見まごう邪馬台国

◇日本語「眼(め→まなこ)」と韓国語「鼻(kʰot=コッ)」 *右肩[h]=激音 花[’kot]の左肩[’]=濃音 

  (4)目(め=nun)から稗(ひえ=nui)

 「紀」眼中まなこ)に稗生りとあり、漢和辞典「稗」項、小さい・細かい・卑しい、「解字」禾(穀類)と卑(背が低い・小さい)、「婢=端女」と同系字で、訓音「ひえ」は漢字音[buĕg][buăi][puai]から「プァィ→ピェ(ペ)→ヒエ」、辺(へ)とすれば、保食神の顱上に生る(籾)が左右に別れ、「記」大気都比賣の二つの目にて稲種(母実)に生る。また、左右の耳にて生る。にて小豆(あずき)生る事、伊邪那岐が黄泉国から竺紫日向橘小門へ還り到り、禊ぎの後、左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと建速須佐之男命が生る事で示唆する事は、家父長制の伊邪那岐命と後妻(「紀」菊理媛?)との生みの子=愛子(まなこ)と考えられます。
 目[mıuk][mıuk(mbıuk)][mu]、女[niag][nio(ndio)][niu]が同訓の「メ」、「記紀」生母豊玉姫と乳母玉依姫、二人の女が御母(みま・オン)として御子を産み育てるとしますので、次項とも関連して、何れかの目(め=女)の中、子宮で妊み、一方が母乳(ちち)で育てます。
 「記紀」須佐之男命の子大年神が天知迦流美比売を娶り生む子、羽山戸神が大気都比賣を娶り生む大山咋神(山末之大神) とあり、主=女系牛とした様に二人の女(美/見)の何れかが転生して父系になり、陰陽揃い皇孫(みま)を生すと云う、輪廻転生思想を左目の天照大御神と右 目の月読命の中、一方が「紀」陰に生る大豆(まめ=真女)と麥(尿)・小豆(御子)、一方が「記」伊邪那伎の鼻(はな=コッ)に生る父系統須佐之男命に転 生する事を「記」鼻に生る小豆(あづ・=岐・伎)→阿曇(あず)として示唆します。
 一連の流れを「記」騙した鮫(サメ=左目)に毛を毟られた裸(あかはだか)の稲羽素菟が、大国主神の助言で蒲黄を敷き散らした上を転び本の膚に戻る事、皇孫天津日高日子番能邇邇芸命と天宇受賣命は、一番(はな)の鼻が長い猿田毘古の道案内でクシフルタケに天降ると、前後が入れ代わり、天宇受賣命に先導された猿田毘古命が伊勢の海で溺死、姉系猿女(サルメ→サメ) 君の名を負う事、更には、「記紀」新羅討伐条、神功皇后が海に入り禊ぎすると、髪が自然に解けて二つに別れ、男子の御角髪(みみづら)になる事、火之迦具 土神に陰を焼かれて神退りした伊邪那美を追った伊邪那岐が黄泉から還り、阿波岐原で禊ぎする伊邪那伎に転生する様に、垂仁の皇后沙本毘賣→佐波遅比賣(鯖 →姉)が沙本毘古王として青海(東海)で群れて泳ぐ青魚の「アヂ(鯵)→アジ→アニ」に転生する等、その経緯を「紀」天照大神と保食神(月読尊)、「記」天照大御神と大気津比賣(須佐之男命)の説話とします。
 中大兄皇子(斉明の称制)の産後、舒明皇后は女系皇極天皇として即位、同母弟の孝徳天皇を挟み、斉明天皇(巫女)として重祚、十年の称制を経て、男系天智(天之命開別尊)天皇(兄=覡)として即位して大津宮に遷都、大友皇子を太政大臣(摂政)にすると、皇統は女系と男系に分裂(耳成)、天皇崩御後、壬申の乱で大友皇子(鯵)を倒し、大海人皇子は天智の女系太田皇女と讃良皇女を娶り、天武天皇(牛頭天王)として即位、皇統は左右の耳から顱上に移動して併合する。天武天皇崩御後、再度、男系奈良坂(阿弖流為→兄系蝦夷)と女系清水坂(坂上田村麿)とに別れて平安遷都。東山の清水寺西麓、朱塗(赤)の八坂神社に、天智系光仁天皇(白壁王)の娘で、桓武天皇の嬪(ひん)酒人内親王が八坂姫(馬頭観音系)として祀られます。

