見まごう邪馬台国

◇狗奴国=卑しい祭祀官下属の女囚の国

 訓音は「クッナッ・クォ(国→羅)→クナ・ラ→クナ・ダ→カナ・ダ」と転音し、金田(かなだ)、金武・叶岳(かなたけ)→神岳(かんたけ)・金山(かなやま)等は関連の地名と考えられる。
 私説の里程から推測すると、邪馬壹国比定地の南側、熊本県荒尾市金屋・金山・大平町、島原湾を挟んだ長崎県南高来郡小浜町金浜(かなはま)・原山支石墓群(大亀)、同郡吾妻町鶴田横田、同郡有明町甘木、同郡国見町金山・轟名、同郡深江町大野木場、同郡布津町天ヶ瀬、同郡瑞穂町横田付近一帯も含まれるとも考えられる。
 
他にも下記の如き地名が在り、邪馬壹国伊都国連合の領域と思しき地にも在るので、邪馬壹国の女王卑彌呼の亡き後、領域を併合した狗奴国王卑彌弓呼は、養母に養われて成人すると、卑彌呼の宗女壹與を妻として娶り、百済(くだら)と称す。

  福岡県北九州市小倉北区金田・神岳・山田
  福岡県田川郡金田町金田・神崎
  福岡県鞍手郡若宮町金生(かなふ→かなう)・金丸
  福岡県糟屋郡篠栗町金出(かなで)・飯盛山
  福岡県福岡市西区金武・叶岳・飯盛・壱岐(生の松原)
  福岡県福岡市早良区金武・有田・板屋・四箇・田隈・金屑(かなくず)川
  福岡県福岡市城南区金山(かなやま)
  福岡県甘木市(現朝倉市)金丸(かなまる)・秋月・長田・楢原・馬田・大平山
  福岡県八女郡立花町兼松(高良神社)・白木(大年神社)、同郡上陽町飯塚(山神社)・打越・轟
   同郡星野村大牟田・栗原・小竹・轟・御側(良成親王墓)
  佐賀県神埼郡(神埼市)神埼(かんざき)町馬郡・作出・鶴田・仁比山(仁比山神社)・山田
  佐賀県小城郡三日月町金田・久米・三ヶ島
  佐賀県伊万里市二里町中里・金武・立花町・波多津町馬蛤潟(飯盛山)・真手野
  長崎県長崎市金屋町・秋月町・出雲・白木町・住吉町・博多町・八幡町
  長崎県諫早市金谷町(かなや)・大野・鶴田町・長田町・広瀬・馬渡町
  長崎県東彼杵郡波佐見町金屋郷・山田川内
  長崎県北高来郡高来町金崎(かなさき)名
  大分県中津市金手(かなて)・枝町・博多町・八幡町・福島
  大分県大分市神崎・白木・八幡
  大分県北海部郡佐賀関町神崎・大平・白木・轟

 後代、漢音に拠る訓みで、「クドゥラ→クダラ」にされたとすれば、下記の如き地名が在る。

  滋賀県愛知郡(現東近江市)愛東町百済寺(ひゃくさいじ)
  奈良県北葛城郡広陵町百済(くたら)
  熊本県八代郡(八代市)坂本村久多良木(きうたらき)、百済来川・鮎帰・板持・馬廻・大平・葉木
  山口県下松(くだリまつ→くだまつ)市青柳・大蔵・河内・山田

 「クヅ(クズ・カズ・クツ・カツ)・ラ」とすれば、下記の如き地名が在る。

  福岡県北九州市八幡西区勝山・河内・大平、同市小倉南区葛原、同市小倉北区勝山
  福岡県行橋市沓尾・高来(こうらい→たかき)・御所ヶ谷神籠石(津積)
  福岡県京都郡勝山町・浦河内
  福岡県豊前市沓川・轟・広瀬・八田・狭間・山田
  福岡県鞍手郡小竹町勝野
  福岡県福岡市東区勝馬(志賀島)
  福岡県宗像郡(福津市)津屋崎町勝浦
  福岡県久留米市山川沓形町・枝光・草野町矢作・宮地嶽神社(大橋町)・高良山神籠石(御井町)
  佐賀県小城郡牛津町(かつ)
  長崎県長崎市勝山町・博多町
  長崎県壱岐郡(壱岐市)勝本(かつもと)町勝本浦
  長崎県佐世保市勝海町・勝富町・但馬越(但馬岳)・八幡町(亀山八幡宮)
  大分県宇佐郡院内町御沓広瀬
  大分県西国東郡(杵築市)大田村沓掛・鮎帰・波多方・畑、同郡真玉町大平・金屋
  和歌山県海草郡下津町沓掛・橘本(きつもと)

