見まごう邪馬台国

◇遺跡との照合

 邪馬台国論争での主題は、概ね、末盧国から邪馬台国迄の道程、或いは、不彌国以降の投馬国や邪馬台国への日程で、陳寿が記述した方向性では北部九州説、 不彌国からの日程的には近畿とされる。ただ、「南は東の間違い」は向かう目的地ああるからで、中でも邪馬壹国ではなく邪馬臺国(邪馬台国)の間違いで、 「ヤマタイ→ヤマト」として畿内の大和王朝(纏向遺跡)とする。その最大の理由は、万世一系とする現在の皇室に係わる国体に繋がるからで、或る意味、日本 人としての本源にまで遡るからだろう。
 こうした事も「記紀」初代神武天皇が九州から東遷したとする事や、それ以前に大和王権に縁の深い物部氏遠祖饒速日命が東遷していたとする事とも関連し、 現在、定着している地名に繋がるものが、邪馬壹国の時代、AD200年代から同位置だったのかと云う疑問は持っていたい。

 下図は手持ちの弥生遺跡(環濠集落・古墳等)の資料から、地図上で河川流域に照らした位置関係(アラビア数字)。また、海岸線を示唆すると思しき地名を拾って繋ぎ、佐賀大学低平地研究所作成の推定海岸図とを考え併せ、当時の有明海岸線の概略を赤線で示した。

有明沿岸遺跡    


①佐賀県唐津市柏崎(柏崎遺跡)・宇木(汲田遺跡) → 末盧国
②佐賀県唐津市(旧東松浦郡)相知町伊岐佐(中原遺跡)
③佐賀県唐津市(旧東松浦郡)厳木町浦川内(河内遺跡)・岩屋・広瀬鶴田神社(浪瀬)
④佐賀県多久市多久町牟田辺(牟田辺遺跡))・大橋・仁位所・東多久町納所 → 伊都国
⑤佐賀県小城郡三日月町土生(土生・二俣・久蘇遺跡)・金田・久米 → 不彌国
⑥佐賀県小城郡牛津町柿樋瀬(生立ヶ里遺跡)・乙柳(おつやなぎ)・東多久町納所・柳瀬・松瀬 → 奴国
⑦佐賀市大和町大字尼寺(一本木遺跡)・松瀬・久池井(肥前国庁跡)・佐保・東山田
⑧佐賀県佐賀市金立(丸山遺跡)
⑨佐賀県神埼市千代田町(高志神社遺跡)・下板・大橋・大野
⑩佐賀県神埼郡吉野ヶ里町(旧三田川町)(吉野ヶ里環濠集落)
⑪佐賀県神埼郡東脊振村三津(三津永田環濠集落)
⑫佐賀県三養基郡みやき町(旧中原町)・北茂安町板部(検見谷環濠集落)
⑬佐賀県鳥栖市江島町字本行(本行遺跡)・横田・轟木・大野
⑭佐賀県鳥栖市柚比(ゆび)町(安永田環濠集落)・長野
⑮福岡県小郡市横隈(横隈山遺跡)・乙隈(おとぐま)
⑯福岡県小郡市若山(若山遺跡)・大板井(小郡郡衙跡)・小板井・馬渡
⑰福岡県朝倉市(旧甘木市)平塚(平塚川添遺跡) ・板屋・馬田・中原・一木・奈良
⑱福岡県久留米市大橋町(祇園山古墳/宮地嶽神社/高良山神籠石)・枝光・草野町矢作・朝妻(筑後国府跡)・打越
⑲福岡県久留米市高良内町(持田遺跡)・柳瀬
⑳福岡県八女市新庄(六反田遺跡)・川犬(宮地嶽神社)・室岡(亀の甲環濠集落)・柳瀬・長野・納楚 → 邪馬壹国

 末盧国~不彌国迄の経由地は、松浦川~厳木川の沿岸から従者に曳かせて遡上した 1~5で、休息日を併せた約8日(実質5泊)で間違いないが、狗邪韓国~邪馬壹国の日程「南至水行十日、陸行一月」を末盧国~伊都国(五百里)=2.5日 (35㎞)~5日(70㎞)、伊都国~不彌国(百里)=0.5日(7㎞)~1日(14㎞)、不彌国~邪馬壹国(千四百里)=7日(98㎞)~14日 (196㎞)として、不彌国以降、邪馬壹国迄の7日~14日、平均で10泊と休息日を併せ、最長で約20日の日程として、6~20等の弥生遺跡の何れを経 由したのかを定かにするのは難しいと思う。
 尚、「南至投馬国水行二十日」も、狗邪韓国~對海国~一大国~末盧国迄の外洋航海を最長で「十日」、末盧国から最長で十日間(三千余里)の日程を北部九州西沿岸部を水行、南下したと考える。

弥生遺跡=有明海沿岸部には図に示したものだけでなく、他にも多くの遺跡がある。古来、干拓工事等に拠って失われた遺跡も多いと思う。尚、上図のアルファベットは以下の如くなる。