稗(ひえ)=イネ科の一年草。中国原産、日本には古くから伝わる。種子はやや三角形の細粒、強健なため、救荒作物として栽培、粒を食用とした。粒・茎葉は飼料として優れるが、今は栽培が少ない。水田等に稲の雑草として混じる。
 「記」大気都比賣の頭に於て蠶(かひこ)生る。二つの目に於て稲種(もみ)生る。二つの耳に於て粟生る。鼻に於て小豆(あずき)生る。陰に於て麥生る。 尻に於て大豆(まめ)生る。一方、「紀」保食神之頂は牛馬に化け為る。顱上に粟生る。眉上に蠒(まゆ)生る。眼中に稗が生る。腹中に稻が生る。陰(ほと) に麥(むぎ)、大小豆(まめ・あずき)が生るとあり、小豆を陰(ほと)とする。*韓国語の尻[ondoŋi]・虎[horaŋi]・猿[won-suŋi]・猫[ko-yaŋi
 白山権現=本社は石川県白山市三宮町、奥社は白山頂上にある元国幣中社。祭神は白山比咩神(菊理媛神)と伊弉諾・伊弉冉尊。全国の白山神社の総本社。加賀国一の宮。*権現=仏が衆生(しゅじょう)を救うために種々の姿をとって権(かり)に現れる事。また、そのの姿。権化(ごんげ)。
  本地垂迹説=他し神の仏が化身し、日本の神として現れる事(熊野三所権現・山王権現等)
  反本地垂迹説=日本の神が化身し、他し神の仏として現れる事(春日大明神・稲荷大明神等)
 比叡山(ひえいざん)延暦寺の称。日吉(ひえ)神社は滋賀県大津市坂本(比叡山東麓)の元官幣大社。東本宮に京都の松尾(まつのお)大社の祭神でもある大年神の子大山咋神(亦名山末之大主神)、西本宮に大己貴神(亦名大国主神)を祀る。古来、山王(さんのう)権現(山王二十一社)と称す。最澄が三室山(みむろやま)の大三輪神大物主神を勧請し、中国の天台山国清寺の山王祠に倣い神号を山王と奉り、比叡山の守護神とした。
尚、太田道灌が近江の日吉神を江戸城に勧請した東京都千代田区永田町の元官幣大社日枝(ひえ)神社、主神は大山咋神、相殿に国常立神・足仲彦尊と伊弉冉神(牛頭天王)を合祀、別れていた青海(伊弉冉神)と淡海(伊邪那岐)の二系が併合する。*大和三山の耳成山
ヒエ=小さい・細かいとすれば、「記紀」大国主神(大己貴命)と共に国造りした小さな「スクナヒコナ」は粟幹(あはがら)に弾かれて常世国へ行った在る。また、「紀」高天原から神遣いされる素戔嗚尊には「甚だ無道(あずきなし)=小豆為し」とある。
耳(gwi)=左右二つの目(め)で見る→左右二つの耳(みみ)で聞く字音[niəg][nieirıei)][ri]が、ネィネィ→ニニ→ミミで、任那(ムナ→マナ)と同系の転音で、字音「ジ」も[rıei](ゥレィ→ゼィ→ジ)、日[niet][niět(riět)][rıəi](ゥリツ→ジツ)と同系の転音になる。尚、「紀」伊奘諾尊が黄泉国から還る時、何事かを耳打ちしたと云う菊理媛(後妻?)は、目が利く、鼻で香りを利き、口が利き、耳で声を聞くに関連すると考えられる。
 牛[ŋıog][ŋıəu][niəu]の上古音や中古音は鼻濁音「ヌギォゥ→ギォ/ヌギェウ→ギョゥ」、近世音「ニェウ→ネゥ→ニゥ」となり、 女[niag][nio(ndio)][niu]の中古音「ニォゥ(ヌジォゥ)」、近世音「ニゥ」と略同音になる事も、雌のトーテムとする理由になる。* 乳[niug][niuriu)][riu]=「ニゥ(ジゥ)→汁(ジゥ)」
生みの子=禊ぎ前に生む子は後妻(乳母)にとって継子(ままこ)。父(ちち)系須佐之男命 系統大山津見神の娘、神大市比売を娶り生む子大年神。宇迦之御魂神。大年神が神活須毘(かむいくすび)神の娘伊怒(いぬ)比売を娶り生む子大国御魂神・韓 神・曾富理(そほり)神・白日神・聖神。また、香用比売を娶り生む子、大香山戸臣神・御年神。天知迦流美豆比売を娶り生む子、奥津日子神と奥津(大戸)比 売命(竈神)・大山咋神(山末之大主神)は近江の日枝山と葛野(かどの)の松尾に鎮座、鳴鏑を持つ神。庭津日神・阿須波神・波比岐神・香山戸臣神・羽山戸神・庭高津日神・大土(土之御祖)神。大年神の子は十六神。その羽山戸神食神大気都比賣を娶り生む子、若山咋神(麓のタノカンサー)・若年神(春)・妹若沙那売神(五月女)・弥麻岐神・高津日(夏之売)神・毘売神・久久年神(冬)・久久紀若室葛根神、併せて八神、何れも夏から稔りの秋に移る事、豊穣神や食神に関連し、男系小(赤色)や、女系大豆(・生成り)が、赤裸の菟(うさぎ)が蒲黄の上を転び、本の肌色に戻った事にも繋がる。*子[tsiəg][tsiəi][tsï](ッシ→チ/ジ)=自[zi]=鼻
メ=「目」の漢字音「ミゥッ(ム)」と、枝(えだ)・益(えき)・選(え)る・鰓(え ら)・駅(えき)等、本線から外れる、先行する等、外方向へのベクトルを持つ母音の「エ」を付けた「ムェ→メ」は左目と右目、これに完全・全体、前向き 等、正方向へのベクトルを持つ母音の「ア」を付けた「メァ→マ」は左右二つの目を合わせ、目交(まなか)い、眩(まぶ=目伏)しい、睚(まなじり)、目の 当たり等。尚、母音「イ」=内方向へのベクトル、母音「オ」=動きがない(存在)。また、「漢和大辞典」眼[ŋən][ŋʌn][ian](ヌゲァヌ→ ゲン・ヌガヌ→ガン)の訓「め」「あな」とあり、「マナコ」=真中(黒目)か。尚、美[mıuər][mıui(mbıui)][muəi](mĕi)= ミゥェル→ムェッ→メッ/ミゥィ→ムィ→ミ(ムビ)、子=元(陰陽「メッ=美」と「キ=岐」)から別れ出て生じたもの。
