見まごう邪馬台国

◇唱和

◇唱和
 古来、日本人は農作物の豊穣を祈願し、感謝したり、海上での安全を祈願し、豊漁に感謝したり、祝う春祭りや秋祭り、杣人(そまびと)やマタギ等の猟師が 山神に入山の許しと安全を祈願する祀りがあったと思います。中でも子孫繁栄を願い豊穣と豊漁に感謝する日本の祭りで、氏子等が担いで練り歩く神輿は、天皇 や貴族の乗る御輿=鳳輦(ほうれん)を基本にして魔除けの巴紋や神紋で飾り、ミニチュアの神社の如く鳥居や玉垣、高欄等が付けられて発展したとされ、主に 奈良や京都を中心に一般化しました。平安期になると、近江の日吉大社、京都の八坂祇園社、今宮神社、北野天満宮や大阪の天満宮等でも神輿が作られたと云わ れます。
 韓国語「ワッソ=来た」として、例えば、日本語「来(くる)」と同音の言葉「くるくる回る」「繰る(くる)」「刳(くる)」「暮(くる→くらす)」「車 (くるま)」等から推測すると、「くる」は、回転する→往復すると云うニュアンスを持ちますので、おそらく、韓国語の「ワッソ」にも日本語の「来た」と同 様、行って来た→往復した→一回転と同様、行って戻る(往復)→輪す事を想定していると考えます。もしかしたら、輪廻転生とも繋がるのかも知れません。
 例えば、東日本の或る農村では、春先、男性の氏子代表が付近の神名備山に登り、頂上の祠(ほこら)に祀られる山神(+水神)に祈り、里の社に豊穣神タノカンサーを迎えて祀り、米作りを始める前、春祭りで豊穣祈願した後、苗代を作り、五月女(サーオトメ)が田植えをします。夏、一段落、秋に稔ると、若衆(秋男)が稲刈して豊穣に感謝し、翌年の豊穣もと願う秋祭りの後、タノカンサーは山神(+水神)として山上に還ります。
 こうした豊穣を感謝する祭等で、山神様(+水神)や氏神様を神輿に乗せて氏子代表が担ぎ御神幸する時の掛け声とすれば、村の歳時や行事を皆で担い、氏神社の祭りを和して背負ふ(せおふ→しょふ)事、和し背負い=「ワシセオヒ → ワッシォイ → ワッショイ」と云う転音と考えます。
 また、韓国語の来叱(o+as=was、o+s=os)と関連し、和尚(おしょ う)・和上(わじょう)とされますので、「ワッショイ → オッショイ」とする地方も在り、「ワッショイ」は、母音「オ」の口形で「ア」=「ワ」、口を窄 めた状態から開けて「ゥオ→オ」と云う口形の違いから、日本語では「ワ」と「ヲ→オ」に振り分けられた考えられます。また、「ソイヤ → ソーヤ →  ソーリァ(ソーリェ)」とされる事も在り、漁村等で定置網や、村人総出で地引網を一斉に引き上げる時の掛け声として、背負いやが、「シォイヤ→ソイヤ」に転音した思われます。
 現在、これも単なる掛け声とされますが、豊壌と豊漁を祈願する神事等で、半農半漁の村人総出で二手に別れて行われる綱引き等の行事での掛け声、シォイの(背負い)→ッセイの(一斉の)も同源かも知れません。
 古来、同様の神事とされる相撲で行司が掛ける声「はっけよい(八卦良い)」の語源も定かではないとされます。例えば、力士が動いている時、行司は土俵を 割らずに「残った、残った」と囃しますので、力士の動きが止まった時に掛ける声と考えられます。詰まり、身体の動きを司る魄(はく)が抜けている→気力が 失われているぞと云う意味で、覇気負ひ=「ハケオヒ→ハッケィオゥイ→ハッケヨーイ」と転音したと考えられます。
 もう一つ、こうした豊穣祭や感謝祭との繋がりで、大量・多数と云う語義の「仰山(ぎょうさん)」も晩秋から翌年の春に架けて山に還る豊穣神タノカンサーである山神(+水神)や氏神様、更に、家の祖霊に対し、感謝と畏敬の念を込めて山を仰ぎ見ると云う意味になります。(了)

行って来る=朝、母親に対して子供が学校に行く等、現在の居所から目的の場所に向かう 時の挨拶「行ってきます」には、また、戻って来ると云うニュアンスがあり、これを少し丁寧した「行って参ります」の「参る」にも回るや舞う等、ニュアンス がある。尚、「降参する」等と使われる場合でも、対立していた二者の敗者が勝者に向き合い、遠ざかる動きが回転して近づく方向に変わる。

タノカンサー=陽気の良い春先、山神は水神(男神)として山から下り、晩秋になると、山神(女神)として山に還る。春先は、田楽舞で 山神を降ろし、五月女(早乙女)が田植えをする。稲刈り後、長(和ぐ)月に豊穣祭の猿楽舞(神楽舞)で感謝を表し、山神が神南備山に戻ると神無月となり、 新穀で御神酒を醸(かむ→かも)します。尚、日吉神社(大山咋神=水神?)と同祭神の松尾大社を酒造りの杜氏が崇敬する理由も同様と考える。

秋男=「記」兄の秋山之下氷壮夫(アキヤマノシタヒヲトコ)、弟の春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミヲトコ)と云う二神あり。その兄が 言うに「伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)を求めたけれど結婚できなかった。お前は、この嬢子(をとめ)を得る事ができるか」と、弟は「容易い事です」と答え たので、「もし、お前が、この嬢子を得たならば、身の丈の甕に酒を醸(かも)し、山や川の産物を悉く用意し、宇礼豆玖(熟れづく)としよう」に言った。兄 の言葉を詳しく母に申し上げると、藤の蔓を取り、一晩の間に衣服と履物を織り縫い、弓矢を作り、その衣服等を着せ、その弓矢を持たせ、嬢子の家に向かわせ た。その衣服や弓矢が悉く藤の花になり、その弓矢を嬢子の家の厠に立て掛けた。伊豆志袁登売は、奇妙に思い持って来ようとした時、嬢子の後ろに立ち、その 家に入って結婚した。そして一人の子が生まれたのである。

和尚・和上=漢和大辞典に拠ると、和[ɦuar][hua][huo]、上古音・中古音では「ワ」、近世音では「ホ→ヲ(ゥオ)→ オ」の近似音になる。隋唐期の中古音[hua]のH音がK 音となり、それが故、表題には「しょうわ」「しょうか」と云う訓がある。尚、女性名「和子(かずこ)」は、「くぁつ→かず」とされて、数えて和す員数の事と考えられる。

家の祖霊=日本人の大半は、死んだ人の彼世(霊魂)を司る仏教と生きた人の現世(魂魄)を司る神道と云う折衷に拠る本地垂迹説と云う宗教観で機能する。おそらく、死んだ人の霊魂は山に還り、浄霊されて天宮へ向かい輪廻転生する。それが故、寺は山号を持つのだと思う。





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  1. 2016/05/15(日) 20:30:50|
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