見まごう邪馬台国

(10)蘇奴国

 蘇[sag][so][su]=「穌」が初文で、紫蘇の類を用いて魚等の生気を保たせる。金文では国名以外では使われない。
 奴[nag][no(ndo)][nu]=捕らえた女で祭祀官下属の民。

 上記の漢字を併せると、「サッナッ→ソナゥ→セノゥ」、前述した「記紀」建速須佐之男命(スサノヲ/スツァノヲ)、「紀」武素戔嗚尊(ソセヌオ→ソセノゥオ)に関係が在り、地名や姓氏に見える瀬尾や妹尾(せぬを→せのを)に繋がる。述べてきた比定地の流れに順い佐賀県神埼郡東脊振村瀬尾(せのを)・吉野ヶ里付近に比定する。
 使われる漢字から委奴国連合を組織していたが、王族や巫女等の輪廻転生を促すための神事を掌る神官と考える。邪馬壹国伊都国連合に支配されて服属したため、一大率から官卑狗か、副卑奴母離が派遣されており、その下属として病気や怪我等に処方する薬を製したり、管理する人々と考えられる。

 伊都国に関わる新たな人々が渡来し、70~80年続いたとされる前王統の委奴国連合は邪馬壹国伊都国連合に取って代わられたため、女系姐奴(ざな)国の「紀」天照大神と誓約した素戔嗚尊(ソザヌオ→ソザノゥオ)と、「神遣い」された素戔嗚尊の如く不服従の男系狗奴国と、靡いた蘇奴国に分裂する。
 長崎県彼杵(そのき)や讃岐(さぬき)かとも考えたが、これらは大陸の情勢変化に乗じた狗奴国の北上に拠り、邪馬壹国女王卑弥呼の宗女「壹與」が靡いたからか、追われた邪馬壹国伊都国連合が同宗女「臺與」を奉じて東遷した後、男系の蘇奴岐(さぬき)の領域が拡がったと考える。
 神籠石や古代山城とされる遺跡の配置と、「後漢書」倭在韓東南大海中依山島為居、凡百余國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里~。陳寿は、その北岸として邪馬壹国を南側に比定したが、その西北界として東南側にする事からも判る。

 平成2年から発掘調査が開始された瀬ノ尾遺跡(佐賀県神埼郡東脊振村瀬の尾・横田)は、同郡神埼町萩原(吉野ヶ里遺跡)・馬郡北側の丘陵に位置する弥生時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡とある。その調査区南部、古墳時代前期の竪穴住居跡埋土、及び、その上部を覆う包含層から出土した絵画土器は接合できる同一個体の3片中、2片に人物画が描かれる。
 このような武器・武具を持ち頭に飾りをつける司祭者を表した絵画は、近畿、中国、九州地域の弥生時代後期の遺跡から数多く見つかっており、西日本各地でも共通の祭式が営まれたことを示す。

 狗奴国との戦いに敗れた邪馬壹国伊都国連合が東遷した後、「記」天照大御神と速須佐之男命が対立した様に、姐奴国(さの)と対立したとすれば、佐賀県鳥栖市付近に比定した前項の(9)對蘇(とさ)国が、後代、現在の高知県付近に東遷して土佐(建依別)を称し、その対面する国の(10)蘇奴(せのを)国は、現在の香川県(讃岐=飯依比古)一帯を指すのかも知れない。地図を精査すると同様の対立関係が見えるのかも知れない。

 また、佐賀県伊万里市東山代町滝川内讃岐、長崎県佐世保市山手の南側、同県東彼杵(そのぎ)郡川棚町小串(をぐし)郷・日向(八幡山)、福岡県北九州市門司区社ノ木(しゃのき)・柄杓田と関門海峡を挟んだ山口県豊浦郡(現下関市)豊浦町川棚(川棚神社・宮地嶽神社)・小串(こぐし)、山梨県都留市川棚・柄杓流川。茨城県龍ヶ崎市佐貫町、栃木県塩谷郡塩谷町佐貫、群馬県邑楽郡明和町大佐貫、千葉県長生郡睦沢町佐貫、同県富津市佐貫、兵庫県多紀郡(現篠山市)篠山町佐貫、同県三田(さんだ→さぬら)市、鳥取県八頭郡河原町佐貫等が在る。

管理する人々=邪馬壹国伊都国連合の一部は、卑彌呼の宗女臺與を戴き東遷したとすれば、「記紀」出雲の大国主神(「紀」大己貴命)と共に建国したとされる「記」神産巣日御祖命の子、少名毘古那(「紀」高皇産靈尊の子少彦名)に繋がる人々かも知れない。

樂浪郡=前108年、前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして今の平壌付近に置いた郡。後漢末の204年頃、楽浪郡を支配した公孫康は、その南半を割いて帯方郡を設置。313年高句麗に滅ぼされた。遺跡は墳墓・土城・碑等を主とし、古墳群からは漢代の文化を示す貴重な遺物を出土。*楽浪の位置を中国の遼河付近とする説もある。
 後漢書=二十四史の一つ。後漢の事跡を記した史書。本紀10巻、列伝80巻は南朝の宋の范曄(はんよう・398~445)の撰。432年頃成立。志30巻は晋の司馬彪の「続漢書」の志をそのまま採用した。その「東夷伝」には倭(わ)に関する記事がある。

横田(よこた)=京都府京都市山科区北花山横田町、同府船井郡園部町横田、兵庫県加西市横田町(糠塚山・万願寺川)、同県氷上郡氷上町横田・佐野、奈良県奈良市横田町・佐保・矢田原、同県大和郡山市横田町・高田町・満願寺町・矢田町、鳥取県倉吉市横田・和田、鳥取県八頭郡八東町横田・同郡智頭町横田・鳥栖、同県益田市横田町・有田町、広島県高田郡美土里町横田・山田、愛媛県今治市横田町・矢田、同県伊予郡松前町横田、福岡県飯塚市横田・津島、佐賀県東松浦郡浜玉町横田・飯塚・鳥栖柳瀬・山田、熊本県玉名市横田・山田、同県上益城郡甲佐町横田・柳瀬、大分県大分市横田・佐野・高田、同県宇佐市横田・山田・稲積山等。

人物画=人物は羽飾りを頭に付け、嘴とみられる突起を付けた仮面を装着しており、左手には、上部、中央、下部を鋸歯文帯で飾る盾を持つ。右手は欠けているが、戈を始めとする武器を握っていたと想像されるとある。また、土器は共伴した土器の特徴から古墳時代前期に位置付けられるため、弥生時代的な習俗が古墳時代迄、継承されていることを推測させる。

小串(をぐし)=山口県豊浦郡豊浦町小串(こぐし)の如く、地名「小竹」にも「をだけ」「こたけ」がある事にも関係が在り、前者は、成人して嫁を娶ったスサノヲで、後者は、鬚(ひげ)が伸びても泣きいさちるスサノヲに化体されると考えられる。


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