 尚、陰陽五行説「西=金」との関連から、金田=彼方(かなた)→此方・西方(こなた)、日が沈む西(西方浄土)にも繋がるかも知れない。
(了)



スポンサーサイト
  1. 2016/10/10(月) 19:54:35|
  2. 6.国々の比定
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

◇韓国(朝鮮)の行政区画

 韓国の洞(Tong/Kor) 里(Ri/Maur) 村(Chon/Maur) 坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)等と、日本語の「県」「郡」「市」「町」「村」の行政区画の違いは何でしょうか。
 東洋言語の比較研究の開拓者として世界的に有名な言語学者で、国語辞典「広辞林」の編者金沢庄三郎氏は、以下の箇条書きで説明します。

【(1)朝鮮に於ける最も普通に集落を表す名詞は「~洞」「~里」である。
 (2)2つと同義で、位置や地勢により、村、坪、田、地、基、原、亭、站、岱、津、谷、浦、城、島等を用いる。
 (3)代表的な名詞の音読みと訓読み韓国語の固有読み)は、以下の通り。*()内は漢字音読/訓読

   洞(Tong/Kor) 里(Ri/Maur) 村(Chon/Maur) 坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)

 (4)これらの地名接尾語には、本来、多少の使い分けがあったが、かなり混同される。
 (5)里や村の朝鮮語固有読み、Maur(マウル)には、Mori(モリ)、Mari(マリ)、Mar(マル)、Mor(モル)、Mouri(モウリ)等の変化形がある。
 (6)坪の訓読みの方も、Pur(プル)、Pari(パリ)、Pori(ポリ)、Puri(プリ)の変化形がある。朝鮮語のP音は語中で、Bur(ブル)、Bari(バリ)、Bori(ボリ)、Buri(ブリ)になる。
 (7)坪(Por/ポリ)は、古代に於て、「伐」の字を用いられ、三韓では「城」と同じ意味に使用されていた。その他、尚、夫里、卑里、不離、巴利、頗利等の字が充てられた。
 (8)金沢論文に引用されている邪馬台国九州説を最初に唱えたことで有名な歴史学者の白鳥庫吉博士説に拠れば、上記、Pur、Por が Bur → Mur → Maur になった。
 (9)この Pur(プル)、Por(ポル) は、日本語の古語では「フレ」にあたり、プレ(pure)と発音していた。後の地名の「フル、バリ、ハル、ハラ」等は、全て、この「フレ」が転訛したもの。】 *半角の片仮名は韓国語のパッチム=母音を持たない子音、以下同

 上記、(1)~(9)迄を、一つ一つ取り上げながら、私見を述べてみたい。

 >(1)朝鮮に於ける最も普通に集落を表す名詞は「~洞(Kor)」「~里(Maur)」である。

 金沢庄三郎氏も、上記、(4)で、これらの地名接尾語には、本来、使い分けがあったが、かなり混同されるとします様に、~洞(Kor)、~里(Maur)も同義ではなく、その地域の地形の状況や状態が違うと考えます。
 前者のKor(洞=コル)は、日本語の洞(ほこら)=矛で突いたような細長い区画=先を見通せる事や、刳(くる)=刃物で抉り、穿ち穴をあける事と関連があるとすれば、山に挟まれた谷間口で、川が流れる等、見通しが利いた集落と考えられます。
 例えば、福岡県北九州市を南北に別ける洞海(どうかい)湾は、旧く「くきのうみ」と呼ばれていました。この頃、遠賀川下流域で繋がっており、潮汐に拠る潮流のある水道でしたので、この「洞(くき)=岫」は、漏(も・る)の古語(くき・し)と関連があるでしょう。それが故か、その南側の同市戸畑区から小倉北区・南区一帯に架けては、企救(くく→きく→きくら→こくら)郡と呼ばれました。
 ~里(Maur)を「マゥル→モル」にしますと、「漏・洩(もる)」と繋がるのかも知れません。ただ、盛(もる)、守(もる→まもる)と在りますので、漢字「里」の語義からすると、土を盛り、作物を守る畝を作る耕作民が住む、城壁のある条里制の集落(区画)と考えられます。
 韓国語には小さな口で発音する「オ」があり、漏・洩(も)る=「モゥル」は「ム」と「モ」の中間音で、韓国語「水(ムル→ブル)」に近い音かも知れません。一方の「盛る」「守る」は大きな口の「オ」の「モル→マォル」に近い音とすれば、日本語の「丸(まる)」とも繋がります。
 現代韓国語には、馬(mar)、言葉(mar)等がありますので、日本語の「ま」の発音に近い音「マ」ではなく、前者は「マ」と「モ」の中間音になります。

