見まごう邪馬台国

◇団栗(どんぐり)

 「どんぐり」の語源には諸説在りますが、この実を独楽にして遊んだため、独楽(こま)の古名「ツムグリ→ヅングリ→ドングリ」と云う転音で、「ツム」=回転すると云う意味があって旋毛(つむじ)・旋風(つむじかぜ)等に使われるとあります。
 私見では、頭頂をとんとんと叩きながら、お頭天々(オツムテンテン)と云いますから、ツム=終・詰・ジ(リ)=頂[ding](ヂゥ→チョウ)で、頭頂 の毛が渦巻く事から旋毛(つむ・じ)とされ、渦巻きの終始点ともなり、蝸牛(カタツムジ→カタツムリ)=片終り等に使われます。
 更に、藁や綿毛を捩って糸を紡(つむ)ぐ事、目を瞑(つむる→つぶる)ともなります。また、ツム→ツブ(粒)に転音して、潰(つぶ)す→小さくする事にも使われ、飛礫(つぶて)=投げる小石の事、語尾の「テ」は道具や武器の意味になります。
 また、太くて短身のコロコロとした形状の「ズングリ・ムックリ」は、ズム→ツム→トム(トン)と転音、富(とむ)=膨よかな事にも使われました。尚、ク リ=石の古語としますが、「クル→クリ」はクルクル回る等に使われますので、繰り返しや回転する事を意味する語で、それが丸い固まりとなり、繰り石(栗 石)=栗に似た丸い形状の石となります。*もっこり=丸みを帯びて盛り上がっている様。
 韓国語「トングルダ」、モンゴル語「トグリク」、日本語「トグロ(蜷局)」等、「トン/グル/ダ」「ト/グリ/ク」「ト/グロ」と云う構成とすれば、ア ジア圏で丸い事を意味する言葉は同源で、日本語「トグロ」は、タグル→トグリ→トグロと転音、綱等を手繰る時、円を描く手つきや、その綱が丸く積み重なっ た状態を意味で、蛇が蜷局を巻くと使われます。詰まり、グル(グリ)=回転する→丸い事にして良いでしょう。
 表題の団栗は当て字とされますが、「漢和大辞典」団[duan][duan][t'uan]=円い・丸いと、「クリ→コリ(凝)→堅い固まり=丸くて堅 い物とすれば、形状や性質を巧に表します。本来の音は、韓国語「トングルダ」に近いトンコリ(ドンコリ)で、凝(こり)と云う音に「栗」の字が充てられ て、ダンコリ→ダンクリ→ドングリに転音しました。
 尚、栗(くり)の語源解説には、表皮の色が玄(くろ)い事から「クロ」の転音、玄実(くろみ)の縮約とする説がありますが、木の実は殆ど同色相を持ち、 色が特徴的な事と云えません。また、落ちた実が石(くり)に似ているともありますが、「クリ」=石ではないとしました。更に、語源が分からないと出てくる 朝鮮語では、栗=「kul(クル→クゥ)」とあります。
 「栗」の解字には、実が落ちた後、毬栗(いがぐり)が樹上に残っている様子とあって、栗の実が抜け落ちた毬栗の形状=丸い穴とすれば、木切れを回転させ ながら削って作る木製の椀=刳り物の刳(くり)と同義で、毬栗は密集した粗い毛(棘)を持つ外皮=衣毛(イガ・エガ)に包(くる)まれた丸い物=凝り(コ リ)、髪の毛を短く刈った坊主頭を毬栗頭、剃髪が伸びた毬栗坊主等と丸い頭に棘状の毛が密生する様子を云います。
 最後に述べてきた事を考え併せると、クル(来る・繰る・刳る)には、連続する・回転する等の基礎的な共通項が全体を覆う事にもなり、包(くるむ)、車 (くるま)等にも使われます。おそらく、団栗と毬栗に使われる音は、本来、違う言葉で、前者は、凝り(コリ)=球形の固まり、後者は、刳り(クリ)=丸い 穴でしたが、木の実を代表の「栗」を充て、「クリ」と云う音に集約、木の実に関連した言葉として示唆しました。
 二つの語義が持つニュアンスを併せ持つ言葉には、胡桃(くる・み)が在り、堅くて丸い殻に包まれた実になります。(了)
 






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  1. 2016/06/02(木) 20:34:51|
  2. 3.日本語と朝鮮(韓国)語
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◇狗邪韓(クヌガワヌ)国=外洋航海を担う海民国

