見まごう邪馬台国

(16)邪馬国

  邪[ŋiăg(yiă)][ziă][sie(ie)]=邪なる事(よこしま・悪い)=呪術等、漢方では陰陽のバランスが悪い事(傾ぐ)。
 馬[măg][mă(mbă)][ma]=草原を駆ける馬→帆に風を受けて海上を航行する船。

 前項の「躬臣国」の役目とも関連して、国名「邪馬」は覡王と違い父系制の宗女が巫女として神事を掌る国と云う意味になる。邪馬壹国の女王卑彌呼は、この巫女で、共立後、神殿に籠もり、希にしか姿を見せない秘巫女(ヒメィホ→ヒミコ)とされる。

 「私説」華北の燕から朝鮮北西部に逃れた衛満が建てた衛氏朝鮮(BC195頃~BC108)が漢の武帝に滅ぼされ、渡来した関係者に拠るのか、伊都国の台頭が要因か、年を経た争乱の後、委奴国連合で擁立された覡王ではなく、独立した投馬国連合の宗主国邪馬国から巫女王を共立する事で収めた。狗奴国は、それを不服として南下して独立したと考える。
 邪馬壹国の副官「彌馬升(みませ)」は、この国の女子を娶り、男婿として巫女王(御体)を生す男系で、政を佐ける男弟。また、同副官「彌馬獲支(みまわき)」は、巫女の側で飲食や伝辞を掌る男子と考えられる。

 漢字音を併せると、「ンギァッマッ→ガマ(ヤマ)」で、比定地の流れに順うと、海峡を挟み(17)躬臣国対岸の長崎県西彼杵郡西彼(せいひ)町亀浦郷・大串郷・木場、同郡大瀬戸町瀬戸板浦(城ノ尾岳)・道目木・山ノ田・雪浦郷久良木・木場、同郡西海町木場郷付近一帯に比定する。尚、地名「カマ~」は以下の如く在る。

 福岡県嘉麻(かま)市、同県北九州市小倉北区蒲生(がもう)、同県筑紫野市山家(やまえ)・筑紫・萩原
  同県柳川市蒲生・筑紫町、同県北九州市小倉南区蒲生・徳力(とくりき→とどりき)・山田
 佐賀県佐賀郡富士町鎌原(かまはら)・大串・大野、同県東松浦郡七山村木浦・鮎帰
 熊本県玉名郡菊水町竃門(かまど)・萩原、同県山鹿市蒲生、同県上益城郡清和村鎌野
  同県八代市坂本町鎌瀬・鮎帰
 大分県南海部郡蒲江町蒲江浦、同郡宇目町木浦内
 山口県下関市蒲生野・(旧豊浦郡)豊浦町川棚・小串(こぐし)・長府印内
 鳥取県岩美郡岩美町蒲生・院内、同郡国府町稲葉(御陵参考地・因幡国府跡・宇倍神社)
 大阪府大阪市城東区蒲生
 京都府船井郡丹波町(京丹波町)蒲生(こも)・院内、同郡瑞穂町鎌谷
 滋賀県蒲生郡蒲生町蒲生堂、同郡安土町豊浦

 「記紀」成立期の中古音「チァマ→タマ」とすれば、「紀」亀の背に乗って山幸彦(狗古智卑狗)の上国へ行った玉依姫(卑彌呼の宗女壹與)が豊玉姫(同宗女臺與)の御子不合尊(狗奴国王卑彌弓呼)の乳母から妻になると云う伝承に繋がるのか、「亀(かめ)~」と云う地名が在る。

 青森県弘前市亀甲町・高田・豊田、静岡県掛川市亀ノ甲印内・大野・高田・萩間、千葉県柏市亀甲台(きっこうだい)町・高田、山口県下関市長府亀ノ甲豊浦町・長府印内町・山田、同県小野田市亀ノ甲・萩森、福岡県大牟田市亀甲町、同県八女市亀甲、長崎県島原市亀ノ甲町・萩原、熊本県玉名市亀甲・山田、同県鹿本郡植木町亀甲・豊田、大分県大野郡野津町亀甲
 青森県西津軽郡木造町亀ヶ岡・豊田、同県南津軽郡藤崎町亀岡・豊田、宮城県仙台市青葉区川内亀岡町(国分寺)、同県気仙沼市亀山、山形県東置賜郡高畠町亀岡、福島県南会津郡只見町亀岡、茨城県水海道市亀岡町、同県西茨城郡岩瀬町亀岡、栃木県真岡(もおか)市亀山、同県黒磯市亀山、群馬県新田郡尾島町亀岡、千葉県千葉市中央区亀岡町、石川県七尾市亀山町、福井県大野市亀山、愛知県渥美郡渥美町亀山、兵庫県姫路市亀井町亀山、同市飾磨区亀山、岡山県倉敷市亀山、広島県広島市安佐北区亀山、山口県山口市亀山町・荻(をぎ)町、大分県日田市亀山町。

