見まごう邪馬台国

◇「~ではない」

 「まんざらじゃない」でも提示した「~でない」と云う文型の「捨てたものではない」「これではない」「出る幕ではない」等を「~でない」と云う文型に置き換えると、どの様に変わるのか見ましょう。
(1)「捨てたものではない」は、外しても良いと云う噂や評判等と違い、これはこれで良い所が一つや二つあって外せないと云うニュアンスになります。これを「捨てたものでもない」にしますと、当初から、その評価に対して疑問があったが、やはり、一つや二つの良い所があるよと云うニュアンスになります。これ を「捨てたものでない」にしますと、何故か、これも先述した慣用句の「とんでもない」の助詞「も」が担うとした意外や予想外と云うニュアンスを持ち、駄目だと思っていたが、意外に良いになります。おそらく、「捨てる」と云う行為自体に負の感覚があり、それを否定するために起こると考えられます。それを示唆する様に「~でもない」とした場合、助詞「も」の既存空間の隣に別の空間を確保し、人や事物等を序でに付け足して繋ぐと云う機能が、負の感覚とは違う感覚 (区画や空間)、この場合、当然、思っていた通り等を思い起こさせるため、こうしたニュアンスを持つと考えられます。更に、これを「捨てたものじゃない」 にしますと、「じゃ(助詞「や」)」=或る区画のものを取り出して提示し、同列に繋ぐと云う機能に拠り、「捨てたものではない」に比べると口調が少し強くはなりますが、略同じニュアンスの語義になります。
(2)「これではない」は、幾つかの候補の中では違うと云うニュアンスになります。これを「これでもない」にしますと、負の感覚を持たない指示代名詞だから、幾つかの候補はあったのだが、何故か(意外に)、これとも違うと云うニュアンスを持ちます。
 この場合、「これでない」では、少し違和感がありますが、これを「これじゃない」にしますと、前者と同様、「これではない」に比べると、口調は少し強くなりますが、略同じニュアンスの語義になります。
(3)「出る幕ではない」に使われる「幕」は、広辞苑に拠ると、広く長く縫い合わせて、物の隔てる布、装飾として用いる布。垂れ布。帳。芝居や舞踊等の舞 台上で演技のない時に垂らす布。芝居で演技が一段落する。芝居の段落を数える語、場面、場合。仕舞、終結。相撲の幕内等、その太字にした語義から「出る幕 ではない」=お節介になる。出しゃばるべき所ではない。口を差し挟む場合でないと云う語義になります。これを「出る幕でもない」にしますと、自ずと収まっ たのか、出しゃばる必要は無い。その時期を逸した等と、これも助詞「も」に拠ってか、「意外にも」と云ったニュアンスを持ちます。また、これを「出る幕で ない」にしますと、役柄が違うか、終わったのか、出しゃばったり、口を挟む場面でないになります。更に、「出る幕じゃない」にしますと、「出る幕ではな い」に比べると口調は少し強くなりますが、略同じニュアンスの語義になります。
 以上、助詞を変える理由は伝えたい事、含み持たせるニュアンスを変えるためとして良いでしょう。述べてきた事を纏めると提示した語句の助詞「も」と「は」に拠るニュアンスの違いは以下の如くなります。次回は「ろくでもない」を考えます。

   「捨てたものでない」=意外 「捨てたものでない」=当然 「捨てたものでない」=意外 「捨てたものじゃない」=意外
   「これでない」=当然 「これでない」=意外 「これじゃない」=当然
   「出る幕でない」=当然 「出る幕でない」=意外 「出る幕でない」=当然 「出る幕じゃない」=当然

助詞「や」=教室で(彼や彼女に)鉛筆やノートを貰った。→教室で鉛筆とノートを貰った。(会社の机や電車の網棚に)鞄や傘を忘れた。→(会社に)鞄と傘を忘れた。(他も入っているが)メロンやマンゴーの詰め合わせ。→メロンとマンゴー(二種)の詰め合わせ。 




