見まごう邪馬台国

◇相当ではない

 ここでは、少し見方を変えて、(1)~(5)で補足した「順当」「見当」「手当」「妥当」「正当」「穏当」「相当」「当惑」「当然」は、広辞苑に拠ると以下の如くあります。

 「順当」=道理上、当然な事、そうあるべき事。
 「見当」=目当、大体の方向、見込み、予想。大体の数量(位、前後)。版画や印刷等で、刷る紙の位置を決める印。銃砲の照星(しょうせい)。
 「手当(てあて)」=予め、その用に備える、用意、準備。そのために配置される人。手立、手段・手法、対応策。処置(特に病気や怪我等)。労働や勤務等の報酬や金銭、基本給の他に支給する金銭、心付。召し捕り、捕縛。
 「妥当」=よく当て嵌まる。適切である。〔哲〕真理や道徳的美的価値等の通用し、承認されるべき性質。
 「正当(しょうとう)」=正しく理に当たる。或る事や時(特に忌日)に当たる。実直。信実。 (せいとう)=正しく道理に適っている。⇔不当。
 「穏当」=おだやかで、温和しい。道理に当て嵌まる。
 「相当」=程度や地位等が、相応しい、釣り合う、当て嵌まる。(副詞的にも用い)普通を超えている様。
 「当惑」=事に当たり処置に迷い戸惑う。思案が尽きて途方にくれる。
 「当然」=道理上からそうあるべき事。当たり前。

 上記に共通する漢字「当(たう→とう)」=手立て、手法、方法。目指す所、目当。当に在るべき様、当り前。〔仏〕当来の略。未来。来世。名詞に冠して、「その」「この」「今の」「さしあたり」等の意を示す語(=頭)。「当(まさ)に」=当然、~するのが正当(=道理)→対象に代わる同等や同然の事柄、対処する手立・方法になります。また、藤堂明保編「漢和大辞典」に拠ると、上古音・中古音・近世音の何れも[taŋ]、 古来、日本語では、この鼻音[ŋ(ng)=ヌク]を「~イ」「~ウ」の二母音で発音しました。前者は「タヌク→タィ」=当麻寺(たいまじ)、後者が先の 「タヌク→タゥ→トゥ」ですが、当麻寺(タヌグマジ→タギマジ)ともされますので、発音し易い「タヌク→タヌッ→タヌ→トン」と発音されたと考えます。
 但し、若干の疑問が残ります。
「広辞苑」に拠ると、前回に提示した(1)~(5)に共通する「当(まさに→とん)」項=見積もっていた、通常の、常識的な、同等の等とありますので、それを否定する当(とぅ→とん)でもないは、応対者を援助したとか、世話をした等、有り難がられる状態ではない→「相当でない」のだとしますと、「当でない」になりそうですが、何故か、「当でない」にされます。この助詞「も」から考えてみます。この助詞「も」と「は」が持つ基本的な機能を下記の如く比定しました。

   「」=既存の空間の隣に別の空間を確保して人や物事等を序でに付け足して繋ぐ
   「は」=主部に纏わる或る一定の条件に係わらず、曖昧で不確定な状態を含み持つ

 助詞「も」の場合、新たに空間を確保して序でに示唆するため、順当でない、意外な、思いも拠らない等のニュアンスを生み、そんな事を云われると困ります 等、謙った感じになり、応対者は良い印象を持ちます。通常、使われることはありませんが、「当ではない」にしますと、助詞「は」の曖昧で不確定なニュアン スに拠り、否定する事柄に就いて、別の事実や思惑を含み持つと受けとられるのか、言葉とは裏腹に、当然だろ。恩にきろよ等、相当の見返りを求めると云った 感じが見え隠れして良い印象を持ちません。更に、「とんでない→とぅでない→とでない」にしますと、謙譲の意識は殆ど消え、威圧的で押しつけがましく、横 柄に強く否定した感じを受けます。次回は「迚も」の語源を考えましょう。
 
普通を超えている様=副詞的にも用いるとあり、その動詞や形容詞等に相当する事(当に・正に)で、普通を超えているわけではない。
当(まさに→とん)=この言葉が含み持つニュアンスを、「とんでもない」と、やん わりと謙って否定する。強く否定すると云われる理由は、その語義(4)道理を外れているから派生したと考える。(5)滅相もないは上位者に対して何らかを 謙って否定する場合に使われる事が多い。
」=鞄と靴買ったは、序でに靴もと、予定外の買い物を示唆する。助詞「と」の場合、当初から予定していた鞄と靴を買ったと同列に繋ぐ。
「は」=赤い薔薇が好きは、何があろうと赤い薔薇となるが、赤い薔薇好きは、他の色や花は余り好きではないが等の背景を感じる。 
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  1. 2015/06/05(金) 17:57:56|
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◇とてもじゃない

