見まごう邪馬台国

◇陳寿の筆法

編者陳寿は、「烏丸鮮卑東夷伝」では領域に対して下記の如く記述する。
夫餘在長城之北、去玄菟千里。南與高句麗、東與挹婁、西與鮮卑接 北有弱水(黒竜江)。方可二千里、戸八萬 
高句麗在遼東之東千里、南與朝鮮濊貊、東與沃沮、北與夫餘接 都於丸都之下、方可二千里、戸三萬 
東沃沮在高句麗蓋馬大山之東、濱大海而居。其地形東北狹、西南長、可千里 北與挹婁夫餘、南與濊貊接
在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接、方可四千里~云々
 
以上の四ヶ国は何れも餘里とされない。先の韓国と一大(一支)国の二国を合わせて6ヶ国が、(方)~里と、可(ばかり)と、下まわる事、上まわる事の何れでも良い=大凡・大体の数値とする。對海(對馬)國だけ、態々、それを上回ると云う「餘」を付加し、特筆する理由は、先述した「餘」と云う字が持つニュアンスの「特定の単位や枠に充て填らない=この領域の概念に収まらない」からとせざるを得ないと思う。また、編者陳寿は、海を境界とする状況を下記の如く記述する。
東沃沮在高句麗蓋馬大山之東、濱大海而居
在帶方之南、東西以海爲限
挹婁、在夫餘東北千餘里、濱大海。南與北沃沮接、未知其北所極。
、南與辰韓、北與高句麗沃沮接、東窮大海、今朝鮮之東皆其地也 戸二萬
 
上記の漢字「濱」「限」「窮」は、広辞苑に拠ると以下の如く在る。「海や湖に沿った水際の平地。「」=自然と際に至る意、ぎりぎりの際に達する。極限の状態に至る。果て迄くる。終りとなる。尽きる。「谷まる」とも書く。動きのとれない状態に陥る。行き詰まって苦しむ。その結論に到達する。決まる。「」=事物に区切りをつける。範囲を定める。仕切る。特にそれだけと定めて他を退ける。定まる→窮まる。多く否定の場合に用いられて、その事に決まっている。最も良い。他に優るものがない。
そこで、現在の朝鮮半島の地図を見ながら、文字の意味を考慮して下記の違いを確認する。
(3)東沃沮在高句麗蓋馬大山之東、濱大海而居~は、蓋馬高原東側の緩やかな裾野に広がる大海の浜にある。
(4)在帶方之南、東西以海爲限~は、先の帯方郡治南側の韓国領域が朝鮮半島東西の海に拠って範囲が定まっているとすれば、沿岸部海域は領域に含まれないと考える。おそらく、その海域には、そこを領有する家船等に住んだ蛋民や沿岸航海民が居り、彼等は帯方郡に服属し、郡衙北側の黄海沿岸部、朝鮮半島西沿岸部の水行を担ったと考える。
(5)挹婁、在夫餘東北千餘里、濱大海~は、(3)と同様の状況だろうが、記述法が違う理由は、~其(挹婁)國便乘船寇盜鄰國患之と在り、その住民と海の関係性で、海域も領有していたかどうかの違いと考えられる。
(6)、南與辰韓、北與高句麗沃沮接、東窮大海、今朝鮮之東皆其地也 戸二萬濊~云々、東窮大海は、朝鮮半島西沿岸北部、現・平壌やソウルを帯方郡領域とし、帯方郡治東側、半島北部東側の陸地には「濊」の領域がある。地図で確認する限りでは、その領内全域が略太白(テベク)山脈に占められるので、東は大海に窮まると云う地形は、その山麓が切り立った断崖や磯となり、そのまま海岸に到達する(=窮まる)。但し、韓国と違い沿岸部で限定されるわけではないので、その領域に沿岸部は含まれるのだろうが、東側の海域は「便乘船寇盜鄰國患之」していたと云う挹婁が領有していたと考えられる。
 
黒竜江=中国東北地区北境、シベリア南東部を東流し、間宮海峡に注ぐ大河。南は内モンゴルのアルグン河、北はモンゴルのオノン河を源流とし、松花江・ウスリー江を合わせ、長さ6237㎞。別称アムール川、略称「黒」。中国東北部最北の省名。省都は、哈爾浜(ハルビン)。肥沃な松嫩(しょうのん)平原・三江平原を持つ。

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  1. 2014/07/03(木) 23:54:41|
  2. 2.領域の表記
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