船=草原を走る馬に化体されたのか、海原を走る馬と認識された。天空を天翔る鳥=天之鳥船と同様、雄のトーテムとされるので、大陸の東南沿岸部では、海の女神「媽」が祀られる。
 馬の進行距離(70~140㌔/日)とあり、通常、三日間とも進んだ場合、70×3=210㌔だろうが、一日の休息日や予備日を儲けて同距離を進んだとすれば、70+140=210㌔、その平均値の105×2=210㌔となる。これから私説の里数を決定する基本を船の走行距離を千余里/日=105㌔/日、一里≒105mに設定した。

男子=其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂相攻伐歴年。乃共立一女子爲王名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者。以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人、持兵守衞。

宇倍神社(鳥取市県大字宮下)=祭神武内宿禰命・彦多都彦命(因幡国造祖彦坐王の子) 神祇史料 武牟口命(伊福部氏先祖)姓氏家系大辞典
 因幡国一宮・法美郡の延喜式名神大社。『因幡国風土記逸文』に難波の高津宮に天の下を治めなされた。55年春3月、大臣武内宿禰は、御年三百六十余歳で当国に御下向あり、亀金の双の履を残して御陰所知れずになった。聞く所によると、因幡国法美郡の宇倍山麓に神の社があり、これを宇倍社という。これは武内宿禰の御霊である。昔、武内宿禰は東方の夷を平らげて宇倍山に入った後、終わる所を知らずと言うとある。
 『万葉緯』所引「武内伝」、これにより、祭神を武内宿禰としているが、この逸文は鎌倉期以前には遡らない。宮司家伊福部氏は、明治維新後、宮司の世襲を断ち、北海道に移住、著名な音楽家(伊福部昭氏)を輩出する非凡な家系であった。
 『日本の神々』で川上廸彦氏は、真の祭神は伊福部氏祖武牟口命とされる。八頭郡の式内社多加牟久神社も武牟口命に係わると云う。百人一首に在原業平の兄行平の歌が残る。「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松としきかば今かへり来む」

亀~=岩手県稗貫郡大迫町亀ヶ森、宮城県亘理郡亘理町亀井戸、秋田県由利郡岩城町亀田亀田町、同県平鹿郡増田町亀田、福島県郡山市亀田、同県田村郡三春町亀井、同県二本松市亀谷(かめがい)、栃木県佐野市亀井町、同県富津市亀田、神奈川県横浜市栄区亀井町、同県藤沢市亀井野、新潟県中蒲原郡亀田町荻曽根、富山県上新川郡大山町亀谷(かめがい)、愛知県名古屋市名東区亀ノ井、同県岡崎市亀井町、三重県亀山市亀田町・鹿島町、京都府亀岡市東別院町鎌倉・大野、大阪府八尾市亀井町、兵庫県姫路市亀井町・亀山、同市飾磨区亀山、同県宝塚市亀井町、鳥取県東伯郡大栄町亀谷、島根県邑智郡瑞穂町亀谷、同県仁多郡仁多町亀嵩(かめだけ)、広島県甲奴郡総領町亀谷、山口県宇部市亀浦・小串(こぐし)、香川県高松市亀井町、愛媛県西宇和郡伊方町亀浦、福岡県大牟田市亀谷町、同県三池郡高田町亀谷、長崎県北松浦郡田平町亀免、熊本県熊本市清水亀井町、同県牛深市二浦町亀浦


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  1. 2017/09/04(月) 14:20:21|
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(15)鬼奴国

 鬼[kıuәr][kıuәi][kıuәi]=(字統)人に従い鬼頭を象ると在り、人屍の風化したものを云う。「畏」と同系で鬼が呪杖を持った形
 奴[nag][no(ndo)][nu]=捕らえた女で祭祀官下属の女囚

