見まごう邪馬台国

(3)伊邪国

(3)伊邪国

 伊[・ıər][・ıi][i]=尹(弾正台の長官・左右京職の長官の唐名)を補佐する人。
 邪[ŋiăg(yiă)][ziă][sie(ie)]=邪なる事(よこしま・悪い)=呪術等、漢方では陰陽のバランスが悪い事、傾(かし)ぐ。

 漢字音を併せると、ィアッヌギァッ→ィアヌギァ→ィアヌガ→ィアガ→ヤカで、福岡県福岡市南区屋形原、同県柳川市矢加部、同県甘木市屋形原、同県築上郡新吉富村矢方等がある。*屋形原(やかたばる)→伊邪羅原(やからばる)
 ただ、比定地の流れから、「記紀」成立期の中古音のイイジァ(イイチァ)→イイジ(イイタ)で、福岡県福岡市西区飯氏(いいじ)・四箇・金武・飯石神社(御食入沼命)
・女原(出雲大社分院)・飯盛(飯盛神社)、同市早良区飯倉(いいざぅ→いいくら)・有田、同市城南区飯倉付近に比定する。

 野方遺跡=弥生時代後期(福岡県福岡市西区野方)翡翠製勾玉・管玉・硝子玉・玉類等・(舶載)獣帯鏡・内行花文鏡・太刀
 吉武高木遺跡=弥生前期末~中期 (福岡市西区吉武高木)翡翠製勾玉・銅製腕輪・碧玉製管玉・水晶算盤玉・硝子製小玉・多紐細文鏡、重圏久不相見鏡・素環頭大刀・素環頭刀子・把頭飾銅剣・銅剣・鉄剣・銅戈・銅矛・鉄製武器他。
 
 「イシェ→イセ」とすれば、君(女王卑弥呼)の飲食を給仕や伝辞、その託宣を男弟(伊都国王)や官吏に伝える神祇官を排出、伊勢神宮内宮の天照皇祖神を養う外宮の豊受大神と関連する。
 伊都国は安寧と秩序を祈る祝禱を入れた器を護る城壁を構えるが、「邪」=陰陽のバランスの悪い伊邪国は邪馬壹国伊都国連合に服属、祭祀権を奪われ、一大率から卑狗(神祇官)や卑奴母離(武官)が派遣された。 
 「記紀」崇神天皇は娘の豊鍬入姫を伊勢神宮の斎宮(妻)とした後、天照大神の鎮座地を求め、御魂を倭姫命に移すと、男神天照大神→女神天照大御神(倭姫命)に性が変わり、陰陽のバランスが悪かったのか、豊耜入姫は髪の毛が抜けて祀られずとあり、皇孫の生母木花佐久夜比賣命の姉で醜い石長比賣と同様に石女(うまずめ)にされたのだろう。

 「記紀」景行天皇の御子兄大碓命(狗奴国王卑彌弓呼)は、邪馬壹国伊都国連合と対立、南下した後、姨倭姫命→弟小碓命→倭建命(景行)が北上し、五百木入彦命の娘八坂入比賣(壹與)を娶る→熊襲梟帥の娘、弟市鹿文(壹與)と内通し、兄市乾鹿文(臺與)を討伐する。
 「紀」日本武尊は蝦夷討伐の帰途、当芸野を経て、同県上野市(現甲賀市)上野市東側の能煩野(能褒野)で亡くなり、白鳥になって飛んでいったと伝承される。尚、三重県伊勢市西北、同県員弁郡北勢町飯倉(いぐら)が在る。
 地名「白鳥」は全国的に見られ、白鳥神社(日本武尊)は大阪府羽曳野市古市(御陵)、
香川県大川郡白鳥町松原・白鳥、福岡県田川市白鳥、同県山門郡(柳川市)三橋町、宮崎県えびの市末永(白鳥山)・白鳥と、岐阜県郡上郡白鳥町白鳥、神奈川県川崎市麻生区白鳥、宮城県桃生郡桃生町城内字白鳥下(倭建命)、同県白石市白鳥、同県刈田郡蔵王町宮馬場の刈田嶺(かったみね)神社(白鳥大明神)、富山県等にも見られる。

 「仲哀紀」伊覩県主祖五十迹手が船の舳と艫に五百枝賢木を立て、上枝に八尺瓊、中枝に白銅鏡(ますみのかがみ)、下枝に十握剣を掛け~、天皇は五十迹手をお褒めになり、伊蘇志と仰せられ、伊蘇国、伊覩は訛とした後、儺県に至り、橿日宮に居られる。
 旧来の行政区画「郡」の下部に属す県(あがた)の訓「懸け離れる」「遙かなり」を河川が吐き出す土砂が堆積し、海岸や浜辺が離れていく事とすれば、儺吐田(なのはかた→なのあかた)は王都から離れた鄙(ひな)で、県主=卑奴母離として良い。

弾正台=糺す司の意。律令制で京都内の非違を糺弾し、官人の綱紀粛正を司る役所。親王、及び左右大臣以下の朝臣の非違をも太政官を経ず、直ちに奏聞する権力を有した。尹・弼・忠・疏の四等官と巡察弾正とがある。9世紀初頭、検非違使の設置後は形骸化した。
 白川静編「字統」の「尹」=神丈を持つ聖職者と在り、これに祝詞や祝禱を入れる器(口)を加えた「君(巫女)」を口寄せする巫子(いちこ)とすれば、「伊」=女王卑彌呼を補佐する伊都国王(男弟)、或いは、飲食を給し、伝辞する伊邪国の人として良い。

