=間諜)に関わりがあり、そうした武官の牛利等を率いる上級官吏と考える。

 都[tag][to][tu]=(字統)祝禱を入れた器を埋納し、城壁で囲んだ所。北京音[dou(トゥ)]=京都(けいと)、[du(ツ)]=集める・集まる、全て等、城壁で囲った全体の京都や都市には人が集まり、市が開かれる。
 市[dhiəg][ʒıəi][si]=人が集まり、物品の交換や売買を行う所。律令制では平城京・平安京に官設の市を東西に置き、定期や常設で開かれた。
 牛[ŋıog][ŋıəu][niəu]=〔天〕二十八宿の一、牛宿(いなみぼし)。戦陣に用いた援護用盾の一種。偶蹄類牛目牛科哺乳類の総称。体は頑丈で角を持ち、尾は細い。草等を食い反芻(はんすう)する。和牛は黒色、朝鮮牛(あめうし)は赤褐色。妓夫(ぎゅう)の当て字。
 利[lıəd][lıi][li]=(字統)禾と刀に従う。金文には犂鋤や犂の形で見える。禾稲を刈り、収益を得る=利益とある。

 使われる漢字の音を併せると、訓みは「タッデァェッヌギォリェッ(トジェィヌギェゥリェッ)→タデヌゴレ(トゼヌグレ→タデノゴリ?)」、語義を考え併せると、祝禱を入れた器を埋納して祈願した弓矢や盾で、都で徴収した租税等を守る武官(校尉)=盾の下吏(護吏?)と云ったニュアンスになる。「記紀」類似名称は見えないが、狗奴国狗古智卑狗が弓矢や盾等の武器を聖器として誓ったのと同様、官吏を示唆する。序でに「後漢書」倭国王帥升も同様に見ておく。

 帥[siuət(siuəd)][siuĕt(siui)][suəi(suəi)]=軍を率いる大将、最高指導者=魁(率いる・かみ)
 升[thiəŋ][ʃıəŋ][ʃıəŋ]=穀量を計る器、「斗」に極めて近く勺に一を加えた形。昇る。

 使われる漢字の音を併せると、訓みは「シゥェッスィ→セェスィ→サシ(刺)」、「シゥェッツィ→セチ→サチ(幸)」、語義を考え併せると、政事と神事等の国事を掌る指導者と云ったニュアンスになる。「記紀」兄八十神達に殺された大穴牟遅神(大国主神)の母で、(帥升)国大神の娘刺国若比 賣は哭き患いて神産巣日之命に請し、活かし給う。その後、黄泉国でスサノヲの娘を娶り、出て行き、海の彼方から渡来した「スクナヒコナ(粟幹に弾かれて常 世国へ行く)」との国造り後、国譲する事、海神が豊玉姫(臺與)と玉依姫(壹與)+山幸彦(狗古智卑狗)→海幸葺不合命(卑彌弓呼)の二系に分裂する事等 を考え併せると、大陸南部や半島を経て新たに渡来した人々の影響で国情が変化したと考える。(了)

雉(たかがき)は、中国で都城の周囲を守護する壁の大きさを表す単位で、一雉は長さ3丈、高さ1丈の高い垣とある。
妓夫=夜鷹等の私娼に付き、客引きや用心棒をする男。遊女屋の若い者(使用人)。小見世では客引き等をする見世番。牛太郎。
グレ=ぐれる(「ぐれ」の動詞化)=予期した事と食い違う。脇道へ逸れる。堕落する。非行化する。清音「くれ」とすれば、「呉」「暮」と関連するか。
校尉(こうい・カウヰ)=中国の官名。漢代、宮城の防衛、諸民族の統治等に任った武官。律令制の軍団で、兵士200人を統率する指揮官。校=陣営で大将のいる所に設けた柵(さく)。転じて指揮官。律令制の軍団で兵士200人からなる軍隊。校尉が統率する。
記紀神話=神話とは歴史年代に則しているわけではなく、後代の流れを幾つかの系統に分けて輪廻転生の思想で以て簡略化して記されたもの。 






  1. 2015/05/23(土) 10:39:33|
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◇とんでもない

 今回から副題を「ことのは」とした理由の一つ、言葉(言象)の事に就いてを述べてみます。
先ずは、「有り難う御座いました」「お世話になりました」等に対し て、「とんでもないです」等と使う慣用句「とんでもない」に対する幾つかの説明(参照・田井信之「日本語の語源」)を見ながら語源を考えましょう。

 A途轍(とてつ)…筋道・道理・途方   B途方(とほう)…筋道・条理・手段・途轍
 とてつもない               無途方(むとほう)
  ↓(「つ」が落ちる)           ↓(発音と意味の強化)
 とてもない → 迚もジャない      無鉄砲(むてっぽう)
  ↓(強調の濁音「で」になる)       ↓(頭音「無」の脱落)
 とでもない                鉄砲
  ↓(強調の撥音「ン」が入る)       ↓(頭濁音で俗語化)
 とンでもない               伝法(デンポウ)…無法・法外・危険