 漢字音を併せると、「キゥァナッ→クァナ→カナ」、語義から王族や貴族の死を司る隠亡や墓守の一族で、鬼国に下属する女囚を掌る国になる。おそらく、先述の福岡県福岡市博多区金隅(かねのくま)遺跡の共同墓地だけではなく、王族や貴族の御陵も管理した。
 旧来の委奴国連合を構成した国で、再起を期して南下、独立した狗奴(くな→くぬど)国(狗[kug][kəu][kəu]・奴[nag][no(ndo)][nu])にも関連が在るのは云うまでもない。邪馬壹国とは素不和(もとよりわせず)とされる後者は、中古音「カゥノ(カゥヌド)→クノ(クヌド)」となり、後代の百済(くだ・ら)に繋がる。
 この国も一大率から官卑狗(文官)や副卑奴母離(武官)が、(13)鬼国との国境、佐賀県武雄市西川登町板屋・同県嬉野市嬉野町木場・焼山付近に派遣された。尚、地名「かなた・かねた」には下記が在る。

  滋賀県彦根市金田(かねだ)町・男鬼(おおり)町・宮田町
  鳥取県西伯郡会見町金田・荻名
   同県江津市金田(かねた)町
  岡山県岡山市金田・久米・小串(こぐし)
  愛媛県川之江市金田(かなだ)町金川
  高知県高知市金田(かなだ)・萩町
  福岡県福岡市西区金武(かなたけ)・四箇・野方(叶岳)・飯盛山、同市早良区金武(かなたけ)
   同県福岡市東区志賀島叶崎(かなさき)・叶浜、同県田川郡金田町金田(かなだ)
   同県北九州市小倉北区金田(かなだ)・神崎
  佐賀県小城郡三日月町金田(かなだ)・三ケ島・久米、同県伊万里市金武(金武神社/弁財天)
  宮崎県都城市金田・広瀬・大淀川

 ただ、比定地の流れに順うと、「邪馬国」と大村湾を挟み対岸の長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷・木場郷・里郷・瀬戸郷(大神宮神社)・飯盛(飯盛山)・同郡川棚町浦川内・木場郷、同郡波佐見町鬼木郷・金屋郷、同県大村市宮小路(みやしょうじ)付近一帯とする。
 彼杵(そのぎ)とされるが、「彼方(かのあた→かなた)」と訓むので、本来、「カノギ→カナギ」だったとも考えられ、南下していた狗奴国の攻勢に因るのか、投馬国と邪馬壹国連合の一部「記紀」天照大御神(天照大神)の姐奴(ざの)国等が天降りしたため、スサノヲの蘇奴(せなう→その)国等の領域に組み込まれた後、「ソノギ」に転音したのかも知れない。

 鬼奴国(クァナ・ラ→カナ・ダ)は卑彌呼が能くする鬼道に繋がるのか、「赤鬼」は製鉄民の別称とも云われるが、手持ちの資料では付近に金属が精錬された遺跡は見えない。ただ、佐賀県小城郡三日月町金田、兵庫県佐用郡三日月町三日月・鎌倉、同郡南光町鎌屋・萩原等の地名があり、万葉仮名の甲「き」に使われる「岐・伎」の現代北京音は、「チ(qi)/ジ(ji)」の近似音とされるので、三日月(ミカヅキ→ミカヅチ)=武甕槌神=御鍛冶(みかづち→みかぬち)になる。

 また、志賀島と資珂島を「シカ」とするが、「記紀」成立期の中古音では、何れも近(チカ)で、東彼杵町遠目(遠海)郷と関連し、福岡県東部の遠賀川河口域は旧く汽水域の古遠賀湾があり、遠つ淡海の遠賀(ゑんか→をんが)に対し、近つ淡海(有明海や博多湾?)=近賀(きぬか→ちぬか→ちか)=茅渟賀になる。
 「カナ→カヌ→カヅ→クヅ→キヅ」に転音したとすれば、河原や湾岸に治水を施して陸地化した地名で、福岡県糸島郡志摩町香月(かづき)、福岡県北九州市八幡西区香月(かつき)、同県鞍手郡鞍手町木月(きづき)、大分県杵築市杵築(きつき)、山口県小野田市杵築、島根県簸川郡大社町杵築等がある。

かなた/かねた=彼方(かなた)とは、西方浄土に還る事と関係が在り、輪廻転生が叶・適(かな)う事とも繋がり、二つを兼ねる。後代、人の生を掌る神道と、人の死を掌る仏教とを併せ、神仏混淆思想が生まれる。お寺の梵鐘は彼世(死後の世界=山上)から麓の現世に向けて鳴り響くのかも知れない。それが故か、除夜の鐘は年末から年始にかけて鳴らされる。
 他にも広島県比婆郡口和町金田(きんで)・吉木、大阪府吹田市金田(かねでん)町・穂波町、同府守口市金田(きんだ)町・馬場町がある。

