見まごう邪馬台国

(19)支惟国

 支[kieg][tʃıĕ][tsï]=小枝を手に持ち支える事。
 惟[dıuər][yiui][uəi]=(字統)唯・維・帷等と同声、「説文」大凡に思うなり、鳥占の意を承ける事と関係が在る。

 私見で、「隹」を陰陽・有無・良悪等の二元に関係するとしたので、漢字の語義を考え併せると、前項(20)烏奴国とも関連し、鳥占等で、豊作を祈り、災害を防ぐための神祇を掌る神官系で、死者を弔う役目を担った下属民の「奴」を使役したと考える。

 上古音を併せると、「キェッヅィゥア→ケヂゥァ→キヅァ→キダ(木田・喜田・来田)」だが、前項迄の比定地周辺部には何れも見あたらないので、「キダ→キザ→キサ」とすれば、縄文遺跡の宮の前北遺跡がある佐賀県伊万里市木須(きす)町(大野岳)、北側の同市波多津町板木・飯盛山・田代、伊万里川を挟んだ西側、同市東山代町浦川内や志佐川を見下ろす長崎県北松浦郡吉井町板樋免・福井免等、付近一帯に比定する。

 例えば、伊万里湾岸の佐賀県伊万里市大坪町六仙寺(ろくせんじ)地区午戻(うまもどし)遺跡には、弥生中期中頃(BC1世紀頃)~弥生末期(3世紀頃)に架けての墓群があり、弥生終末期の石棺墓から青銅鏡1、鉄小刀1、鉄鎌1、ガラス小玉1、弥生期の中国製完鏡等、銅鏡が王や巫覡等、権威の象徴とすれば、弥生中期~末期に架けて伊万里地方にも有力者が居たとして良い。

 「キダ→キタ/キズ→キヅ」は、三重県鈴鹿市木田町、京都府京都市下京区川端町木津屋橋、大阪府寝屋川市木田町、同府東大阪市衣摺(きずり)、兵庫県西宮市木津山町、島根県邑智郡羽須美村木須田(きずた)、同県出雲市大社町杵築(きずき)、同県大原郡木次(きすき)町木次、鳥取県日野郡溝口町貴住(きずみ)、広島県山県郡千代田町 木次(きつぎ)、山口県宇部市木田、同県小野田市杵築、香川県木田(きた)郡三木町朝倉、長崎県壱岐郡郷ノ浦町木田触、同県東彼杵郡東彼杵町口木田郷、大分県大分市木田、宮崎県延岡市柚ノ木田町、鹿児島姶良郡加治木町木田等が在る。

 沿岸航海民の投馬国連合中枢へ乗り換える港湾や沿岸水道として重要視されたのか、佐賀県伊万里市波多津町板木(いたぎ)、志佐川沿岸の長崎県北松浦郡吉井町板樋免(いたびめん)、竜尾川沿岸の同県松浦市御厨町板橋があり、一大率から検察と監察のために官卑狗(文官)や副卑奴母離(武官)が派遣された。

 尚、「記」大国主神が淤岐(おき)島から渡ってきた稲羽の素菟を助けた気多前(きたのさき)や、大分(おおきた→おおいた)にも繋がるのかも知れない。

 大阪府岸和田市大北町、兵庫県小野市喜多町、同県多可郡黒田庄町喜多、同県氷上郡市島町喜多、島根県那賀郡旭町来尾(きたを)、徳島県美馬郡美馬町大北、同県美馬郡木屋平村大北、愛媛県喜多郡河辺村北平、福岡県北九州市門司区喜多久、同県飯塚市吉北、同県京都郡犀川町喜多良等が在る。
 何れも河川流域がうねる所や中州等で、佐賀県伊万里市木須町は山麓に細長く食い込む湾岸に位置する。他にも河川沿岸や境界に多い地名「北野」も在る。