イイダ=飯田は福岡県大牟田市飯田町、同県久留米市善導寺町飯田、同県嘉穂郡碓井町飯田、佐賀県鳥栖市飯田町、同県鹿島市飯田。また、地名「飯盛」や飯盛山が大村湾岸部山手に点々と続き、旧く松浦水軍等の勢力の拡がりに拠るのかも知れない。
 また、「飯倉」は、茨城県稲敷郡阿見町飯倉(イイグラ)、群馬県佐波郡玉村町飯倉(イイグラ)、埼玉県児玉郡児玉町飯倉(イイグラ)、千葉県八日市場市飯倉(イイグラ)以外は見えない。もしかしたら、茨城県鹿嶋市宮中にある元官幣大社の鹿島神宮(武甕槌神、経津主神、天児屋根命を配祀)、古来、軍神として武人の尊信が厚い常陸国一の宮と関係が在るのかも知れない。


飯氏(いいじ)=5世紀の兜塚(かぶとづか)古墳(福岡市西区飯氏マツヲ)硝子製玉類(首飾り)・馬具・鎧・鉄刀(前方後円墳全長54m)。
6世紀初~前半、飯氏二塚(いいじふたつか)古墳 硝子製玉類(首飾り)・辻金具・雲珠等の馬具(前方後円墳全長48m)。

飯石神社=島根県飯石郡三刀屋町大字多久和の飯石(いいし)神社(伊毘志都幣命)。出雲国風土記に飯石社、延喜式に飯石神社とみえる式内社で、「出雲国風土記」飯石郡条、飯石と号くる所以は、飯石郷の中に伊毘志都幣命坐せり。故飯石と云ふ。また、郡家の正東一十二里なり。
 
伊毘志都幣命天降り坐しし処なり。故、伊毘志と云ふ(神亀三年に字を飯石と改む)とあり、伊毘志都幣命の天降りましたと伝える磐座が御神体とされるので、本殿はなく、幣殿、通殿、拝殿を配している。即ち磐境、磐座という自然信仰の形態のままで現在に伝え、この地を命の降臨の聖地として、古来、注連縄を用いないのも特殊の習慣である。
 出雲(伊都母)国造家の祖神にあたる御祭神の伊毘志都幣命は天照大神の第二御子天穂日命の御子で、天夷鳥命、武夷鳥命とも云い、出雲国譲に際して三穂之崎に事代主神を尋ね、国土奉還の大業を成就された神とされる。その時に使用された船を熊野諸手船という。尚、別名は、伊都之尾羽張神→天之尾羽張神の子、建御雷之男命→天之御雷神等、冠称が変わる事と同変化と考える。

石女(うまずめ)=太陽神天照大神に斎き祀る巫女(妻)を天照御祖神(日光の化身=女王卑彌呼の鏡)として祀った。「日本書紀」是月天皇聞美濃国造名神骨之女兄名兄遠子弟名弟遠子並有国色則遣大碓命使察其婦女之容姿時大碓命便密通而不復命由是恨大碓命
 「崇神六年」百姓流離或有背叛其勢難以徳治之是以晨興夕惕請罪神祇先是天照大神倭大国魂二神並祭於天皇大殿之内然畏其神勢共住不安故以天照大神託豊鍬入姫命祭於倭笠縫邑仍立磯堅城神籬神籬此云比莽呂岐亦以日本大国魂神託渟名城入姫命令祭然渟名城入姫命髪落体痩而不能祭とあり、これも女神の倭国魂神が男神の日本国魂神に転生したからかも知れない
 九州管内には佐賀県佐賀市伊勢町、長崎県長崎市伊勢町、熊本県上益城郡山都町伊勢、宮崎県日向市伊勢ヶ浜等。伊勢(いせ→いし=石)=イシュァィ→イセ/イァスィァッ→イァサ→ヤセ、勢・世[thiad][ʃıəi][ʃıəi]

当芸野(たぎの)=次項の(4)都支(たぎ)国(建=剣→刀)と関係があるのかもしれない。ここ迄の流れから伊邪国の東側と思われる。「記」小碓命の蝦夷討伐に於いて、当芸野の辺りにやって来た時、私の心は、いつも空を飛翔したいと願っていた。しかし、今は、私の足は歩くこともできず当芸当芸斯玖なってしまった(足が行かない山田案山子?)と言った。その地を名付けて当芸(たぎ)野と言う。
 その地より少しだけ進んだが、とても疲れたので杖をついて緩りと歩いた。その地を名付けて杖衝坂と言う。尾津前の一本松の所へやって来ると、以前に食事をした時、その地に忘れていた御刀(みはかし→みたち)が、無くならずに未だあった。

儺県=AD200~300年頃、温暖化に因る海進で博多湾は奥に入り込み、福岡県福岡市東区名島の多々良川河口奥に橿日宮が鎮座、同市博多区那珂や同県糟屋郡新宮町、同郡粕屋町大隈等、那珂川流域の河口付近一帯の儺県を拠点として宗女臺與を蝦夷として追い払う。通説的に儺や名島は奴(な)国の「ナ」とされるが、私説は奴国の領域としないので、狗奴(かな→くど)国の北上に因る領域の変化で儺県とされたと考える。
 以下、弥生期の博多湾岸線=「まぼろしの邪馬臺国(宮崎康平著)」所載の図。
博多湾2  


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  1. 2017/03/24(金) 08:37:00|
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