東彼杵町=麻生瀬遺跡(墳墓・弥生中期)・東彼杵郡川棚町麻生瀬(あそぜ)は、調査の結果、箱式石棺25基、甕棺 3基、集石遺構 7基を検出。箱式石棺は副葬品が少ないため築造時期が不明だが、石棺の特徴から弥生時代中期頃のものとされる。
 甕棺は何れも日用品を転用した小型の単棺で、埋置方向は横位である。副葬品は全く出土していない。 集石遺構は河川円礫を円形に配置したものであるが、遺構に伴う出土遺物は無い。墳墓とは異なる祭祀遺構ではないかとの推定がなされている。石棺墓、甕棺墓、土壙墓、集石遺構 。
 宮田A遺跡(縄文時代・弥生時代)・東彼杵町八反田中の坪。
 小薗城跡城館跡(旧石器・縄文・弥生・古墳・中世・近世)・東彼杵町瀬戸郷字小薗は、標高28m~32mの台地の城館跡で、当該地は大村郷村記に小薗城(こぞのじょう)との記載がある。調査の結果、城の遺構としては空堀が確認されたが、他は近世の遺構により攪乱を受けており、判然としない。

大神宮神社=三上六所神社に天照大御神と豊受大御神をご祭神とする大神宮神社が合祀される。 大神宮神社「配 饒速日命他」長崎市栄町6番地12号

大村市宮小路(みやしょうじ)=竹松遺跡は、弥生期の特殊な墓で知られる。夫々、異なる特徴を持ち、その中、1基は弥生中期で、初めて見つかった。何れも子ども用で、大きな土器を死者の棺として埋葬する甕棺墓が見つかっている。
 弥生期の遺構(約2300年前~約1700年前)は地面を掘り窪めて床を造る竪穴建物跡、穴中に立柱を並べて建物を造る掘立柱建物跡。尚、十点余りのカミィヤキ、11~13世紀、遥か南方、徳之島阿三(あさん)の亀焼地区で焼かれた南西諸島の在地土器が見つかる。
 西海道を統べた太宰府等の中枢以外では確認されていない律令時代のものと見られる越州の青磁も発掘された。大村湾を挟んだ対岸西彼杵半島は、9~16世紀に流通した滑石製石鍋(宮崎康平氏は坩堝とする)で有名。そうした製品や海産物の集積地だったとされる。
 長崎県島原市(南高来郡有明町)大三東(おおみさき)・三之沢付近で発掘された縄文晩期(BC4世紀頃迄)の小原下遺跡から製鉄屑を含む炉状遺構が出土、考古学界に問題を投げかけている。 07年2月の島原新聞に拠れば、従来、東日本に多く見られた土偶5個と、竪穴住居跡28基が出土した。

三日月=土生遺跡(はぶいせき)佐賀県小城市三日月町久米2488。平成4年に三日月町教育委員会が実施した指定地外の発掘調査で、全国初の青銅製ヤリガンナ鋳型が出土した。兵庫県佐用郡(現佐用町)三日月町三日月町(茶屋遺跡/詳細不明)がある。

志賀島と資珂島=志[tiəg][tʃıei][tsï]・賀[ɦag][hə][ho](チハ→チカ→ッシカ)、資[tsier][tsii][tsï]・珂[kar][kə][ko](チィカ→ッシカ)。芦屋釜は、遠賀川河口で鋳出した茶湯釜。室町時代が最盛で優作があり、地肌なめらかで地文鮮麗。その後、各地で類似のものを作り、越前蘆屋・播州蘆屋・伊勢蘆屋等がある。尚、全国の刀鍛冶は、河原で採れる砂鉄の蹈鞴製鉄で有名な奥出雲地方の真鉄(まかね)を使う。*長崎県西彼杵郡外海(そとめ)町
 茅渟(ちぬ)=大阪府南部の和泉国にあたる地域の古称。血沼・千沼・千渟・智努。茅渟鯛(ちぬだい)=黒鯛。「ちに」とも。 *赤鯛=赤女



  1. 2017/09/11(月) 16:39:30|
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(14)為吾国

 為[ɦıuar][ɦıuĕ][uəi]=(字統)手と象に従う。卜文や金文等で、手で象(ぞう)を使役する形、土木工事等を行う。
 吾[ŋag][ŋo][u]=(字統)交差した木で蓋(五)をし、祝禱を入れた器(口)を敔(まも)る。「御」「馭」と声義が近く通用される。