 「魏志東夷伝韓人条」韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接。弁辰、亦十二國~云々。弁辰與辰韓雜居~。其瀆盧國與倭接界。「同倭人条」倭人在帯方東南大海中~と云う記述からすれば、半島南岸部全体が邪馬壹国に服属する倭人の狗邪韓国と接するのではなく、辰韓に雑居する弁辰の一部族国家瀆盧国領の水道を介した島嶼で、その南側の海域を領有したと考える。
  『まぼろしの邪馬臺国』の著者宮崎康平氏は、この狗邪韓国を韓国慶尚南道釜山市南西海上の巨済(コジェ)島とする。私説も、次項、對海(たま)国を邪馬 壹国側に服属した海民の比定地を長崎県対馬の中央、浅茅(あそう)湾に面した下県郡豊玉町仁位付近とし、同地に鎮座する和多都見神社祭神豊 玉姫は本つ国の姿でお産した後、その御子を置いて海原(うみはら→うみぅあら→うむあら→うまら)に帰り、替わりに乳母として送られた妹玉依姫が長じた御 子の妻になるという説話から、珠(魂=たま)を銜えて天空(あま)を翔る竜→海原(あま)を翔る船→天翔る馬(天馬)と云うニュアンスとすれば、巨済島と 水道を挟んだ慶尚南道沿岸部には、・馬山・蓮華(ヨヌファ)山(寺)・蓮華島、巨済島「竜珠寺」、その東北部浦湾とあり、付近一帯の離島を、その拠点として比定する。
 藤堂明保編「漢和大辞典」や白川静編「字統」等、漢字の語義や解字に拠ると、巨[gıag][gıo][kiu]=定規(矩)→両端の隔たり(渠・ 拒)→大きい・多い。済[tser][tsei][tsiei]=原字「斉」=凸凹のない揃った様→済ます・不足を補って平等に均す→渡す・河水を調整す る。
  その上古音に拠ると、「ギァッセゥ→ガッセゥ→カス」、中古音「ギォッセィ→ゴッシ→コシ」、語義から、隔たり=水道(巨)を渡る(済)島→渡島、渡海民の島→海民の陸鰐島として良いのかも知れない。
 済州(チェジゥ)島の「済」にも近い意味で、元や高麗王朝の頃は流罪の渡島で、政治犯を矯正して一定に均すと云う事か。同字を持つ百済(ペクチェ)の「百」=蛋民や海民と騎馬系諸部族等、多くの民族を、「済」=一定に均し、済して統合する(全一)。
 上記、訓音が日本語の越(こし)とも関連が在るとすれば、狗邪韓(クヌガワニ)国は、北陸(くぬが)とも繋がる。同音の粤・越[ɦıuăt] [ɦıuʌt][iue]=中国東南部に広く住んだ少数民族の海民や蛋民等、その国名、百粤・於越・甌越・閩越等、現広東省の別称とあり、その北側、江西 省や浙江省を流れる揚子江には鰐(わに)が棲息しており、河川を泳ぐ鰐の姿を目一杯の荷を積んで河川を航行する船に擬えたと考える。
 例えば、鰐[ŋak][ŋak][o]と顎[ŋak][ŋak][o]は同字を共有し、同鼻濁音「ヌガク→ガク」とされる理由は、鰐の顎(あご)が強靱 な事として良く、韓国語の「鰐=アックオ→アゴ」にも繋がる。更に云えば、日本海沿岸部に広く住んだ倭人の外洋航海民や沿岸航海民を、「記」因幡で素兎に 騙された鮫の如く、日本近海に生息する顎(あご)が強く口の大きい鮫(わに→さめ)に擬えられたのだろう。
 中国安徽省亳県で発見された後漢期の墓に使われる塼(煉瓦)に「倭人」の文字が見え、他にも斑固の著述「漢書」会稽海外東鯷人が居り、分かれて20余国なり~云々。また、斑固と同時代で、会稽郡上虞県人の王充著「論衡」周の時~云々、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草(鬱 金)を貢ずとある。通説的には、これを大陸東海中の日本列島に住んだ倭人とするが、越人と同列に扱う事からも、倭人とは、大陸東南岸の島嶼に依った沿岸航 海民や長江等の河川航行で物資の運搬を担い、それを生業とする蛋民等と同系の水上生活者が稲作民を伴い渡来したものと考える。

豊玉姫=海神の娘が八尋鰐・大熊鰐や竜の姿で御子を出産するのを皇孫彦火火出見尊(穂 穂手見命)に見られ、恥ずかしく思い帰ったと云う神話や大山祇の娘磐長姫(石長比賣)の姿が醜いと天津彦火瓊瓊杵尊(邇邇芸命)に返された事にも繋がる。 何れも皇嗣の魂魄(たま)=命の輪廻転生思想に関連し、生母豊玉姫(魂=精神的な働きを司る)と乳母玉依姫(魄=肉体的な働きを司る)と考える。また、前 者の場合、母系制での婿に対する妻、後者は父系制の夫に対する嫁と云う婚姻制度の違いも示唆する。

=投馬国項で詳述するが、余の傍国の一つと思しき、現在の長崎県松浦市付近から投馬国の比定地とした大村湾奥の大村市への沿岸航路の寄港地だろうか、~里等の地名が見える。

玉浦(オクポ)湾=巨済島を西沿岸部を南下、付近の離島に碇泊する か、一度、西側の深い湾(ハンネ港)に入り、ワヤ峰(316m)を迂回する自動車道路に沿いを流れる河川を遡上した後、魏使や郡使の大使や副使等は輿に乗 り、従者は徒歩で玉浦湾へ向かった。何れにしても對海国から出迎える一大率の官吏や武官に伴われて外洋船で對海国へ向かったと思われる。

