見まごう邪馬台国

◇和語

 古来、この島国には大陸を北回りで渡来した狩猟採集民、南回りで渡来した海民や水耕稲作民、朝鮮半島を経て渡来した遊牧騎馬民や畑作民等、様々な人々の 言語が飛び交い、「記紀」成立期、未だ、現日本語と同等の文字体系や文法形態は成立していなかったと思います。例えば、朝鮮半島の百済(ペクチェ)と親密 な交流の在った飛鳥期、中国大陸の隋・唐と新羅(シルラ)に強い影響を受けた奈良期~平安前期を経て、平安中・後期、これらの呪縛から解き放たれたかの様 に独自の文化が萌芽、和語と思しき言語が成立し始めたのでしょう。仮名文字も万葉仮名を簡略化して創り、大和や東国(蝦夷)と西国(熊襲)等の言語も併せて発展し、現代日本語に近い言葉や文字と文法体系として成立しました。
 「記紀」は神名等に万葉仮名を用い、文法や漢字の用法に和臭は見られますが、何れも漢文体で記されます。「紀」の仮名や訓読点等は、古くても平安期の9 世紀以降の成立としましたが、北条氏や足利氏等の板東武者が表舞台に立った鎌倉・室町期、古文書は、書写される過程で、その本拠、東国や西国の文化や言葉 等、担い手の解釈に拠る仮名や訓読点、校異等も取り込まれました。それが故、「紀」の写本は南北朝時代を経た室町期のものが全巻揃い、注釈本も残ります。 また、江戸前期、真福寺で発見された古事記も本居宣長に拠る注釈本があるのだと思われます。
 ただ、これらの本文や説明文は漢文体、神名や歌謡は略万葉仮名に拠りますが、用いる漢字音は、「記」と万葉集は呉音、「紀」は漢音と云う違いがあります ので、夫々、編者の思想背景には、古来からある神道や「他し神」の仏教等、何らかの違いがあったと推測されます。尚、鎌倉期以降、武家の思想背景として仏 教(禅宗)と共に儒教(朱子学や陽明学)も用いられました。
 一方、朝鮮半島は大陸と陸続きだったためか、北方中国の唐王朝李氏の影響下にあった新羅(朴氏・昔氏・金氏)を倒した王建が建国した高麗時代(10~15世紀)の中期朝鮮語を基本に現代朝鮮語として成立、その前時代の文献や文書等は殆ど焚書され、未だ古朝鮮(韓国)語の詳細は分からないと云われます。その後、中国の唐王朝系李氏朝鮮王朝となり、儒教思想が採用された。15世紀半ば、大陸の影響から解き放たれたのか、世宗大王の訓音正字(ハングル)発布が契機となったのか、朝鮮や韓族的な意識が芽生え始め、独自の文化や言葉が急速に発展したのでしょう。
 但し、両国とも支配階級の公文書等では漢字文が使用された。被支配階級は現代日本語の訓と同様、旧来の言語に近いものと推測されますから、その辺りの扱いには十分に注意する必要が在ります。
 尚、前項の(3)眉(まゆ)から蚕(*蠒)には朝鮮(韓国)語に拠る対応が見えません。「紀」天照大神に食神の保食神の様子を見て参れと請われた月読尊が、その所作を見て汚したものを出すと疑って殺した食神の亡骸に生りしもので、「古事記」にもよく似た説話があります。
 八百万神に神遣らいされた速須佐之男命は大気津比賣に食物を乞い、気都比賣の所作を見て汚したものを出すと疑い大宜津比賣を殺す。その亡骸の於頭(かしら)生蠶(かひこ)、於二目生稲種(もみ)、於二耳生粟、於鼻生小豆(あずき)、於陰(ほと)生麦、於尻生大豆(まめ)とあります。
 食神の名が大気津比賣→大気都比賣→大宜津比賣と変遷、行為者も須佐之男命とされます。また、「紀」頂化為牛馬は見えず、蠒(蠶)や穀類も違う部位に生りますので、掛詞と云う言葉遊びの類で食物の発生起源を語る説話ではないでしょう。次回から一つ一つ見ていきましょう。