=佐賀県佐賀市本庄町大字本庄の増田遺跡は、佐賀市西部に位置、脊振山地南麓の洪積台地群南端部に立地する弥生時代から中世にかけての複合遺跡。特に弥生期の甕棺墓を主体とする墓地が広範囲に分布、周辺部の調査では朝鮮半島との関連を示す遺構や遺物が検出されている。
=佐賀県佐賀市諸富町徳富の徳富権現堂遺跡・上大津遺跡等、弥生時代後期、約1,800年前から室町時代の約500年前にかけての遺跡。
=福岡県久留米市田主丸町には、数多くの弥生時代 の遺跡があり、本格的な弥生文化の定着は筑後川の河岸段丘を中心に始まる。弥生前期後半の集落跡である水分遺跡や豊城中ツブロ遺跡、弥生中期中頃の遺跡と して秋成・亀王遺跡、船越一ノ上遺跡、西郷天神免遺跡、弥生後期の遺跡として千代久遺跡などがあり、平野部を中心に弥生文化が展開している。後期に入る と、中心は山麓へと動き、竹野三明寺遺跡、益生田寺徳遺跡と発掘事例は少ないものの有力な集落が形成されていたとある。
=福岡県柳川市大和町徳益の八枝遺跡は、弥生時代 前期から中期初頭、約2,200年前の集落。調査では柱が軟弱な地盤に沈み込まない様に工夫された掘立柱建物や井戸が検出された。また、柳川市三橋町磯鳥 の磯鳥フケ遺跡では、弥生時代中期後半、約2,000年前に比較的短期間に集落営まれた。約3,500㎡の広範囲にわたり掘立柱建物群や井戸等が検出、集 落は更に広範囲に広がる。柳川市三橋町蒲船津の蒲船津江頭遺跡では、弥生時代後期、約1,800年前の集落が調査された。
=佐賀県杵島郡白石町堤(妻山神社)付近の杵島郡白石町大字馬洗字道祖谷の妻山古墳群4号墳や道祖谷(さやんたに)古墳は杵島山系北東部に位置する栗岡山から東に延びる丘陵南斜面に築造された。出土遺物から6世紀後半の横穴式室を内部主体とする円墳。
=佐賀県杵島郡白石町深浦(海童神社)=オツボ山 神籠石は、武雄市街地南杵島山西麓の小丘陵にある。殆の神籠石に共通する特有の構造。柱間隔が平均3mだったので、唐尺の一尺(29.5㎝)として七世紀 後半の築造とされたが、南朝(420~589)の小尺(24.5㎝)の略十二尺とする説も在るらしい。有明海側から見ると杵島連峰の蔭に隠れるので有明海 を意識した山城ではない。

柏崎=青森県八戸市柏崎・沢里・新井田・古里・八幡、岩手県久慈市柏崎・寺里・新井田・外里・日向・山田、同県遠野市土淵町柏崎(八幡山)、宮城県気仙沼市柏崎・八幡前、同県古川市(大崎市)柏崎、福島県相馬市柏崎、石川県羽咋郡押水町柏崎・同郡志雄町柳瀬(やなぜ)、茨城県新治郡霞ケ浦町柏崎、栃木県塩谷郡高根沢町柏崎(出雲神社)・仁井田簗瀬(やなせ)、埼玉県岩槻市柏崎・飯塚・上里・徳力、同県東松山市柏崎・山崎・同県比企郡滑川町打越・広瀬山田、新潟県柏崎市飯塚町・久米・半田(はんだ)・穂波町・大和(やまと)町・吉井

納所=三重県津市納所(のうそ)町・大里山室・里・博多町・半田(はんだ)・八幡町、京都府京都市伏見区納所(のうそ)大野・讃岐町・板橋・下鳥羽長田(おさだ)町・但馬町・伯耆町・大和町・八幡町、岡山県岡山市納所(のうそ)・鮎返・鮎帰・久米・長野・広瀬・福井・室山・八幡・半田(はんだ)・山田・大和町・飯盛山・三光山、広島県三原市沼田東町納所(のうそ)・八坂町・八幡町・同県御調郡御調町福井、佐賀県東松浦郡肥前町納所(のうさ)・晴気・馬渡、福岡県八女市納楚(のうそ)・亀の甲・長野・柳瀬

柳瀬=福島県石川郡石川町梁瀬(やなせ)、富山県砺波市柳瀬(やなぜ)・福岡、石川県羽咋郡志雄町柳瀬(やなぜ)・押水町柏崎、栃木県宇都宮市簗瀬・鶴田・大和、群馬県安中市簗瀬・八幡・日向・山田、岐阜県安八郡神戸町柳瀬(やなぜ)・福井、 同県武儀郡武儀町柳瀬(やなぜ)・多良木、静岡県田方郡中伊豆町柳瀬(やなせ)・八幡、愛知県名古屋市中川区柳瀬(やなせ)町・八幡本通、滋賀県神崎郡五 個荘町簗瀬、和歌山県有田郡広川町柳瀬(やなせ)、同県日高郡龍神村柳瀬(やなせ)・福井、同県伊都郡花園村梁瀬(やなせ)、島根県邑智郡邑智町簗瀬(や なせ)、岡山県後月郡芳井町簗瀬・吉井、高知県香美郡物部村柳瀬(やないせ)・柳瀬神社・仁井田神社、同県吾川郡伊野町柳瀬(やなのせ)、同県安芸郡馬路村魚梁瀬(やなせ)、福岡県福岡市南区柳瀬(やなせ)・鶴田・大和町、同県八女市柳瀬(やなぜ)・長野・納楚(のうそ)、同県京都郡犀川町柳瀬(やなせ)、熊本県球磨郡相良村柳瀬(やなせ)

従者に曳かせて遡上=ローマ帝国でもガレー船等、櫂や帆に拠る推進だけでなく、奴隷に同様の労働をさせて河川を遡上したとされる。 また、魏氏や郡使が派遣された時期は、渡海の安全性から夏場が多かったと云われるので、熱さ対策として多くの休息日を設けたと思われる。
 
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  1. 2016/07/08(金) 10:05:59|
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