「わに→さめ」=邪馬壹(シァマィエ→サメ)は、菟(夏王朝祖禹の後裔夏后少康?)の渡来を扶けて騙された鮫(佐女→外洋航海民) で、後の卑彌呼や宗女臺與と考える。また、「ヌガマィエ→ヌカメ(邪の別音)」とすれば、「記」速吸戸を羽挙き来て神武天皇(箕子系奴国)の東遷を扶け た槁根津比古(衛氏朝鮮系伊都国)を乗せた(沿岸航海民投馬国系壹與)で、これも輪廻転生思想の「槁(高木神)=サヲ(佐男)→スァヲ→アヲ(青=黒馬)」→東「青龍」と云うニュアンスになる。
 尚、天宮とされる北「一白水星」の玄武は、蛇と亀が合体したものとされ、「記紀」蛇の姿で降った山神と麓の娘(亀に乗る玉依姫)との間に生まれた伊須気余理比賣(五十鈴姫)を若御毛沼命(狭野尊=神武)が正后にする事に繋がる。

安徽=中国の省名、江蘇の西、浙江の北西、長江と淮河(わいが)が流れる重要な農業地帯。省都は合肥。別称、皖(かん)。

東鯷人=鯷(ひしこ鰯)=細長い魚、是=真っ直ぐ進む→正しい、これ、匙(さじ)、鞮=革靴、提(さげる)=縦長、堤(つつみ)=横長。駃騠=速く走る馬とあり、東鯷人とは大陸東岸に群れて住み、蓮花(匙)状の小船で迅速な荷役等に従事する沿岸航海民(一尋鰐)や蛋民で、そうした人々と共に仏教は朝鮮半島や南西諸島を経由して伝来したと考える。
 また、鮫(さめ→フカ)とすれば、沿岸航海民や蛋民(河民)の家船=浮家(ふか)として良い。また、先に、倭人=海民+耕作民とした様に、日本書紀の「倉稲魂」を高床式穀倉(浮家)の守り神「ふかのみたま→うかのみたま」と訓ずる理由と考える。

鬱金=生姜科の多年草。アジア熱帯原産沖縄でも 栽培、根茎は肥大して黄色。葉は葉柄とともに長さ約1㍍。夏・秋に花穂を生じ、卵形白色の苞を多くつけ、各苞に3~4個ずつの淡黄色唇形花を開く。根茎を 止血薬・香料やカレー粉・沢庵漬の黄色染料(キゾメグサ)とあり、上記の「倭人」とは南中国から東南アジア、南西諸島との係わりを外しては考えられないと 思う。尚、黄河や黄泉国との係わりからか、黄色は王の色とされる。



  1. 2016/06/10(金) 09:56:37|
  2. 6.国々の比定
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◇對海(タマ)国=海神(豊玉姫・玉依姫→媽祖)を祀る神祇官の国

 邪馬壹国の役人に付き添われた魏使一行は、對海国の中心地かと話題になった弥生~古墳時代の佐保浦赤崎遺跡、北側三根湾岸の長崎県上県郡峰町三根山部区の三根遺跡の北側、同町中里の田ノ浦やの三根湾付近、或いは、同県下県郡豊玉町卯麦・貝口(佐保浦赤崎遺跡)付近で外洋船を降り、沿岸航海用船に乗り換えて丘の反対側、浅茅(あそう)湾岸部、同町仁位(東の浜遺跡)・佐保塩屋に付近で船を降りて、一大率の役所付属の宿泊施設で休息したと考える。
 対馬中央部の浅茅湾に面した豊玉町仁位港に鎮座する仁位和多都見神社(祭神彦火火出見尊・豊玉姫命)、渡海大明神(対州神社誌)、彦火火出見尊・御子鵜葺草葺不合尊(大小神社誌)と在る。
 湾を挟み南、同町黒瀬の城山には百済式山城とされる金田(かねだ)城跡が在る。詳述は控えるが、最北端上県郡上対馬町大浦(経隈遺跡)東北側、高麗(こうれい)山麓、鰐浦(わにうら)は、「紀」神功皇后が三韓征伐に向かったと伝承される。尚、「倭人伝」に以下の記述が在る。

  女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
  又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
  又有裸國・黒齒國復在其東南船行一年可至

 この倭種と繋がるのか、「記」鮫(わに→さめ)が因幡素兎に騙された伯耆国に近い鳥取県西伯郡会見町金田(かねだ)・鶴田・安曇、同郡大山町長田(長田神社)・稲光と同郡淀江町福井福岡付近にも孝霊(こうれい)山、同郡西伯町北方長田・倭・馬場(長田神社)、同郡岸本町福岡、同郡中山町住吉、同郡名和町小竹(こだけ)・御来屋(みくりや)と在り、松浦半島西側、佐賀県松浦市御厨(みくりや)町、同県北松浦郡吉井町福井免、大阪府東大阪市御厨町・出雲井町・稲葉・豊浦町(枚岡神社)・立花町・長田鏡神社(若江中町)、長野県長野市川中島町御厨・浅川福岡、福井県福井飯塚町・足羽郡美山町奈良瀬・仁位・福島・小浜市板屋町・飯盛・鯖江市大野町・大野郡板倉等があり、上掲の文章からすると、日本海側の能登半島や新潟県佐渡島、太平洋岸の伊豆諸島や小笠原諸島付近迄広がっていたと思われる。
 尚、九州管内に長田(ながた・をさだ)等、共通する地名が以下の如く在る。