 漢字の語義から、(18)巴利国と共に行う土木工事等の無事を祈願した祝禱を安置する国で、「神功紀」福岡県筑紫郡那賀川町安徳(裂田神社)の裂田溝とも関連し、伊都国の官柄渠觚(はぎこ=接子・作子)は、この国の王で水田や水路の設計施工を掌る役人(文官)で、(17)躬臣(くし)国が祝禱を入れた器を安置する廟に神官を派遣した。また、投馬国の副彌彌那利(みめなり)=御妻川→御笠川?は治水を目的の溝(うなて)、後の水城を管理・維持する業務を掌っていたと考える。

 漢字音を併せると、「フィァヌガッ→ヒァヌガッ→ハガ→ハギ/(中古音)ホヌゴ→ゥオヌゴ→ヲグ」となり、比定地の流れから長崎県佐世保市萩坂宮田浦川内・名切町・松浦町・針尾島指方町御所(平松神社・塩槌命)、同県北松浦郡川棚町小串(をぐし)・浦川内五反田郷(弥生~古墳の五反田遺跡)付近に比定する。
 河岸沿いに北上、同市母ヶ浦(ほうがうら)から但馬越を迂回すると、佐賀県伊万里市へ、そのまま海岸沿いに北上すると、巴利(へり)国の比定地、長崎県北松浦郡(平戸市)田平町荻田(をぎた)免・里免方面へ向かう。尚、九州管内には「ハギ/ハガ」「ヲギ」は下記が在る。

 福岡県大川市荻島、同県前原市荻浦、同県大牟田市萩尾町・馬渡、同県筑紫野市萩原、同県糟屋郡篠栗町萩尾(はぎのを)、長崎県島原市萩原、同県佐世保市萩坂町、同県北松浦郡田平町荻田免、佐賀県小城郡(現小城市)小城町、同県佐賀市嘉瀬町荻野、熊本県熊本市萩原町・馬渡、同県八代市萩原町、同県阿蘇郡一の宮町荻の草、同県鹿本郡植木町荻迫、同県下益城郡松橋町萩尾、同県玉名郡菊水町萩原、同県八代市泉村葉木、同市坂本村葉木、同県菊池市小木、大分県直入郡荻町(荻神社)、宮崎県延岡市萩町、鹿児島鹿屋市萩塚町等。
 
 「フィゥァヌガッ→ゥイアヌガ→ゥヤヌガ→ヱンガ」(遠賀)とすれば、近似音「伊邪国」も福岡県を縦断する遠賀川沿岸部の遠賀郡付近とも考えられる。但し、その遠賀川沿岸部に姓氏「芳賀(はが)」は多いが、地名が見えない事を考え併せると、女王卑彌呼の死後、北上してきた狗奴国の攻勢に追われて東行したか。

 斯馬国の比定地とした佐賀県唐津市矢作(やはぎ)・浜玉町飯塚・五反田横田・山田付近や、福岡県遠賀郡岡垣町芹田・海老津・戸切(とぎり)・吉木・山田峠付近を流れる矢矧(やはぎ)川、同県飯塚市八木山(老松神社)・伊岐須・横田甘木・庄司とも繋がるとすれば、邪馬壹国の官伊支馬(ヤッキェマ→ヤキヤマ)に関連するとした福岡県遠賀郡岡垣町海老津付近、旧矢矧(ヤハギ→ヤァギ)村南側、同県鞍手郡宮田町宮田・鶴田・磯光・芹田、同郡小竹(こたけ)町勝野・南良津等、遠賀川を挟み対岸の同県田川郡(福智町)金田(かなだ)町神崎の東隣、同県嘉穂郡頴田町鹿毛馬に鹿毛馬神籠石が在る。

 熊本県玉名郡天水町の山名「焼山(やけやま)」、為吾国と大村湾を挟み西側、次項の「邪馬国」比定地、長崎県西彼杵郡大瀬戸町雪浦久良木郷・瀬戸板浦郷・山ノ田・福島郷・多以良郷百目木、同県島原市南千本木町・萩原・亀ノ甲町にも「焼山」がある。
 尚、筑後川沿岸部の同県朝倉郡夜須町屋形原(焼峠古墳)・鬼丸・福島(須佐神社)、同県福岡市南区屋形原・鶴田、同県甘木市(現朝倉市)屋形原・板屋・楢原等の屋形(やけい→やかた)原は「焼原」かも知れない。