仮名=漢字の草書から創られた女文字の平仮名は手紙等の文章に使われるが、漢字の旁や偏から創られた片仮名は漢文の訓読点に用いられる。
真福寺=名古屋市中区にある真言宗の寺。別称「宝生院」、通称「大須観音」。建久 (1190~1199)年中、尾張国中島郡大須郷(岐阜県羽島市)に建立、中島観音堂と称したものを1612(慶長17)年、現在地に移建。古事記・日本 霊異記等の古写本を蔵し、大須本・真福寺本と称する。
北方中国==唐の初代皇帝李淵(565~635)、廟号高祖、字は叔徳。先祖は隴西(甘粛)の李氏という。祖父・父は共に唐国公に封ぜられ、母は、鮮卑族独孤氏の出。初め隋に仕え、太原留守、617年次子世民(太宗)の勧めによって挙兵。突厥の扶けを借り、群雄を破って長安を取り、煬帝の孫恭帝(楊侑)を擁立、唐王となる。翌年、煬帝が、その臣に殺されるに及んで帝位(618~626)につき、長安に都して唐と号した。
 唐音=宋・元・明・清の中国音を伝えたものの総称。禅僧や商人等の往来に拠り、中国江南地方の発音が伝来、行灯(アンドン)、普請(フシン)とする類。 呉音=古く中国の南方音で、行(ギャウ)とする類。仏教用語等として後世迄用いられた。平安時代、後に伝わった漢音を正音としたのに対し、和音(わおん) ともいった。漢音=唐代、長安(西安)地方の標準的な発音。遣唐使・留学生・音博士等に拠り、奈良~平安初期に伝来、官府・学者は漢音、仏家は呉音を用い る事が多く、行(カウ)、日(ジツ)とする類。宋音=唐音の一部分。日本の入宋僧、または渡来した宋僧が伝えた。実質上は唐末から元朝の初め迄の音、鎌倉 時代迄に渡航した禅僧・商人から民間に流布した音と同一のもの、行(アン)、杜(ヅ)とする類。
王建(877~943)=高麗太祖、松岳・松都(開城)の人。仏教を崇信。935年新羅を併合、翌年、後百済を従えて半島を統一。高麗(918~1392)=都は開城(松岳・松都)。仏教を国教とし、建築・美術も栄えたが、後期、元に服属、34代で李成桂に滅ぼされた。高句麗(こうくり)。一般に朝鮮の称。
 莽(BC45~23)=漢末の簒立者。字は巨君。10代元帝(劉奭)の皇后弟の子儒教政治を標榜、人心を収攬する。平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位(8~23年)に就く。次いで真皇帝と称し、国を奪い「新」と号す。その政策に反対する反乱軍に敗死、後漢が復興する。
李氏朝鮮(1392~1910)=太祖李成桂(イ・ソンゲ)が高麗を倒して建国、都は 漢城(ソウル)。対外的には朝鮮国と称す。1897年に国号を大韓帝国と改める。国教は朱子学(儒学)。朝鮮の最後の王朝。朝鮮王朝。1910年(明治 43)日本に併合され、27代(519年)で滅んだ。
言葉=現在でも漢字語が多く見られる。例えば、挨拶に使われる「感謝」「安寧」「未安」、「健康」「約束」「医師」等。
「紀」=頂牛馬化為→頭(mara)から馬(mar)、顱上生粟→額(cha)から粟(choh)、眉上生(まゆ)→無し、眼中生稗→目(nun)から稗(nui)、腹中生稲→腹(pai)から稲(pyo)、陰(ホト)生麦及大小豆(まめ・あずき)→陰部(poti)から麦(pori)と小豆(pat)
気都比賣=「記」建速須佐之男命が大山津見神の娘神大市比売を娶り生む子、大年神と食神宇迦之御魂神、その大年神の子羽山戸神の妻大気都比賣とあり、「都=合わせる」と云う語義からすると、男系の武人(+川民)と女系巫女(+耕作民)の併合として良い。




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  1. 2016/03/03(木) 13:57:13|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇現代日本語と和語

 「記紀」成立以前の言葉と現代日本語の訓音や語彙の直接的な繋がりを推定するのは難しいでしょう。但し、現存の形式として室町期以降に成立したとした 「記紀」の訓音や語彙を通じ、その成立期の言語と現代日本語との関係を推定できるかも知れません。詰まり、他国の言語に拠らずとも関連づけられると考えま す。以下、先掲の(1)~(6)の朝鮮語との対応に就いて使用される漢字、その音訓と語義等を再検証し、私見を述べてみます。