  福岡県甘木市(現朝倉市)長田・大平・楢原(ならはら)
  福岡県筑後市長田・鶴田・羽犬塚(宮地嶽神社)
  福岡県大牟田市長田町・甘木・教楽来(きょうらぎ)・四箇・田隈(宮地嶽神社)・橘・松浦町・馬渡
  福岡県山門郡(現みやま市)瀬高町長田・広瀬・女山神籠石(大草)
  長崎県諫早市長田・鶴田町・広瀬馬渡町・諫早市松里町有喜(有喜貝塚)・宗方町・長野町
  長崎県松浦郡世知原町長田代免・中通免
  熊本県上益城郡矢部町長田・犬飼・大野・葛原・御所・鶴田町・広瀬馬渡町・山田
   同郡嘉島町北甘木、同郡甲佐町糸田・三箇・横田・広瀬
   同郡清和村大平・鶴ヶ田、同郡御船町玉来・日向・馬立
  熊本県菊池市長田・大平・広瀬・花房
  熊本県玉名郡南関町上長田・馬立・都留(英彦山神社)、同郡三加和町大平・日向
  熊本県八代市長田町・大平・奈良木・二見下大野町・大村町
  鹿児島鹿児島市長田町

 尚、旧日本海軍が玄界灘と朝鮮海峡と繋ぐ水道として大型艦船航行用に掘削した下県郡(現対馬市)美津島町久須保「狭瀬戸」を沿岸航海用船で東南へ向かい同町嵯峨・住吉・調(たまづけ)・大船越・小船越付近の東海岸で、一大国から迎えにきた外洋船に乗り換えたのかも知れない。何れにしても一行は、潮汐や風の良好な日を選び、外海では対馬海流の影響を考慮、西側へ円弧を描く様に外洋船で南下したと考える。

佐保浦=古代豪族大伴氏に関連する地名「佐保」は、佐賀県佐賀郡大和町佐保・松瀬・久地井(肥前国庁跡)・山田・同県小城郡三日月町石木・土生(土生・久蘇・仁俣遺跡)・久米金田(かなだ)、大阪府茨木市佐保福井穂積・同府高槻市大和、兵庫県加東郡社町佐保久米・同郡滝野町穂積、奈良県奈良市佐保半田町、同県天理市佐保庄町・兵庫町・山田等が在る。
 *佐保神社(天兒屋根命・比売大御神・大名牟知命、養老六年)第11代垂仁天皇の御代に創建され、延喜式に所載の古社。初め坂合神社と呼ばれていたが、いつの頃からか、佐保神社と称される。

渡海大明神(対州神社誌)=「わたつみ」だろうが、漢字音(渡[dag][do][tu]・海[məg][hai][hai])からすれば、「タッマ(玉)」となる。尚、大阪府寝屋川市対馬江町・仁和寺町(仁和寺氏神社 伊奘諾・伊奘冉=白山権現)、同府守口市金田町 (津嶋部神社 津嶋女大神・菅原道眞・素盞嗚尊)の津嶋女大神は、「紀」素戔嗚尊の其子五十猛命・妹大屋津姫命・次抓津姫命の生母か、「記」須佐之男命が 娶り、大年神と宇迦御魂神を生んだ大山津見神の娘神大市比賣とも考えられるが、その生母の名が見えないので、入婿とも考えられる。

高麗(こうれい)山=怡土城跡の在る福岡県前原市高来寺(こうらいじ)・有田、高良山神籠石の在る同県久留米市高良等も同源かも知れない。

北方=福岡県北九州市小倉南区北方(南方)・同市小倉北区山田、佐賀県杵島郡(武雄市)北方町・橘大日(おつぼ山神籠石)・御所・楢崎、熊本県玉名市伊倉北方・南方・亀甲・山田(山田神社)・石貫ナキノ横穴古墳群、大分郡挟間町北方・鶴田奈良原・馬籠・山田、宮崎県宮崎市本郷北方・南方町、同県串間市北方、同県東臼杵郡北方町、鹿児島姶良郡栗野町北方・轟・木場、同県肝属郡内之浦町北方・南方(叶岳)

長田神社「伯耆・会見」長田神社(はちまんさん)(鳥取県西伯郡西伯町大字馬場1)祭神宗像三姫神、五十猛命、岩猛命他。
 長田神社(同県鳥取市大字東町字御宮谷)祭神事代主神 猿田彦神、誉田別尊、菅原道真命。
 賀茂神社(同県西伯郡大山町所子10)祭神瓊瓊杵尊、別雷命 合神 五十猛命他。
 佐間神社(同郡大山町坊領102)祭神天津彦火瓊瓊杵尊 合神 五十猛命他。
 武郷(たけさと)神社(同郡名和町大字小竹1048)祭神 經津主命・武甕槌命・五十猛命 

