見まごう邪馬台国

◇入口と出口  1

(6)陰(ほと=poti)から麦(pori)と小豆(あずき=pat)

「紀」陰(ほと)に麥(むぎ)及び大小豆(まめ・あずき)生るとあり、韓国語の対応では、麦(pori/maek)と小豆(pat)の二つだけ、大豆(koŋ)での対応を無視しますから、これも我田引水の類として良いでしょう。
「記」須佐之男命に殺された大気都(けつ)比賣の鼻にて小豆(あず)生り、陰(ほと)にて麦生り、尻(けつ)にて大豆(まめ=糞)生り、陰(ほと)に生る麦(バク→マク)=播くとすれば、尿(ゆまり)と精(胤)を播く性器=精播(ちんぽ)として良く、「記」大気津比賣は男性保食神に転生した考えられます。一方、「紀」月夜見尊に殺された保食神の亡骸の陰(ほと)には三種の穀類がなりますので、女性の大気都比賣に転生したのかも知れません。
「紀」神之頂に為りある牛馬と関連し、須佐之男命に殺された大気都比賣の鼻に生る小豆(住吉筒之男三神=あず・)の「キ」と伊邪那岐(伊邪那伎)の「キ」は同義で、これが「鼻」の大きさが男性器の大きさに通ずると云う俗信の由縁としょう。
「紀」保食神の陰(ほと)には三種の穀類が生りますから、「記」伊邪那伎神が鼻を洗って生る須佐之男命と神大市比賣との子、大神が知迦流美比売を娶り生む子の羽山戸神が母系大気都比賣を娶り生む子が巫女大宜津比賣へと、以下の如くに輪廻転生したと考えられます。

速須佐之男命 → 大年神(麦=尿と精子) → 父系羽山戸神 → 巫女大宜津比賣(馬頭観音)

食神大気津(尻)比賣(大豆=屎)→ 保食神 → 母系大気都(女陰)比賣(麦=嬰児)

黄泉国から還って阿波岐(あは)原で禊ぎした伊邪那大神が川の中程で、左の御目を洗った時、天照大御神が生り、右の御目を洗った時、月読命が生り、御鼻を洗った時、建速須佐之男命が生り。その左右の目(メ=見)から生った女性(美)の天照大御神(日光の化身→鏡)には、高天原を治めよ。月読(夜見)命(太陰→月光)には夜之食国を治めよ。鼻から生まれた兄系建速須佐之男(スサノ)命には海原(安曇=あずみ)を治めよ云われるが、須佐之男命は嫌がり、神遣いされる。最後に伊邪那大神は淡海(あふみ→あは)の多賀に坐すとしますので、先述した青海(あふみ→あをみ)と併せ、「紀」顱上(中央)に生る粟(籾)が、「記」左右の耳に移動、皇統が二統(三系)に分裂した事を示唆します。
また、顱上の粟から、眉上で繭を被り、孵化(転生)する蚕蛾の如く、「紀」眼中(「記」二つの目に稲種)に生る小さな稗は、年下の牛頭天王(=素戔嗚尊)に転生します。こうした二系統を構成する男女四系への変遷を、「記」左右の目になる稲種、左右の耳に生る粟として示唆します。
漢和大字典に拠ると、「委(早乙女が舞う姿=タノカンサーと交わる)、「(男が舞う姿=山神と交わる)」とありますので、天皇の新嘗祭や大嘗祭が神と同衾し、豊穣や子孫繁栄を祈願する事と同様の意味があります。
また、「繭」と・剣の三つは現代音[jian]で、中古音も近似音だからでしょうか、 蚕蛾(おしら様)との関連を示唆するのか、「紀」口の裏に蠒を含み糸を引く天照大神と、首を廻らして国に向き口から飯出す、海に向き口から鰭広と鰭狭を出 す、山に向き口から毛の麁(あらし)と柔(にこし)を出す保食(うけもち)神とは違い「記」大気都比賣は鼻口(鼻水)、尻(屎)より種々の味物(ためつも の)を取り出して云々とし、食べる「口」自体からは何も出さないので、大気津比賣は口を噤んだ蚕蛾(おしら様)で、唖=忍(しのぶ→おし)と考えられます。