二人の女(め)=母[muəg][məu(mbəu)][məu]が「ムァッ→マ・ マゥ(バゥ)」は、又(また)、上下・左右の間、陰陽二つの真、上下の瞼(まぶた)等の「マ」と同源で、「生母(あめ→あま→あば)が産み、乳母(うま →うば)=姨(おば)が養育する=乳(まんま)を与える=飯事(ままごと)。「アバ」=北陸地方で、未婚の女、妹。中国・四国地方では伯叔母(おば)、東 北北部で母、主婦(あっぱ)。現在、生み育てる事が母の役目とされるが、「マ→モ(バ→ボ)」と転音、「その上に」と云う語義で使われる助詞「~も」と同 源になります。英語「mama」や伊語「mamma」も養母+生母と云うニュアンス。
本の膚=生なり(蒲黄色)で、宗像大社や出雲大社等の白木造り、裸(あかはだか)は朱 塗りの建物で、宇佐八幡宮と出雲大社、或いは、朱塗りの春日大社と白木造りの伊勢神宮で、述べてきた事とも関連し、本地垂迹説と反本地垂迹説と云う関係が 考えられる。尚、天照皇祖神を併祭した熱田大社や鹿島大社は神宮と称す。
皇孫番能邇邇芸(ニニゲィ→みみぎ)命=笠沙岬で大山津見神の娘木花佐久夜毘賣(神 阿多都比賣)を娶り、筑紫の隼人祖火照命、火須勢理命、火遠理(亦名天津日高日子穂穂手見)命を生むが、姉の石長比賣は醜いので返したと在る。火照(穂手 理)命は、先述した馬頭観音菩薩として大分県・熊本県・宮崎県の高千穂のクシフルタケ=九重(クシフ)の山に天降り、火須勢理命に但し書きはないが、前後 が入れ替わり、牛頭天王として伊勢海から熊本県・鹿児島県・宮崎県の高千穂峰霧島に天降り、須世理毘賣+大国主神(牛頭天王)として転生。この二系を併せ た人格が火遠理(火折)命=天津日高日子穂穂手見命と考えられる。尚、山口県山陽小野田市高千帆と云う地名が在る。尚、番(つがい)=陰陽揃い天津(あつ)。
鯵(あぢ)=鯖(サバ→スアマ→サマ)・秋刀魚(さんま)・鰯(いわし→よわし)等の 群れて泳ぐ青魚や紫陽花(あぢさゐ)も小さな萼片が半球状に集まり咲き、赤色や青色に変化する。邪馬壹国時代は傍国「斯馬(スィマ→セマ→サバ)国」です が、後代、姉→兄(天智→大友皇子)と姉+妹→弟(天武)と云う関係で分裂、東海(遠江)は、現・中部以東になります。兄の生みの子大友皇子は、後の坂東 武者と考えられます。*「キ」=岐・伎
斉明の称制=中大兄皇子が巫女(斉明天皇)の言葉を受けて伝える制度、後代の摂政(太政大臣)と考える。その後、天之(あめの)=姉系を別けて開き天智天皇として即位する。
女系と男系=万葉集に、そうした経緯を詠った額田姫王の「茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖振」→武良前野(紫野=天武の後宮)に逝く(行かず)、標野(天智の祭祀を司る)へ行く。君の袖振るのを野守(天智)は見ないかしら。天皇は大海人皇子(天武)の娘で大友皇子妃の十市皇女を産んだ額田姫王を後宮に召すが、子を儲けないので巫女と考える。姉系太田皇女(耳梨山)と妹系讃良皇女(持統→弟系文武=雲根火山)、兄系大友皇子(高山=かぐやま)。他にも以下の歌がある。*草壁皇子と天智の娘阿閇皇女(元明)の子(元正天皇)の子「文武天皇」、
  高山波雲根火雄男志等耳成與相諍伎 神代從如此爾有良之古昔母然 爾有許曾虚蝉毛嬬乎相挌良思吉
  高山與耳梨山與相之時 立見爾來之伊奈美國波良
顱上=女系讃良皇女を皇后として併合、大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位する。後代の南北朝に係わり、以下の如く比定される。
  平城京(右目=妹+左耳=兄)→南朝(馬頭観音)=大和(百済系)と飛鳥(熊襲=蝦夷)
  平安京(左目=姉+右耳=弟)→北朝(牛頭天王)=山城(新羅系)と山背(熊曽=隼人)
白壁(しらかべ)王=女房詞で、白壁は、大豆(まめ=真女)から作られた豆腐とある。例えば、「あに(さ に)」と訓じられる豈は、山=大きい+高坏=豆、詰まり、大豆(おおきなたかつき)に食神のため多くの供物(丰=ほう)を捧げる事=豐(とよ)で、姉系卑 彌呼宗女臺與(とよ)+男弟伊都国王、兄系蝦夷=狗奴国王卑彌弓呼+妹系宗女壹與(いよ)と云う関係で、表に女性が立つか、男性が立つのかの違いになる。
馬頭観音系=長野県諏訪市の諏訪大社の祭神建御名方富神+八坂刀賣神になる。おそらく、山の女神山末大神(大山咋神)が麓の田畑に下ると、早乙女に拠る春祭り(田植祭)を行い、タノカンサー(稲の生育を見守る養父)に作物の生育を祈る。秋、大山咋神が山の女神として還ると、秋男が、秋祭りとして豊穣への感謝と翌年の豊穣も祈る(仰山)。