 (1)頭(あたま=mara)から馬(うま=mar)
 「紀」神の頂(つむじ)に牛馬に化けて為る。広辞苑「頂」=頭、頭上。同訓「戴く」=頭に 載せる、高く差し上げる。本来、貴人の前で手を高く掲げ、ひれ伏して額衝くと推定されます。また、端(ハタ)→始(アタマ)と終→始(ツム)とすれば、頭 髪が集まる頂(つむじ=詰道)、詰・摘→終(つむ)=途切れる、積→集(あつ)む、瞑(つむ)る、紡(つむ)ぐ、俯(うつむ)く等も同源になり、頂(つ む)→頭(おつむ)→集(あつむ)→頭(あたま)と転音しました。
 「記」頭(かしら)に於て蠶(かひこ)生るとする。この「カシ・ラ」も河岸(かし)や端(はし・かし)と同源で、一番(始)、端境(終始)、最高(終)等の語義に派生し、頭(かしら)=首領(どん)にされます。
 尚、モンゴル語でも馬(mar)で、中国語の馬[mag][ma(mba)][ma](ゥマ/ゥバ)」も遊牧騎馬民の言葉に影響されたのしょうが、古代 朝鮮語も朝鮮半島南部に住んだ韓人系言語だけではなく、中国大陸(中原)の政情不安に因る人々の移動で北部のモンゴル平原から押し出された遊牧騎馬民の烏丸・鮮卑・女真・扶余(朝鮮族)等が半島北部に持ち込んだ言葉にも影響されたと考えられます。
 尚、馬(mar)は長い頭と首の動物で、男性のトーテムにされます。強くて速く走れる優秀な種馬「アズラガ」に対する「モリ」は去勢馬だけではなく、温和しい牡馬や馴れた牝馬も含まれるのでとすれば、去勢馬=モリと韓国語の頭=モリ(moli/mara)は通音する理由かも知れません。更には、日本語の男性器マラ(mara)にも何らかの因果関係がありそうです。
 例えば、韓国語で対応のない「牛」は、男性器(ら)の象徴、馬(午)→杵(きね)に対し、女性の象徴を臼(うす)とすれば、「ウスィ→ウシ(牛)」で、大国主神の「ヌスィ→ヌシ(主)」にも繋がると考えられます。
 「記」御合(うけひ)の後、天照大御神が忌服屋で神御衣を織っている時、スサノヲが、(棟)を穿ち天之斑馬(ぶちこま=白黒→陰陽)を逆剥ぎにして落とし入れたため、天服織女は驚き、⑦梭(ひ)で陰(ほと)の上を衝き死ぬ。それが原因で神遣らいされて食神に食物を乞うとします。
 述べてきた事と、「紀」頂に牛馬化為る有りとする事、駿馬(しゅん・)と「女」と同訓にされる事、日本人が持つ輪廻転生思想や神仏混淆の思想等を考慮すると、この「頂に化けて為る牛馬」は以下の関係で対応します。

    「紀」父性=京都の八坂神社(祇園社)の牛頭天王=頭(須勢理毘賣→八坂姫)と身体(素戔嗚尊)
    「記」母性=福岡県太宰府市の観世音寺の馬頭観音=頭(大国主神→大己貴命)と身体(須世理毘売)

 室町期、「紀」父系女子(馬頭観音→牝馬)を嬪(母性)とし、「記」母系男子(牛頭 天王→牡牛)を皇孫(すめみま)として生した皇子を乳母(めのと)が育むと云う天皇家の思想的な形式が成立、生母が子を養う母系制と違い、家長制での実父 と養母の乳が「ちち」と同訓にされます。日韓両国の言語に類似点や関連性は無いとは云いませんが、韓国語の牛(so)との対応は無視しますので、我田引水 の類でしょう。

