見まごう邪馬台国

◇不彌(ハミ)国=美しい文身をした巫女(花弁)を輩出する国を補佐する男王国(萼)

 国名「ハミ→ハビ/ハム→ハブ」と訓んで、佐賀県多久市東側、同県小城郡(現小城市)小城町境、同郡三日月町甘木・石木付近、弥生中期の土生(はぶ)・ 仁俣・久蘇遺跡付近に比定した。他にも福岡県中間市垣生・愛媛県松山市垣生、同県西宇和郡三瓶町垣生、同県新居浜市垣生、山口県厚狭郡山陽町埴生、大阪府 羽曳野市埴生(はにゅう)野、京都府船井郡(南丹市)園部町埴生、富山県小矢部市埴生(はにゅう)等が在る。
 東側に同県佐賀市久保泉町と同県神埼郡(現神埼市)神埼町境、有明海を見下ろす高台に帯隈山神籠石が在り、同県小城市小城町栗原(鏡山)・岡・焼山、その南側、同県小城郡三日月町久米、同県神埼市千代田町余江(香椎神社)、同県佐賀郡大和町佐保・池上・福島・山田にも対馬の豊玉町仁位(仁位和多都美神社・豊玉姫)・糸瀬西北の佐保(佐保浦赤崎遺跡)と同地名が見える。
 「ハミ→フミ・ホミ→ホム」とすれば、応神天皇御名誉田別尊(品陀和気命)や海人穂 積(ほっみ→ほみ)氏とも繋がる。また、前章「思惑と意図」で不彌国の官多模(たま)を仁位和多都見神社(對海国)に繋がる海神を祀る神祇官(神官)とし た様に、比定地の西側、佐賀県多久市東多久町仁位所・別府に、その神祇官の詰所か、船荷等を監査し、検察する一大率の役所が在ったと考える。
 地名「佐波」は、佐賀県東松浦郡(現唐津市)浜玉町の隣、福岡県糸島郡二丈町佐波・福井。他にも福井県鯖江市鯖江、滋賀県近江八幡市佐波江町・板屋町、京都府舞鶴市佐波賀、広島県福山市佐波町、山口県防府市佐波(令)、山口県佐波郡徳地町鯖河内・御所野・西大津等が在る。
  「記紀」大伴氏の「佐保(さほ→さぼ→さば)」や垂仁皇后狭穂(佐波遅)比賣が兄狭穂毘古と共に謀反する事、景行天皇の熊襲討伐前身基地が娑麼(佐波=鯖)と伝承される事とも繋がる。また、「ハンタ→ハタ」とすれば、畑・幡・波多(ハタ)等がある。
 同県小城市小城町東側の吉野ヶ里遺跡の北側、同県神埼市神埼町仁比山の松尾大社分霊仁比山神社(大山咋神・鴨玉依姫・日本武尊他)には729年創建とある。その麓、同県神埼市神埼町枝ヶ里(えだがり)・鶴田山田の山手、同町大字的(いくわ)、仁比山下宮神社(天知加流水姫命・配神大山咋命)の名称由来を仁明天皇と比叡山の二文字とするが、仁比(ニヒ→ニフィ→ニゥイ→ニヰ)=仁位と同源かも知れない。
 佐賀県神埼市神崎町馬郡と隣町同県神埼郡三田川町(現吉野ヶ里町)鶴・田手村付近に吉野ヶ里遺跡、同町と同県佐賀市久保泉町付近に帯隈山神籠石と白髭神社が在る。
 滋賀県高島市高島町鵜川の白鬚神社は「猿田彦大神略記」垂仁25年条、皇女倭姫命が社殿を再建、白鳳二(674)年に比良明神号を賜った。琵琶湖西岸滋賀県大津市志賀町の小野神社・栗原・ 和邇の北側、同県大津市の境、安曇川を遡った比良山(比良嶽)の山神大山咋命で、白髭の老翁、比良神~と在り、琵琶湖周辺には老翁が姿を現す物語が点在。 「長谷寺縁起絵巻」大和国の長谷観音の御依木の運搬を守護する三尾明神が老翁の姿で描かれる。また、水尾神社の賄いの大炊神社隣の長谷本寺にも伝わってい る。
 また、「 ヒラ→ヒダ→ヒタ」とすれば、大分県日田市有田・羽田町・山田、奈良県橿原市飛騨町・久米町・曽我町等が在り、「白髭」の字音が百済(ペクチェ)に通じ、比良・三尾・白髭は同系神とされる。
 邪馬壹国に向かう次ぎの宿泊地は、佐賀県佐賀市金立町金立の丸山遺跡付近か、同市大和町松瀬・東山田・福島・久池井(西隈古墳)・佐保・横馬場(船塚古墳)等の本村籠遺跡付近と考えられる。