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  1. 2016/04/05(火) 08:45:37|
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◇近江と青海

  (5)腹(はら=pai)から稲(いね=pyo)

 「紀」腹中に稲生る。とあります。前項、眼(め)中の稗[buĕg][buăi][puai(pai)]と、近似音の韓国語「腹(pai)」から「プァィェ→ファィェ→ハィェ→ヒェ→へ」とすれば、尻(けつ→しり)に生る大豆=糞や屁(へ)なるのでしょうが、次項とも関連し、「記」二つ目に稲種(籾→粟=穀付き)生ると、同訓の「目(め)=女」から、天照大神が蠒(まゆ)を口に含み糸を手繰ると蚕蛾を育む繭(子宮)が失われて、保食神が転生した羽山戸神の妻大気都比賣の孕み子(蛾)が稲子()として陰(ほと)に生るか、腹中で胎児が臍(へ)の緒で繋がります。詰まり、稲(いね・いな)と命(いな・ち→いの・ち)は同源でしょう。
 「紀」顱上に粟生るを、「記」二つの耳に粟生るとし、「記」仲哀天皇(足仲彦)と離縁した神功皇后(息長比賣)の御子応神天皇の五世孫、継体天皇が尾張連等祖凡連の、目子(のこ)郎女を娶り、生む御子広国押建金日命(安閑)、建小広国押楯命(宣化)と、意祁(仁賢)天皇の御子手白髪命を娶り、生む御子天国(あめくに)押波流岐広庭命(欽明)の二統と、「三尾君等祖」若比売を娶り、生む大郎、出雲郎女と、「三尾君加多夫の倭比売を娶り、生む大郎、丸高王、王、赤比賣郎女(他)として分裂する。
 同様に中大兄皇子と中臣鎌子は父系蘇我稲目の子馬子(うまこ→のこ)を滅ぼし、その母系を併合後、大津宮の天智天皇(姉系斉明→兄系大友皇子)と藤原京(藤原鎌足)の妹系持統天皇(飛鳥浄御原宮の弟系天武)の二統が並立します。
 それが故、天之命開別尊(天智)天皇も古人大兄皇子の御子倭姫王を皇后とし、阿倍倉梯麻呂大臣の女橘(いらつめ)を娶り、飛鳥皇女と新田部皇女(天武妃)、栗隈首徳萬の女黒媛を娶り、水主皇女を生む(他)等、よく似た姻戚関係がみえます。
 「五行説」東で生まれた嬰児(日子)は、東南(四緑木星)で身体を司る魄が具わり、赤子として健やかに育つはずが、東「三碧木星」の碧(青緑)で阻まれて東海地方の遠江(とをつうみ)=青海尾張(終)へ向かいます。
 滋賀県近江八幡市緑町・同県東浅井郡虎姫町中野町(姉川)・同県愛知(えち)郡愛知川町の東側、不破関を挟み岐阜県郡上郡大和町・同郡八幡町以東は東海に群れ泳ぐ青魚の鯵(アチ→アジ→アニ)、群青の領域で、愛知(あいち→あち→あじ)県に分けられます。
 伊邪那大神の青海原を治めよと云われた須佐之男命は、妣の根堅州国へ行きたいと駄々をこねて伊邪那大御神に神遣いされる。天照大御神に暇乞いをと参上った高天原で、誓約(うけひ)に勝ったと乱暴狼藉に及び、再度、神遣いされ、之河上に到り、ヤマタヲロチを退治、櫛名田比賣と神大市比賣を娶り転生します。
 また、「記」神功皇后が海に入り禊ぎすると髪が自ずと解け、男子の御角髪(みみづら=耳鬘)になり、神功に応えた応神天皇が丸邇比布礼能意富美の娘宮主矢河枝比売を娶り生む宇遅能和紀(ウヂノワキ)郎子・妹八田若郎女・女鳥王。矢河枝比売の妹袁那弁(をなべ)郎女を娶り生む宇遅之若(ウジノワカ)郎女とあり、皇統は宇遅和気郎子(左耳=姉→兄)と宇遅若郎女(右耳=妹→弟)の東西に分裂、継体即位で二統の並立を経て、「紀」顱上に粟生り=併合します。
 京都府亀岡市の出雲大神宮、同府福知山市の元伊勢宮(内宮天照大御神と外宮豊受大神)、伊勢(いし→いせ)神宮境内を流れる五十鈴川の別名御裳濯(みもすそ)川に宇治(うじ)橋が架かり、内宮と外宮を併合。その後、尾張一の宮熱田大社(草薙剣=素戔嗚尊)は天照皇祖神(八咫鏡)を併祭して熱田神宮と称し、東西が併合されます。

稗=中国原産、イネ科の一年草。種子は、やや三角形の細粒。強健なため、古来、救荒作 物として栽培、粒を食用とした。粒・茎葉は飼料として優れる。 腹[pıuk][pıuk][fu]、稲[dog][dau][tau]、豆[dug] [dəu][təu]、糞[pıuən][pıuən][fən]、白[băk][bʌk][pai(po)]、魄[p`ăk][p`ʌk][p`o]

粟(あは)[siuk][siok][siu]=東アジア原産、イネ科の一年草。五穀 の一。日本では畑作での食用作物だった。実は小粒で黄色。米と混ぜて炊き、飴・酒の原料、小鳥の飼料。糯粟は餅とする。粟(しょく→そく→ぞく)=穀物の 事、扶持米、粟粒、容積の単位=勺の1万分の1。穀物(穀類)=主食となる米・大麦・小麦・燕麦・粟・稗・黍・玉蜀黍(とうもろこし)・豆類。