 副詞「迚(とて)も」という言葉は、どのような方法を尽くしても実現不可能だ等といった時に用いられますが、語源的には否定を伴って使うのが正しい使い 方とされます。かの芥川龍之介も、その著作中、「迚も良くはない」「迚も安くはない」「迚も綺麗ではない」と否定的に使う可きだ。この頃では「迚も良い」 「迚も安い」「迚も綺麗だ」等と肯定的に使われるが、誤用も甚だしいと憤慨したと云います。こうした彼の言い分は迷信でなく、その憤慨は正当なのでしょう か。変化の兆しは、既に明治40年代、学生の間で「迚も」を肯定的に使う誤用が広まり、昭和に入って次第に定着し、現在、「大変」「非常に」に代わる言葉 として「とても美しい」「とても立派だ」等と肯定的に使われます。
 広辞苑「迚もじゃない」項、「とても」を強調していう語、どんなにしても。到底、等。同「迚も」=〔副〕(否定を伴い) どんなにしても、何としても。どうせ、ともかく、所詮。非常に、大変。また、よく似た語句に「迚もかくても」=何れにしても。どの様にしてでも。「迚もの 事に」=いっその事とありますが、漢和大字典「迚(国字)」項、とても、到底、~といって、然り乍ら、~とも、~といえども、~と思って、~として。「解 字」之繞(しんにょう)+中=途中迄で最後迄行けないとあります。詰まり、「迚も」=どんなにしても、どうせ、所詮等の語義になりますが、これが、何とし ても→どんなにしても→どうせ→所詮の如く派生したとしても、「非常に」「大変」の語義にはなり得ないと思います。
 例えば、「とてもできない→どうせできない」「とても飲めない→どんなにしても飲めない」と言い換える事ができますが、上記、漢字「迚」の語義では、 「とても迷惑です→どうせ(どんなにしても)迷惑です」「とても美味しい→どうせ(どんなにしても)美味しい」とはできませんので、当初、「迚も」は、非 常に、大変等の語義はなかったと考えられます。そこで少し見方を変えましょう。
 「迚もじゃない→迚も無理→所詮できない→到底できない→大変→非常に」と派生したとも考えられます。おそらく、慣用句の「迚もじゃない」が使われ始めた後、「突き抜ける→非常に→大変な」等の語義を持つ「突(とっ)ても」がよく似た訓音を持つ「迚も」の強調形とされて、「とっても」は同語に扱われたと思われます。  
 広辞苑「迚も」項には(否定を伴い)どんなにしても・如何様にしても・どうしても。非常に・(すこぶ)る等とあります。その語義の一つ「すこぶる」から、「迚も」の基礎的な語義の成り立ちを考えてみましょう。
 広辞苑「頗る」項、やや多く少し、 夥しく、甚だ、余程と在り、漢和字典「頗」項、偏る・傾く等、予想の状況や状態より程度が違って、一方に傾いている様子、非常に・大変な。その「字解」波 (水面が傾く)、跛(身体が傾く)等と同系字。漢字の語義からしますと、本来、傾きや食い違いがあると云うニュアンスで、見込み違い、思っている事と違 う。予想した事と僅かに違う。少し多い→余分→予定外、意外として良いでしょう。詰まり、これにも「非常に」「大変な」等の語義はなかったと考えられま す。
 述べてきた事と「迚(国字)」=途中迄、最後迄は行き着けないと云う語義からすれば、「非常に(大変な)~と迄はいえない」になりますので、芥川龍之介 の否定を伴わなければならない」と云う主張は強ち迷信とも云えないでしょう。次回は、この語源を考えてみたいと思います。

「突 (とつ)ても」=突(とつ)=棒状のもの等で押す→手の届かない所へ届く→予想できない事、予想しない突発的な状況、思いもよらない突然の出来事、突き抜 ける事を表す。「凸(とつ)」=物の表面が部分的に出ばっている事→余分・余計部分。⇔凹(おう)等に使われる音、突(とっ)=突出した状態や状況に、 「迚も」と同様の「~ても」を併せた「とつても→とっても」=突発的、突き抜ける、敵わない等の語義の言葉として成立し、「迚も~ない」が持つ語義の広が りに伴って併合されると促音便が失われて、「迚も」と同化、語義も付加された。 
  1. 2015/06/14(日) 11:46:57|
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◇とでもない

 今回は「迚も」=どんなにしても、どうせ、所詮等の語源を考えてみます。例えば、漢字の語義の「途中迄」を言い換えると、当事者が持つ意識の上や先、多い・足す事になります。それを日本語で表すと、以下の如くなります。

