見まごう邪馬台国

◇漢語音と固有語音

 >(3)洞(Tong/Kor)、里(Ri/Maur)、村(Chon/Maur)、坪(Pyong/Tur・Pur・Pari・Por・Pori)~云々。 

 (3)洞[duŋ][duŋ][toŋ]、里[lıәg][lıei][[li]、村[ts`uәn][ts`uәn][ts`uәn]の前者の三つは中古音以降に拠るもので、こうした漢字音が使われる理由は、大陸内の先進文化を持ち込んだ人々は官僚や為政者は行政区画の集落・村落を表す言葉に自国の言語を使ったからで、下層階級でも使われて転音・転訛しました。
 後者の坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ](Pyong)は、漢字音が「ピァヌ→パヌ→パヅ→パル」と変異・転音して韓国語の(Pur、Pari、Pori、Puri)にされて、日本語でも、Pur(パル→ファル→ファルァ→ハル)=原(ハル・バル・ハラ・バラ・ワラ)、Pari(パリ→ハリ)=張・治・針等に転音します。
 坪[bıăŋ][bıʌŋ][p`iәŋ]の漢字音(ピァヌ→パヌ→パル)が「Pur」「Pari」「Pori」「Puri」に変異・転音したとすれば、「Tur」は異系の固有語で、当初、北部九州でも、Bari(バリ)=張・治・針(バリ)だったが、そうした異系の固有語を携えた人々が、大陸北部や朝鮮半島から追われて列島に渡来して影響を及ぼしたのか、「ツル→ツヅ→ツブ→ツブォ」の如く変異・転音、日本語の訓音「つぼ」になったと考えます。

 >(5)里や村の朝鮮語の固有読みのMaur(マウル)にも 「Mori」「Mari」「Mar」「Mor」「Mouri」等の変化形が在る。

 上記が単なる転音か、何か違いがあるのか判然としませんが、里・村「Maur(マゥル→ムル→ムルァ)」=村(むら)、Mar(マル→マル)とMor(モル→モル)=~丸(まる)・守、Mori(モリ)とMouri(モゥリ)=杜・森・等に転音します。
 こうした言葉を使う中国大陸の漢民族や遊牧騎馬民族、政情不安で朝鮮半島や列島に渡来した人々の出自は近かったが、獲物を追って朝鮮半島や列島に渡来した大陸北のアムール川沿岸部の狩猟採集民等、大陸南の海洋民や耕作民等、先住民の使う言語もあったと推測されます。

 >(6)「坪」の訓読みにも「 Pur」「Pari」「Pori」「Puri」等の変化形があり、朝鮮語のP音は語中で「Bur」「Bari」「Bori」「Buri」になる。

 漢字音は上古音「B」→近世音「P」が多くあり、現代、韓国(朝鮮)語では会話中、頭の清音や半濁音は濁音的な強音化することからも、Bur(Bori・Buri)→Pur(Pori・Puri)となっても良いのでしょうが、本来の音韻はB音系だったと推測されます。一方、日本語では以下の如く転音したと考えられます。

  原(baru → paru → faru → haru/bara → para → fara → hara)
  丸(baru → maru)
  茨(ibara → ipara → ifara → ihara)
  治(bari → pari → fari → hari) *張・縁(へり)→渕・淵

 朝鮮半島史上、唐王朝の後ろ盾で朝鮮半島を統一した新羅(韓族?)が滅び、大陸北部の北魏系の仏教思想を国の根本とする高麗期の焚書に拠って古文献の殆どが失われたので、朝鮮(韓国)語学界でも、未だ、古朝鮮の固有語や語音の全貌は分からないと云います。
 その仏教系の高麗が滅び、出自が漢水東岸付近の唐国公李淵(高祖)の興したに拠る唐王朝の関係者と思しき中華思想の儒教を国の根本とする李氏朝鮮王朝時代の言葉は、当時の漢字の近世音に強く影響されたと推測されるので、それ以前の漢字語の多くが固有語として変異。転音して残ったのかも知れません。詰まり、大陸東北部の狩猟採集民と東沿岸部漁労民の言葉、大陸北部から逃れて来た騎馬民族の言葉、焼畑農耕と牧畜を生業とする北部漢民族が持つ漢字音等が重なり、現在の朝鮮(韓国)語は成立したと考えます。
 日本語は大陸を東流するアムール川周辺部の狩猟採集民等が、北回りでオホーツク海を経て北海道へと南下した東日本の縄文人?、大陸南側の海民や狩猟採集民が南西諸島を経て南九州や太平洋岸に渡来した西日本の縄文人?、南中国系水耕稲作民が海民を伴った南方系弥生人、大陸の政情不安に因り、北中国系焼畑耕作と牧畜民や騎馬民族が朝鮮半島を経由で逃れてきた北方系弥生人等、様々な言葉が混ざり合い成立しました。