ハギ/ヲギ=山形県天童市芳賀・中里・奈良沢、福島県郡山市芳賀町・久留米、同県耶麻郡高郷町羽賀・荻野・同郡山都町朝倉、同県二本松市葉木坂・萩坂、茨城県結城市芳賀崎・香取神社(大木)、同県稲敷郡江戸崎町羽賀・小羽賀・高田、栃木県芳賀郡二宮町福島・物部・横田、同郡芳賀町高田・同郡茂木町小萩、千葉県勝浦市芳賀・白木、同県市原市葉木・荻作・奈良、福井県小浜市羽賀・板屋町・飯盛(はんせい)、鳥取県西伯郡会見町荻名、島根県 出雲市荻杼町、同県邇摩郡(大田市)温泉津町井田荻村、同県大田市水上町荻原、兵庫県伊丹市荻野、同県篠山市今田町荻野分、岡山県阿哲郡哲多町荻尾、同県岡山市芳賀(飯盛山)・鮎帰・金田・神崎・小串(こぐし)・福島、広島県豊田郡瀬戸田町荻、山口県萩市古萩町、同県山口市荻町・朝倉町、大分県宇佐郡(現宇佐市)院内町荻迫、同県大分市萩尾・萩原。
 「ハギ=接ぐ・剥ぐ・作」、「ホヌガ→ゥオヌガ→ヲグ=言祝(ことほぐ)→招(をぐ)」と云う言葉に関連があると考えられる。

御所=伊都国の比定地、佐賀県多久市との境、女山峠や八幡岳峠西麓、委奴国連合宗主国の奴国中枢とした佐賀県武雄市若木町川古(かわご)にも「御所」の地名が在り、針尾島指方町御所(平松神社・塩槌命)は早岐の瀬戸を管理した投馬国の副官彌彌那利が坐したのかも知れない。
 秋田県秋田市上北手御所野・御所野元町、同県横手市安本御所野、同県山本郡八森町御所ノ台、茨城県北相馬郡守谷町御所ヶ丘、埼玉県比企郡吉見町御所、千葉県成田市御所ノ内、同県香取郡多古町御所台、神奈川県横浜市西区御所山町、富山県高岡市戸出岡(といでおか)御所、石川県金沢市御所町、福井県福井市御所垣内(がいち)町、長野県長野市鶴賀問(とい)御所町、同県上田市御所、同県南佐久郡川上村御所平、静岡県掛川市高(こう)御所・御所原、愛知県東加茂郡足助町中之御所、同県北設楽郡稲武町御所貝津、滋賀県近江八幡市御所内町、京都府京都市北区衣笠御所ノ内町、同区紫野御所田町、同市上京区御所八幡町、同市左京区 岡崎御所町、同市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町、同区松ケ崎御所海道町、同区松ヶ崎御所内町、同市中京区御所柳八幡町、同区壬生賀陽(みぶかや)御所町、同区壬生御所ノ内町、同京都市東山区福稲御所ノ内町、同市下京区七条御所ノ内町、同市右京区太秦御所ノ内町、同区太秦安井北御所町、同区梅ヶ畑御所ノ口町、同区嵯峨広沢御所ノ内町、同区常盤古御所町、同市伏見区 醍醐御所ノ内、同区中島御所ノ内町、同市山科区上野御所ノ内町、同区 大宅御所田町オ、同区大宅御所山、同区小野御所ノ内町、同区勧修寺御所内町、同区小山西御所町、同市西京区桂御所町、大阪府高槻市安満御所ノ町、兵庫県神戸市兵庫区御所通・雪御所町、同県宝塚市御所ノ前町、奈良県御所市柏原(ごせし・かしはら)、和歌山県伊都郡カツラギ町御所(ごせ)、広島県尾道市御所町、山口県熊毛郡熊毛町御所尾原(をばら)、徳島県那賀郡上那賀町御所谷、福岡県福岡市中央区御所ヶ谷、同県京都郡みやこ町勝山御所(御所ヶ谷神籠石)、熊本県上益城郡矢部町御所、同県天草郡御所浦町長浦。

甘木=長崎県島原市(南高来郡)有明(ありあけ)町甘木・大野・庄司屋敷・戸切(とぎり)・同郡国見町西里名・多比良・轟木・宮田名、福岡県大牟田市甘木・亀の甲町・馬渡(まわたり)町・有明(ゆうめい)町、熊本県上益城郡嘉島町北甘木(矢形川)、福岡県田川郡川崎町安眞木(あまぎ)。


  1. 2017/09/21(木) 08:08:08|
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(13)鬼国