 
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  1. 2015/07/04(土) 10:28:39|
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◇ろくでもない

 序でに、「ろくでもない」と云う慣用句の語義も考えてみましょう。広辞苑に拠ると、「ろくでもない」=陸でもない・碌でもない(「碌」は当て字?)、何の値打ちもない。くだらない。同「ろくでなし」には、役に立たない、普通以下、のらくら等とありますので、最悪ではないと考えます。
 これを「ロクで無し」にすれば、「ロク」=役に立つ、普通以上の、働き者(禄があ る)等の語義と推測されます。それが故か、その「ロク」と同音の漢字「六」を使う宿六(やどろく)=宿の主人とあり、女主人の女将(おかみ)が役に立つか らか、この場合、「ろくで為し」かも知れません。詰まり、宿=寝泊まりする所、六=役に立つになります。ただ、女将の亭主(夫)は役に立たないとされたの か、転じて自身の夫の事を「宿六」と、何の役にも立たないぐうたら亭主と謙遜したり、卑下して呼びます。但し、こうした呼称には、何らかの愛情や諦観が見 え隠れします。
 尚、漢和大辞典に拠ると、六[lıok][lıuk][liəu]=数詞や序数(五行説に関わる語義)とありますが、「呉音(ろく)」陸[lıok][lıuk][liu]項、「六」の代用字の他に下記の如き二系統の語義があります。

  (1)高く平らな土地、一段高い所に上がる、くぬが、岡、陸路(⇔海路)
  (2)踊る、飛び跳ねる、暴れる、欲しいまま(~に振る舞う)

 (1)「陸」の本義で、他にも、歪みなく正しい事。真っ直ぐな事。真面目な事。十分な事等、先の「ロク」 と、(2)六(ろく)との関わりから「ロク」と云う音が持つ語義は、役に立つもの、良いもの(陸陸)となります。それが故、広辞苑には、「ロク」を二つ重 ねた「陸々(ろくろく)」=十分に、良く、真面目にとあり、陸々、勉強もせず=真面目に勉強もしない→ろくに勉強しないが在ります。但し、同音ですが、当 て字とされる「碌」には、平凡な様、役に立たぬ様、何事もなし得ぬ様、人の後に付き従う様、車輪の音の形容(轆轆)、馬の嘶く声、石の青色(緑青)等、 「碌々」=小石の多い様、何処にでもある小石=平凡で役に立たない様、役に立たないもの等とあるので、逆説的に、役に立たないもの、悪いものに派生し、余 り良い意味として使われなくなったのかも知れません。尚、他にも陸(ろく)と近似音の漢字があり、夫々の語義は下記の如くなります。今回は、ここ迄、以 下、次回とします。

○鹿[luk][luk][lu]=動物の名、猪や鹿等、四足の動物の総称、四角の米倉(四本足?)、帝王位の喩え(一段高い)。*宍(四支)。
○麓[luk][luk][lu]=ふもと、山裾、大きな林、山林を司る山守。「日本書紀」麓を山の足とする(麓山祇)。
○禄[bluk][luk][lu]=幸い、扶持(ふち)、俸禄を与える力、字形から、神からの贈り物、御零れ。「禄々」=幾らでも転がっていて平凡な様。
○録[bluk][lıok][lıu]=記す、文書、書き抜き、良く品定めする、統べる、取り上げる、括る、検束する等。「緑々」=幾らでも転がっていて平凡で取得のない様。本義は、神の信託(正否)を受けるために青銅器等の表面に刻んだ金文か。
○緑[bluk][lıok][lıu]=黄色と青色の中間色、その絹、艶のある黒(緑髪)、かりやす(萌葱色の染料)。*身分の低い者が着る衣の色とあるが、この場合、神(王)から授かった色と、その衣は染め色ではなく、生成りの色。
○肋[lək][lək][ləi(lə)]=あばら、あばら骨。貝殻の表面に形成される畝(うね)。鶏肋とは役に立たないものだが捨て難いものの喩え。
○勒[lək][lək][ləi]=馬を馭する革紐、馬銜(はみ)に着ける面懸(おもがい)、制御する、程よく調整する。古訓「あらたむ」「いたう」等。

