見まごう邪馬台国

◇朝鮮半島の版図

先の文章と漢字の語義から読み解ける6ヶ国と帶方郡治の領域を略図(図1)にすると、北部東側から順に下記の如くなる。 

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橙点線」挹婁=漢魏時代に満州東部に住んだ古代部族、靺鞨の前身、粛慎と同種かどうかは不詳。人が少ない険しい山に住み、衆は規律に服さず、船が巧みで、屡々、近隣諸国を寇掠した。また、邑落の大人を一つの血族が継承する習俗は、近隣の夫餘や沃沮が合議による選挙で大人を選んだのとは対照的である。
紫実線」夫餘(一辺約千里)=満州の古代民族ツングースの一種族。前漢~後漢時代に中国と関係を有するに至る。BC1世紀からAD5世紀迄、中国東北地方・朝鮮北部に活動した民族。また、その建てた国。1~3世紀中頃が全盛期で、494年、高句麗に滅ぼされる。*扶餘
黒実線」高句麗(一辺約千里)
桃点線」鮮卑=アジアの古代民族、蒙古種に属す遊牧民族で、中国の戦国時代から興安嶺の東に拠った。後漢の和帝の時、匈奴に代わって蒙古に覇を称し、二世紀中葉、遼東から内蒙古を含んだ大国となり、三国時代、慕容・宇文・拓跋の三氏が現れ、中でも拓跋氏は「魏」と称し、北魏となる。漢民族祖帝(公孫軒轅)や遼東半島を領した公孫氏等、鮮卑族の拠所「満州」の遊牧騎馬系女真族の奴児哈赤の子が興した清王朝の聖色が「」とされる事等、何らかの繋がりを無視する事はできないと思う。
緑実線東沃沮(南西約千里) 漢魏時代、北朝鮮に居た種族、貊族の一つ。沃沮という独自の国家があったのではなく、前漢の玄菟郡夫租県、現在の咸鏡南道咸興市付近にいた濊貊系種族を指すものと考えられており、同じく濊から分かれた餘(扶餘)・東穢や高句麗等とは同系とされている。1958年に平壌の楽浪区域で出土した「夫租薉君」銀印や1961年に出土した「夫租長印」銀印等から夫租地域での濊族の居留が裏付けられている。『三国志』以降は沃沮と表記されるが、これは租を誤記したとされる。但し、「沃」と「夫」の誤記は無いだろうが、「扶」ではあり得ると思う。
青実線(青点線=玄菟郡)濊=ウラジオストック南側や半島東北部沿岸部「東濊」と在る。資料を読む限りでは、漁労と河岸航航行の河川民(濊)、狩猟採集と牧畜系山民(穢)の二種が交じるか。半島東沿岸部北側には「東濊」とある(下掲図3参照)。
赤点線=帯方郡治、黒点線=韓国領域(一辺約二千里)となる。
尚、青破線は、その北側の赤破線と併せて邪馬壹国が遣使を送る少し前から魏に反旗を翻したとされる遼東太守公孫氏の領域だったが、反乱末期か、終戦後、魏帝に向けた邪馬壹国の遣使等が通った呉に服属したとされる沿岸航海民の領域とする。
 
沃沮=「沃」=水を注ぎ、柔らかくしたり、豊にする。土地が肥えている。「沮」=遮って止める。邪魔をする。語義からすると、水が溜まって引かない湿地だが、白頭山西側の蓋馬高原だから低湿地帯ではない。ただ、北は鴨緑江に向かって傾斜し、赴戦江、長津江、虚川江等、多くの鴨緑江支流が走り、発電用貯水ダムがある。亜寒帯に多いカラマツ等の針葉樹林が覆い、冬は零下20~30度で厳しい。高原西部では焼畑農業を営み麦、粟、大豆等を栽培する人々がいた。高原の西方には狼林山脈が南北に伸びる。蓋馬=騎馬民族の進入を遮る。



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  1. 2014/07/07(月) 14:22:42|
  2. 2.領域の表記
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