若江鏡神社(大阪府東大阪市若江南町二)祭神大伊迦槌火明大神・足仲彦天皇命  配祀息長足媛皇后 摂社天照皇太神社(天照皇太神)、塚本稲荷神社(豐受大神) 合祀(勝手明神・楠木正成)、熊野権現社(熊野権現)、水分社(水分 神)、鏡竜社(錦竜權)、御縁地蔵尊社(地藏尊)、鏡神社祭神天照大御神・藤原広嗣公・地主神(奈良県奈良市高畑)

長野県長野市川中島町=長野市南部、千曲川と犀川(さいがわ)の合流地。「出雲国譲」剣神御雷神と力比べをして敗れた御名方神は科野に逃げたと云う。建[kiān][kıʌn][kien]・剣[klıăn][kıʌn][kiem]と在り、「記紀」や万葉集の成立期の中古音が同音で在る事から建(剣)国が熊曽の建日別と肥国の建日向日豊久士比泥別の二つに別れた事(八剣)を示唆する。
 尚、北部九州と瀬戸内海間を周防灘(スファ→スハ→スホゥ)に面した福岡県築上郡吉富町から周防灘に注ぐ佐井(さひ→さゐ→さい)川、同県京都郡犀川町(現みやこ町)大村・柳瀬・松坂・大坂・広瀬がある。
 諏訪(スハ)=長野県中部、諏訪湖に臨み、もと諏訪氏3万石の城下町(高島城)。犀川=石川県東部の富山県境付近の両白山地から北西へ流れ、金沢市街を 流れて日本海へ注ぐ。長野県松本盆地の明科(あかしな)付近で梓川・高瀬川と合流、北東へ流れ、長野市付近で千曲川に注ぐ。

佐渡=新潟県佐渡郡相川町町・橘・大幡神社(大倉)大幡(おほはた)神社「大股主命」貞観三年か、延喜元年の創建。新潟県佐渡郡相川町大字大倉12、佐渡郡小木(をぎ)町金田(かねた)新田・強清水(長者ヶ平遺跡)、金井町三瀬川・吉井、佐和田町石田・中原・八幡・山田、新穂村大野・真野町名古屋、両津市(現佐渡市)大野・品浦(牛尾神社)・真木。*牛尾神社=平安初期創建、佐賀県小城市小城町大字池上
 日吉大社(滋賀県大津市坂本)祭神東本宮 大山咋神(山末之大主神)・摂社牛尾神社(大山咋神荒魂)。牛尾山頂の磐座は琵琶湖を越えて昇る太陽の方向に在り、原始信仰の地で、古い日神信仰を思わせる。
 磐座を挟んで奥宮2座がある。二宮である東本宮が奥宮である牛尾神社に対する里宮。南の奥宮は三宮神社で樹下神社が里宮。泉の湧き出る池上に社殿が鎮座、水信仰の里宮創祀の地である。太陽と水、生けるもの全てへの恵みの神である。里宮の創祀は崇神7年と口伝。
 度津神社「五十猛命 配大屋都姫命・抓津姫命」新潟県佐渡郡羽茂町大字飯岡字一の宮、社名の「わたつ」から、古くは越後佐渡間の航海を司る渡りの神で、 海童(わたつみ)神を祀るとも伝う。五十猛命は神功皇后の航海の守り神となっており、奴国の比定地内とした佐賀県杵島郡白石町大字馬洗(もうらい)の妻山 神社と同神を祀る。飯持(いいもち)神社「保食神」新潟県佐渡郡畑野町大字飯持236

伊豆諸島=「倭人伝」又有侏儒國在其南人長三四尺、去女王四千餘里。又有裸國・黒齒國復在其東南船行一年可至。この裸国と黒歯国を小笠原列島付近かとしたが、上質の黒曜石が採れて樹木の多くない火山島、神津島や恩馳島等の伊豆諸島とも考えられる。
 おそらく、九州東岸南部の侏儒國を経て、四国東岸から太平洋岸沖へ出て黒潮に乗り、東へ向かい、満ち潮に乗り、列島沿岸部の寄港地に碇泊し、引き潮に乗って南下、復路は黒潮の環流(逆流)を用いたと考える。