のらくら=怠け遊んで日を送る様。また、その人。ぬらりくらりと捉え所のない様。のらりくらり。*ぬ-ろく-ら → の-らく-ら?
岡=漁師や船乗りが、仕事を辞めたり、止めたりする時、陸(をか)に上がると云う理由は、役に立たない=陸(ろく)でないとは云わず、「ヲカ」=一段高い所と云うニュアンスだからか。
刈安・青茅(かりやす)=稲科多年草。山地草原に自生。細い茎が直立、葉は線形、 茅(かや)に似、高さ約1㍍。秋、3~5分岐の花穂を出す。茎・葉は乾して黄色染料、藍と併用し緑色染料を製す。刈安染の略。ヤマカリヤス。オウミカリヤ ス。[季]秋。小鮒草=稲科一年草。高さ約30㌢。葉は笹に似て基部は茎を巻く。初夏、紫褐色の花を穂状に配列。煎じて染液を採り、黄八丈染に用いる。カ イナグサ。古名、かいな・あしい。
  1. 2015/07/11(土) 13:35:12|
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◇「リク」と「ロク」

 広辞苑に拠ると、陸(りく・くが・をか)=地球上の水に覆われてない約30%、岩石、及び、土壌で構成 される。陸奥国の略。一方、「呉音」の陸(ろく)には、水平である事、平坦な、歪みなく正しい、真っ直ぐな。(「碌」とも書く)物の正しい事、真面目な 事、きちんとしている。十分な、満足な。「六」の大字とあり、字音に拠って語義に違いが在り、呉音「ロク」は概ね良い語義として使われます。例えば、百済(くだら)系(遊牧民+耕作民?)は呉音を使っていたとも云われ、同音の麓(ろく)とも関連して、「クダラナイ→降らない(狩猟採集民?)」の語源にも繋がるのかもしれません。
 尚、前回、掲げた「ロク」と云う漢字音を持つ「禄」「録」「緑」の語義から推測すると、概ね神から授けられたもの、与えられたもの。有益で良いものと云うニュアンスがあったと考えられます。また、近い漢字音の「鹿 (しか)」は、神が与えてくれる獲物で四つ足の総称、そうした様々な恵みとして、稲等の穀類を保管する四角い倉(四本足?)、そして、それを所有する帝王 位の喩えとして派生、これと同じ中国音を持つ麓(ふもと)は、「日本書紀」麓山祇の但し書きに、山を支える足(山守?)とあります。
 日本語は同音ですが、中国音では少し系統の違う勒[lək][lək][ləi]=手綱を引き締めたり、緩めたりする事と、「肋」(近世音は異音 [lə])の隙間のある骨の状態、高所(有)と低所(無)が交互にある事が、高低、有無、善悪、正否、昼夜、干満等、陰陽の二元論に派生し、良悪、善悪・ 正否等、両面の語義を包含したのかも知れません。それが故、船乗りや漁民が禄(ろく)を得る海や河川の船から下 りる事を陸(をか)に上がると呼びました。下記の如く数詞の概念は、略24時間は「4×2」と云うサイクルで繰り返す潮汐に拠るもので、1~4と5~8の 二回で、略一日を表し、9~12で、再度、一日が始まる。3×8=24で廻る太陽に拠るものと関連し、3×4=12と云う時間の流れを表したと考えられます。


