見まごう邪馬台国

(7)不呼国

 不[pıuəg][pıəu][fəu]=花萼の形で、花弁(巫女)を支える事を意味する。語義「大きい」が派生。
 呼[hag][ho][hu]=(字統)乎が初文と在り、神事に於て神を呼ぶ時に用いた鳴子板の形。

 国名の意味は、乎=鈴を鳴らして舞い喜ばせ、神を降臨させるための道具、神の意思を宣る。不=巫女(爾)を支える神祇官で、伊都国の官爾支は、この国の神祇官や王で、巫女を支えるのかも知れない。
 漢字音を併せると、「ピゥァッハッ→プァハ→パハ(ハハ)/ファハ→ゥアハ→アハ」で、後者の「アフ→アヒ→アイ」は、佐賀県東松浦半島相知(おうち)町相知、同県唐津市相賀(あふち→おうか)、福岡県福岡市博多区相生(あいおい)、同県北九州市八幡西区相生、同県飯塚市相田、同県朝倉市相窪、大分県中津市合馬(あふま→おうま)、山口県下関市阿内(あふち→おうち)、愛知(あいち→えち)や阿波・安房(あほう→あはう→あは)や粟等は川沿いや海岸沿いに多い。
 また、「プァハ→ハハ→ハウ→ホウ」(這・延・匍)とすれば、吐きだされた土砂の堆積した泥濘が這う様に延びた地形を表す言葉で、「記」因幡素兎の舞台とされる伯耆(ははき→ほうき)国や「国々の比定」項で述べた「不彌(ハフ→ハム→ハウ)国」は同源。
 近世音の「ファゥフ→ハコ」にすると、前項の福岡県福岡市東区箱崎付近を流れる多々良川上流とした好古都国「吐くた」等とも近い地形だろうが、述べてきた国々の流れに近似音の地名は見あたらず、全く違う漢字が使われるので、少し成立の状況が違う地名と考える。
 例えば、前者の「パハ(ハハ)→ババ→ハマ」から、巾(はば)、浜(はま)等とすれば、山間の川沿いの細長い低湿地に土砂が堆積した障(さへ)の河原で、穂波川沿岸の福岡県嘉穂郡穂波(ほなみ)、同郡桂川町馬場島(蓑島神社/天照大神・神武天皇・神功皇后)・瀬戸(小市神社/不詳)・土師・出雲・鶴田、同郡郡碓井町臼井付近一帯に比定する。
 これを「ハバ→ハマ→ホマ→ホム→ホン」とすれば、大阪府羽曳野市誉田(ほむた→こんだ)・碓井・白鳥、「ハニフ→ハニゥ→ハヌ→ハニ→ハジ」とすれば、埴生(はぶ→はむ)・土生(はにう→はに)・土師(はじ)等、細長い河原や合流地点の中州に位置するか。
 
 北側の福岡県飯塚市立岩の立岩遺跡(ゴホウラ貝製釧・碧玉製管玉・硝子製棗玉・硝子製管玉・硝子丸玉・内行花文日有喜鏡・内行花文清白鏡・重圏姚皎鏡・重圏清白鏡・単圏久不相見鏡・素環頭刀子・鉄剣・鉄矛等)を、不呼国の中枢とする。
 同郡桂川町馬場島の隣、同郡穂波町大字椿字スダレの弥生中期前半~中頃の墓地には、土壙墓(木棺墓)55基が主。甕棺15基の大部分は小児棺とあり、もしかしたら、花の蕾を守護し、開き切らない稚児の呪力を呼び覚ます役目の国かも知れない。
 その中型甕棺内で発見された成人骨の脊椎に磨製石剣が刺さり、争乱を感じさせるとあり、桂川町馬場島東南、同町豆田の6世紀中頃の王塚古墳には、黄や緑、黒等で、騎馬人物や靭、楯、連続三角文、双脚輪状文が施される。
  こうした墓制は狗奴国、後の邪馬の北上に因る争乱の終息後、北部九州東北部にも拡がったのか。また、線刻系の装飾古墳は、九州以外にも鳥取県や香川県、大阪府等にも分布する。

 尚、平原遺跡(已百支国)の方形周溝墓(二重木棺)と同系古墳が、前漢の武帝が支配した楽浪郡にもあり、伊都国王族を武帝に滅ぼされた燕の衛氏が平壌付近に興したとされる衛氏朝鮮の関係者とした事に繋がる。邪馬壹国伊都国連合の構成は箕子朝鮮系の焼畑農耕民と衛氏朝鮮系の遊牧騎馬民、南中国倭人系(海民と水耕稲作民)等の三つ巴だったと考える。
 
