見まごう邪馬台国

(9)対蘇国

 対[tuəd][tuəi][tuəi]=木槌等の道具を持ち行う版築の作業を行う事=対面
 蘇[sag][so][su]=「穌」が初文、紫蘇の類を用いて魚等の生気を保たせる。金文では国名のみ使われる。

 上記の漢字を併せると、ツァッサッ→タサ(トサ)、高知県の旧国名「土佐」と同音かも知れない。「記」土佐国=建依別と在り、速須佐之男命の建(たけ)国=都支国に依り、服属して、前項の(8)姐奴(ざの→さの/たの)国や他の傍国と同様、邪馬壹国伊都国連合から官卑狗(文官や技官)、副官卑奴母離(武官)等が派遣されていたと考える。
 尚、下記の如く同地名が殆どが河岸や海岸等水際に在る。

  大阪府大阪市西区土佐堀・福島区、大阪府堺市土佐屋台
  奈良県高市郡高取町土佐・吉備
  和歌山県和歌山市土佐町・福島
  徳島県那賀郡鷲敷町土佐、徳島同県鳴門市土佐泊浦
  高知県香美郡土佐山田村大平・仁井田、同県土佐市宇佐町福島

 但し、北部九州には福岡県築上郡大平村土佐井(つちさい)以外の他に同地名は見あたらないので、述べてきた比定地の流れに順い推測すると、その近似音から佐賀県鳥栖(とす)市田代町・真木町轟木・麓・姫方(姫古曾神社)・大野付近に比定する。
 付近の柚比遺跡(ゆびいせき)群(青銅器鋳型・鐸形土製品)は、弥生期~奈良期の竪穴住居約1,500棟、掘立柱建物約50棟、弥生期の甕棺墓約1400基等が確認された。出土遺物には縄文~近世にかけての多種多様なもので、弥生期のものは青銅器、及び青銅器関連遺物が特筆される

 茨城県鹿島郡鉾田町鳥栖(とりのす)、愛知県名古屋市南区鳥栖(とりす)等、何れも平地を流れる川縁にあり、上記、鳥栖市も南側の宝満川に流れ込む何本かの支流が流れる平地に位置し、旧くは低湿地帯だった。
 そうした地形の状況を改善するため、「対」=木槌等の道具で行う版築作業民の国で、(5)彌奴(みな)国と共に版築で一段一段と堤防や水路等を造り、治水工事を施し、泥濘地の陸化を担い水田や耕作地にして「足す」と云う意味の国名かも知れない。

 この説を補足する発見があった。朝日新聞に拠ると、太宰府政庁から南東に7㌔の前畑遺跡、姐奴(ざの)国比定地付近の福岡県筑紫野市丘陵上で長さ500㍍に及ぶ7世紀頃の版築工法の大規模な土塁が見つかった。土壁は、高さ1.5㍍・下部の幅13.5㍍の二段構造で東側を急勾配にしてを巡らせた防御施設とされる。
 これからも邪馬壹国伊都国連合には版築作業の技を持つ中国系の人々が居たとして良く、奴国連合王族の出自をを殷王朝最後の紂王の叔父胥余が、周武王より、箕を賜り、朝鮮王を名告って建国したとされる箕子朝鮮の人々(奴)が、燕人(騎馬系)の衛満が起こした衛氏朝鮮に滅ぼされて渡来、建国したとする私説の傍証ともになる。