(1)~(6)=頭(アタマ)から馬→頭(mara)から馬(mar)、額(ヒタイ) から粟→額(cha)から粟(choh)、眉から蚕→無し、目から稗(ヒエ)→目(nun)から稗(nui)、腹から稲(イネ)→腹(pai)から稲 (pyo)、陰(ホト)から麦及大小豆(マメ)→陰(poti)から麦(pori)小豆(pat)
集(あつむ)→頭(あたま)=毛髪の渦巻きが集まり終息する所=旋毛(つむじ)→終 (すむ/つむ)=了(すむ)。また、澄(すむ)=濁りが沈殿して底に溜まる。住(すむ)=耕作民が留まり暮らす(狩猟採集民や遊牧民は移動しながら暮ら す)。旋風(つむじかぜ)は頭頂の旋毛が渦巻く事→回転する。
端(かし→はし)=ハ行には「端境」「区別」等のニュアンスが在り、尾っぽの「ぽ (ホ)」も先端と云う語義で、尾(後部)の先端として良いが、面や線ではなく「点」に近い。例えば、穂=先端、誉める・秀(ホ→ヒィ)でる=抜きんでる、 火(ホ)=炎の先端、歩=点々と続く足跡、浦=膨らんだ水際の先端、帆=風を受け膨らんだ布の先端、干(ホ)す=溜池で減水して底に留まる、掘る=一段下 げる→抜く、星(ほし)=光点、「ぽつんと一人」等。
どん=接頭辞「ど」=罵り、卑しめる意。その程度が強い事を云う語の撥音化か。どん尻(どんじり)は、尻を罵って云う語。西日本や茨城・愛知県等、最後・最下位・びり・どんべ。「どんけつ」は最も終りである事。最後・どん終い等。上記、首領、一団や仲間の長・頭・魁は一番最後に控える人=最高。「びり」=人を罵って云う順位の一番下、一番最後。遊女・女郎。使い古して性(しょう)の抜けた布→びりびりに破れる襤褸(ぼろ)布。
馴(ナ)れる=巡・順等と同系で、巡=流れのままに進む。順=流れに向かう。馴=馬が流れ(人の指示)に従う。*「慣」=反復して覚える
牛[ŋıog][ŋıəu][niəu]=上古音(中古音)では鼻濁音「ヌギォ(ヌギェウ→ヌゲゥ)→ギゥ」、近世音では「ニェウ→ネゥ→ニゥ」。
梭(ひ)=織機の付属具。製織の際、緯糸を通す操作に用いる。木や金属製で舟形に造ったものの両端に金属・皮革等を被せ、胴部に緯管を保持する空所がある。一側に穿たれた目から糸を引き出し、経糸の中を潜らせる。
駿馬(しゅん・め)=「紀」保食神の頂に牛馬化し為る~云々、陰(ほと)から麥(む ぎ)及大小豆(まめ・あずき)生るとするが、「記」大宜津比売の頭に蠶生る~云々、陰に麥生る。尻に大豆(まめ)生るとするので、男の陰部=男性器と肛門 の二穴、女の陰部=女性器及び尿道口と肛門の三穴からすれば、「紀」=女性、「記」=男性に転生したと考える。もう一つ、豈(あにはからんや)=大きな高坏(大豆)で、これに作物を意味する「丰(ほう)」を付すと、豐(ホゥ・ゆたか)と云う字になり、卑彌呼の宗女臺與(タィ・ヨ→豊)と筑紫(九州)の「記」日別と建日向日久士比泥別(豊国)。「豈(大豆)」は狗奴国王の卑彌弓呼に繋がるのかも知れない。*壹與(イッヨ→伊豫)=四国
牝馬(ひん・ば)=嬪(ひん)は君主の寝所に侍する女官。夫人に次ぐ四位・五位の者 (=嬪御)。平安期、後宮の女官で、女御(にょご)の次位、天皇の衣を換える事を司り、天皇の寝所にも侍した後世の更衣(こうい)。尚、牝[bien] [biěn][piən]と嬪[bien][biěn][p'iən]とあり、子を産む母性の意味を持つが、同様に扱われる雌雄の雌[ts'ieg] [ts'iě][ts'ī]は違う発音になり、「雄」に対して小さいとか、弱々しい、控えめな等の語義とある。



  1. 2016/03/10(木) 14:04:47|
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◇日本語「今(いま)」と韓国語「額=イマ(ima)」

  (2)額(ひたひ=cha)から粟(あは=choh)

