見まごう邪馬台国

◇狗邪韓(クヌガワヌ)国=外洋航海を担う海民国

 「魏志東夷伝韓人条」韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接。弁辰、亦十二國~云々。弁辰與辰韓雜居~。其瀆盧國與倭接界。「同倭人条」倭人在帯方東南大海中~と云う記述からすれば、半島南岸部全体が邪馬壹国に服属する倭人の狗邪韓国と接するのではなく、辰韓に雑居する弁辰の一部族国家瀆盧国領の水道を介した島嶼で、その南側の海域を領有したと考える。
  『まぼろしの邪馬臺国』の著者宮崎康平氏は、この狗邪韓国を韓国慶尚南道釜山市南西海上の巨済(コジェ)島とする。私説も、次項、對海(たま)国を邪馬 壹国側に服属した海民の比定地を長崎県対馬の中央、浅茅(あそう)湾に面した下県郡豊玉町仁位付近とし、同地に鎮座する和多都見神社祭神豊 玉姫は本つ国の姿でお産した後、その御子を置いて海原(うみはら→うみぅあら→うむあら→うまら)に帰り、替わりに乳母として送られた妹玉依姫が長じた御 子の妻になるという説話から、珠(魂=たま)を銜えて天空(あま)を翔る竜→海原(あま)を翔る船→天翔る馬(天馬)と云うニュアンスとすれば、巨済島と 水道を挟んだ慶尚南道沿岸部には、・馬山・蓮華(ヨヌファ)山(寺)・蓮華島、巨済島「竜珠寺」、その東北部浦湾とあり、付近一帯の離島を、その拠点として比定する。
 藤堂明保編「漢和大辞典」や白川静編「字統」等、漢字の語義や解字に拠ると、巨[gıag][gıo][kiu]=定規(矩)→両端の隔たり(渠・ 拒)→大きい・多い。済[tser][tsei][tsiei]=原字「斉」=凸凹のない揃った様→済ます・不足を補って平等に均す→渡す・河水を調整す る。
  その上古音に拠ると、「ギァッセゥ→ガッセゥ→カス」、中古音「ギォッセィ→ゴッシ→コシ」、語義から、隔たり=水道(巨)を渡る(済)島→渡島、渡海民の島→海民の陸鰐島として良いのかも知れない。
 済州(チェジゥ)島の「済」にも近い意味で、元や高麗王朝の頃は流罪の渡島で、政治犯を矯正して一定に均すと云う事か。同字を持つ百済(ペクチェ)の「百」=蛋民や海民と騎馬系諸部族等、多くの民族を、「済」=一定に均し、済して統合する(全一)。
 上記、訓音が日本語の越(こし)とも関連が在るとすれば、狗邪韓(クヌガワニ)国は、北陸(くぬが)とも繋がる。同音の粤・越[ɦıuăt] [ɦıuʌt][iue]=中国東南部に広く住んだ少数民族の海民や蛋民等、その国名、百粤・於越・甌越・閩越等、現広東省の別称とあり、その北側、江西 省や浙江省を流れる揚子江には鰐(わに)が棲息しており、河川を泳ぐ鰐の姿を目一杯の荷を積んで河川を航行する船に擬えたと考える。
 例えば、鰐[ŋak][ŋak][o]と顎[ŋak][ŋak][o]は同字を共有し、同鼻濁音「ヌガク→ガク」とされる理由は、鰐の顎(あご)が強靱 な事として良く、韓国語の「鰐=アックオ→アゴ」にも繋がる。更に云えば、日本海沿岸部に広く住んだ倭人の外洋航海民や沿岸航海民を、「記」因幡で素兎に 騙された鮫の如く、日本近海に生息する顎(あご)が強く口の大きい鮫(わに→さめ)に擬えられたのだろう。
 中国安徽省亳県で発見された後漢期の墓に使われる塼(煉瓦)に「倭人」の文字が見え、他にも斑固の著述「漢書」会稽海外東鯷人が居り、分かれて20余国なり~云々。また、斑固と同時代で、会稽郡上虞県人の王充著「論衡」周の時~云々、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草(鬱 金)を貢ずとある。通説的には、これを大陸東海中の日本列島に住んだ倭人とするが、越人と同列に扱う事からも、倭人とは、大陸東南岸の島嶼に依った沿岸航 海民や長江等の河川航行で物資の運搬を担い、それを生業とする蛋民等と同系の水上生活者が稲作民を伴い渡来したものと考える。

