見まごう邪馬台国

◇壱岐と対馬

述べてきた事から朝鮮半島西沿岸部全域が、陸地を領有する韓国の領域には含まれない。一方、同東沿岸部北側は陸地を領有する濊の領域に含まれるが、その海域は挹婁が領有する。半島西南隅から南沿岸部(東南隅の一部を除くか?)も帯方郡に服属する西沿岸航海民の領海(水道)とすれば、そうした緩衝帯(水道)を挟み「南を倭と接す」とされた倭人系外洋航海民の領海(瀚海)があった。それが帯方郡治や韓国の領域ではない倭の北岸狗邪韓国に到る。此処迄七千餘里とされた理由で、その領海に浮かぶ島や東西に突き出た半島等が倭の領域北岸狗邪韓国となる。述べてきた事を考え併せながら、倭人海民の領海とした一海(瀚海)に浮かぶ一大国「方可三百里」と對海(對馬)国「方可四百餘里」の領域を、設定した一里の換算値(平均値)で以て図示する(図2)。
 
image002.gif  一大国「方可三百里」=105m×300=約31.5㎞の壱岐島(図2緑実線)の縦横約17+15(16+16)㎞として均した二辺を合わせた長さに略合致する。
對海国「方可四百餘里」=105m×400=約42餘㎞とし、対馬下島(図2青実線)の縦横約25+16㎞=約41㎞の長方形に略合致する。また、同上島(図2赤実線)の縦横=約40+15㎞には合致しないが、先述の対角線(図2赤点線)=43㎞には略合致する。詰まり、「方可~里」の数値を二辺の合計とし、韓国と一大(一支)国は、方可~里を四辺を均して同長とした正方形や平行四辺形の縦横の二辺を合計した長さに対応する。一方、對海(對馬)国が「方可四百里」とされた理由は、先述した「餘」=特定の単位や枠に充て填らない事から、対馬下島の二辺の合計(約42㎞)は均せない長方形である事、その範疇にも収まらないと編者陳寿が設定した同上島の細長い形状の対角線(約43㎞)として上下二島を表すためと考える。
述べてきた事からすると、帯方郡衙を現在の平壌(開城)付近として南北五千餘里(約500~525㎞)南下した木浦付近から東西二千餘里(約210余㎞)を東行した慶尚南道中央南部の馬山付近とせざるを得なくなる。詰まり、韓国の方可四千里は平壌付近から三千餘里(315余㎞)南下した扶餘北側の武寧王陵の在る公州付近から南北二千里×東西二千里=方可四千里として韓国の領域(図1黒点線)を大凡210×210㎞の平行四辺形とする以外に、これを説明する方法はない。
但し、一つだけ疑問が在る。現朝鮮半島の地図で、その直線距離を計測すると東西長は北部と南部の何れも約250余㎞となり、私説の約210㎞では東西長が40~50㎞足りない。これを読み解くための糸口として西沿岸部の状態を示唆する記述が「東夷伝韓条」にある。
 
又有州胡在馬韓之西海中大島上 其人差短小言語不與韓同 皆髠頭如鮮卑但衣韋 好養牛及豬其衣有上無下略如裸勢 乘船往來市買韓中。これを読み下す。また、州胡、馬韓西海中の大島上に有る。やや背が低く韓人の言葉と違う。皆鮮卑族髠頭の如し。鞣革の衣を着て牛や豬(ぶた)を上手く養い。衣は上着だけで下履きはなく略裸に近い。船で往来、韓中で市買する。
通説では馬韓西海中の大島上の州胡(しゅうこ→チォファ)を南海上の済州島や現ソウル西海上の江華(カンファ)島等とするが、「私説」韓国の領域設定からすれば、前者は馬韓か、弁辰の南(南西)海上、後者は帯方郡の西海上となり、何れの場合でも州胡の所在、「在馬韓西海上~」と云う記述と適合しないので、少し見方を変える。

関連記事
スポンサーサイト
  1. 2014/07/13(日) 19:13:02|
  2. 2.領域の表記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<◇州胡 | ホーム | ◇朝鮮半島の版図>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://mimago.blog.fc2.com/tb.php/12-dd36343d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)