継体天皇=第26代、第15代応神天皇の御子若野毛二俣王の子の意富富杼王(妹は第19代允恭天皇の大后の曾孫)。先の意富富杼王の子孫の記述から、この一族は近江国(滋賀県)や越前国(福井県)周辺が地盤とされる。
 「紀」足仲彦(仲哀)天皇の五世孫倭彦王は、現京都府北桑田郡(亀岡市)の丹波国桑田郡に坐すとあり、京都府北桑田郡美山町を源流とする由良川は西流して同府福知山市付近から北上、福井県舞鶴市神崎で日本海に注ぐ。淘=(「由良」とも書く)砂を淘り上げて出来た平地。ゆり。
 「記」丸高王→「紀」三国公祖椀子(まるこ)皇子とし、「記」は、この三国=近淡海とする。福井県坂井郡三国町三国は九頭竜川と、その支流兵庫川の中州、大阪府大阪市淀川区三国 は淀川と神崎川の中州、同府堺市堺区三国ヶ丘は大和川と石津川の中州(扇状地)に在る。

他=息長の娘麻組郎女を娶り生む子、佐佐宜郎女(伊勢神宮に拜く)一柱。坂田大俣王の娘黒比売を娶り生む子、神前郎女、田郎女、白坂活日子郎女、野郎女(長目比売)、四柱。阿倍之波延(はえ)比売を娶り生む御子若屋郎女、都夫良(つぶら)郎女、阿豆(アヅ)王、三柱。「紀」多少の違いはあるが本筋は「記」に順ず。ただ、「赤比賣郎女」「白坂活日子郎女」等、性別を表す尊称自体が名前にされる事や、大郎子と大郎女と性別が変わる事、更には、意祁天皇祖父「記」白髪大倭根子命(清寧天皇)が、「紀」白髪武広国押稚日本根子尊とされる事にも意味があり、欽明天皇(皇后姫=宣化の御子)の三皇子と一皇女が即位する事は、「私説」姉・兄・妹・弟と云う四つの皇統に関連すると考える。
ササゲ(荳角・大角)豆=マメ科の一年生作物。ヤッ コササゲ(ハタササゲ)・ササゲ・ジュウロクササゲの3亜種がある。アフリカ中部原産。9世紀頃に伝わる。夏、淡紫色の蝶形花をつけ、秋、莢(さや)を結 ぶ。暑さに強い。莢・種子を食用とする。ササギ。継体紀「荳角、此をば娑佐礙といふ」
 また、から「聞→菊」、山口県豊浦郡豊田町と同郡菊川町(龍王神社)境、華山中腹西側に仲哀天皇殯葬所跡があり、周防灘を挟み対岸、福岡県北九州市小倉の旧地名の企救(きく)、北の洞海(くきのうみ=漏海)対岸の同市若松区は白山神社(菊理媛)が三所に鎮座します。

赤子=「白」上部の点(チュ)は、精神の動きを司る魂(日=白)と身体の動きを司る魄 (月=白)になる。白々とした曙光、その太陽が南中して明るくなる事を「赤」とし、両足の二点で足が立つ事を示唆、「人」の両肩の二点を付し、すくすくと 育ち、成人する事を「火」の文字で表す。*昌(さかん)。

三碧木星=伊邪那岐命は「愛しい我が妹の命を一つ(け→こ)に替えてしまうとは」と言い、枕元に腹這い、元に腹這い泣いた。その時、涙(那美足)から成り出でた神は香山の畝尾本に鎮座する名は泣沢女神(伊邪那美の魄)。その亡くなられた伊邪那美を出雲国と伯伎(ははき)国の境にある比婆之山に葬り、帯びていた十拳剣を抜いて、その子迦具土神の首を斬った<中略>。その剣の名は、天之尾羽張(あめのをははり→あめのをうはり)、亦名伊都之尾羽張(いつのをわり)とある。

近江八幡市緑町=白山神社、同市江頭町には日吉神社、同市田中江町には日枝神社、同市赤尾町の白髪(しらが)神社遺跡(白髭神社遺跡?)。尚、埼玉県大里郡妻沼町大字妻沼字女体1038 の白髪(しらひげ)神社祭神、白髮大倭根子命 配祀 天鈿女命、猿田彦命、倉稻魂命 合祀 須佐男之命。また、姫路市別所町佐土字北出口499の白髭(し らひげ)神社祭神、猿田彦大神。本来、猿田彦神社で、その後、当地大村山麓に遷座したと云う。僧円珍が唐からの帰国の際、その船縁に現れ、仏法守護を云わ れた新羅明神を白髭神と誤り伝えたと云われる。更には、近江国(大津市)の園城寺に新羅善神堂が鎮座、園城寺開祖智証大師円珍が唐から帰朝時、船中に顕れ た新羅国神を祀った。これが新羅明神で、素盞嗚尊とも五十猛神とも云われる。また、民間伝説では、神功皇后の半島征伐途中、的形の沖に差し掛かった時に波 が荒れ、思案の最中に波間から一人の老人が現れ、「このまま行けば必ず遭難する。海が穏やかになってから出発せよ。」とのお告げがあったと云う。その老人 を祀ったのが、白髭神社(猿田彦)と云う。