 「紀」顱上に粟生れりとします。漢和辞典「顱」=コウベ、アタマ、丸い頭、頭骸骨=髑髏(どくろ)、「解字」盧=丸い壺+頁(かしら)を併せた会意文字で、爐(炉)等と同系の漢字とあります。詰まり、髑髏の形状から丸い壺を伏せた状態で、顱頂骨は頭頂部の平らな部分とありますから、「」は頭髪の生え際、顱の上は頭頂部の旋毛(つむじ)付近になります。一方、広辞苑「額(ひたひ)」=冠や烏帽子の縁が当たる部分。髻(もとどり)の前に付ける女子の飾り(蔽髻) とありますので、「顱」自体を表すのではなく、顱を覆うもの、額縁も周縁を付けた絵画等の入物とすれば、おそらく、額(ひたひ)とは、付属するもの、被り もの、帯びて覆うもの→何かで被覆する事で、そうした状態を示唆する浸・漬(ひたす)や、養(ひだす)等も同源になります。これを漢字で表記すると「被 帯」とできます。 また、額(でこ)と呼ぶからか、同項には物の差し出た所とあり、本体に付属した出っ張りが日差しを受け止めて影を作る庇(ひたし→ひさし)にも派生しま す。また、この額(出拠)を最先端とすれば、韓国語の額=イマ(ima)ともあり、日本語の今(いま)も時間的な最先端になります。では、「粟(あは)」との対応は何でしょうか。
 漢和大辞典「粟」=穀類の総称、稲・麦・黍等の穀類に外穀の着いたままのものとあり、よく似た字形「栗」の解字は、上部の「襾(ア)」は樹上の毬栗(いがぐり)とありますので、「襾」=籾穀(もみがら)や上皮等の外殻、「米」=搗いた穀類の実(玄米)として良いでしょう。また、「記」二つの耳に於て粟生るとし、耳が庇(ひさし)の如く側頭部から出っ張る特徴的な形状と関係するのか、「食パンの耳」等の付属物であると共に「耳を揃える」等とされる外端とすれば、耳=芒(のぎ)、粟=胚芽を持つ籾で、籾殻を除いた玄米を精げて残った外皮の粉を糠(ぬか)と呼び、それに順い「額(ぬか)」と訓じます。では、「粟」と顱上(頭頂)の対応は何でしょうか。同訓の漢字に下記があります。

   泡=空気を含んで丸く膨れた泡(あぶく) *泡沫(うたかた)
   沫=水など細かい粒や泡 *飛沫(しぶき)
   淡=刺激がない様(あふし→あはし)・味や色が薄い状態 *淡海(あふみ)

 上記の共通項を「形だけで、中身のない外殻」とすれば、「粟」の籾殻が付いた穀類の総称から、中身(上皮や実)を保護する籾穀→脳を保護する中空の丸い壺(頭蓋骨)の上=蔽髻、詰まり、庇や耳と芒(のぎ)の如き付属物で、糠(ぬか)や額(ひたひ→ぬか)も実(頭)を外し、抜かしたものです。
 本来、巫覡系の額田姫王は額田大君でしょうが、大海人皇子(天武)との間に十市皇女(大友皇子室)を儲けたためヌカタ・メオウ→ヌカタ・ベオウと呼ばれたのでしょう。「紀」天智天皇の後宮に召されたとされるが、その後、子は生してないので、巫女として仕えたのかも知れません。天武天皇は、皇極天皇の子とされますが、天智天皇の娘太田皇女(嬪)に婿入り、讃良皇女を皇后として即位、その後、皇后も持統天皇として即位します。
 南北朝の併合後、北朝が天皇、南朝が皇后を出したのか、姉(生母伊邪那→兄)、妹(乳母伊邪那→弟)を併せ、耳(ミミ)を成し、転生した男系を父として皇孫を産み育てると云う思想的な機構が成立します。皇孫を「スメミマ(祖女御体・祖女御孫)」、天照皇祖神裔の天皇(すめらみこと=祖女羅命)と訓ずる理由で、この御母や御孫(みま)は日本府があったとされる任那(みまな)の「ミマ」と同源でしょう。