鯖(さば)=青魚の代表、秋刀魚(さば→さま→さむま→さんま)や鯵(あぢ→あじ→あ に)も同種で、後者を「アヂ→アチゥ→アツ」とすれば、集まる事と関連が在り、海民(川民)系の地名とされる阿積・安積・安住・安曇・熱海・渥美等にも繋 がる。また、紫陽花(あぢさい)=群がり咲く花となる。また、同訓「暑・熱」=太陽光や火炎等熱源が集積された状態。「厚・篤」=物質、心情が集積された 状態。
 尚、綾朝臣最上の孫に「佐波」、天之御中主神後裔荒木田神主最上の子に「佐波」と在り、「首麿」から藤原氏祖魚名へと続く。更には、孝元天皇後裔武内宿禰の子名称未詳の流れ「首麿」とあり、何らかの関係があると思われる。

香椎宮本社=福岡県福岡市東区香椎4-16-1(筑前国糟屋郡)は境内の印鑰石に武内 宿禰の子蘇我石川宿禰が鎮座していたので、印鑰神社に祀られたと在る。印鑰(いんやく)=官印と官庁の倉庫の鍵。天台座主(ざす)の職印と宝蔵を開く鍵。 何れも座主となった人が受けるもの。

誉田(ほむた)別尊=三輪山の水神を祀る系統大神比義の伝承があり、宇佐神宮には火と水を操る鍛冶神が祀られているとも云われるので、もしかしたら、ホムタ→ホムラ(炎=火群)と転音したのかも知れない。

ハタ=九州管内には、佐賀県唐津市半田(はむだ→はだ)・同市北波多村山彦・山田、同県伊万里市波多津(はたつ)町畑津・板木、大分県大分市判田(はんだ)・羽田(はだ)、同県宇佐市安心院町飯田(はんだ)、同県西国東郡(現杵築市)大田村波多方(はたかた)・鮎帰、同県日田市羽田(はた)町・山田町、熊本県熊本市城山(じょうざん)半田町、同県宇土市三角(みすみ)町波多・山田、熊本県上益城郡矢部町畑(はた)・御所・長田・山田、福岡県前原市波多江(産の宮)・同県豊前市畑(はた)。
 *不[pıuəg(pıuət)][pıəu(pıuət)][fəu(pu)]・彌[miər][miə(mbiə)][mi]=ピゥァッ・ミァル → プァッ・マゥ → パッム → ハム

仁位(ニヰ)=他にも下記の如き地名が在る。尚、仁比山の「ニヒ」が、[ nihi → niui → nii ]と転音したと考えられる。

  福島県福島市仁井田・百目木・大平山(羽黒神社)・鶴田・八幡館・日向・広瀬山田
  福井県足羽郡美山町仁位・奈良瀬・福島・宮地・羽生(はふ→はう・ほう) *伯耆(ほうき)国
  兵庫県佐用郡上月町仁位・大平・金屋・山田(佐用都比賣神社)、同郡三日月町 *佐用都比賣=唐津市の領巾振山
  和歌山県和歌山市仁井辺・広瀬通丁・福島
  山口県防府市仁井令町・江良・大野・大平山・警固町・佐波・多々良
  高知県高知市仁井田・朝倉・金田・福井町・大津(鹿島神社)
  高知県高岡郡窪川町仁井田・榛原町広瀬

 朝倉神社(高知県高知市 朝倉丙2100)「天津羽羽神、天豐財重日足姫(斉明)天皇」(釋日本紀卷第十四)、土左國の風土記に曰はく、土左郡朝倉郷あり。郷中に社あり。神の御名 は天津羽羽(あまつはは)神なり。天石帆別(あまのいはほわけ)神、天石門別(あまのいはとわけ)神の御子なり。これは、土佐の天石門別安國玉主天神の子 であるする。尚、斉明天皇の御陵地は当社から3㌔西南の鵜来巣(うぐるす)山とされており、福岡県朝倉市烏集院(うすのいん)・奈良ヶ谷付近の橘広庭にも斉明陵の伝承地がある。
 度会氏の伝によると朝倉神社祭神、天津羽羽の「はは」は奈良県五條市西吉野町の波宝神社の「波宝」の音に通じ、波宝神社は吉野国栖祖神を祀るといわれ、 これは天津羽羽命であろうとされます。「姓氏録大和神別」吉野国栖祖神とは神武天皇の東征途上、菟田(奈良県宇陀郡)から吉野へ進んだ時、岩を押し分けて 出てきた尾のあった石穂押別之子とある。