中野町=滋賀県東浅井郡虎姫町中野の矢合(やわい)神社(葦那陀迦神)は、高時川、田 川と姉川が合流する中州にある。延喜式神名帳に近江国浅井郡十四座の一、この一帯の山を八相(やわい)山と云い、古くは八相社(八相大明神)。往古より、 弓矢の神事ありて村民盛んに射的を神前で行ひ、多くの矢が行き合うことから矢合の文字を以て社名とする。葦那陀迦神は葦の生じ易い水辺を司どり給ふ神。こ の地、古くより、氾濫を繰り返したので、この神を祭る。世に云う、世々開(せせらぎ)長者は水の湧き出ずる状を表す語で、村民篤く敬仰す。境内に現存する 鐘楼は戦火をまぬがれし道成寺のものを移築したものなり。*矢合(やあい)神社「猿田彦神、應神天皇」滋賀県伊香郡西浅井町岩熊(やのくま)

不破関=岐阜県不破郡関ヶ原町松尾付近にあった古 代の関所。吉野に隠遁していた大海人皇子(天武)派が壬申乱に於て結集した所とされる。その経路には、桜峠・佐倉峠等の地名が見える。また、「八幡」とは 夫婦を分ける事(離縁)で、それが故、神功皇后の夫仲哀天皇は宇佐八幡宮ではなく、関門海峡を挟んだ対岸(下関市)の住吉神社に祀られる。

ヤマタノヲロチ退治=建速須佐之男命が出雲国でヲロチを退治、草薙剣を天照大御神に献上すると、再度、高天原での誓約の場面に移り、転移します。尚、ヲロチを三つに斬るともあり、その一つが剣神の御雷神に敗れた御 名方神が逃げ込む科野で、剣国が女系天之尾羽張と、陰陽(3+2=5)揃った伊都之(いつの)尾羽張とに分裂します。豊葦原瑞穂国と葦原中国、黄泉国(出 雲国と妣の根堅州国)に三分されたと考えられます。長野県の諏訪大社祭神建御名方神(妃八坂刀売)後裔が、平安期、諏訪地方から長良川や木曽川を流れ下 り、河川や陸地の終る尾張地方で、後代、坂東武者と呼ばれた人々として返り咲きます。

東西=福井県吉田郡永平寺町に「永寺」、その南側の滋賀県神崎郡永源寺町(現・東近江市)には「永寺」が在り、平安後期だろうか、この付近を最前線として西側の平家(+宗像氏か、松浦氏)と東側の源氏(+北条氏)が向き合い対立していたと思われます。

草薙剣=ヲロチのを斬った時、自身の剣刃が毀れたので、裂き割ると出た尾張一宮熱田神宮の草薙(十握)剣(建速須佐之男命の「建」)で、とも関連して伊邪那岐が一つ木の火之迦具土神を斬った剣名「天之尾羽張(亦名・伊都之尾羽張)」を、羽[ɦıuag][ɦıuo][ɦıu](iu→ü)の漢字音はヤ行「ユ」の近似音だが、日本語の「ウ」+「ハリ(hari→ari)」で「ワリ(uari)」として訓じると、「あめの(いつの)をぅはり→あめのをわり」になる。
 尚、伊勢平氏流平忠盛の娘婿、清盛の娘徳子が産んだ安徳天皇を祀る山口県下関市の赤間神宮にも御裳(みもすそ)川、愛知県一宮市に天照大神を祀る御裳神社がある。
 伊勢神宮の天照皇祖神御神体、八咫(やあた)鏡=八(捌→別)+阿手(あた)+鏡となり、「紀」左手に白銅(ますみ)鏡を持つと大日孁尊、右手に白銅鏡 を持つと月弓尊、また、御首(みぐし)を廻らせて顧眄之間に素戔嗚尊とあり、左手の大日孁尊を別けて、「紀」天照大神と「記」天照大御神、或いは、両手を 左手「天照大神」と右手「月弓尊」にされたと考える。*咫=拳の幅、或いは、掌の長さ
  1. 2016/04/15(金) 00:30:28|
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◇入口と出口  1

(6)陰(ほと=poti)から麦(pori)と小豆(あずき=pat)

「紀」陰(ほと)に麥(むぎ)及び大小豆(まめ・あずき)生るとあり、韓国語の対応では、麦(pori/maek)と小豆(pat)の二つだけ、大豆(koŋ)での対応を無視しますから、これも我田引水の類として良いでしょう。
「記」須佐之男命に殺された大気都(けつ)比賣の鼻にて小豆(あず)生り、陰(ほと)にて麦生り、尻(けつ)にて大豆(まめ=糞)生り、陰(ほと)に生る麦(バク→マク)=播くとすれば、尿(ゆまり)と精(胤)を播く性器=精播(ちんぽ)として良く、「記」大気津比賣は男性保食神に転生した考えられます。一方、「紀」月夜見尊に殺された保食神の亡骸の陰(ほと)には三種の穀類がなりますので、女性の大気都比賣に転生したのかも知れません。
「紀」神之頂に為りある牛馬と関連し、須佐之男命に殺された大気都比賣の鼻に生る小豆(住吉筒之男三神=あず・)の「キ」と伊邪那岐(伊邪那伎)の「キ」は同義で、これが「鼻」の大きさが男性器の大きさに通ずると云う俗信の由縁としょう。
「紀」保食神の陰(ほと)には三種の穀類が生りますから、「記」伊邪那伎神が鼻を洗って生る須佐之男命と神大市比賣との子、大神が知迦流美比売を娶り生む子の羽山戸神が母系大気都比賣を娶り生む子が巫女大宜津比賣へと、以下の如くに輪廻転生したと考えられます。