爾支=爾[ŋiəg][niĕ(rıĕ)][ri] 支[kieg][tʃıĕ][tsï]、魏志東夷伝成立期の上古音に拠ると、「ヌギァッ・キェ→ヌガケ」、「記紀」成立期の中古音に拠ると、「ニェ・チュェ→ネチェ→ニチ」で、邇芸速日(にぎはやひ)命の「ニヌギ」や、天津日高日子番能邇邇芸(ににぎ)命等の「ニニギ」とはできない。
 ただ、万葉仮名の甲「き」の漢字には、現北京音が伎[ji]や岐[qi]等、「ジィ」や「チィ」に近い音が使われるので、「ニチ→ニキ→ニイ」と転音したとすれば、焼津(やちつ→やきつ→やひづ→やいづ)と云う転音とも考えられる。

合馬(あふま→おうま)=山国川の扇状地沿いにある大分県中津市合馬と違い、福岡県北九州市小倉南区合馬(おうま)は合馬川沿いの谷間にあるので、奥場(おうば→おうま)かも知れない。東京都青梅市青梅(あふば→おうべ→おうめ)は蛇行する多摩川上流域の谷間にある。手持ちの地図ソフトで河川は見えないが、同地名の栃木県芳賀郡茂木町青梅(おうめ)も、うねる谷間に位置する。また、大場・大庭(おうま→おおば)は、河川合流地手や沿岸部に拡がる河原や扇状地だろう。

障(さへ)=支(さえ→つかえ)」の意、山や丘、堆積した土砂に遮られて流域が変化する事を意味し、塞(さひ)と同源か。英彦山川沿岸の山間で、少し開けたの福岡県田川郡添田(そへだ)も同源の地名と考える。尚、〈類聚名義抄〉山野に構えて禽獣を遮り捕らえる囲いとある。
 「賽の河原」〔仏〕小児が死んでから苦しみを受けるとされる冥途(めいど)の三途(さんず)の河原にも通じるか。石を拾い父母の供養塔を造ろうとすると鬼が来て壊す、これを地蔵菩薩が救う。転じて幾ら積み重ねても無駄な努力とされる。西院(斎院)の河原。

穂波=穂波(ホハ→ほなみ)で、新潟県柏崎市穂波町、長野県上水内郡信濃町穂波、静岡県富士宮市穂波町、愛知県名古屋市千種区穂波町、大阪府吹田市穂波町、鳥取県東伯郡大栄町穂波、何れも川縁の細長い河原、低湿地に在る。
 また、馬の放牧地だったとされる地名「馬場」は、福岡県北九州市八幡西区馬場山、同県大牟田市馬場町、同県八女市馬場、同県行橋市馬場、同県豊前市馬場、同県糸島郡志摩町馬場、同県京都郡苅田町馬場、同県京都郡犀川町木井馬場、佐賀県藤津郡塩田町馬場、三重県一志郡香良洲町馬場、滋賀県大津市馬場(ばんば)、同県彦根市馬場(ばんば)、同県草津市馬場(ばんば)町等が在り、穂波と同様の地形として良く、その開けた河原の平地が馬場にされた事も在ったと考えられる。

王塚古墳=6世紀中頃の横穴式石室前方後円墳、金環(首飾り)・銀製鈴・琥珀製棗玉・管玉・切子玉・小玉(首飾り)・変形神獣鏡・鐙(あぶみ)・轡(くつわ)・雲珠・杏葉等の馬具50以上、大刀等の鉄製武器、武具、高坏他が副葬される(装飾古墳)とあり、馬具が見られるので、遊牧騎馬民としがちだが、海原を翔る船と天翔る馬を同意識とすれば、位置的な事からも水田を必要としない河川民(安曇系)と共に遡上したのかも知れない。

墓制=線刻系の装飾古墳は直弧文等、幾何学的な文様のものは、九州地方に分布中心を持ち、九州以外では、人物や船、木の葉等の写実的な図柄が中心です。非常に多様性に富み、色々なタイプのものがある。
 「石棺系装飾古墳」西隈古墳(佐賀県)、浦山古墳(福岡県)、石人山古墳(福岡県)、下山古墳(大分県)。「石障系装飾古墳」井寺古墳(熊本県)・釜尾古墳(熊本県)。「壁画系装飾古墳」竹原古墳(福岡県)、鬼塚古墳(大分県)、観音塚古墳(福岡県)、報恩寺山古墳(大分県)、鬼の岩屋1号墳(大分県)、太子古墳(茨城県)、栄安寺西古墳(熊本県)、空山15号墳(鳥取県)、木の葉古墳(香川県)、妻山4号墳(佐賀県)、日明一本松塚古墳(福岡県)、宮ヶ尾古墳(香川県)、千代丸古墳(大分県)、善神さん古墳(長崎県)、姫御前古墳(佐賀県)。「横穴系装飾古墳」石貫ナギノ横穴墓(熊本県)、加賀山横穴墓群(大分県)等、九州以外では茨城県や鳥取県、非常に稀な存在。  
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  1. 2017/05/10(水) 23:52:25|
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