白鬚神社=『三代実録』の貞観七(865)年にも近江国の無位の比良神に従四位下を授 くとし、当社の祀る神と云う。本殿後背山に幾つかの摂社が祀られる中、岩戸社北側には磐座があり、山陵を天岩戸と云う。白髭神は渡来人が開拓した地方に多 く祀られる。奈良県桜井市初瀬の白髭神社が本社とも云われる。
 『元亨釈書』(14世紀)、大仏用の黄金を求めていた聖武天皇は、僧良弁に吉野の金峰山の黄金を求めて金剛蔵王に祈らせた。すると、この山の黄金はなら ぬが、近江湖南の勢多県にある山は如意輪観世音の霊地、そこへ行って念ずれば、必ず黄金が得られるとのお夢告があった。
 その地の大岩に座って釣りをしている老翁は、この背後に続く山々の地主の比良明神で、ここは観世音の霊地であると言ってかき消えた。良弁は大岩上に庵を結び、観世音像を安置、絶え間なく読経を続けていると、やがて陸奥から黄金が出たと言う。
 「石山寺縁起」琵琶湖の主も、また白髭明神と呼ばれていた。この神は、湖が七度変じて葦原になるのを見ていた長命の主だと云われる神と記される。この湖は地盤沈下等で南に移動したり、周辺から泥が流れ込んで浅くなったりするが、元の深さに戻ると云う。

曽我町=百済(くだら)と縁が深いとされる蘇我馬子に関連が在る。何れにしても有明海 沿岸部と琵琶湖周辺部、大和方面には百済(+北魏)系との繋がりが見える。その連繋地点と思しき岡山県津山市には、推古(或いは、持統)天皇に百済王を 賜ったと伝承する百済(くだら)氏が居る。


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  1. 2016/09/05(月) 09:03:00|
  2. 6.国々の比定
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◇投馬(とっま・たぐま)国=風を受けて海上を航行する船

 トグマッ→トッマッ(苫)→タマ(玉)で、地名として当麻(とうま・たぎま)・田隈・田熊・託麻・宅間、但馬(たぎま→たじま)等が考えられる。例えば、狗邪韓国から末盧国を経て投馬国への水行20日から推測すると、九州西岸の角力(すもう)灘を南下した長崎県長崎市手熊(てぐま)町・田子ノ浦(飯盛岳)・出雲・白木・八幡、同県西彼杵郡香焼町丹馬(たんば→たぬま)がある。
 また、対海(たま)を一海(瀚海)に対面する国とした様に、投[dug][dәu][t`әu]の上古音が「ダグ→ナグ」に転音して、訓「ナグへ る→なげる」になったとすれば、「投馬=ナギマ」となり、細長い陸地(長崎)に挟まれた細長い中海(大村湾)=凪海(なぎま)の基部、同県西彼杵郡時津 (とぎつ)町飯盛(飯盛岳)、同郡長与町山田、同郡多良見町大草・福井田、熊本県天草郡五和(いつわ)町御領・小串、同郡松島町教良木・大平・山田、同郡天草町久良(くら→きぅら)、同郡有明町大間(おおま)崎・福井田、同郡姫戸町山田付近に比定する。尚、他にも下記の如き地名が在る。

  熊本県鹿本郡鹿北町多久・岳間
  福岡県八女市宅間田・緒玉・福島・岩戸山古墳・乗馬古墳・八女古墳群
  福岡県大牟田市田隈・出雲町・教楽来・四箇・広瀬・松浦町・馬渡町・三池(宮地嶽神社)
  福岡県前原市多久(託杜神社)・有田・神在(宮地岳)・作出(宮地嶽神社)・高祖(同神社高磯姫)
  福岡県福岡市早良区田隈・有田・金武・熊本・四箇
  福岡県宗像市田熊・田久・赤間
  佐賀県多久市多久町・板屋・石州分・東多久町仁位所・南多久町大野
  島根県飯石郡三刀屋町多久和・神代(神代神社)・須所(八幡宮)・八幡
  島根県平田市(出雲市)多久町多久谷
  広島県因島市(現尾道市)田熊町・鏡浦町・重井町(馬神山)・土生(はぶ)
  岡山県津山市田熊・福井
  愛媛県今治市宅間・神宮
  香川県三豊郡詫間町詫間・粟島