精(胤)を播く=精[tsieŋ][tsiɛŋ][tsiəŋ(jing)]・播 [puar][pua][puo]、伎[gieg][gis][ki](ji)  岐[gieg][giĕ][k`i](qí)、子[tsiəg][tsiəi][tsï](zi)、鼻の本字=自[dzied][dzii][tsï] (zi)、鼻[bied][bii][pi](bi)=ビィ、美[mıuər][mıui(mbıui)][muəi](mĕi)=ムィ(ムビ)とあ る。

糞=そこで日子国夫玖(ヒコクニブク)命が「そちら側の人から、まず忌矢(いはひや))を放ちたまえ」と求めので、その建波爾安(タ ケハニヤス)王が射たけれど命中せず、国夫玖命が放った矢によって、建波邇安王は射られて死んだ。そのため、その軍勢は、悉く敗れて逃げていった。そこで その逃げる軍勢を追い詰めて久須婆之度に着いた時、皆、追い込まれて糞をもらして褌にかかった。そこでその地を名付けて屎褌と言う。今は久須婆と言う。
伊邪那岐と伊邪那美が、次に生んだ神の名は鳥之石楠船神亦名を天鳥船神、次に大宜都比売神、次に火之夜芸男神亦名火之炫毘古(ヒノカガビコ)神、亦名火之迦具土神。この子を生んだことで、陰部を焼かれて病に臥せってしまった。この時、多具理邇に生る神名は金山毘古神、金山毘売神。次に糞から成り出でた神名は波邇夜須毘古神波邇夜須毘売神。次に尿(ゆまり)から成り出でた神名は弥都波能賣神、和久産巣日神、この神の子は豊宇気毘売神(伊勢の外宮)。そして伊邪那美神は火之神を生んだことで、遂に亡くなられた。こうした神話と同様、輪廻転生を示唆する。

あず・き=「アズ・伎」=底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は墨江の三柱 の大神である。「アズ・見」阿曇(安曇)連等(乳母玉依姫)が斎き祀る底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神と考えられる。尚、アズキ→ア・ヅキを阿 月→東月とすれば、明方に見える月、詰まり、生まれたての太陽=日子(嬰児)で、アズミ→アツミは東海で群がり、泳ぐ青魚の鯵(あち)に変化する。*集 (あつ)む→紫陽花(あぢさい)
東大寺の仏殿を背に南大門を見ると、左に阿形、右に吽形の金剛力士像が立つ事と関係して、本来、万国共通で、左(日垂り→ left)=西ですが、日本では天皇が北極星の化身とされ、東西が併合されると反転し、左(スア→ア)=東、右(ウ)=西にされる。東海→阿津海(あづ ま)。*海[məg][hai][hai]

大宜津比賣=羽山戸神が大気都比賣を娶り生む子は以下の如くある。
若山咋神=大山咋神(山末之大主神)と同様、秋から春にかけて山へ還る水神
若年神=大年神と同様、年穀を司る
若沙那売神(さなめ→さのめ)神=早乙女(さおとめ)の化身
弥豆麻岐神=山麓に下った水神=川神?
夏高津日(夏之賣)神=夏の高い日差しの化身 → 日光の化身天照大御神の文身
秋毘売=収穫を終えると、来年の春先迄、山へ帰る豊穣神で、若山咋神(山末の大主神)の化身
久久年神=営々と続く年次を司る重陽の神、菊の節句
久久紀若室葛根神=新嘗祭のため葛蔓草で作った綱で木材をでい仮設した家屋?