髻(もとどり)=髪を頂に集めて束ねたところ。「本取」の意、髪を頭の頂に束ねた所。また、その髪。*たぶさ
今(いま)=広辞苑「ま」ともあり、過去と未来の間となる。詰まり、これも間(ま)・真(ま)と同様、二つを併せ持ったものと云う語義になる。韓国語では、今(チ・グム=時今?)、今頃(イマム・テ)、英語では、[head line][latest]=最新→現在→今。
襾[・ag][ă][ia]=上から蓋を被せた様を表す象形文字で、覆う、被せる等の語義。詰まり、「アハ」=外端→外殻→外側。*「西」とは別字
耳=訓「みみ」は、その漢字音[niəg][niei(rıei)][ri]=ニェィ ニェィ→ネィネィ→ニニ→ミミと転音する。任那(ニムナ→ミマナ)も同系の転音と考える。その字音「ジ」は、[ri]=ゥリ→ヂィ→ジと転音したか。二 つの目(ムム→メメ)で見て、二つの耳(ニニ→ミミ)で聞き、鼻(ビ→ファナ)で香りを利く(嗅ぐ)。和語や和訓等と簡単に云うが、日本語や朝鮮・韓国語 にも漢字音に拠る造語が多く見られる。*鼻の本字、「自」[dzied][dzii][tsï](ジィッ)
糠(ぬか)=水を含むとヌカルミ(糠る水→泥濘)、ドロドロになり、足等がスッポリと 填り抜けないので歩きづらい。そうした動作が当事者の気持ちや意識から少しずれて遅れるため、先を越されて「しまったぬかった」と間の悪い事、間の抜けた となり、その時間差が、刀身を納めた鞘から引き抜いたり、トンネル内を走り抜ける事にも使われる。
ヌカタ・メオウ→ヌカタ・ベオウ=生母(みま)→養母(乳母)→巫女と変化する神功皇后と仲哀天皇との子、応神天皇は皇后の化身、比賣大え た。その御子額田大中日子命(生母高木入日賣命)系統か、額田部(ぬかたべ)皇女は、敏達皇后(生母)から甥で摂政の聖徳太子の乳母を経て推古天皇(巫 女)として即位。また、舒明皇后(中大兄皇子の生母)→皇極天皇(大海人皇子養母)→斉明(巫女+摂政中大兄皇子)も同系の変移になる。
天武天皇=神武天皇・文武天皇・聖武天皇・桓武天皇等に使われる「武」字には武器の語義ではなく、血縁の「嫡嗣」とは違い、継(まま)=養子や婿入と云う意味がある。上記、神武天皇は東遷後、その地の神の子とされる五十鈴姫に婿入りする。天武天皇も皇極斉明のつ讃良比賣(持統)に婿入、桓武天皇も光仁天皇の娘酒人内親王を嬪にしたとあり、天智の女系統に婿入したと考える。
任那=「イ+壬」→「女+壬」とすれば、孕む女人(御母)の血統を有し、御孫(みま) を為す国を示唆します。「五行説」北の壬(みずのえ)は、来世の魂(陽気の水)が還る北極星(天宮)で、魂(胤)を陰極(子宮口)に受け容れ、胎中で育み (妊)、東南「四緑木星(辰)」の陰(ほと)で産む(娠)。 






  1. 2016/03/19(土) 09:25:59|
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◇和語「甲(かふ)」と韓国語「飼(kiuda)」

 (3)眉(まゆ)から蚕(かひこ)