 C途方もない
  ↓(「方」が落ちる)
 途もない → トーモナイ・トームナイ・トーナイ→トヒョーもない(上方語)
  ↓(強調の濁音「で」が加わる)
 とでもない(「菅原伝授」)
  ↓(強調の撥音「ン」が入る)
 とンでもない(浄瑠璃「職人鑑」)
  ↓(~ないの省略)
 とんだ(トンダめにあいの山「膝栗毛」)

 D途轍+途方
 とてつとほうもない
  ↓(短縮化した方言へ)
 トテッポーモナイ(岐阜県揖斐郡地方)…途方もない・大層な

 上記は、「途轍もない」「途方(もない)」の転音とします。ただ、日本語で、こうした変化が在るのでしょうか。また、そんな必要性があるので しょうか。「B途方」無途方→無鉄砲→鉄砲→伝法等、その語義や機能的なもの迄も損なっています。他にも以下の如き頓珍漢な意見もあります。

  「敬語の指針(P.47)」は「とんでもございません(ありません)」を相手からの誉め言葉に対し、謙遜しながら軽く打ち消す表現として問題ないとしますが、非常に明解な書き方の『敬語再入門』は、これに関して言葉を濁している印象です。そもそも「とんでもない」は、何かを難じるか、相手の言動を強く打ち消す語なので概して敬語に馴染まない。ただ、相手から過分な贈答や評価、申し出等を受けた際の受け応えに、「とんでもございません」も使われる様ですが~(後略)。

 
先ず、この慣用句の持つニュアンスを理解するため、広辞苑に拠り、「とんでもない」項に見える語義(1~5)を拾い、私なりに補足説明します。

(1)意外である=発言者にとって思ってもみない事、順当でない。見当ちがい。まさか、そんな事とは等の当惑したニュアンスになる。
(2)手の施しようがない=発言者自身、第三者に拘わらず、その行いが過ぎたか、正当でない間違いや不当な手違い等が在り、既に手当のしようがない状態となり、途方にくれると云うニュアンスが在る。
(3)取り返しが付かない=前項の(2)と同様、その行いが過ぎたか、順当でない間違いや手違いに因り、見当が外れたため、手当が遅れ、目途・目論見等が不意になり、途方にくれると云うニュアンスが在る。
(4)道理を外れている=相手や第三者の話を聞いた話者が、その道理に合わない、穏当でない、妥当でない、当然ではない事柄に対して、当惑し、憤慨し、反論や指摘すると云うニュアンスが在る。
(5)滅相もない=あり得べきでない、勿体ない。妥当でない、相当でない、当然でない等のニュアンスで、やんわりと謙った感じで打ち消す。

 述べてきた事からすれば、「途轍もない」「途方もない」「途でもない」等の言葉が持つニュアンスでは、(1)意外である。(5)勿体ない等のニュアンス は持ち得ません。況んや、何かを難じたり、相手の言動を強く打ち消すと云う語でもありません。今回は、ここ迄にしましょう。

途轍もない=非常に度を外している。図抜けている、比すべきものもない、条理に外れている、手の施し様がなく当惑する→とんでもない
迚も=〔副〕「とてもかくても」の略、(否定を伴い)どんなにしても、なんとしても、到底、どうせ。ともかく、所詮。非常に、大変。
途方もない=条理に外れている。図抜けている、比すべきものもない。手の施し様がなくて呆れて惑う→とんでもない。途方=方向、目当て、当て所、方針、手段、手立て、方法、方途。筋道、条理等。語義から、「鉄砲」=手法・手方(じゅほう→じっぽう→てっぽう)か。
トンダ=飛んだ(飛び離れている意か)。〔連体〕普通と違った。風変りな。思いがけなく重大な。思いもよらない→とんでもない。大変な。逆説的に予想外に良い意にも用いる。〔副〕非常に、と在るが、とんだ災難(とばっちり)=まさに災難とは違い、ぶっ飛んだ奴→とんでもない奴とされて、「トンだ(飛んだ)」=常識的でない、度を超えている、道理を外すと云う語義に派生したのかも知れない。
とんでも御座いません=本来、「とんでもない」を一語とすれば、語義的に、とんでものう御座います。が正しい使い方とされる。ただ、注記との関連からすれば、とんでも有りませんは、「とんだも→とんでも」を「ありません」と否定したとすれば、容認されるのかも知れない。

滅相=〔仏〕一切の造作せられしものにある心身壊滅の相、真如の常住で寂滅である相、[副]無闇な状態、法外な状態→とんでもない。 
  1. 2015/05/28(木) 17:02:14|
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