 鬼[kıuər][kıuəi][kıuəi]=(字統)人に従い鬼頭を象ると在り、人屍の風化したものを云う。同系の文字「畏」は鬼が呪杖を持った形とあり、王や貴族の死を司る神官の一族で、御体(みま)の魂魄を扱う職分(遺体であれば、隠亡?)を掌る人々の長と考える。

 漢字音は「キゥァ→クァ→カ(コ)」=河(木)国、木国=基肄→紀伊は熊野川や紀ノ川上流部とされるが、比定地の流れに順い佐賀県杵島(きしま)郡南部と同県藤津郡塩田町や同県鹿島(かしま)市の高津原・一本付近一帯を、その中枢部に比定する。
 年代は未詳だが、一本柿遺跡や旭ケ丘遺跡があり、海側に「小舟津」とあり、「柿」は竹で編んだ籬や垣で「中川」の泥濘地を埋め立てた建端で、「橘」「立花」は河川沿岸部や切り立った岬等に使われる。

 邪馬壹国の官彌馬獲支(みまふぁけ→みまわけ/みまふぁぃぇ→みまはぃぇ→みまひぇ→みまへ)=御体別・御体部→御前は、この国の王で女王卑彌呼の御前に座してお告げを聞いたか。尚、邪馬壹国と伊都国連合は鬼国を通じ、委奴国連合の鬼奴(カナ)国の人々を使役した。 
 また、「奴国」項で海民が使訳を務めたとした様に、狄鞮・鞮訳等、「鞮」=北方夷狄の言語、及び、その通訳と在り、おそらく、邪馬壹国の官名「奴佳鞮」は海民を伴い渡来した殷王族後裔の箕子氏や燕の武人系の衛氏朝鮮等の王族に仕えた官僚と考えられる。

 佐賀県鹿島市母ヶ浦海手に七浦地区、奴国の中枢、佐賀県武雄市北側の女(おんな)山、有明海を挟み東側、邪馬壹国の比定地、福岡県八女市の女(ぞ)山神籠石南側の同県大牟田市七浦三池(宮地嶽神社)、為吾国と躬臣国との境に長崎県佐世保市母ヶ浦(ほうがうら)等がある。

 武内宿禰は福岡市西区壱岐付近、愛宕山に出城を持った壱岐真根子の娘「豊子」を妻にしたとされ、彼は壱岐の小戸(博多湾)から木国(武雄)へ阿利那礼川で有明海へ抜け、自由に往来していたと思われる。その二人は見かけが、うり二つで、武内宿禰の身代わりになって死んだ後、遺体は壱岐ではなく、佐賀県武雄市若木町の伏尺神社(祭神・壱岐直真根子)に葬ったと伝承される。壱岐真根子は「記」建内宿禰(博多湾)と「紀」武内宿禰(有明海)に転生したのかも知れない。

 「景行紀」昔、大きな歴木(くぬぎ)があり、朝日は杵島、夕日は阿蘇を覆ったと云う伝承から御木(みき→みいけ)国と名付ける事に関連し、狗奴国に追われ、後代、肥前と呼ばれた地域の国々は鬼国(木国→河国)と共に邪馬壹国伊都国連合の一部が出雲方面へ東遷する。
 「仲哀紀」福岡県東部の遠賀川付近で登場する伊蘇志と誉められた筑紫伊覩県主祖五十迹手(いとで)とあり、肥国(建日向日豊久士比泥別)は海民の一部が河民(山祇)として、神遣いされた速スサノヲがヲロチ退治した出雲の肥河上へ南風で上ると(狗奴国の北上)、その攻勢に邪馬壹国壹国連合一部(肥前→出雲)は日本海側へ移動、肥後(木国→紀伊=和歌山県)の一部も瀬戸内沿岸部を東遷を始める。

 素戔嗚尊の御子五十猛命の徳を称えるため佐賀県杵島郡白石町大字馬洗(もうらい)に妻山神社「抓津彦命・妹の抓津姫命」が創建される。その社伝では、五十猛命が韓(から)国から樹木の種を持ち帰り、杵島山に播種、発芽を見て紀伊の熊野に行った。その後、全山が緑に覆われたため、木島→杵島と呼んだとされる。
 その木国の領域か、鬼国の比定地、鹿島市七浦地区付近で盛んな鬼面を付ける面浮立が、奴国の比定地、佐賀県武雄市若子町・同県杵島郡北方町木ノ元・馬神(うまがみ)、椛島(椛島遺跡)周辺の同県藤津郡、多久市、小城郡、佐賀郡の一部迄も拡がる。(了)