 「タクマ→タッマ→タマ」とすれば、下記の如き地名が在る。

  佐賀県東松浦郡(現唐津市)浜玉町玉島
  福岡県福岡市南区玉川町・鶴田
  福岡県三潴郡三潴町玉満・田川
  熊本県玉名市玉名(大坊古墳跡)・山田(同神社)
  熊本県玉名郡玉東町白木・同郡南関町八田
  長崎県佐世保市早岐(はいき)・田子の浦
  長崎県南松浦郡玉之浦町
  大分県大分市玉沢・白木・佐野・奈良原・金屋迫(庄原遺跡・蓬莱山古墳)・田島・八幡
  大分県大分郡挟間町挟間・鶴田・馬籠・山田
  大分県大野郡(現大野市)三重町玉田・菅生・大野町
  大分県竹田市玉来・菅生・挾田、同県豊後高田市玉津・甘木・鏡谷・佐野・雷・楢林
  大分県西国東郡(現豊後高田市)真玉町西真玉

 「タギマ→タジマ→タイマ」とすれば、下記の如き地名が在る。

  奈良県磯城郡三宅町但馬
  京都府京都市伏見区下鳥羽但馬町
  長崎県西彼杵郡香焼町丹馬
  大阪府寝屋川市太間(たいま)・対馬江(つしまえ)
  和歌山県西牟婁郡すさみ町太間川

 尚、伊万里湾から大村(おおむら)湾東岸部には寄港地だったのか、~里と云う地名が点々と続く、凪の海は大海浦(おおみ・うら→おおむら)と云う転音した。その最深部の長崎県大村市付近には投馬国出先機関が置かれたと考える。
 奈良県北葛城郡(葛城市)當麻(たぎま→たいま)町、7世紀創建の當麻寺の開基(推 古20年)は聖徳太子の異母弟麻呂古王とし、創建時の本尊は弥勒仏(金堂)とある。その勒(手綱・馬銜)から麻呂古(まろこ→まるこ)も韓国語や蒙古語の 馬(mar)とすれば、蘇我馬子(マルコ)や男子の尊称「麿(まろ)→丸」から男性のトーテム馬の呼名「~丸」と、女神が司る海に浮かぶ船名「~丸」にさ れる事の理由と考える。

角力(すもう)灘=相撲を相(あい→立合い)・撲(うつ→なぐる) とすれば、本来、凪(なぎ)の海の大村湾とは違い、激しく当たり合う相撲の如き波の荒海と云う意味の周防(そばふ→すぼふ→すおう)灘か、諏訪(すはぬ→ すばう→すまう)灘で、当時、海道を領す沿岸航海民以外の航行は困難だった。「長崎(ながさき)」の由来は、凪の海「大村湾」と波の荒い外海の「角力灘」 を隔てる長い岬と考えられる。

託杜神社の祭神、伊弉諾命、伊弉册(伊奘冉)命、瓊瓊杵命、埴安命彦、火火出見命、鵜草葺不合尊、木花開耶姫命。本来、託杜咩神とされる。由緒は不詳。十六天神と伝わるが、慶応年間、現社名に改名する。「多久」であった理由は不明だが、拝殿の正面には土俵がある。
 託杜咩神は託宣の神と在り、後背の丘を祀り、その延長線上の遥か先に宮地岳(福岡県前原市神在)。丹生広良氏の丹生神社と丹生氏の研究によれば、託杜咩 神は丹生都比売神の異称とされる。一方、この地は天日矛とのつながりが強く、赤留比売神ではないかとも推測されている。

神代(かむしろ)神社=島根県簸川郡斐川町宇屋神庭字宇屋谷485、宇夜都辧命・配神 大己貴命、譽田別天皇。荒神谷遺跡側に500m程東で、宇夜都弁命は、この里を治めた女神。石川県羽咋郡志賀町神代の神代(かみしろ)神社、祭神 宇迦之 御魂神、合祀 大物主神・崇徳天皇は、崇神天皇御宇の創建。古来、神代の宮坂と称し、甚だ眺望に富み神代八景として文人墨客が多く来訪した。