洞(くき)=洞海湾付近の地図で確認すると、水道の南北海岸縁迄、山裾が迫る地形です。同音の茎(くき)も上下の両端が通じた水道として良い。「紀」伊奘諾が黄泉国から還る時、何事か伊奘諾に云ったとされる白山神社等に祀られる菊理(くくり→きくり→くきり)媛は、括(くくる)=二つ以上の物を縄や紐の両端を繋ぎ併せる事になる。また、「ホ・コラ」の「ホ」は、穂先補や炎(ほのほ)等に使われる先端の事で、行き止まりのがある事を示唆する。
 尚、現日本語では、ア・イ・ウ・エ・オと云う五母音とされますが、現韓国語には「ア」「オァ」「オゥ」「イ」「ウ」「ィウ」「アィ(大口形のエ)」「オィ(小口形のエ)」等、様々な母音がある。クク→キク→クキ等の転音は、そうした曖昧な母音に拠る振り分け方の違いが要因と思われる。

企救(くく→きく→きくら→こくら)郡=古代、遠賀川沿岸部に巣くったとされる物部族の一つ聞物部(きくもののべ)氏の領地と伝承される。尚、「キク」とは耳で聞くだけではなく、鼻が利く、目が利く、口を利く、薬が効くとも使われますので、感覚が繋がる事、A点からB点が通じ、病気等の因果関係に適う事。
 尚、「ラ」=等・羅で、単一点ではなく、多数・区画を表す語、新羅(しぎ)・百済(くだ)、群がる→村(むら)等。奈良(な)は、均し、平す事に関係して京都を開いた所と考えられます。

丸(まる)=毬・鞠(まり)、椀(まり)、放(まり)等は同源となります。おそらく、後者の二つは、放物線との関係から半円形になる蒲(がま)や、魚肉の練り物の蒲鉾も円筒状の穂花からでしょうが、現在は板上に半円筒形に盛る。また、同様の円形や半円形の鎌(刃の形状)・釜(底の形状)・窯(天上の形状)を表す「カマル→カマッ→かま」もある。
 尚、船の名称や城の本丸や二の丸に使われる理由は、海(女神)に対する男性のトーテムとされる馬(Mar)=船(男神)と同様、軍隊が駐屯する里や村の韓国語(Maur)等と関連し、城(土に成る)とすれば、陰神(女性)の土台上に立つ陽神と云う関係か。



  1. 2016/10/19(水) 00:10:15|
  2. 4.日本語と古朝鮮語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

◇地名の接尾語

 >(2)2つと同義で、位置や地勢により、村、坪、田、地、基、原、亭、站、岱、津、谷、浦、城、島等を用いる。

 金沢庄三郎氏も、上記の地名語尾は「使い分けがあった~」としますので、人が群がり、住む所と云う基礎的な共通項だけで括られます。そこで漢字の語義を順に見ていくと、以下の如くなります

  「村」=邨(そん)に通じる。屯=集合した軍隊と、その場所、仲間や或る職業の者が屯する場所
  「坪」=平地、区画された土地→条理の邑で農民→評・郡(こほり/むらがる)・壺に通ず
  「田」=区画された耕作地と、そこに通じる道→農耕民の集落(農村)
  「地」=うねうねと続く大地→畑作と牧畜する人々の集落か
  「基」=土台となるべく積土→部族長や領主の城郭や城壁の在る集落
  「原」=平らで広く、多く草が生えた土地、特に耕作しない平地、野原・原野→牧畜民の集落
  「亭」=阿舎・屋敷・住居→部族長や領主の館がある集落
  「站」=宿駅→馬子や荷役の人夫が住む集落
  「岱」=泰山の別名、山→牧畜民や狩猟民の小さな家族単位
  「津」=川の湊、対岸に渡る所→川民や沿岸航海民家船)と荷役人夫の集落
  「谷」=水の湧く、山と山の間(峡谷)→水守の集落?
  「浦」=海や湖の陸地に入り込んだ所→漁労民の集落
  「城」=土を盛り、敵を防ぐ→部族長や領主の城郭や城壁のある集落
  「島」=海中や水中から突出している所→海民の集落