速須佐之男命 → 大年神(麦=尿と精子) → 父系羽山戸神 → 巫女大宜津比賣(馬頭観音)

食神大気津(尻)比賣(大豆=屎)→ 保食神 → 母系大気都(女陰)比賣(麦=嬰児)

黄泉国から還って阿波岐(あは)原で禊ぎした伊邪那大神が川の中程で、左の御目を洗った時、天照大御神が生り、右の御目を洗った時、月読命が生り、御鼻を洗った時、建速須佐之男命が生り。その左右の目(メ=見)から生った女性(美)の天照大御神(日光の化身→鏡)には、高天原を治めよ。月読(夜見)命(太陰→月光)には夜之食国を治めよ。鼻から生まれた兄系建速須佐之男(スサノ)命には海原(安曇=あずみ)を治めよ云われるが、須佐之男命は嫌がり、神遣いされる。最後に伊邪那大神は淡海(あふみ→あは)の多賀に坐すとしますので、先述した青海(あふみ→あをみ)と併せ、「紀」顱上(中央)に生る粟(籾)が、「記」左右の耳に移動、皇統が二統(三系)に分裂した事を示唆します。
また、顱上の粟から、眉上で繭を被り、孵化(転生)する蚕蛾の如く、「紀」眼中(「記」二つの目に稲種)に生る小さな稗は、年下の牛頭天王(=素戔嗚尊)に転生します。こうした二系統を構成する男女四系への変遷を、「記」左右の目になる稲種、左右の耳に生る粟として示唆します。
漢和大字典に拠ると、「委(早乙女が舞う姿=タノカンサーと交わる)、「(男が舞う姿=山神と交わる)」とありますので、天皇の新嘗祭や大嘗祭が神と同衾し、豊穣や子孫繁栄を祈願する事と同様の意味があります。
また、「繭」と・剣の三つは現代音[jian]で、中古音も近似音だからでしょうか、 蚕蛾(おしら様)との関連を示唆するのか、「紀」口の裏に蠒を含み糸を引く天照大神と、首を廻らして国に向き口から飯出す、海に向き口から鰭広と鰭狭を出 す、山に向き口から毛の麁(あらし)と柔(にこし)を出す保食(うけもち)神とは違い「記」大気都比賣は鼻口(鼻水)、尻(屎)より種々の味物(ためつも の)を取り出して云々とし、食べる「口」自体からは何も出さないので、大気津比賣は口を噤んだ蚕蛾(おしら様)で、唖=忍(しのぶ→おし)と考えられます。

精(胤)を播く=精[tsieŋ][tsiɛŋ][tsiəŋ(jing)]・播 [puar][pua][puo]、伎[gieg][gis][ki](ji)  岐[gieg][giĕ][k`i](qí)、子[tsiəg][tsiəi][tsï](zi)、鼻の本字=自[dzied][dzii][tsï] (zi)、鼻[bied][bii][pi](bi)=ビィ、美[mıuər][mıui(mbıui)][muəi](mĕi)=ムィ(ムビ)とあ る。

糞=そこで日子国夫玖(ヒコクニブク)命が「そちら側の人から、まず忌矢(いはひや))を放ちたまえ」と求めので、その建波爾安(タ ケハニヤス)王が射たけれど命中せず、国夫玖命が放った矢によって、建波邇安王は射られて死んだ。そのため、その軍勢は、悉く敗れて逃げていった。そこで その逃げる軍勢を追い詰めて久須婆之度に着いた時、皆、追い込まれて糞をもらして褌にかかった。そこでその地を名付けて屎褌と言う。今は久須婆と言う。
伊邪那岐と伊邪那美が、次に生んだ神の名は鳥之石楠船神亦名を天鳥船神、次に大宜都比売神、次に火之夜芸男神亦名火之炫毘古(ヒノカガビコ)神、亦名火之迦具土神。この子を生んだことで、陰部を焼かれて病に臥せってしまった。この時、多具理邇に生る神名は金山毘古神、金山毘売神。次に糞から成り出でた神名は波邇夜須毘古神波邇夜須毘売神。次に尿(ゆまり)から成り出でた神名は弥都波能賣神、和久産巣日神、この神の子は豊宇気毘売神(伊勢の外宮)。そして伊邪那美神は火之神を生んだことで、遂に亡くなられた。こうした神話と同様、輪廻転生を示唆する。

あず・き=「アズ・伎」=底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は墨江の三柱 の大神である。「アズ・見」阿曇(安曇)連等(乳母玉依姫)が斎き祀る底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神と考えられる。尚、アズキ→ア・ヅキを阿 月→東月とすれば、明方に見える月、詰まり、生まれたての太陽=日子(嬰児)で、アズミ→アツミは東海で群がり、泳ぐ青魚の鯵(あち)に変化する。*集 (あつ)む→紫陽花(あぢさい)
東大寺の仏殿を背に南大門を見ると、左に阿形、右に吽形の金剛力士像が立つ事と関係して、本来、万国共通で、左(日垂り→ left)=西ですが、日本では天皇が北極星の化身とされ、東西が併合されると反転し、左(スア→ア)=東、右(ウ)=西にされる。東海→阿津海(あづ ま)。*海[məg][hai][hai]

大宜津比賣=羽山戸神が大気都比賣を娶り生む子は以下の如くある。
若山咋神=大山咋神(山末之大主神)と同様、秋から春にかけて山へ還る水神
若年神=大年神と同様、年穀を司る
若沙那売神(さなめ→さのめ)神=早乙女(さおとめ)の化身
弥豆麻岐神=山麓に下った水神=川神?
夏高津日(夏之賣)神=夏の高い日差しの化身 → 日光の化身天照大御神の文身
秋毘売=収穫を終えると、来年の春先迄、山へ帰る豊穣神で、若山咋神(山末の大主神)の化身
久久年神=営々と続く年次を司る重陽の神、菊の節句
久久紀若室葛根神=新嘗祭のため葛蔓草で作った綱で木材をでい仮設した家屋?