 尚、見つかった土塁(前畑遺跡)は、同記事の地図に拠ると、想定される外郭線(赤色の点線)の丸く囲んだ部分で、標高49~61㍍の尾根を略南北方向500(残存390)㍍に及ぶとあり、福岡県糟屋郡宇美町四王寺の大野城(姐奴国)、同県大野城市大利の水城(彌奴国)、佐賀県三養基郡基山町の基肄城(対蘇国)等を繋ぎ、太宰府を取り囲む様に築かれる。
 何故か、太宰府市都府楼の東側、福岡県筑紫野市山家付近、宮地岳山頂の阿志岐山城(神籠石)は含まれない。その北側、福岡県宗像郡津屋崎町(福津市)宮司の宮地嶽神社本社、長崎県松浦市今福町滑栄免(宮地嶽神社)、同県北松浦郡(松浦市)鷹島町阿翁面(宮地岳)、佐賀県唐津市宇木(宮地嶽神社)、福岡県前原市神在・作出(宮地嶽神社)が在り、北上してきた狗奴国(邪馬)の攻勢に御岳(みたけ・おんたけ・うたき)を御神体とする末盧国以西の人々が東行して対立したからかも知れない。

版築(はんちく)=古く、中国の竜山文化に始まった土壁や土壇の築造法で、木枠を作り、その中に土を盛り、一層ずつ杵で突き固める。現在、見られる万里の長城も版築に拠る土壁の上から石を積んだ。
 竜山文化=中国の新石器時代の二大文化中、仰韶(ぎょうしょう)文化から発展した。山東省章丘市竜山鎮の城子崖遺跡に拠る命名で、黒陶(こくとう)が見つかる。

柚比遺跡(ゆびいせき)群=鳥栖市北東部及び基山町南部に位置し、標高約30~70mの八ツ手状に伸びる丘陵上に立地する縄文時代から近世にかけての約30箇所の遺跡により構成される。
 主な遺跡としては、柚比本村遺跡、安永田遺跡、前田遺跡、大久保遺跡、平原遺跡等がある。鳥栖北部丘陵新都市開発整備事業及び関連事業に伴い、県教育委員会が20遺跡(約68万平方m)を対象に平成3年度から11年度にかけて発掘調査を実施した。

中国系=西側の佐賀県佐賀市金立には、始皇帝に不老不死の薬を探し求めると進言して、列島に渡来したと伝承される徐福を祀る金立神社がある。

燕人の衛満=燕は、春秋戦国七雄の一つ周姓召公奭(せき)、河北、南満州、北鮮を領し、薊(現北京)を都とするが、秦に滅ぼされる。4~5世紀、騎馬系鮮卑族の慕容氏が前燕・後燕・西燕・南燕を建国した。もしかしたら、高句麗の武人とも関係があるのかもしれない。
 衛満=BC195年頃、建国した衛氏朝鮮が前漢武帝に滅ぼされた後、楽浪郡や帯方郡等の出先機関が置かれたと在る。王族関係者は北部九州に渡来、箕子朝鮮系奴国連合と対立したと考える。
 衛子夫=前漢武帝の后、弟に将軍衛青(?~BC106)=前漢の武将。字は仲卿。姉が武帝の皇后となった縁で将軍となり、匈奴を征すること十数回、武名高く長平侯に封ぜらる。大将軍、後、大司馬。諡は烈侯。その甥、霍去病(かくきょへい)=前漢の将軍。武帝の時、匈奴を討ち、大功を以て冠軍侯に封。驃騎将軍、大司馬に任じられた。諡は景桓侯(BC140頃~BC117年)。

地図=2016年11月29日(火)付の朝日新聞所載
土塁推測図 

宮地岳=本社は福岡県福津市宮司元町の宮地嶽中腹にある古墳羨道奥の石櫃内に御神体があり、祭神は息長足比売命(神功皇后)と勝村大神・勝頼大神。他にも同県八女市川犬と溝口境の宮地嶽神社、同市竜ヶ原と同県筑後市羽犬塚の宮地嶽神社、大分県東国東郡(国東市)国東町岩屋の宮地嶽神社。

御岳(うたき)=沖縄の村々にある聖地で多くは森。石やクバ・ガジュマルの木等があり、最も神聖な場所とされ、祭りの多くは、ここで催される。威部(いび・いべ)=奄美・沖縄地方で、巫女達が神祭りを行う聖地。または、神。御岳中、最も神聖な場所で、神の依代としての神木や自然石があり、香炉が置かれる。
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  1. 2017/05/24(水) 08:26:00|
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