見まごう邪馬台国

(20)烏奴国

 陳寿の記載順では、(13)鬼国だが、前項、委奴国連合宗主国「奴国」を分岐点とし、最後の(20)烏奴国から逆順に西北方面の松浦半島西側に向かって並ぶと考える(「地形と傍国配置」の図参照)。尚、漢和大辞典に拠ると、「烏」「奴」には、以下の如く在る。

 烏[ag][o][u]=鳥の形、生気を失った形が多い。寧ろ「於」の字形に近いと在り、鳥の羽を解いて縄に掛け渡した形で、鳥害を防ぐ。
 奴[nag][no(ndo)][nu]=捕らえた女で祭祀官下属の女囚。

 上古音で「アッナッ→アナ(穴)」とすれば、漢字の語義から神籠石(山城?)や洞窟等に隠って祈る巫女や神祇官に仕える女囚の国か。「仲哀紀」徳勒津から行幸された穴門(山口県豊浦郡周辺)に関係するのだろうが、前項迄の比定地周辺部に同音の地名は見あたらない。
 例えば、中古音に拠る「オゥノ(奥野→大野)」とすれば、佐賀県西松浦郡有田大野、その東、同県杵島郡山内町大野・板ノ川内(有田川)・黒髪山がある。同期の遺跡は、佐賀県伊万里市二里町の橋本遺跡(大里乙字大緑)、西尾遺跡(大里乙字西尾)の丹塗り土器は表面を赤く塗り、磨いた土器で、石棺に収められた死者へお供えをして祭祀をしていたとされる。

 委奴国連合の構成国だったため、邪馬壹国伊都国連合に服属し、板ノ川内(いたのかわち)に一大率の卑狗(神祇官・文官)と卑奴母離(武官)が駐屯した役所が置かれた。その後、女王卑弥呼が没すると、北部九州の状況が変化したのか、宗女壹與と共に狗奴(カナ→クド)国へ靡き、已百支国として比定した福岡県前原市多久・有田の山手、朝鮮式山城の雷山神籠石か、東側の怡土城、更には、筑紫城に比定された福岡県糟屋郡宇美町四王寺の大野城付近へ移動したか、領域を拡げたと考える。
 後代、新羅(しらぎ)の侵攻に備えた朝鮮式山城の一つ大野城を維持管理した人々だろうが、戦況の悪化か、中大兄皇子派は百済式山城、鞠智城の熊本県鹿本郡菊鹿町米原字長者原・木野、同県菊池市木野字深迫や、同県阿蘇郡大津(おおづ)町真城(真木)、白水(はくすい)村白川付近へと南下(くだ)った後、大分県大分市大津から高知県清水大津、同県高知市大津、徳島県鳴門市大津備前島・里浦町粟津、大阪府泉大津市を経て、滋賀県大津市粟津町へ移動する。
 「紀」同年9月条中大兄皇子は百済義慈王の子豊璋に織冠を授け、多(おおの)臣蔣敷の妹を妻とし、大山下狭井連檳榔と小山下秦造朴市田来津に兵五千余を率いさせ、百済(くだら)へ護送させたとあり、近世音「ウヌ→ウヅ」国→宇土(ウド→ウト)とすれば、福岡県春日市白水(しろうず)、同県筑紫野市萩原付近に比定した彌奴国や同県福岡市博多区板付・金の隈付近に比定した都支(岳→竹)国に追われて南下ったのかも知れない。他にも地名「大野」は以下の如くある。

 山口県豊浦郡菊川町大野(大野神社)・岡枝(桜井神社)・萩ヶ台(木屋川)、福岡県大川市大野島・早津江(呼邑国比定地)、佐賀県佐賀郡富士町大野、同県東松浦郡相知町大野、長崎県佐世保市大野町(但馬越)・黒髪町、同県平戸市大野町、同県西彼杵郡外海町神浦大野郷(大野岳)、熊本県八代市二見下大野町、同県人吉市大野町、同県下益城郡松橋町大野・浦川内・木浦田・萩尾宇土市隣町)、同県玉名郡岱明町大野下、同県阿蘇郡蘇陽町大野、同県八代郡竜北町大野(鏡山)、同県葦北郡芦北町大野、大分県臼杵市大野、同県大野郡大野町、同県日田郡前津江村大野・座目木・板屋、同県下毛郡耶馬溪町大野、宮崎県延岡市大野町、鹿児島県出水市大野原町鹿島・鯖淵(宮地嶽神社)、同県日置郡金峰町大野・五反田・大坂・白川等がある。