 以上と、その字音とを考え併せながら、近い語義を持つもので括り、整理すると以下の如くなります。

  村[ts`uәn][ts`uәn][ts`uәn]=軍隊が駐屯するか、鍛冶職人等、同業の人々が集住する地域。
  坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ]=揚子江中流域の小さな平地→区画整理された耕作地を持つ地域。
  田[den][den][t`ien]=平にして区画整理された耕作地を持つ地域。

 上記の前者「村」は、区画された耕作地の有無は定かではありません。後者の二つは、平野部の条里制を持つ「里」と殆ど同義で、租税を徴収するための官吏や守衛の武官が常駐していました。 

  基[kıәg][kıei][ki]=土台をもつ建物が有り、周囲に城柵を設けておらず、周辺部の治安は確保される。
  亭[deŋ][deŋ][t`iәŋ]=物見櫓を持つ建物が有り、周辺部の治安は万全に確保されてない。
  城[dhieŋ][zıєŋ][tʃ`ıєŋ]=周囲に城柵を設けた建物が有り、最前線で近隣は対立する勢力圏内になる。

 上記は城下町で、前者「基」には官吏や武官の役所、後者の二つには軍隊が常駐。周辺には商家が並び、人々が集まり市が立つ。ただ、区画された耕作地の有無は定かではありません。

  地[dieg][tii][ti]=区画されていない耕作地と牧畜を営む人々が定住する地域。
  原[ŋıuăn][ŋıuʌn][iuen]=区画されていない草原等で、ゲル(天幕)で移動しながら遊牧する人々が暮らす地域。
  岱[dәg][dәi][tai]=区画されていない山腹等で、幾つかの拠点を移動しながら狩猟と採集を営む人々の地域

 上記は、区画された耕作地を持たない人々の地域だが、庸や調等、賦役は課された思われます。

  津[tsien][tsiĕn][tsiәn]=河川航行に拠る荷役や渡しに従事する河民の拠点。
  浦[p`ag][p`o][p`u]=漁猟と沿岸航海に従事する漁民の拠点。
  島[tog][tau][tau]=外洋や沿岸航海に従事する海民の拠点。

 上記は、河岸や海岸、海上に立地する地域で、庸や調や、荷役等の賦役を課されたと思われる。

  站[tăm][tʌm][tşam]=兵站(へいたん)等と使われるので、馬子や荷役人夫、宿屋や商家、鍛冶等の職人等が住む集落。
  谷[kuk][kuk][ku]=河川や湧水や泉のある峡谷とすれば、官吏や武官が駐屯する「村」「基」「亭」「城」等の水源を守る人々が住む地域か。

 上記は、集落の状況や状態に拠る生業に違いがある。何れも区画された耕作地は無いが、庸や調を課された。  以下次回。

区画整理された耕作地=豊臣秀吉も行ったとされる検地の如く、面積から収量を計算し、租税を徴収するための田畑。

庸や調=租庸調は、唐の均田法下の税制。土地を給与された丁男(ていだん/21~59歳)に対して課した現物税。租は粟2石、旧、年20日間の力役が1日につき絹3尺に換算されたもの、調(「徴」と通ずる)は土産の絹2丈と綿(まわた)3両、または麻布2.5丈と麻3斤。後、両税法がこれに代わった。日本でも大化改新以降に同様のものを制定。
 庸(ちからしろ)=律令制の現物納租税の一種。大化改新では仕丁(しちょう)・采女(うねめ)の衣食用として1戸につき布1丈2尺・米5斗。大宝律令制定後は、唐の制度にならって毎年10日間の歳役(さいえき)の代納物とし、成年男子一人につき布2丈6尺、または米6斗。奈良・平安時代を通じては、布1丈4尺、または米3斗が一般。
 調(みつぎ)=律令制の現物納租税の一種。孝徳朝の大化改新では田の面積に応ずる田調と戸毎の戸調とがあった。7世紀末から唐の制度にならって成年男子の人頭税とし、繊維製品・海産物・鉱産物等、土地の産物を徴収した。分量は麻布・栲布(たえのぬの)の場合、一人当り2丈8尺。他に調副物(ちょうのそわりつもの)という付加税もある。




  1. 2016/10/25(火) 22:01:48|
  2. 4.日本語と古朝鮮語
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0