豊玉姫=海神の娘が八尋鰐・大熊鰐や竜の姿で御子を出産するのを皇孫彦火火出見尊(穂 穂手見命)に見られ、恥ずかしく思い帰ったと云う神話や大山祇の娘磐長姫(石長比賣)の姿が醜いと天津彦火瓊瓊杵尊(邇邇芸命)に返された事にも繋がる。 何れも皇嗣の魂魄(たま)=命の輪廻転生思想に関連し、生母豊玉姫(魂=精神的な働きを司る)と乳母玉依姫(魄=肉体的な働きを司る)と考える。また、前 者の場合、母系制での婿に対する妻、後者は父系制の夫に対する嫁と云う婚姻制度の違いも示唆する。

=投馬国項で詳述するが、余の傍国の一つと思しき、現在の長崎県松浦市付近から投馬国の比定地とした大村湾奥の大村市への沿岸航路の寄港地だろうか、~里等の地名が見える。

玉浦(オクポ)湾=巨済島を西沿岸部を南下、付近の離島に碇泊する か、一度、西側の深い湾(ハンネ港)に入り、ワヤ峰(316m)を迂回する自動車道路に沿いを流れる河川を遡上した後、魏使や郡使の大使や副使等は輿に乗 り、従者は徒歩で玉浦湾へ向かった。何れにしても對海国から出迎える一大率の官吏や武官に伴われて外洋船で對海国へ向かったと思われる。

「わに→さめ」=邪馬壹(シァマィエ→サメ)は、菟(夏王朝祖禹の後裔夏后少康?)の渡来を扶けて騙された鮫(佐女→外洋航海民) で、後の卑彌呼や宗女臺與と考える。また、「ヌガマィエ→ヌカメ(邪の別音)」とすれば、「記」速吸戸を羽挙き来て神武天皇(箕子系奴国)の東遷を扶け た槁根津比古(衛氏朝鮮系伊都国)を乗せた(沿岸航海民投馬国系壹與)で、これも輪廻転生思想の「槁(高木神)=サヲ(佐男)→スァヲ→アヲ(青=黒馬)」→東「青龍」と云うニュアンスになる。
 尚、天宮とされる北「一白水星」の玄武は、蛇と亀が合体したものとされ、「記紀」蛇の姿で降った山神と麓の娘(亀に乗る玉依姫)との間に生まれた伊須気余理比賣(五十鈴姫)を若御毛沼命(狭野尊=神武)が正后にする事に繋がる。

安徽=中国の省名、江蘇の西、浙江の北西、長江と淮河(わいが)が流れる重要な農業地帯。省都は合肥。別称、皖(かん)。

東鯷人=鯷(ひしこ鰯)=細長い魚、是=真っ直ぐ進む→正しい、これ、匙(さじ)、鞮=革靴、提(さげる)=縦長、堤(つつみ)=横長。駃騠=速く走る馬とあり、東鯷人とは大陸東岸に群れて住み、蓮花(匙)状の小船で迅速な荷役等に従事する沿岸航海民(一尋鰐)や蛋民で、そうした人々と共に仏教は朝鮮半島や南西諸島を経由して伝来したと考える。
 また、鮫(さめ→フカ)とすれば、沿岸航海民や蛋民(河民)の家船=浮家(ふか)として良い。また、先に、倭人=海民+耕作民とした様に、日本書紀の「倉稲魂」を高床式穀倉(浮家)の守り神「ふかのみたま→うかのみたま」と訓ずる理由と考える。

鬱金=生姜科の多年草。アジア熱帯原産沖縄でも 栽培、根茎は肥大して黄色。葉は葉柄とともに長さ約1㍍。夏・秋に花穂を生じ、卵形白色の苞を多くつけ、各苞に3~4個ずつの淡黄色唇形花を開く。根茎を 止血薬・香料やカレー粉・沢庵漬の黄色染料(キゾメグサ)とあり、上記の「倭人」とは南中国から東南アジア、南西諸島との係わりを外しては考えられないと 思う。尚、黄河や黄泉国との係わりからか、黄色は王の色とされる。



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  1. 2016/06/10(金) 09:56:37|
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