見まごう邪馬台国

◇地形と傍国の配置

 傍国の記述法で要(かなめ)とした奴国の手前に位置すると思しき、(12)華奴蘇奴国迄、比定地を述べてきたところで、以下、手持ちのゼンリン道路地図で或る縮尺に合わせると表れる地形図と主要道路の状態を用いて作った傍国の配置図を掲示しておく。

傍国図 

 上記、配置図の道路、(1)斯馬国と(6)好古都国間、(11)呼邑国と不彌国と(12)華奴蘇奴国間、有明海沿岸や大村湾岸の道路、(9)對蘇国と邪馬壹国間の筑後川を渡る道路、(17)躬臣国と(19)支惟国間等、山間部の道路、角力灘(すもうなだ)沿岸道路等、地形的な状況からも、全てが当時から在ったとはいえないが、古来、人々は、往来と荷役に便利な幹線道路沿線、海岸や河岸等に群れて住み、集落や村邑、部族国家を営んだ。古くから使われたとして疑いない。但し、そうした耕作民や海民と河民以外、山間や傍国以外の地域に人が居なかったのではないと思う。

 また、佐賀県伊万里市から長崎県佐世保市に架けて道路が見えない理由は海岸際迄、山が迫っていたと云う地形だけでなく、倭寇と呼ばれた海賊がいたとされる事、松浦水軍の拠点だった事を考慮すると、沿岸航路が発達していたためと推測される。
 九州管内では当地にだけに見える「~免(めん)」と云う地名が、そうした違いを示唆する。未だ、「メン」の意味は分からないが、投馬国の領域であろう鬼奴国以南から島原半島に架けては、「~名(ミゥ→ミョウ/ミィ→メィ)」と云う地名が見える。
 投馬国への水行二十日は狗邪韓国から松浦半島西部の伊万里付近への十日と、そこから九州北岸を西へ航海し、長崎県北松浦郡田平町を廻り、同県佐世保市の①早岐瀬戸を通り、大村湾を南下する十日になる。その中継地は点々とある地名「~里」だろう。

 また、配置図に拠ると、「奴国」が女王の境界が尽きる所、その最南端に位置するとし、その南には、素より和せずと云う狗奴国が在ると云う陳寿の記述と符合しないのではないか。と云う疑問が思い浮かぶ。
 ただ、これも「国々の比定」項で述べた様に、旧委奴国連合中枢の奴国(二万戸)の出先津として邪馬壹国への道程で記載されるの華奴蘇奴国と、鬼奴国を出城とすれば、その疑問も解消する。
 また、投馬国も、その官名から邪馬壹国伊都国連合に道程の国々との違いが見て取れるので、これも独立した海民の連合国家で、邪馬壹国伊都国連合とは緩やかな②連繋を保った女王國(五万戸)として狗奴国と対立していたと考える。
 では、奴国はどうか、図に拠ると、北側と西側の海岸線と、東側の境界にも「~奴」とされる国々が配置されず、道程で記述された国々が、委奴国連合国間に楔の如く配置されて、その連繋を、警戒し、断ち切る目的で配置される。
 この様に考えると、(4)都支(たけ)国を「記紀」に記載される剣や矛を持つ武人の冠称「建」「武」と同音とした様に、(5)彌奴国と(8)姐奴国を警戒し、抑え込み、對蘇国は蘇奴国に対して配置され、不彌国が華奴蘇奴国の動向を見張り、華奴蘇奴国と鬼奴国との間に③鬼国を挟み連繋を拒いだと考える。

 「国々の比定」項で、奴国中枢を佐賀県杵島郡北方町馬神の南西側、同県武雄市御所・楢崎・多々良・馬渡付近の杵島山麓一帯とした事と関連し、同市橘町大日付近の犬山岳西側中腹に、その武雄市を見下ろす様に、おつぼ山神籠石が在り、委奴国連合の一員と思しき「鬼奴国」には伊都国配下の都支国から一大率の官や副官等の役人と共に、最南端へ送られた人々が、後の防人(さきもり)如く征夷大将軍に統率され、狗奴国に対する防御的な抑えである共に、機動力を持つ投馬国の動向を警戒する役目をも担ったと考える。

①早岐(はいき)瀬戸=満ち潮に乗って進み、引き潮で抜ける。西側の佐世保市針尾(はりを→はじを)島には御所・伊勢川・名倉、宮田・萩坂・浦川内、同県東彼杵郡川棚町浦川内・五反田郷等、一帯を傍国「為吾国」、その南側の同郡東彼杵町彼杵宿・名切・宮田・里郷等、一帯を「鬼奴国」の比定地とした。

②連繋=「記紀」伊勢の海に祀られる天照大御神(天照大神)とスサノヲが誓約した事と関連があり、後、天降りした日高日子番能邇邇芸命(彦火邇邇杵尊)が娶った大山津見神の娘木花佐久夜比賣(木花咲耶姫)は狗奴国王卑彌弓呼が卑彌呼の宗女壹與を娶り、邪馬臺国を称する事に繋がると考えられる。尚、投馬国連合の構成国は、⑲支惟国、⑱巴利国、⑰躬臣国、⑯邪馬国の四ヶ国か、⑭為吾国を併せた五ヶ国か。邪馬壹国伊都国連合(七万餘戸)

③鬼国=漢和大辞典「鬼」項には、中国の二十八宿(星)の一つ。人間業とは思えない並外れた人以上の力を持ち人間を害する等とある。もしかしたら、後代の陰陽師の様な能力があり、鬼国の人々は女王卑彌呼が能くした「鬼道」に拠って操られる様に鬼奴国を見張る役目を担ったのかも知れない。
 折口信夫は、陰陽道では職神・式神(シキジン)の事を「みさき(御先)」とも称した。壱州に来た陰陽師徒は「御先」を傭うのに簡単な方便は「やぼさ」と云う島に多く居る精霊を呪力で駆使する事。昔は、壱岐に矢保佐・矢乎佐等の社が大変な数になる程あった。「やぼさ」は古墓で祖霊の居る処と考えていたが、陰陽師の役霊に利用される様になったり、その始源が段々、忘却せられて来たのだろう。とする。


関連記事
スポンサーサイト
  1. 2017/07/10(月) 23:53:00|
  2. 7.傍国考
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<◇奴国 | ホーム | (12)華奴蘇奴国>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://mimago.blog.fc2.com/tb.php/157-ec5747dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)