木国=筑後川や遠賀川沿岸部には「木」の付く地名、スサノヲを祀る須賀神社が多く在り、両河川との関わり外す事はできず、スサノヲが熊野の木国(河の国)へ向かったと云う伝承も無視できない。

建端(たちばな)=西北の佐賀県藤津郡塩田町五町田(吉浦神社)付近、和泉守道貞の妻和泉式部の歌碑公園。和泉式部=平安中期の歌人(生没年未)。中古三十六歌仙の一人。大江雅致(まさむね)娘。杵島福泉寺で生まれ、塩田郷の大黒丸夫婦に9歳迄、育てられた。天皇に優れた才能を見抜かれ、京都の宮廷に仕える。小式部内侍の母。為尊親王・敦道親王の寵を受け、中宮彰子に出仕後、南家巨勢麿後裔藤原保昌に嫁す。恋愛歌人として有名。「和泉式部日記」「和泉式部集」。
 また、同町馬場下には紀国に多い丹生(にう→たんじょう)神社(丹生都媛命)がある。藤津郡と長崎県東彼杵郡郡境に聳える虚空蔵山に源とする丹生川は、藤津郡嬉野町を経て嬉野川、同郡塩田町を経て塩田川となり、有明海に注ぐ。
 この川筋に丹生(たんじょう)神社が鎮座する。佐賀県藤津郡嬉野町丹生川144・丹生神社(丹生都比女命)、同町丹生川下野・丹生神社(罔象女命)、同町不動山丙・川上丹生神社(丹生都比女命)、同町不動山甲・丹生神社(丹生都比女命)、同県鹿島市井手・丹生神社(罔象女神)。

邪馬壹国=女王卑弥呼が隠れた宮殿の位置を矢部川支流山井川沿岸の福岡県八女市亀甲・蒲原付近に比定した。その南西側、同県大牟田市歴木・甘木・萩尾町・亀甲馬渡町・教楽来・田隈(たくま)付近に「御体別」の役所があったか。他にも出雲町・松浦町・甘木・七浦町・橘・三池(宮地嶽神社)等の地名が見える。

狄鞮=西方の未開民族の北狄、北方塞外の匈奴(きょうど)・鮮卑(せんぴ)・柔然(じゅうぜん)・突厥(とっけつ)・契丹(きったん)・。回紇。回鶻(かいこつ→ウイグル)・蒙古(モンゴル)等の遊牧民族の言葉を通訳する人。通訳官とある。おそらく、邪馬壹国伊都国連合が遣わした使者の使訳も同様の人々と考える。

伊蘇志=藤原廣嗣の乱(740年)や恵美押勝の乱(764年)にも功があった大野東人とされるが、大野(多)氏に東人は見えないが、紀国造天通根命後裔(中略)豊布流の流れに伊蘇志臣東人(生没年不詳)とある。

妹の抓津姫命=国名「邪馬」は男性の覡(馬)と違い父系統の女性が陰陽のバランスが悪い巫女として神事を掌る国。邪馬壹國の官「彌馬升(みませ)」の彌馬は、巫女の御体(みま)を生む男婿の有資格者で、この国の女系を娶り、本来、父系の王になっていたが、伊都国の台頭に因る争乱で、狗奴国が分裂して、女王卑彌呼を共立して収拾した。社伝に拠ると、抓津彦命が五十猛命(いたける)命で、勇猛山(妹山=抓津姫命)を神奈備とし、この祭神は妻山神社だけとされる。

面浮立(めんぶりゅう)=鬼面を着けて踊る佐賀県を代表する民俗芸能で、その起源は五穀豊穣を祈る農耕の祭や追儺=鬼追い行事を基盤とし、浮立化された芸能とされる。鹿島市七浦地区、同市音成(おとなり)面浮立と母ヶ浦面浮立の二系統がある。尚、長崎県佐世保市母ヶ浦(ほうがうら)と云う地名がある。
 尚、奴(ナ)と関連し、儺[nar][na(nda)][no]=鬼遣らいは死んだ人の魂を送る精霊流しか。儺県とは、角(つぬ→つづ→つる)=水路で治水した土地、福岡県福岡市中央区舞鶴(ま・いづる)、同市東区馬出(ま・いだし)、同県三池郡(現みやま市)高田町舞鶴、大分県大分市舞鶴町等と同源の地名と考える。



  1. 2017/09/28(木) 09:48:09|
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