長田=青森県南津軽郡尾上町長田(をさだ)、岩手県盛岡市長田町、秋田県秋田市仁井田目長田・福島 、福島県耶麻郡猪苗代町長田(をさだ)・八幡、茨城県那珂郡山方町長田(をさだ)、栃木県真岡市長田、同県下都賀郡石橋町長田、千葉県館山市長田・中里、同県成田市長田・久米、石川県金沢市長田町、同県小松市長田町・福岡、同県羽咋郡志賀町長田・福井、福井県坂井郡春江町西長田・兵庫、同県坂井郡坂井町東長田・福島、長野県東筑摩郡坂北村長田・中里・日向、静岡県浜松市長田町・福島町、愛知県一宮市浅井町長田、同県稲沢市下津長田町・長野町、同県碧南市長田(をさだ)町、同県常滑市長田(をさだ)、同県知立市長田(をさだ)、同県豊明市西川町長田(をさだ)、同県名古屋市北区長田(ちょうだ)町、三重県上野市長田、滋賀県東浅井郡虎姫町長田、同県近江八幡市長田(をさだ)町金田・佐波江・板屋、京都府京都市南区吉祥院長田町・同区石原長田町、同府京都市伏見区下鳥羽長田(をさだ)町、同府福知山市長田(をさだ)、同府八幡市八幡長田(を さだ)、大阪府東大阪市長田・御厨、兵庫県神戸市長田区長田町、同県西宮市長田町、同県加古川市尾上町長田、同県三原郡緑町倭文(しつおり)長田、和歌山 県那賀郡粉河町長田、同県有田郡吉備町長田、鳥取県西伯郡大山町長田、島根県那賀郡金城町長田・金田、岡山県岡山市長田、同県真庭郡八束村長田、広島県山 県郡戸河内町長田、同県高田郡向原町長田、広島県世羅郡世羅西町長田、同県 双三郡三良坂町長田、山口県新南陽市長田町、同県美祢郡美東町長田、愛媛県伊予三島市豊岡町長田、高知県宿毛市長田町等。
 手持ちの地名資料には、富山県と岐阜県は「永田(ながた)」以外には見えない。また、宮城県や山形県には「長手」以外は何れも見られない。それ以外、略全国的に見られる。

教楽来=福岡県北九州市八幡西区京良城・大平、熊本県天草郡松島町教良木・大平。尚、熊本県八代郡坂本村久多良木(きう たらき)とあり、厳木(きうらぎ)→木浦木→甲良木・高良木(こうらき)→興梠(こうろき)等も同源か。長崎県西彼杵郡大瀬戸町雪浦久良木(きゅうらぎ→ きうらぎ)郷・瀬戸松浦郷、佐賀県伊万里市松浦町久良木(くらき→きうらき)等も在る。 




  1. 2016/06/18(土) 13:37:50|
  2. 6.国々の比定
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◇一大(イェタ)国=伊都国から派遣された一大(イェタ)率の役所の国

 長崎県壱岐市(旧壱岐郡)郷ノ浦町八幡港東側、石田いしだ→イチタ→イッタ)町湯岳(ゆたけ→いた)・射手吉触(いてよしふれ)付近に一大率の本役所を比定した。その東側一帯の同市芦辺町深江栄触・鶴亀触や同市石田町筒城(つつき)触付近には原の辻遺跡、北側の同市勝本町立石東触付近には香良加美遺跡等、同期の遺跡は多い。
 九州管内には「板~」等の地名が見え、一大(イェタ)率から派遣された官吏(武官)の役所や見張台等の関連施設が在ったのかも知れない。

  福岡県朝倉市(甘木市)板屋
  福岡県福岡市西区板屋・飯盛(飯盛神社)・壱岐・金武
  福岡県福岡市博多区板付・金の隈(かねのくま)
  福岡県前原市板持・油比(ゆび)・志登支石墓群 *佐賀県鳥栖市柚比町
  福岡県県北九州市小倉北区板櫃・到津(いとうづ)・金田(かなだ)
  佐賀県伊万里市波多津町板木・木場・馬蛤(まて)潟(飯盛山)
  佐賀県多久市西多久町板屋
  佐賀県神埼郡千代田町下板
  長崎県北松浦郡吉井町板樋免・木場免・福井免、同郡福島町里免
  長崎県松浦市板橋免・
  長崎県西彼杵郡大瀬戸町瀬戸板浦郷・瀬戸福島郷
  長崎県下県郡(現対馬市)豊玉町板塩屋・仁位・飯盛・上県郡(同市)峰町飯盛
  大分県宇佐郡安心院町板場
  大分県臼杵市板知屋
  大分県大野郡朝地町板井
  大分県別府市南立石町板地
  熊本県球磨郡五木村板木
  熊本県熊本市板屋
  熊本県玉名郡三加和町(現和水町)板楠
  宮崎県児湯郡米良村板谷
  宮崎県日南市板敷