伊邪那大 神=伊邪那伎大神、なんと恐ろしい穢れた国を訪れてしまったのだ。竺紫日向橘小門阿波岐原を訪れて禊祓をしようと、投げ捨てた杖から成り出でた神名は衝立 船戸神。帯から成り出でた神名は道之長乳歯神。嚢(ふくろ)から成り出でた神名は時量師(トキハカシ)神。衣から成り出でた神名は和豆良比能宇斯能神。袴 から成り出でた神名は道俣神。冠から成り出でた神名は飽咋之宇斯能神。左手の腕輪から生まれた神名は奥疎神。奥津那芸佐毘古神。奥津甲斐弁羅神。右手の腕 輪から生まれた神名は辺疎神。辺津那芸佐毘古神。辺津甲斐弁羅神。以上の船戸神より辺津甲斐弁羅神迄の十二神は身に着けていた物を脱ぐ事で生まれた神。上 の瀬流れが速い。下の瀬は流れが弱いと云い、初めて中の瀬に沈み潜った。そして濯いだ時に成り出た神名は八十禍津日神。大禍津日神。この二神は、穢れた国 を訪れた時の汚れによって成り出た神。禍を直して成り出でた神名は神直毘神。大直毘神。次に伊豆能売。併せて三神。水底で濯いだ時に成り出た神名は底津綿 津見神。底筒之男命。中程で濯いだ時に成り出た神の名は中津綿津見神。中筒之男命。水上で濯いだ時に成り出た神名は上津綿津見神。上筒之男命。この三柱の 綿津見神は阿曇連等が祖神として祭祀している神。そして阿曇連等、その綿津見神の子宇都志日金拆命の子孫。その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱 の神は墨江の三柱の大神。また、伊邪那伎命が左目を洗った時に成り出た神名は天照大御神。右目を洗った時に成り出た神名は月読命。鼻を洗った時に成り出た神名は建速須佐之男命。以上、八十禍津日神より速須佐之男命迄の十四柱の神は、体を濯ぐ事によって成り出た神。尚、「記」伊邪那岐命伊邪那伎大神伊邪那伎命伊邪那岐大御神伊邪那岐大神と変化する。

高天原=「タカマノハラ/タカマガハラ」とされるが、左目(スアメ)になる天照大御神、右目(ウメ)になる月読命、鼻に生る建速須佐之男命や大気都比賣の鼻に生る小豆とも関連し、高山(かぐやま=香具山)を、鼻で嗅ぐと すれば、カグアメノハラ→カガメノハラ)。天照大御神(日光の化身=鏡)に高天原を治めよ(「紀」天照大神は以て高天原を治すべし)、月読命には夜之食国 を治めよ(「紀」月読尊は以て滄海原の潮の八百重を治すべし)、須佐之男命に青海原を治めよ(「紀」素戔嗚尊は以て天の下を治すべし)とするので、「カグ アフミハラ→カガウミハラ→カガミハラ」ともなる。もしかしたら木曽川流域の洪積台地に位置する岐阜県各務原(かがみはら)市松本町(白髭神社祭神猿田 彦)・那珂手力(手力雄神社)等、天之石戸開と関係があるのかも知れない。

多賀=滋賀県犬上郡多賀町多賀にある多賀(たが)神社は元官幣大社。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。長寿の神として、古来、上下の尊崇を受け、今は多賀大社と称。多賀大明神。多賀祭=毎年4月22日に行われる古式の神事。犬上郡の富豪・名望家を選んで祭の頭人(とうにん)を定め、黒袍(こくほう)を着け、騎乗して神幸に供奉、国衙(こくが)の使を模した御使殿(おつかいでん)にも供奉する。

男女四系=姉(斉明天皇→太田皇女→元明天皇)、兄(天智天皇→大友皇子)、妹(持統天皇→元正天皇)、弟(天武天皇→文武天皇)とした。尚、欠史八代とされる天皇を、その祖父母の系統、神武天皇と崇神天皇を現天皇家の父母系統とした。

唖=忍(しのぶ→おし)=「紀」中大兄皇子(天智)の御子皇子は唖 (おし)とし、「記紀」仁天皇の子本牟智和気(誉津別)王も言葉(もの)を言わない(口が利けない)とした後、御子と出雲との繋がりを示唆、「記」は御子 の唖が治ったとし、「オシ」の文字を「忍」「押」として使い分けます。垂仁天皇=伊久米伊理毘古伊佐知命、その後、和風諡号「紀」大足彦忍代別尊の景行天 皇が継ぎます。*忍代→唖(オシ)呂→足(下半身)、「記」大帯日子淤斯呂和気=牛の別→頂の牛(上半身)と考える。





  1. 2016/04/22(金) 09:08:15|
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