 1(干潮)→2(低潮)→3(満潮)→4(高潮)、5(干潮)→6(低潮)→7(満潮)→8(高潮)、9(干潮=始まり)~12
 1(曙)→2(昼)→3(晩)→4(曙)→5(昼)→6(晩)→7(曙)→8(昼)→9(晩)
 1(ひ/いち)~2(ふ/にぃ)→3(み/さん)、4(よ/しぃ)~5(い/ごぉ)~6(む/ろく)、7(な/ひち)~8(や/はち)~9(この/きぅ)

 言葉は、様々な思想や概念、為政者や使用者の意識に左右されながら、永い時間を経て成立しました。万物の輪廻転生を説く陰陽五行に拠ると、東「三碧木 星」で産まれた嬰児は三歳迄、足が立たないが、東南「四緑木星」で母乳から魄を授かって満ると足が立ち、すくすくと育つ(満潮=太る)。南「九紫火星」で 成人(高潮)すると、老いが始まり(引潮)、肉体が滅び(低潮)、亡くなると、その霊魂は身体から抜け出て南西「二黒土星」=地獄の竃(かまど)から中央 「五黄土星」へ還り、黄泉(よみ)の水で浄霊されて「魂」「魄」に別けられます。その「魂(陽気)」は、北「一白水星」の天宮へ還った後、陰極の西北「六 白金星」で妊み、再度、中央「五(十)黄土星(子宮)」で育まれます。例えば、東南「四木星」で嬰児が授かる「魄(はく)」も緑(ろく=みどり)→瑞(ミドゥ→ミズ)で、神から授かった禄(ろく)と考えられます。
 この「ろくでもない」は善悪を含み持つ「ロク」と助詞「も」の思ってもみない、意外なと云うニュアンスに拠り、家の宿六、本当に怠け者で、ぐうたら、良い所はないけど、と嘆きながら、「でも、憎めないのよね」と云うニュアンスを含み持ちます。

呉音=古事記は呉音、日本書紀は漢音で記述される。後者の神武天皇は生母と姨(おば→うば)の何れもを「海人+(父系遊牧民+耕作民)」と特筆し、降らない者には属さないとするのか。また、古事記は仏教系、日本書紀を神道系と比定した。
禄=幸い、扶持(ふち)、俸禄を与える力、原義は、神(示)からの 贈り物の御零れ。禄々=幾らでも転がっていて平凡な様。「録」=記す、文書、書き抜き、良く品定めする、統べる、取り上げる、括る、検束する。本来の語義 は、神の信託(正否)を受けるために青銅器等の表面に刻んだ金文か。「緑」=黄色と青色の中間色、同色の絹、艶のある黒(緑髪)、かりやす(萌葱色の染 料)、身分の低い者が着る衣の色とあるが、本来、神(王)から授かった色と、その衣かも知れない。漢字音[bluk][lıok][lıu(lu)]
鹿=古代の神器と云われる銅鐸等に描かれる事からすれば、狩猟採集を糧とする人々にとって神の恵みと云える。また、アイヌの人々は熊を神様として祀り、イヨマンテと云う火祭りを行った。
魄(はく)=南西の地獄への入口から黄泉へと返る力を失い滅びる身体=穢れた黒土に対して、浄化された「魄=白」は肉体を司る。おそらく、死者の霊と肉体は太陰の月(肉月)へ還り、太陽光に照らされて満月(月偏)になり、浄化されて「魂魄」に別けられると考える。



  1. 2015/07/18(土) 11:13:32|
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◇全然、良い

 最近、よく使われる「全然、良い」「全然、大丈夫」等の使い方に違和感を持つ人は少なくないでしょう。国語辞典では「迚も~ない」と同様、打ち消しや否定を伴って使われるとされるので、「全然」は否定を伴うべき副詞と云うのが言葉の規範と云う意識があります。但し、広辞苑「全然」項 〔名〕全くその通りである様。全てに亘る様。〔副〕全ての点で、すっかり。打消の言い方や否定的意味の語を伴い、全く、まるで。俗な用法で「全然、同感で す」等と肯定的にも使われる。尚、研究者の間では、この規範意識は国語史上の迷信とされます。その理由として、明治から昭和初期迄、「全然」は否定にも肯 定にも用いられ、日本語の誤用を扱った書籍等では、「全然+肯定」を定番の間違いとして揚げられます。それに就いて、以下の如き国語学界の発表もありま す。