 博多湾沿岸部福岡県福岡市西区生(いき)松原には壱岐神社(壱岐真根子)が在り、佐賀県武雄市若木町の伏尺(ふしゃく)神社には、壱岐真根子と、その娘婿武内宿禰の姿形が似ていたと伝承される。その経緯は、5世紀初頭、履中期の創建と伝承される玄界灘に突き出る福岡県宗像市鐘崎の式内名神大社織幡神社(壱岐真根子・武内宿禰・綿津見三神)に詳しいと在る。
 社名は武内宿禰が旗を織ったと云う故事に拠るとする。また、同県宗像郡(現福津市)津屋崎町宮司(宮地嶽神社)・奴山(ぬやま)南側には対馬見山がある。その社が鎮座する宮地嶽中腹奥宮八神社の一つ不動神社奥に全国でも最大級の横穴式石室古墳が在る。
 上記、福岡県福津市津屋崎町東南側、同市小竹(をたけ)・津丸(神武神社)・飯森山、同県糟屋郡久山町山田と同県福岡市東区大字香椎の境に在る城ノ越山と三日月山麓の三日月温泉、不彌国の比定地とした佐賀県小城郡三日月町石木・金田(かなだ)・同郡大和町佐保・福島、長崎県北松浦郡福島町里免にも山名「城の越」が在る。
 また、壱岐市郷ノ浦町渡良浦(わたらうら)、北側の同市芦辺町住吉触に住吉神社、その東北側、谷江川沿岸箱崎諸津触には男岳神社(猿田彦大神)、箱崎触根抵山、古い社家吉野(壱岐)氏が祀る八幡神社旧号海裏(わたうら)宮の古文書には箱崎八幡宮月読宮(式内月読神社)とあり、福岡県福岡市東区箱崎の筥崎宮(應神天皇 配祀神功皇后、玉依姫命)と同香椎の香椎宮(仲哀天皇・神功皇后)からも海民の夫婦が離縁、「記紀」豊玉姫と玉依姫(乳母→妻)と葺不合尊(継子→夫)に分裂したと考える。
 こうした繋がりと、福岡県古賀市小竹(だけ)の須賀神社素戔嗚尊・櫛稲田姫命・大己貴命・少名彦名命(久斯之神)・五十猛神・事代主命と鳥取県西伯郡名和町大字小竹(だけ)と云う訓みの違いが、東千余里に邪馬壹国に服属しない倭種の国が在ると云う記述と関連し、須賀神社祭神の夫婦(めと)素戔嗚尊と櫛稲田姫命、武郷神社祭神の親子(おや)「經津主命と武甕槌命」と云う違いかも知れない。

壱岐郡郷ノ浦町=嶽山神社摂社に矢保佐神社が鎮座。折口信夫は『漂着石神論計画』で、「やぼさ」について以下の如く述べる。
 陰陽道では職神・式神(シキジン)の事を「みさき(御先)」とも称した。壱州に来た陰陽師徒は「御先」を傭うのに簡単な方便は「やぼさ」と云う島に多く 居る精霊を呪力で駆使する事。昔は、壱岐に矢保佐・矢乎佐等の社が大変な数になる程あった。「やぼさ」は元古墓で、祖霊の居る処と考えていたが、陰陽師の 役霊に利用される様になったり、その始源が段々、忘却せられて来たのだろう。とする。
 私見では、弥帆(やほ)=大船の舳先に張る小さな帆。「魏志倭人伝」航海の安全を祈願し、潔斎した持衰(じさい)と云う者を船の舳先(御先)に置いたとあり、矢保佐(やぼさ=弥帆佐)も同様の役目を担ったと考える。

イシダ→イチタ→イッタ=壱岐市芦辺町箱崎触の芳野家所蔵「神国愚童随筆」壱岐の神人=命婦(イチ)は女官長で大宮司・権大宮司の妻 か、娘がなり、斎(いつき→いっち)は陰陽師の妻が巫女になる。斎女(いつきめ→いっちめ)は、やぼさ社に常に参ると云う。*壱[・iet][・iĕt] [iəi]

原の辻遺跡=一大国の通説的比定地。弥生時代の環濠集落跡「カラカミ遺跡」(壱岐市勝本町立石東触)で鉄生産用の地上炉跡が見つかっ た。弥生時代の地上炉跡は、国内で初めての発見。弥生時代には明確に確認されていない精錬炉の可能性があると指摘、市教委に拠ると、炉跡は弥生時代後期 (AD1~3世紀頃)のもので、少なくとも6基が見つかった。床面に直径約80㌢の範囲で焼けた土が広がっており、床面に直接炉を作る地上式と確認した。 国内で確認されている炉は地下式で、カラカミ遺跡の炉は韓国の遺跡に見られる精錬炉跡に似ている。周辺からは鉄製品の加工時に発生する鉄片は見つかってい ないため鉄自体を精錬していた可能性があるという。
 尚、通説的には日本で鉄の精錬が始まったのは、6世紀後半頃とされる。

箱崎触=福岡県福岡市東区箱崎の場合、河川が運ぶ土砂が吐き出された堆積地に付けられた地名で、丘陵の岬(みさき)等とは違う。
 同地に鎮座する延喜式内社八幡大菩薩筥崎宮(祭神應神天皇一座、配祀神功皇后・玉依姫命)。創建、延喜21(921)年、八幡大菩薩の託宣により、延長元(923)年に筑前穂波郡、福岡県嘉穂郡筑穂町(現飯塚市) 大分(だいぶ)の大分宮より移転した。神亀3(726)年神功皇后が応神天皇と共に、屡々留まった所の大分宮は宇佐八幡宮の託宣によって創られたと云われ る。尚、延久3(1071)年の御神宝の列記では、三の倍数になり、平安後期には三座とされていた。建久7(1196)年、筥崎第二御正体で二座と見え る。おそらく、平家系の御神体が外されたと考えられる。
 遷座した理由は博多大津の役割が軍事よりも貿易に重点が移ってきたからと云われる。その西北側の福岡県鞍手郡若宮町、現宮若市宮永付近には宇佐八幡宮があり、平安期、この付近で宗像大系と八幡神系が対立した。