  跳(ぶ)=立ち位置より高い→飛(ぶ)→鳥(り)→鳶(び→とんび)→蜻蛉(んぼ)
  綴(ぢる・つづる)=重ねて繋ぐ、年(し)・時(き)・常(き→とこ)の年々、日々、刻々と重ねる
  富(む)=増化(上向)→よ)、床(こ)=一段高い→殿(の)
  取(る)=手に持つ→共(も→つれ)=友

 一つずつ付加する事を意味する助詞「と」と同音「と」に、靴を買って・も~。花を送って・も~。雨が降って・も~。彼に会って・も~。住所を尋ねて・も~等、予定外、意外、結果を伴わない、意味がない等のニュアンスで使われる「~ て・も」を併せた「とて・も」で、「途中迄」と云う語義の漢字「迚」そのもの、言い換えれば、「究極ではない」になります。詰まり、本来、「非常に」「大 変」「すごく」等の語義は無かったと思われます。また、述べてきた事から、誤用とされる肯定表現の例文を順に以下の如く書き換えて、思いの外、予想外等の ニュアンスの肯定の文型にしても良いでしょう。

   「迚も良いです → 大変、良いとは云えないです → 思ってたよりも良いです
   「迚も安いです → 非常に安いとは云えないです → 安いと云っても良いです
   「迚も綺麗です → すごく綺麗とは云えないです → 綺麗と云っても良いです

 ただ、広辞苑「迚もかくても」=あの様でもこの様でも、詰まるところ。「迚ものこと」=いっその事、寧ろ等、何れも、行き着く所迄→ 非常に等の語義を思い浮かべるので、「迚もだめだ」と云う様な否定的な語義を持つ表現のイメージが強すぎて、肯定表現に用いられると違和感があるのも確か だと思います。おそらく、「迚も」は否定を伴い、どんなにしても、如何様にしても目標や目的を遂げるのは無理(~できない)と云う意味で使われていました が、目一杯やっても~ない。余程の事でも~ない等、思いの外や予想外と云うニュアンスにも派生して、迚も~でない→迚もじゃ(や)ないとも使われます。こ れを言い換えると、何としても、如何様にしても等と云う状態や状況ではない→それどころではない→とんでもないと云うニュアンスにもなります。それが、意 外、予想外と云うニュアンスを持たせる助詞「も」に拠って、これ以上は無理と云うニュアンスを感じさせるのか、「非常に」「大変」等の語義にも派生し、肯 定表現でも使われたのかも知れませんが、私見では、解決しない、十分ではない、準ずる等の語義「とて・も」と、「とっても」は、前回、本来の成り立ちの違う「突き抜ける」と云う語義としました。
 広辞苑「とでもない」=途(道筋・道理)でもない。「とんでもない」と同義とありますので、「当(とぅ) でもない→とでもない」も、当然ではない→当たり前ではない→不当だと云うニュアンスになりますが、「迚も」とも近い発生語源と考えます。例えば、「とん でもない」は、話者が、平均か、それ以下と云う意識で、「当然ではない」「相当ではない」と否定しますが、同様に、「迚も~ない」は平均以上→目一杯と云 うニュアンスが、全く思いもよらないとされて、とっても→とても=非常に、すごく等の語義にも派生し、「迚も~です」として肯定表現に使っても間違いでは なくなったと考えられます。
 次回は、慣用句の「満更でもない」を予定してます。もう少し、お付き合いください。

「とんぼ」=とんぼ返りとされる様に、くるりと方向転換する事から、船尾=艫(とも)→蜻蛉(群れて飛ぶ→とも)→共(とも)→友(とも)。
同音=万葉仮名甲「と」、乙「と」の二種があり、本来の音が違っていたのか、樋(とひ)=水平に伸びる。十(とを)=終始→境目、苫(とま)=縦横に拡がる。解(と)く=開いて見せる、虎(とら)等との直接的な関係性は見えない。
「~ても」= 〔助詞〕接続助詞「て」に係助詞「も」を付加する(イ音便の一部や撥音便では「でも」)。仮定の条件をあげて、後に述べる事がそれに拘束されない意を表す (たとい~ようとも。~とも)。事実をあげて、それから当然予想される事と逆の事柄を述べるのに用いる(~たけれども)。
「とて」=〔助詞〕(格助詞トに接続助詞テの加わったもの)体言、それに準ずる語句や文に付き、引用する意を表す。~と言って、~と思って、~として、~ということで、~しようとして、~という名で。(下に打消または反語を伴い)~として。~といって。(体言に付いて)~だけあって、~なので、~であるから。~もやはり、~だって。
「とんでもない」=〔形〕「途(と)でもない」の転。とても考えられない。思いもかけない。途方もない。非難する気持をこめて言う。相手の言葉を強く否定して、そんなことはない。冗談ではない。とあるが、先述した様に、本来、謙り、やんわりと否定するとした。
「とぅでもない」=万葉仮名「と」には甲乙二種があり、「古事記」歌謡、豊=登与(とぅ・よ)、常・床=登許、年=登斯、鳥・取=登理など、二重母音だったとも云われる乙音「と」で訓じる。尚、甲音の場合、「長母音」や「短母音」と考える。 
  1. 2015/06/18(木) 15:08:33|
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◇まんざらじゃない