粟島=「記紀」国産神話に見える。福岡県北九州市門司区大里(だいり)の山手、奥田の淡島神社(少彦名命)、島根県大田市川合町川合の物部神社摂社。和歌山市加太の淡島神社等、 神功皇后が半島からの帰途、海上で大時化にあい、神に祈って苫(とま→とも→たま)を海に投げ、その流れにしたがって船を進めよとのお告げがあったので、 その通りにすると、一つの島(友の島→艫島)に流れついた。その島には小祠があり、少彦名命、大穴貴命の二神がまつられていたので数々の品を神々に捧げ た。その後、仁徳天皇が、この島へ狩りにきた時、その話を聞き、島では何かと不自由と社を加太の磯間の浦に遷し、神功皇后(息長足姫命)も併せて祀ったと ある。もしかしたら物部氏と蘇我氏の対立かもしれない。
 この淡島神社で少彦名命と神功皇后の男女一対の御神像が並べられたのが、男雛女雛の始まりで、御遷社の日が仁徳五年三月三日(美美→母母=桃)だったの で、この日が雛祭りの日になった。雛祭りの語源は、スクナヒコナ祭りが簡略化して、ヒコナ祭り→ヒナ祭りになったともいう。また、一説に淡鳥願人達が語り 聞かせたもので、淡島様は天照大神の第六番日の姫君。十六才で住吉明神の一の后になったが、下の病に罹り、綾の巻物、十二の楽器と一緒に虚ろ船に乗せられ て堺の浜から流されたが、翌年三月三日に加太の栗島(淡島)に流れ着いた。淡島様はさっそく巻物を取り出し、雛形を刻んだ。これが雛遊びの始まりである。 その後、淡島様は同病救済の悲願をたて、死後、この地に神として祀られたと云う。

タクマ=漢字音、投[dug][dәu][t`әu]、馬[măg] [mă(mbă)][ma]が、dug・mag→dugu・ma(詫間・田隈)→dәgi・ma(當麻)→dәdi・ma(田道間)→dәji・ma(但 馬)→daima(対馬)→danba(丹馬)、或いは、「タチマの→タジマ(田島→但馬)の」へと転音したと考える。

~里=佐賀県伊万里市二里町中里、長崎県北松浦郡福島町里免、同県松浦市御厨(み くりや)町里免、同県松浦市志佐町里免、同県北松浦郡鹿町町口ノ里免、同県北松浦郡佐々町里、同県佐世保市中里町・名切町、同県東彼杵郡東彼杵町里郷・名 切、同県大村市中里町、同県西彼杵郡多良見町中里名・名切、同県長崎市中里町等。

當麻(たいま)寺=草創については不明な点が多く、『上宮太子拾遺記』嘉禎 3(1237)年所引の『当麻寺縁起』は、創建の年は同じく推古20年とし、当初は今の當麻寺の南方の味曽地という場所にあり、朱鳥6(692)年頃、現 在地に移築されたとする。前身寺院の所在地には味曽地とする説の他にも、弘長2(1262)年の『和州當麻寺極楽曼荼羅縁起』等、河内国山田郷とする史料もあり、その河内国山田郷 の所在は交野郡山田(現大阪府枚方市)とする説と大阪府太子町山田とする説がある。また、聖徳太子の父用明天皇と母當麻倉首比呂娘飯女之子(別説葛城直磐 村娘広子)との間に生まれた當麻(たいま)皇子と在る。現在、西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」とそれに纏わる中将姫伝説で知られる。
  1. 2016/09/12(月) 08:56:09|
  2. 6.国々の比定
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◇大村湾