板~=他にも「糸~」「乙~」等の地名を地図ソフトで検索すると、不思議な事に、その最前線と思しき島原半島や、狗奴国とは同族とした「奴国」比定地の一部、佐賀県藤津郡付近に多い。おそらく、狗奴国の領域は、島原半島と天草諸島、鹿児島県を含む一帯と考えられる。
 尚、人々の移動を示唆するものか、島原半島北部に多い「~甲」「~乙」「~丙」と云う順列的な地名が侏儒國の比定地とした宮崎県にも多い。

娘=豊子とあり、「魏志東夷伝倭人条」卑弥呼を継いだ宗女壹與(イェヨ→イヨ)、或いは、臺與(タィヨ→トヨ)とも在り、混乱しているとする研究者も居るが、おそらく、この臺與(とよ)に関連して武内宿禰(塩土老翁)の娘豊子(とよし→とよこ)にされたと考える。
 一方、女王卑彌呼の死後、狗奴国(卑彌弓呼)に敗れた伊都国系の臺與(豊玉姫)は大分県中津市大貞の元宇佐の薦神社/大貞八幡宮(祭神應神天皇、氣長帶姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命)・合馬や同県宇佐市宇佐(八幡宮)・葛原(字鬼塚の葛原古墳)・曽根神社(赤尾)・鶴田新田・馬城・和気、更には、大和方面へ逃れる。その後、熊本県八代市や天草諸島・島原半島付近にあったと思しき狗奴国も壹與(玉依姫)を伴い愛媛県八幡浜市中津川・広瀬八代(祇園八尺神社)の伊豫方面へ東遷、再度、大和の豊玉姫系(女帝の推古天皇系)を併合したと考える。

織幡神社=福岡県宗像市吉田の織幡宮は分社で、海民を広幡(鰭)→一尋の諸手(真手=櫂?)と狭幡(鰭)→片手(艪?)、おそらく、外洋航海民と沿岸航海民に分ける事を折鰭→織幡と呼んだと考える。また、端(波多)も手前から見た彼方・一方(片手)となる。
 尚、福岡県北九州市八幡西区陣原に鎮座する旗頭(はたがしら)神社の祭神も武内宿禰と在り、ヤマタノヲロチの頭(手前=舳)と尻尾(後=艫)、身体の三つに分ける事とも関連するのかも知れない。
 佐賀県伊万里市黒川町真手野・同市波多津町馬蛤潟(まてがた)、同県武雄市武内町真手野・馬渡・亀の甲・多々良、三重県多気郡宮川村真手等がある。

宮司(宮地嶽神社)=大分県杵築市宮司・大平・熊野・筒木・奈多・美濃山・八坂・山田、長崎県佐世保市宮地町・八幡町、熊本県八代市宮地町・大村町・長田町・八幡町、滋賀県長浜市宮司・八幡中山町・石田町・一ノ宮町(豊国神社)。
 尚、九州管内に「宮地岳」と云う山名と、同神社は以下の如く在る。

  福岡県前原市神在・作出(宮地嶽神社)
  福岡県筑紫野市山家(宮地岳)
  福岡県八女市川犬と溝口(宮地嶽神社)
   同市竜ヶ原と同県筑後市羽犬塚との境(宮地嶽神社)
  佐賀県唐津市宇木(宮地嶽神社/飯森山)
  長崎県北松浦郡(現松浦市)鷹島町阿翁面(宮地岳)
  長崎県松浦市今福町滑栄免(宮地嶽神社)*城山麓
  大分県東国東郡(国東市)国東町岩屋(宮地嶽神社)

福岡県古賀市=谷山北地区遺跡群=6世紀初頭~7世紀初頭の船原古墳の隣接穴から同時期の金銅製馬具一式が見つかった。近くの宮地嶽 古墳や藤ノ木古墳(奈良県)、埼玉県行田市、和歌山県和歌山市の4例しかない。騎馬民族に必要とされた馬具とあるが、金銅製なので実用品ではないと思う。 宗像氏との関連が取り沙汰される様に、古墳の壁画で船に乗る馬が描かれる事から海民と馬の繋がりは、先述したとおり。
 尚、「海幸山幸神話」で、御子(葺不合)を山幸彦の下に置いて戻った豊玉姫は、玉依姫を乳母として送ったとされ、長じた御子は、その姨を娶ったとされる事からも分かる様に、山幸彦の後添(義母)、義理の親子関係から夫婦の関係に移行する。

五十猛神=「紀」素戔嗚尊の御子「いしぅたける→いすたける→いったける→いたけぬ→いたけづ」は、一大率の長官(武官)かも知れない。







  1. 2016/06/24(金) 09:57:54|
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