パヌ→パヅ→パル=何れも舌の位置が上顎に付かない状態で発音されるため転音しやすい。また、

ツブォ=現代韓国語に在る小さい口で発音するウに近い「オ」では、粒(つぶ)=小さなもの、大きな口で発音するアに近い「オ」との違いで、日本語では、坪(つぼ)=小さな区画にされたと考えられる。同様に、イの口形でウに近い音にすると、禿(ちび)=短い・低いになる。
 鐔(つば)は、刺身の端(つま)や、夫(つま)・妻(つま)・爪(つま→つめ)等と同源で、刀身の端で握る手を保護するもの。「ツマ→ツバ」に転音したと考えられるので、これらに関係性はないだろう。同音の唾(つばき→つば)は、「つ・吐き→つばい→つば」に転音したと考える。

里(さと)=人家のある所・村邑、都(みやこ)に対し、田舎(いなか)・在所、遊里(くるわ)の野暮な客。育ち・素姓等、正邪、良悪、内外、聖俗等をニュアンスを含み使われます。宮仕えの自家⇔内(だい)。妻・養子・奉公人等の実家。寺に対して俗世間・在家。養育料を添えて子供を預ける事や、その家等とある。一方、里(り)=地上の距離を計る単位。36町(3.9273≒4㌔)に相当する。昔は300歩、即ち今の6町の定めであった。律令制の地方行政区画。大化改新以後、50戸を以て1里とした。715(霊亀1)年に里を郷と改め、新たに郷の下の小行政区として1郷を2~3の里に分割したが、740(天平12)年に廃止。古代の条里制で6町四方(36町歩)の正方形の地積。中国で、秦漢代以前の集落の称。秦漢代に行政機関を置いて以後は、地方行政区画の名。唐では100戸をもって1里とした。

~丸(まる)=Mar(マル→マル=丸)とMor(モル→モル)守(もる)は、環濠集落の人々の集落を指す言葉、Mori(モリ)とMouri(モゥリ)=杜・森等は、狩猟採集民の集落を指す言葉だったかも知れません。

縁(へり)→渕・淵=見まごう邪馬台国の次章「傍国考」でも詳述するが、傍国として記述される巴利国を「ヘリ→へら→ひら」とした。

北魏=中国北朝の最初の国で、遊牧騎馬民の鮮卑(せんぴ)族拓跋(たくばつ)珪(道武帝)が、386年魏王を称し、398年平城(山西省大同)に都し、建国。494年洛陽に遷都。534年東魏・西魏に分裂、東魏は550年、西魏は556年滅亡。魏。拓跋魏・後魏・元魏等とも称。

高麗期=太祖王建の建国(935-1392)。その王建と、前漢を倒して「新」と号した王莽(在位8~23)=前漢末の簒立(さんりつ)者。字は巨君。漢王元帝皇后の弟の子。儒教政治を標榜して人心を収攬、平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位に就く。ついで真皇帝と称し、国を奪って新と号した。その政策に反対する反乱軍に敗死し、後漢が復興した(前45~後23)。

漢水(Han Shui)=長江の最大支流。全長1532㌔。中国陝西省南西隅に発源、漢中を経て湖北省に入り、曲流しながら武漢で長江に注ぐ(漢江)。尚、黄河と揚子江に注ぐ河川は「~水」と呼ばれる。
 その漢水東側には、隋3世恭帝の禅譲を受けて建国した統一王朝「唐(高祖李淵)」が在る。また、その南東側の河川(清発水?)沿岸には、北周の武将楊堅が静帝の禅譲を受けて建国した「隋」がある。*漢和字典所載の中国歴史地図「春秋時代」

東日本の縄文人=水耕稲作に適さない土壌の長野県諏訪地方の八ヶ岳山麓には、尖石遺跡等、先史時代や縄文時代の遺跡が多く分布する。火焔土器(新潟県)等、西日本の縄文遺跡と一線を画す。また、遮光器土偶や仮面土偶等、大部分が女性を象る。*大地の母神=産土(うぶすな)神




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