 投馬国への水行二十日は、末盧国以降、伊都国への陸行とは違う寄港地の伊万里川、或いは、有田川沿岸で沿岸航海用の中型船に乗り換えて九州北岸を西行し た後、長崎県平戸市と同市(北松浦郡)田平町間の水道を大村湾最南端迄、東沿岸部を航海したと考える。多くの遺跡が在ると思うが、煩雑になるので、手持ち の資料から投馬国への水行に関連すると思しき弥生遺跡に絞り、地図化すると、以下の如くなる。
大村湾沿岸遺跡 
①馬戻遺跡=伊万里市大坪町六仙寺地区・立花町・松浦町中通・久良木(弥生時代)
②西尾遺跡=伊万里市二里町大里・中里・金武神社・東山代町讃岐・浦川内(弥生時代)
③栢ノ木(かやのき)遺跡=松浦市栢ノ木免・里免・福井免・板樋・長野免・佐志中通(弥生時代)=志佐川沿岸
④池田貝塚遺跡=松浦市池田免・御厨町田代免・板橋免・木場免・笛吹免(縄文~中世)
⑤里田原遺跡=平戸市田原町里免・亀免・荻田免・田代(縄文~弥生時代)
⑥田助遺跡=平戸市田助(旧石器~中世)
⑦中野ノ辻遺跡=平戸市田平町荻田免中野ノ辻(弥生~古墳時代)
⑧根獅子遺跡=平戸市根獅子(弥生時代)
⑨大野台支石墓群=佐世保市鹿町町鹿町免・大野台・口ノ里免・関里・針尾名倉・古里・御所・飯盛山(縄文~弥生時代)
⑩津吉遺跡=平戸市津吉町・田代町(旧石器~弥生時代)
⑪四反田遺跡=佐世保市下本山町・中里・浦川内町・但馬越・名切町・宮田町・中通町・下船越町名切(縄文~弥生時代)
⑫宮の本遺跡=佐世保市高島町(弥生時代)
五反田遺跡=東彼杵郡川棚町五反田郷・八幡山・石木郷浦川内・木場郷日向(弥生~古墳時代)
⑭串島遺跡=西海市西海町天久保郷(縄文~古代)
⑮宮田A遺跡=東彼杵郡東彼杵町八反田郷宮田・名切里郷・木場郷・川内郷木場・飯盛(縄文~弥生時代)
⑯野岳遺跡=大村市東野岳町・北木場・飯盛山(1万3千年前)
⑰黒丸沖田遺跡=大村市黒丸・沖田(弥生時代)
⑱富の原遺跡=大村市富の原(縄文~弥生時代)
⑲伊切木遺跡=西彼杵郡多良見町舟津郷中里名・中通(縄文時代~中世)
⑳化屋(かや)大島遺跡=西彼杵郡多良見町名切名・福井田(弥生時代)

 尚、以下は、投馬国へのルートに係わりはないが、同系の人々として良い。

21河頭遺跡=諫早市湯野尾町(縄文時代早期末~前期及び中期)
22本明石棺群=諫早市本明・香田・開・広瀬、大村市大里・中里・木場(古墳時代初期)
23有喜貝塚=諫早市松里町有喜・鶴田町・宗方町・長野町(縄文~弥生時代)
24開集落跡=諫早市飯盛町開名・里名香田・中通町・木場(縄文~弥生時代)

 距離的な問題として、か、と、の間(佐賀県伊万里市二里町大里の金武神社付近には甕棺墓群)や、1213の間にあっても良いと思うが、現時点で手許の資料には見あたらない。但し、前者の場合、河口奥から引潮に乗り、湾外へ出て、満潮時に沿岸を航海した。後者の場合、佐世保市船越・名切(なきり→なかり)付近で佐世保湾へ船を越し、干潮に変わる頃、早岐瀬戸を通り、飯盛山の向かい浦川内付近で一泊した。
 五反田=京都府京田辺市草内五反田、同府京都市伏見区向島五反田・納所、滋賀県甲賀市(甲賀郡)甲賀町五反田・里、鳥取県鳥取市五反田徳吉・徳尾・里仁(さとに)、愛媛県八幡浜市五反田・大平・広瀬・八代、長崎県東彼杵郡川棚町五反田郷(八幡山)・石木郷浦川内等、他にも中部以降に多い。尚、鳥取県鳥取市大字徳尾の大野見宿禰(おおのみすくね)命神社=相撲(角力)の神様野見宿禰、土師氏の祖神を祀る。

伊万里市=伊万里川沿岸に位置し、南西の腰岳では黒曜石を産出する。同市の西尾遺跡も有田川沿岸に位置し、東側に腰岳がある。

多良見町=長崎県西彼杵郡多良見町舟津(浦川内・中通)の伊木力(いきりき)遺跡から 縄文前期、最古の丸木舟が発見された。熊本県宇土市宮庄町・轟・一里木(いきりぎ→いちりぎ)付近の曽畑貝塚から出土した曽畑式土器の広範な分布状況から 見て、丸木舟を自在に操る海民の移動があった事は容易に想像できる。

相撲(角力)=これも腕相撲をしたと伝承される建御雷神と建御名方神に由来するのだろうが、長崎県の名称由来と思しき大村湾を形作る長い陸地外側長崎市の外海は角力(すはふ→すばふ→すまう→すもう)灘と転音した。