 【「まんざら」は語源が明確ではないので、何が否定されるのかが不明確で、否定文型は とっているが、否定しているのではなく、寧ろ肯定している様でもある】等と頓珍漢な事を述べる人も居ます。広辞苑「まんざら」項、正に、全く、一向(ひた すら)から推測すると、以下の如くなります。
 その用字、「満」=満ちる→全く。「更」=物事の順序や在り方を変える、入れ替える等の語義を併せますと、少しずつ満ちて更代する→まるで変わる→全く→正にと派生したと考えられます。また、以下の如く、述べる人も居ます。
 【A「田舎暮らしも、まんざらじゃない」、B「そういわれるのも、まんざらじゃない」、C「アメリカ娘も、まんざらじゃないわよ」等には、何れにも「~ も」と文中に助詞「も」が使われます。助詞「は」=全部否定で、助詞「も」=部分否定の違いでしょうか。】等、日本語が理解できてないのではと思ってしま います。 そこで提示された例文(ABC)の文意と、「→」の後に「~は、まんざらじゃない」にした文意を述べると以下の如くなります。

  A(話を聞いたり、経験してみると)意外に田舎暮らしも悪くない。→ (以前から何となく)田舎暮らしは悪くないと思っている。
  Bそう云われたのであれば、意外と悪い気はしない。→ もし、そういう風に云われるのであれば、悪くはないな。
  C(思ってたより)アメリカ娘も捨てたものじゃないでしょ。→ (他は知らないけど)アメリカ娘だって、捨てたものじゃないわよ。

 (C)の場合、前後の脈絡に拠っては「他は知らないけど、アメリカ娘だけは、その気なってる」と云うニュアンスにもとれます。詰まり、助詞「も」が持つ 思いの他、意外な等のニュアンスに拠り、話者や当事者は、何れも意外にも気持ちが傾いていると云うニュアンスとして述べます。一方、助詞「は」の場合、そ の文章の背景に含み持つ不確定なニュアンスに拠って、他にも様々な状況や状態があるのでしょうが、或る事柄に就いては、既に話者や当事者の気持ちに決まっ ていると云うニュアンスの文意になります。そうした違いを考え併せて、表題の「まんざらじゃない」と云う語句の助詞を変えて言い換えると、夫々、助詞の機 能に拠って以下の如き文意になります。

  「まんざらじゃない」=一つや二つの不満や不安を除けば、略、気持ちは決まっている。
  「まんざらでもない」=意外にも、気持ちは向いている。
  「まんざらではない」=不確実な要因はあるけれども、多分、気持ちは傾いている。
  「まんざらでない」=未だ、殆ど気持ちは変わってない。

 また、何かを選んだりする時、「これは、どうですか?」「これは、いいですか?」等と問われて、話者の選んだものに対する評価として使われる言葉として「いいじゃ(や)ないの」は、(他のより・中では)良く似合ってるよ、センスいいね等のニュアンスになりますが、これを「それ、いいじゃないの」にしますと、前のも良かったけれど、同じくらい良い。また、「それ、いいじゃないの」にしますと、前のより、(ずっと・もっと)良いになります。
 これを「いいじゃ - ないの」に言い換えると、選んだ当事者に不満があってか、「悪くはないけれど」や「どこが気に入らないの」等、何故なの?と云ったニュアンスになります。 更に、「いいんじゃ - ないの(「いいのでは - ないの)」にしますと、当事者の「これも良いでしょう?」に対して、本当かよ、センス悪いけど。好きにすれば。或いは、「これも良いと思うのだけど」に対 して、もう、いい加減にしろよ。早くどれかに決めろよ等のニュアンスで突き放して応えたと考えられます。

「まんざら(満更)」=広辞苑に拠ると、正に、全く、一向(ひたすら)、(常に打ち消しの語を伴って)全く、それと定まっていない状態で、必ずしも悪いわけでない。かなり気に入っている事を婉曲に表すとし、或る国語辞典は「真っ新」の変化とする。
助詞「や」=異空間や異集団から取り出して既存のものと同列に繋ぐ。「古池や蛙飛び込む水の音」=目の前ではなく別の場所なのか、想像上なのか、その池に蛙が飛び込んで水音を立てた。→ 古い俳句界に芭蕉が新風を吹き込み、波紋を起こした。




  1. 2015/06/28(日) 12:11:12|
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