見まごう邪馬台国

◇迫間(はさま)

   佐波(さば)・狭(せま=州)と同源の言葉に、迫(せま)る=間隔が狭い、閉まる・締まる=区画する→終う、縞(しま→せま)=細長く狭いがある。また、迫間(はさま)=谷間の奥まった狭い地形で、物と物との間が狭い所。他にも「狭間」「硲」等、西日本では以下の如くある。

  福岡県豊前市挾間(はさま)・大村・鬼木・轟・広瀬
  大分県大分郡挾間町挾間(はさま)・鬼瀬・鬼崎
  大分県東国東郡武蔵町狭間(はさま)・小城、同郡安岐町朝来
  熊本県菊池市西迫間(はざま・鞠智城跡)・大平・長田広瀬
  熊本県玉名市上迫間(はざま)・亀甲・山田・横田
  島根県大田市久利町佐摩、大屋町鬼村・角折、朝山町朝倉、五十猛町、大代町山田、鳥居町大平
  鳥取県西伯郡大山町佐摩(佐間神社祭神天津彦火瓊瓊杵尊・合祀五十猛命他)・長田・平神社(平)
 
 「記」垂仁天皇の唖(おし)の御子、品牟都(ほむた→ほむつ)和気王は大鳥(倭建命/大和武尊?)が飛ぶのを見て口を利いたため、品遅部(ホムチベ)を定める。一方、「紀」誉津(ほむつ)別王は、景行天皇の和風諡号「大足彦忍代別(オホタラシヒコオシロワケ)は、忍=声が出ないとする。

 「記」品牟都和気王から本牟智ほむち)和気王と御名が変わり、一夜、交わった出雲の肥長比賣が(をろち→へび→はみ)と知り、恐れて逃げ出す。悲しんだ比賣が海原を照らしながら船で追いかけると、御子は山の窪み=迫間(はさま)=船越から船を引き上げ、山を越して逃げ進む。この時、御子は海民の助けを失う。*「
 「記」景行天皇の和風諡号「淤斯呂(うしろ)→尻尾」とすれば、ヲロチの尾を切り裂き出てきた剣(けん→つるぎ)→草那芸大刀(建=たち)で、幼子小碓(倭建)命のが立ち、速く進み東国を討伐するが、その還り、足が多芸多芸(たぎたぎ)しくなる(重くて動かない)。

 景行天皇(大帯日子淤斯呂和気)は船を操る海民唖(オァシ)→国(馬国)を外洋航海民と沿岸や河川航海民の二系に別けたと考える。死後、白鳥(おおとり)となり、飛んで行く倭建命(日本武尊)の孫、「記」品陀(ほむた)和気命(應神天皇)として転生し、五百木之入日子命が尾張連祖建伊那陀宿禰の娘、志理都紀斗賣を娶り、生した御子品陀真若王の娘、高木之入日賣命。次に中日賣命。次に弟日賣命の三柱を娶り、宇佐神宮の比賣神と同体の宗像三女神と繋ぐ。
 八俣大蛇(「紀」八岐大蛇)とは母系海民が分裂、独身(豊玉姫)と夫婦(山幸彦と玉依姫)と云う二系統の成立を示唆する。尚、蛇(をろち)とされた肥長比賣(豊玉姫)と契りを結んだ本牟智和気王は山幸彦(河民)の化体として良い。

 邪馬壹国と狗奴国の戦いの最中、海民が外洋航海民(馬)と沿岸航海民(鹿)に分裂後、更に沿岸航海民が住吉系志賀(志賀海神社)と、河川民の安曇系四箇(飯盛神社)に振り分けられ、後者は稲作民を伴い耕作地を求めて河川を遡り、雲海上の山神と同一視される。

  志賀海神社=底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神、配祀 玉依姫命・神功皇后・應神天皇
  摂社 今宮神社=穂高見神(山神)、安曇磯良神

 「古事記上巻」=此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也阿曇連者其綿津見神子宇都志日金拆命之子孫也」
 「旧事記」=底津少童命・仲津少童命・表津少童命(綿津見神の別号)此三神者阿曇連等所祭筑紫斯香神也

 牡鹿(男神=ヲカ)の角が奉納される志賀海神社は鹿(ちか)=近島として良い。また、大阪府大阪市住吉区住吉の元官幣大社の住吉大社は新羅討伐の航海を扶けた上(表)筒之男神・中筒之男・下筒之男と云う男神と、その男系の女子、神功皇后を祀る。