 何故か、眉(nun・ssop)から蚕(nwe)は韓国語の対応が見えません。「紀」眉上に蠒生れりとします。例えば、漢和大字典「蠒(爾+虫)」は繭(まゆ)の別字とあり、眉(まゆ)と通音して対応します。一方、「記」頭に蠶(かひこ)生るとあり、蠶は毛髪(桑の葉)から眉上に移動、繭を被るのでしょう。おそらく、眉(まよ→まゆ)が繭と通音する理由は、平安期の公家や武家の女性は眉を剃り、楕円形(繭形)に描いた事と思われます。
 例えば、蠶(かひこ)も繭(まゆ)を被る甲子(カヒコ)=飼子で、「飼ふ」=囲いで覆われる場所や屋内で養う事になります。詰まり、同訓の貝(カヒ)も殻を被るものになります。また、頭(カシ・ラ→カチゥ・ラ)に転音、「広辞苑」頭(かぶり)とあり、被(かぶ・る)・冠(かむり)・甲冑(かぶと)・禿(かぶろ)・蕪(かぶら)等も同源になります。それが故でしょうか、「紀」(1)頂に牛馬の化し為り有るに関連し、被った繭を破って出た成虫(蚕蛾)が交尾後、直ぐに死ぬからか、口の利けないおしら(唖等)様と呼ばれ、桑の木でできた馬頭のもの、烏帽子を被る等、男女一対の偶像にされます。
 「紀」天照大神が繭を口に含み糸を手繰り、紡ぎ出すとあり、成虫(蚕蛾)は口中から腹中に移動、陰(ほと)で転生するのか、尻から体外に排出されるのかも知れません。また、「記」建速須佐之男命との誓約(うけひ)後、天照大御神は斎服殿で機織る時、その頂(棟)から逆剥ぎの斑駒(ぶちこま)を堕とし入れ、驚いた機織女が梭(ひ)に陰上を衝いて死んだ後の岩戸隠れとすれば、天照大御神や大気津比賣に転生したのかも知れません。
 「記」食神大宜都(げつ→いつ・いと)比賣の説話後、八百万神に神ヤラヒされた速須佐之男命が、肥河上でヤマタノヲロチ退治する時、大山津見神の子足名 椎と手名椎夫婦の娘櫛名田比賣を櫛(簪)に変えて御角髪(御髻)→耳鬘(みみづら)に刺すとします。これは先述の牛頭天王系の(頭)櫛名田比賣→八坂姫+(体)須佐之男命(素戔嗚尊)ですが、退治後、須佐之男命は足名椎に我が首(おびと)たれと命じますので、足 名椎+須佐之男命になり、足名椎を櫛名田比賣の父とすれば、どちらの系統にも属しません。ただ、根堅州国で須佐之男命が娘須勢理(須世理)毘賣に転生した とすれば、先述の馬頭観音系足名椎+須勢理毘賣になります。また、足名椎が娘櫛名田比賣(八坂姫)に輪廻転生すると牛頭天王系にもなります。
 また、「記」帯(たらし)を「紀」足とするので、帯(たらし→おび)=負ぶとすれば、「記」出雲神話は大国主神が須佐之男命の娘須勢理毘賣→須世理毘賣を背負い根堅州国から出て出雲大国を建国すると、牛頭天王系(頭)須世理毘売+(足)大国主神になります。「記」須世理毘賣(頭=持統)を背負い根国から出て行った大国主神→大己貴命(浄足=天武)の併合と考えられます。また、「紀」高御産霊神と天照大神に天鹿児弓と天真鹿児矢を授かり、天降った天稚彦が大己貴命(大国主神)の娘を娶ったと云う記述にも繋がります。
 こうして変遷からか、「記」葦原色許男→大穴牟遅命→大国主神と輪廻転生させ、「紀」大己貴命は須佐之男命の五世(六世)孫として、何れにしても万世一系を示唆するべく記述されます。また、佐賀県の或る神社では神無月に大国主神がお忍びで来ると云う伝承が在り、その足を洗い浄めるために村の若者が水を汲むと云う神事が行われる。大国主(女系大穴持命)神は縁結びを司るので、この神事は婿選びとして良いでしょう。