  1. 2016/09/22(木) 08:54:00|
  2. 6.国々の比定
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◇邪馬壹国=呪術的な女王を戴く首長(全一)国

   訓音は、ンギァッマッイェッ→ガマィ・エl(カメ)、ガマ・ヘ→ガマ・フ(ガモウ)、或いは、ィアマィ・エ→ヤマィ・エ(ヤマヘ)等が考えられる。尚、私説の狗邪韓国から末盧国への水行十日と末盧国から邪馬壹国へ陸行一月の方向性から推測すると、下記の地域一帯に比定する。

  福岡県甘木市(現朝倉市)鎌崎・馬田・早水・楢原・大平山
  福岡県三潴郡大木町蒲生(がもう)、同郡城島町楢津
  福岡県大牟田市亀甲(かめのこ)町・手鎌・甘木・田隈・長田町・三池(宮地嶽神社)
  福岡県八女市亀甲(かめのこう)・蒲原(かまはら)・室岡・岡山・宅間田(八女古墳群)・福島、上陽町打越
  福岡県山門郡(みやま市)瀬高町大草・女山(女山神籠石)
  福岡県鹿本郡植木町亀甲(かめこう)・轟
  熊本県玉名市亀甲(かめこう)・山田

 伊都国を佐賀県東松浦郡郡厳木(きうらぎ→いつき)町と同県多久市に比定したが、「タク」と云う地名が、福岡県前原市多久、同県宗像市田久、島根県平田市(現出雲市)多久とあり、女王卑弥呼の死を契機として狗奴国(壹與=カマ)に追われる様に邪馬壹国伊都国は東遷を始める。

  福岡県筑紫野市山家(やまえ)・若江・宮地嶽
  福岡県北九州市小倉南区蒲生・北方(南方)・菅生・徳力(とくりき→とどりき)・八幡町・山田
  佐賀県佐賀郡富士町蒲原(かまはら)、隣町の同県東松浦郡七山村鮎帰・木浦・白木・馬川
  長崎県島原市蒲田町・安徳・亀の甲、同県南高来郡国見町轟木
  熊本県山鹿市蒲生(彦岳)、同県玉名郡菊水町竃門かまど)・江田
  熊本県上益城郡清和村野・大平、同県八代郡(現八代市坂本町)坂本村瀬・鮎帰
  熊本県球磨郡山江村葛・山田、同郡五木村大平・宮目木・葛八重
   同郡球磨村三ヶ浦(那良川)、同郡錦町大平・福島
  大分県南海部郡蒲江かまえ)町蒲江浦、同郡宇目町木浦内、同郡鶴見町有明浦
  山口県下関市蒲生野・安岡・竜王山、同郡(現下関市)豊浦町川棚、同郡豊北町・山田山(特牛)
   同郡豊田町飯塚・楢原、奈留、同郡菊川町印内・大野・岡枝・楢崎
  鳥取県岩美郡岩美町蒲生・院内・大坂
   同郡国府町稲葉・玉鉾・御陵参考地(谷)・因幡国府跡・宇倍神社
  大阪府大阪市城東区蒲生・永田
  京都府船井郡丹波町(京丹波町)蒲生・院内、同郡瑞穂町桂・鎌谷、同郡八木町八木・広瀬
   同郡園部町曽我谷・半田・埴生(はにゅう→はぶ)・武尾神社(大戸)・鹿嶋神社(殿谷)
   同郡和知町広瀬
  滋賀県蒲生郡安土町豊浦町、同郡蒲生町蒲生堂・葛巻・玉緒神社(川合)
   同郡日野町鎌掛・日田・蓮花寺、同郡竜王町鏡

 ○「シェバ・エ→サバ・エ(サマエ→サメ)」と転音したとすれば、下記の如き地名が在る。

  福岡県糸島郡二丈町佐波・福井、同郡志摩町稲葉・久米・老松神社(船越)、同県前原市作出
  山口県佐波郡鯖・鯖河内・大野・奈良原、同県防府市佐波・警固町・高倉町
  広島県福山市佐波・駅家町江良・金崎・住吉町・奈良津・鏡山(神村町)・竜王山(柳津町)
  京都府舞鶴市佐波賀(宮谷神社)・大君・蒲江・丹後神崎・日向・福井・安岡
  福井県鯖江市大野町(丹波岳)・金屋町・住吉町、同県今立郡今立町との境に八幡山
  滋賀県近江八幡市佐波江・板屋・生須・御所内・玉屋・長田・八幡山(宮内)・八木
  岐阜県羽島郡柳津町佐波、同郡笠松町泉町(白髭神社)・奈良町・八幡町
 