迫間(はさま)=合間(あひま)は、物と物、人と人との組合せ、多く衣装の配色や人間関係、釣合い、間柄。折(をり)、都合、形勢。間(あひだ)=物と物、時と時との間。隙間(すきま)で、畑の畦(あぶ/あぜ)=田畑の畦畔、平地の小高い所。畦と畝が交互に列ぶ状態、山の谷間で奥まった所とも繋がる。一方、畝(うね)=田畑に作物を植えつけるため、間隔をおいて土を筋状に高く盛り上げた所。山脈・波等、小高く連なった所。織物等とある。畑の畦の場合、少し高い畝との間にある細長く低い所で、畝と畦が交互に列ぶ。ただ、水田の場合、畑とは反対に、田圃に水を貯めるので畦が高い。よく似た地形「迫(さこ)」=山麓にある谷間の先端は、開・拆・裂(さく)や、先・崎・碕(さき)等と同源、地名として略全国的に見られる。
 よく似た字形の「追(おふ)」= 〔他五〕距離をおいた対象を目指し、それに追いつこうと後から急ぐ。先に進むものに及ぼうとして急いで行く=追いかける。場所や物等を目指して進む事や追い求めるとある。

蛇(をろち→へび→はみ)=スサノヲがヤマタノヲロチの尾を切り裂いたとすれば、一本の尾が二本の足に成ったのかも知れない。尚、「はみ」=不彌(はみ)国との関連が考えられる。
 「紀」伊奘諾尊、斬軻遇突智命、爲五段。此各化成五山祇。一則首、化爲大山祇。二則身中、化爲中山祇。三則手、化爲麓山祇。四則腰、化爲正勝山祇。五則足、化爲シギ(酓+隹)山祇。是時、斬血激灑、染於石礫樹草。此草木沙石自含火之縁也。麓 山足曰麓 此云簸耶磨。正勝、此云麻沙柯。一云麻左柯豆。「シギ」此云之伎。音鳥含反。と在り、山(やま)の足(たる→たの)を麓(はやま)とする。

唖(オァシ)=景行天皇の忍(おし→しのぶ)を声を出さずに耐える事とすれば、「唖」も発声できないのではなく、言葉が喋れない事を云う。詰まり、垂仁天皇の御子本牟智(ほむち)和気王を「記紀」言葉の通じない国の人とすれば、「記」喋る様になる=和合、「紀」喋らないまま=不和を示唆するとも考えられる。

五百木之入日子命=次項の(2)已百支国との関連が取り沙汰される。また、尾張連祖伊那陀宿禰の娘、志理都紀斗賣の「都紀」も(4)都支(たけ)国を国とした事とも繋がる。「記紀」成立期の中古音、志[tiəg][tʃei][tsi]・理[lıəg][lıei][li]・都[tag][to][tu]・紀[kıəg][kıei][ki]=志理都紀(チェィレィトキェィ→チリトケィ→チリタチ)、「乙き」紀、「甲き」枳[kieg/tieg][kie/tʃıĕ][tsu]→支と云う違いはあるが、「魏志倭人伝」成立期の上古音とすれば、都[tag][to][tu]・支[kieg][tʃıĕ][tsï]、都支=タキェ→タケ(建)、中古音では、タチェ→タチ(大刀)になる。

雲海上の山神=山頂の神「大山咋神」が大山津見神として川を流れ下り、河口から海中に入ると安曇磯良になる。それが故、天降りした皇孫の日子番能邇邇芸命(彦穂瓊瓊杵尊)が笠沙岬(河口)で、木花佐久夜比賣(木花咲耶姫)を娶ると考えられる。

安曇磯良神=『八幡大菩薩愚童訓』神功皇后が乗った船の舵取りを務めた人で、長く海中に住んでいたために牡蠣等が顔面に付着した磯良の容貌は醜怪であったとあり、安曇磯良神と云う海底の物怪が鹿島明神とされ、古代の海人が持つ信仰に由来すると云う。
 その常陸国「鹿島大明神」が大和の春日明神、筑前の志賀明神が同体異名とする理由は、志賀海神社に牡鹿(をが)の角が奉納される事、春日大明神では神の使いが鹿とされ、何れも鹿と関係がある事。更に云えば、沿岸航海と湖沼や河川航海を鹿(ちか)=近(ちか)とすれば、外洋航海民の乗り物「船=馬」とした様に地名の長崎県対馬や、馬渡(まだら)等、馬=遠(とほ→とぼ→とも)=伴・友と云う関係があるのかも知れない。

斯香=四箇(しか)と同系。注の志理都紀斗賣の志理(しり)は、志賀=鹿(ちか)と同系音となる。これを斯理(しり)=尻・後・尾とすれば、四箇(しか)と同系音になる。花が咲いた木花佐久夜毘賣命とは反対に、大山津見神の娘木花知流(かはちる→かはちの)比賣は花が散る。
 天皇家の二大史書「古事記」と「日本書紀」の担い手が違うため、古事記は「チマ」と「シマ」と使い分けて示唆し、「記」大山津見の娘木花知流比賣と木花佐久夜毘賣の関係と同様、母系海人の分裂を示唆する。但し、南北朝期以降、日本(やまと→にほん)=二本(古事記と日本書紀)として併合されたため、正史とされた日本書紀は同系として記述する。江戸初期迄、行方知れずだった古事記は、名古屋市内の真福寺から発見されたが、当初、偽書とされた。その後、本居宣長や新井白石等が研究を始める。

住吉大社=二十二社の一つ。摂津国一の宮。他にも下関市住吉神社(長門国一の宮)や福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)等、各地にある。


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