奥野(おうの→おくの)=京都府福知山市奥野部、同府八幡市橋本奥ノ町、兵庫県豊岡市奥野、同県氷上郡山南町奥野々、鳥取県八頭郡八東町奥野、広島県三原市奥野山町、同県豊田郡安浦町中切奥野原、徳島県板野郡藍住町奥野、同県麻植郡山川町奥野井、徳島県三好郡東祖谷山村奥ノ井、愛媛県北宇和郡松野町奥野川、熊本県球磨郡多良木町奥野。
 骨になる迄、亡骸を安置する場所とすれば、「おうの→あおの」で、京都府綾部市青野町、兵庫県小野市青野町、同県三田市青野、同県加西市青野町、奈良県奈良市青野町、岡山県井原市青野町、同県英田郡東粟倉村青野、同県英田郡英田町青野、徳島県美馬郡半田町青野、熊本県玉名市青野。

橋本遺跡=昭和40(1965)年、圃場整備の工事中、偶然、見つかり、弥生時代中期の前半頃、凡そ2150年前頃の墓地で、甕棺墓20基余りと箱式石棺墓が1基、見つかったが、甕棺墓の殆どは壊れていた。他にも伊万里市二里町の杢路寺(むくろじ゙)古墳等がある。

西尾遺跡=弥生中期の後半、凡そ2100年前の墓地と中世の建物跡の複合遺跡。昭和62(1987)年に伊万里市教育委員会によって、調査が行われ、橋本遺跡や西尾遺跡は有田川の西側、国見山系から延びる丘陵の先端付近に在る。橋本遺跡の標高は凡そ6mで、西尾遺跡の標高は、凡そ12~21m。甕棺墓3基と、箱式石棺墓が1基が見つかる。

委奴国連合=奴国の中枢を佐賀県武雄市内としたが、市内から山内町に延びる道路沿いにも、一大率の役所があったと思しき武雄市西川登町板屋(いたや)。

四王寺=「百済式山城」項でも述べるが、その一つ、稲積城の比定地、福岡県北九州市門司区庄司(しょうじ→しおうじ)町・稲積・城山町の対岸、山口県下関市長府豊浦山手の司王子山には、長門城、対馬国の金田城は遠賀川沿岸の福岡県飯塚市津島・庄司(しょうじ→しおうじ)と川を挟んだ東側の同県田川郡金田(かなだ)町神崎(こうざき)付近には、同県嘉穂郡頴田町勢田(せいた)の鹿毛馬神籠石がある。

白水(はくすい)=京都府京都市上京区新白水丸(しんはくすいまる)町、鳥取県日野郡溝口町白水(しらみ)、岡山県英田郡作東町白水(しらみず)、広島県豊田郡東野町白水(しろみず)、愛媛県松山市白水(はくすい)台、福島県イワキ市内郷白水(しらみず)町、愛知県名古屋市南区白水(はくすい)町等がある。

粟津=兵庫県加古川市加古川町粟津/同県赤穂市大津・県姫路市大津区大津町、石川県小松市粟津町/同県珠洲市三崎町粟津・同県鹿島郡田鶴浜町大津、同県羽咋郡志賀町大津、福島県相馬市粟津、群馬県吾妻郡長野原町大津、茨城県北茨城市大津町、千葉県安房郡富浦町大津、神奈川県横須賀市大津町、新潟県刈羽郡西山町大津・同県岩船郡荒川町大津



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  1. 2017/08/01(火) 11:04:00|
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