 【日本語に関して知識の深い当時の研究者等の論文や記事中、「全然」がどの様に使用されているか実態を調査、採集した「全然」の用例を分類すると、全 590例中、6割の354例が肯定表現を伴い、その約4分の1の85例が否定的意味やマイナス評価を含まない使い方となっていました。尚、昭和10年代の 専門3誌における「全然」の使用例は下記の通り。

  ○否定を伴う例 計 232
   (1)形容詞「ない」 (2)助動詞「ない」「ず(ん)」 (3)動詞「なくなる」「なくす」
  ○肯定を伴う例 計354
   (4)否定の意の接頭語として使われる漢字を含む語  (5)2つ以上の事物の差異を表す語
   (6)否定的な意味の語  (7)マイナスの価値評価を表す語
   (8)否定的意味・マイナス評価でない語 85例
  ○判断が難しい例 4例

 当時から、否定を伴うという言語規範があったとすれば、多くの研究者が学術誌で規範に反するような表現を使うとは考えられません。また、昭和10年代後 半になると、植民地への日本語普及という当時の国家的重要課題を念頭に置いた「標準語」「正しい日本語」をめぐる議論が盛んに行われるようになりました が、3誌には「全然」の規範意識に関して言及したものは無かったばかりか、「全然+肯定」の使用が散見されました。尚、著名な国語学・言語学者金田一京助の「前者は無限の個別性から成り、後者は全然、普遍性からなる」と云う文章も含まれています。】
 
 私見で、この言葉につかわれる漢字の意味を「全く然り」とすれば、本来、その状態や状況が十分で在る事を示唆し、強調する言葉で語義的に否定を伴わなけ ればならないとする理由はないと考えます。未だに信じられている理由は、或る時期、国語学界の指導の下、言語の規範や語法として教育したからでしょう。特に、そうした時代に教育を受けた年輩の方々は、その感覚が強いと思われます。尚、上記、「肯定を伴う例」として、以下の如き例文が考えられますが、それに対する書き換え文を提示します。

  (4)全然、不足です。→ 全然、足りないです。
  (5)全然、狭いです。→ 全然、広くないです。
  (6)全然、嫌いです。→ 全然、好みではないです。
  (7)全然、古いです。→ 全然、新しくないです。
  (8)全然、大丈夫です。→ 全然、問題ないです。

 (4)(5)(6)(7)(8)の何らかの基準に照らすと同等でないと云う否定的なニュアンスとして書き換えられます。590例の内、二者の差異、マイ ナス評価や否定的な語も金田一京助氏の文章と同様に、文脈として前者と後者を比較すると云う文体で使われると思われます。以下、次回とします。

高知大学で開催された日本語学会。国立国語研究所の新野直哉准教授をリーダーとす る研究班、橋本行洋花園大教授、梅林博人相模女子大教授、島田泰子二松学舎大教授等が、言語の規範意識と使用実態―副詞「全然」の迷信をめぐってと云う テーマの発表を行いました。最近、「全然」が正しく使われていないといった趣旨の記事が、昭和28~29(1953~54)年にかけて、学術誌「言語生 活」(筑摩書房)に集中的に見られるので、否定を伴うという規範意識が昭和20年代後半に急速に広まったとします。しかし、発生・浸透の経緯については先 行文献では解明されておらず、先行研究が注目しなかった戦前の昭和10年代(1935~44)の資料に当たり、「全然」の使用実態を調べる事で、当時から 規範意識があったのかを考察した。
 
  1. 2015/07/24(金) 07:43:37|
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