伊邪那大 神=伊邪那伎大神、なんと恐ろしい穢れた国を訪れてしまったのだ。竺紫日向橘小門阿波岐原を訪れて禊祓をしようと、投げ捨てた杖から成り出でた神名は衝立 船戸神。帯から成り出でた神名は道之長乳歯神。嚢(ふくろ)から成り出でた神名は時量師(トキハカシ)神。衣から成り出でた神名は和豆良比能宇斯能神。袴 から成り出でた神名は道俣神。冠から成り出でた神名は飽咋之宇斯能神。左手の腕輪から生まれた神名は奥疎神。奥津那芸佐毘古神。奥津甲斐弁羅神。右手の腕 輪から生まれた神名は辺疎神。辺津那芸佐毘古神。辺津甲斐弁羅神。以上の船戸神より辺津甲斐弁羅神迄の十二神は身に着けていた物を脱ぐ事で生まれた神。上 の瀬流れが速い。下の瀬は流れが弱いと云い、初めて中の瀬に沈み潜った。そして濯いだ時に成り出た神名は八十禍津日神。大禍津日神。この二神は、穢れた国 を訪れた時の汚れによって成り出た神。禍を直して成り出でた神名は神直毘神。大直毘神。次に伊豆能売。併せて三神。水底で濯いだ時に成り出た神名は底津綿 津見神。底筒之男命。中程で濯いだ時に成り出た神の名は中津綿津見神。中筒之男命。水上で濯いだ時に成り出た神名は上津綿津見神。上筒之男命。この三柱の 綿津見神は阿曇連等が祖神として祭祀している神。そして阿曇連等、その綿津見神の子宇都志日金拆命の子孫。その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱 の神は墨江の三柱の大神。また、伊邪那伎命が左目を洗った時に成り出た神名は天照大御神。右目を洗った時に成り出た神名は月読命。鼻を洗った時に成り出た神名は建速須佐之男命。以上、八十禍津日神より速須佐之男命迄の十四柱の神は、体を濯ぐ事によって成り出た神。尚、「記」伊邪那岐命伊邪那伎大神伊邪那伎命伊邪那岐大御神伊邪那岐大神と変化する。

高天原=「タカマノハラ/タカマガハラ」とされるが、左目(スアメ)になる天照大御神、右目(ウメ)になる月読命、鼻に生る建速須佐之男命や大気都比賣の鼻に生る小豆とも関連し、高山(かぐやま=香具山)を、鼻で嗅ぐと すれば、カグアメノハラ→カガメノハラ)。天照大御神(日光の化身=鏡)に高天原を治めよ(「紀」天照大神は以て高天原を治すべし)、月読命には夜之食国 を治めよ(「紀」月読尊は以て滄海原の潮の八百重を治すべし)、須佐之男命に青海原を治めよ(「紀」素戔嗚尊は以て天の下を治すべし)とするので、「カグ アフミハラ→カガウミハラ→カガミハラ」ともなる。もしかしたら木曽川流域の洪積台地に位置する岐阜県各務原(かがみはら)市松本町(白髭神社祭神猿田 彦)・那珂手力(手力雄神社)等、天之石戸開と関係があるのかも知れない。

多賀=滋賀県犬上郡多賀町多賀にある多賀(たが)神社は元官幣大社。祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。長寿の神として、古来、上下の尊崇を受け、今は多賀大社と称。多賀大明神。多賀祭=毎年4月22日に行われる古式の神事。犬上郡の富豪・名望家を選んで祭の頭人(とうにん)を定め、黒袍(こくほう)を着け、騎乗して神幸に供奉、国衙(こくが)の使を模した御使殿(おつかいでん)にも供奉する。

男女四系=姉(斉明天皇→太田皇女→元明天皇)、兄(天智天皇→大友皇子)、妹(持統天皇→元正天皇)、弟(天武天皇→文武天皇)とした。尚、欠史八代とされる天皇を、その祖父母の系統、神武天皇と崇神天皇を現天皇家の父母系統とした。

唖=忍(しのぶ→おし)=「紀」中大兄皇子(天智)の御子皇子は唖 (おし)とし、「記紀」仁天皇の子本牟智和気(誉津別)王も言葉(もの)を言わない(口が利けない)とした後、御子と出雲との繋がりを示唆、「記」は御子 の唖が治ったとし、「オシ」の文字を「忍」「押」として使い分けます。垂仁天皇=伊久米伊理毘古伊佐知命、その後、和風諡号「紀」大足彦忍代別尊の景行天 皇が継ぎます。*忍代→唖(オシ)呂→足(下半身)、「記」大帯日子淤斯呂和気=牛の別→頂の牛(上半身)と考える。





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