八女古墳群=乗場古墳(福岡県八女市吉田)壁画系・彩色、丸山古墳(同市詫間田)壁画系・彩色。王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)壁画系・彩色、6世紀の装飾古墳、法恩寺3号墳(大分県日田市刃連町)壁画系・彩色、穴観音古墳(同市内河町)壁画系・彩色、ガラドンヤ古墳群(同市石井町)壁画系・彩色、鬼塚古墳(大分県玖珠郡玖珠町)壁画系・彩色、千代丸古墳(同県大分市)壁画系・彩色、伊美鬼塚古墳 東国東郡国見町 壁画系・線刻、加賀山横穴墓(同県宇佐市四日市)横穴系・彩色、鬼ノ岩屋古墳(同県別府市北石垣)壁画系・彩色、古賀山1号墳(佐賀県多久市東多久町)壁画系・線刻。チブサン古墳(熊本県山鹿市城)壁画系・彩色、丸尾古墳・長戸鬼塚古墳(長崎県北高来郡小長井町)壁画系・線刻等、多くが、福岡県南部と熊本県大分県付近に集中、邪馬壹国や狗奴国の領域を併せたと思しき地域に広がり、後代、狗奴国系に支配されたと推測される。 その他の県。
 丹花庵古墳(島根県松江市古曽志町)石棺系・線刻、梶山古墳(鳥取県岩美郡)壁画系・彩色、空山古墳群(同県)壁画系・線刻、坊ヶ塚古墳(同県)壁画系・線刻。
 宮が尾古墳(香川県)壁画系・線刻、木の葉古墳(同県)壁画系・線刻、綾織塚古墳(同県)壁画系・線刻、 岡古墳群(同県)壁画系・線刻。
 高井田横穴墓群(大阪府柏原市)横穴系・線刻 。
 
太子古墳(茨城県新治郡出島村)壁画系・彩色、吉田古墳(同県水戸市)壁画系・線刻、虎塚古墳(同県勝田市)壁画系・彩色。

打越=福岡県田川郡糸田町打越、長崎県北高来郡小長井町打越名、熊本県熊本市打越町・板屋町・馬渡、同市清水町打越、同県上益城郡甲佐町糸田・横田・田代、同郡砥用町境に打越峠。

女王卑彌呼=死後、女王系統は二つに分裂して、壹與(カマ)は狗奴国に靡き、手を結んだのだろうか、それを嫌った邪馬壹国(臺與=カメ)と伊都国連合の人々は、邪馬臺国(饒速日命?)として東遷を始める。その後、狗奴国(+壹與)系も後を追う様に北上し、東遷したと考えられる。おそらく、そうした経緯が饒速日命と神武天皇の東遷説話に化体されたと考える。

宇倍神社=鳥取県岩美郡国府町宮下字一宮651祭神 武内宿禰命、彦多都彦命 武牟口命 因幡国一宮・法美郡の延喜式名神大社。本殿の後阜亀金岡の雙履石は祭神の雙履の霊石と伝わる。古代文化遺跡の中心地。祭神を因幡国造祖彦坐王の子彦多都彦命(神祇史料)、伊福部氏の祖武牟口命(姓氏家系大辞典)・埴安姫命とする諸説がある。
 『因幡国風土記逸文』難波の高津宮に天の下を治めなされた五十五年春三月、大臣武内宿禰は御年三百六十余歳で当国に御下向あり、亀金の双の履を残して御陰所知れずになった。聞く所によると、因幡国法美の郡の宇倍山麓に神の社があり、これを宇倍社という。これは武内宿禰の御霊である。
 
昔、武内宿禰は東方の夷を平らげ、宇倍山に入った後、終わる所を知らずと云うとし、祭神を武内宿禰としているが、『万葉緯』所引「武内伝」の逸文は、鎌倉期以前には遡らないとされる。明治維新後、宮司家伊福部氏は世襲を断ち、北海道に移住、著名な音楽家伊福部昭氏を輩出する非凡な家系であった。
 『日本の神々』で川上廸彦氏は真の祭神は伊福部氏祖の武牟口命とする。八頭郡の式内社多加牟久神社も武牟口命とされる。


  1. 2016/09/30(金) 17:13:48|
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