蠶=「蚕=蚯蚓(みみず)」の本字。飼い蚕(かいこ)の意、蝶目鱗翅(りんし)類、蚕 蛾の幼虫。孵化した時は黒く見える毛蚕(けご)・蟻蚕が、第1回の脱皮後、灰色になる。多くは暗色の斑紋を具え、13個の環節がある。通常、4回、脱皮す るための眠(みん)を経て成長、絹糸を吐いて繭をつくり、中で蛹(さなぎ)になり、羽化した蚕蛾は繭を破り、外に出て交尾・産卵後に死ぬ。繭から絹糸を取 る。家蚕(かさん)。御蚕(おこ)。おしら。
眉「マユ(マヨ)」=状態から間(マ)が凭・依(マヨッ→マヨ)る。形状からマユ=弓(マユルム→マユーム→マユム)とすれば、弓(マユム→マユ)となり、間よる弓なりの形状として良い。
貝(カヒ)=二枚貝の場合、合(カフ→カヒ)で、巻き貝の場合、甲(かひ)→被(かぶ)ると考えられる。*被る(suda)
カチゥ・ラ(kazira)=鬘(カジゥラ→かずら)は蔓草や花等を頭髪の飾りとしたもの。頭髪に添えるため、毛髪を束ねたもの。髢(かもじ)、添髪。仮髪=毛髪で種々の髷型をつくり、俳優等が扮装のため、髪型を変えるために被るもの。
おしら(唖等)様=東北地方の民間で信仰する養蚕の神。巫子(いたこ)が祭る。おしら神。おしら仏は、桑木で作った馬頭のもの、烏帽子を被ったもの、男女一対(牛と馬?)の偶像。尚、垂仁天皇の本牟智和気王や天智天皇の建皇子は口が利けなかったとされる。
尻から体外=次に火之夜芸速男神を生む。亦名火之炫毘古神。亦名火之迦具土神。この子を生み伊邪那美神は御陰(みほと)焼かえ病臥せる。この時、多具理邇生る神の名金山毘古神と金山毘売神。屎成る神の名波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神。尿(ゆまり)成る神の名弥都波能売神と和久産巣日神。この神の子は豊宇気毘売神。伊邪那美神は火神を生みて遂に亡くなる。例えば、蠒(まゆ)=爾+とすれば、多具理邇の邇(之繞+爾)は繭の糸を手繰る事、その繭を解くための湯が滾(たぐ→たぎ)る事に関連し、「広辞苑」やま(よま)=撚糸・縒縄、釣糸、及び、網糸とあり、多具理邇生る金山(カナヤマ→キヌヤマ→絹やま)毘古・金山毘賣とも考えられる。*屎に成る神=(男女の一対のおしら様?)、尿(ゆまり)=湯放り
斎服殿で機織る=現在でも宮中で皇后自身が蚕を養い絹布を機織り、斎衣を作ります。
斑駒(ぶちこま)=白黒の馬(まだらうま)、牡馬と牝馬で、「紀」保食神→天照大御神、尚、「記」天降条で一ヶ所、天照大御神を天照大神とする所があり、機織女→天照大神に転生すると考える。
八坂姫=京都の清水寺(坂上田村麿の菩提寺)のある東山麓に鎮座する八坂神社に祀られる。「記」伊邪那命 は、最後に三人の貴い子を得たと大いに喜んで、首飾りの玉の緒(を)をゆらゆらと揺らして天照大御神に与えて、高天原(たかまのはら)を治めなさい。その 首飾りの玉の名を御倉板挙之(みくらたなげの)神と云う。月読命に夜之食国(夜見国=黄泉国)を治めなさい。建速須佐之男命に海原(うなばら→あまのはら)を治めなさいと 云ったが、須佐之男命は嫌がり、伊邪那伎命が川の中程で禊ぎし、伯耆山(伊邪那美→月読命)と海を繋ぐ河川を河上(多賀の淡海)と河下(青海)に分けて、 与えようとした海原ではなく、天照大御神の高天原を奪おうとする。その乱暴狼藉で、「紀」甚だ無道(あずきなし=小豆為し)と神遣いされると、肥の河上= 坂の上でヤマタノヲロチ(月読命→大気津比賣→大宜津比賣)を退治、大山津見神の女系櫛名田比賣(月読命→月夜見命→継黄泉命=根堅州国)と繋がり、天照 大御神(保食神→天照大神)と対立した。尚、「伎」=耕作民や漁民、手業や技芸等、人の技能の語義とされるが、この場合、男系と女系に分ける。また、 「岐」=山を分ける(八坂)事で、頂=頭(帯→負う)と麓(足)と云うニュアンスを持たせる。
足名椎+須佐之男命=天智天皇と太政大臣の大友皇子と云う関係とも考えられる。但し、この場合、足名椎は須佐之男命の実父ではないので、義父天武(大海人皇子)天皇で、大友皇子=須佐之男命、十市皇女=櫛稲田姫と考えられる。
浄足=天武と持統の子で早世した草壁皇子と天智娘の阿閇皇女(元明天皇=日本根子天津御代豊国成姫)との娘、元正(日本根子高瑞浄足姫)天皇と、同母弟の文武(倭根子豊祖父)天皇。
高御産霊神と天照大神=「記」高御産巣日神と天照大御神とし、他も夫々、天稚彦→天若日子、天鹿児弓→天之真迦古弓、天真鹿児矢→天之波波矢、大己貴命→大穴牟遅命と在り、神名や人名に使われる漢字が違う理由を通説的には呉音だからとされる。
  1. 2016/03/25(金) 11:49:11|
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