 また、中古音で「ッシェユィ→シェユィ→シヰ」とすれば、福岡県北九州市小倉南区志井、同県北九州市戸畑区椎ノ木町、同県福岡市東区香椎、同市早良区椎原、同県嘉穂郡嘉穂町椎木、同県築上郡椎田町椎田、大分県大分市椎迫、同県宇佐郡院内町椎屋、佐賀県伊万里市 南波多町笠椎、長崎県長崎市椎ノ木町、同県佐世保市椎木町、同県下県郡厳原町椎根、熊本県鹿本郡鹿北町椎持、同県八代郡泉村椎原、宮崎県児湯郡木城町椎木、同県宮崎県東臼杵郡椎葉村等があり、この国も領域を拡げたか、東遷した後、何らかの事情で、九州へ蘇ったのかも知れない。

伊万里湾岸=他にも弥生期(水田稲作)の遺跡には土井頭(でいがしら)遺跡(同市黒川町)、小物成(こもなり)遺跡(同市大坪町)、小島古墳(山代町)、銭亀古墳・夏崎古墳(同市東山代町)等が在る。

完鏡=後漢期、中国で作られたもので一部を欠く。直径19.74cm、平縁、幅1.08cm、厚さ0.44cm、内側に向かって櫛歯文帯、雲雷文帯、櫛歯文帯、8個の連弧文帯、平頂素圏、偏平な四葉座、円鈕等が見える。四葉座の間に長宜子孫(ちょうぎしそん)の銘文があり、長宜子孫銘連弧文(めいれんこもん)鏡という種類に分類される。また、鏡と一緒に見つかった他の副葬品とともに副葬品の構成や、その出土状況が分かる点で資料価値が高いものとある。
 福岡県前原市の平原遺跡から粉砕された鏡、39点(34面が中国鏡、5面が日本の彷製鏡)が出土、粉砕されていない完鏡と粉砕された鏡も同様に、王や巫覡の象徴だったのだろうが、同じ副葬品でも意味が違い、平原遺跡の被葬者は、その霊力等を封じられた。
 また、景行天皇の熊襲討伐経路の宮崎県東臼杵郡南郷村神門には百済王を祀る神門神社が在り、33面の銅鏡が奉納される。残念ながら、後漢期や三国期の中国製ではないので、卑彌呼に下賜された銅鏡の百枚には関係ない。ただ、「33」と云う数字にも何らかの意味があると思う。

キズ→キヅ=三重県南牟婁郡紀和町木津呂・板屋、滋賀県蒲生郡日野町木津、和歌山県海南市木津・大野、奈良県吉野郡東吉野村木津川・萩原、京都府京都市伏見区淀木津町、同府相楽郡木津町木津・大野山、同府竹野郡網野町木津(きつ)、大阪府大阪市浪速区木津川、同府東大阪市衣摺(きずり)・豊浦町、兵庫県神戸市北区淡河(おうご)町木津、兵庫県神戸市西区押部谷(おしべだに)町木津、同県赤穂市 木津、同県川辺郡猪名川町木津、和歌山県海南市木津、島根県那賀郡弥栄村木都賀(きつか)、同県邑智郡羽須美村木須田(きずた)、鳥取県日野郡溝口町貴住(きずみ)、徳島県鳴門市大津町木津野(丹生神社)、徳島県鳴門市撫養(むや)町木津・同県板野郡(吉野川)。

稲羽の素菟=「古事記」大国主神の兄弟には八十神が居り、夫々、稲羽の八上比売を妻にしたいという心を持っていた。その八十神と共に稲羽に出かけた時、大穴牟遅神に袋を背負わせ、従者として連れて行った。尚、淤[・ıag][・ıo][iu] 岐[gieg][giĕ][k`i]の中古音に拠り、「ィオキェ→ヨキ→ヤキ」とすれば、邪馬壹国の官伊支馬(イァケマ→ヤキマ)との関連が考えられる。
 雨の前兆とされる辰巳の風、東日本、関東で海から吹く南東/南西の強風の「いなさ」に吹かれたのか、長崎県西彼杵郡香焼(こうやぎ)町丹馬の東北側、同県長崎市出雲・稲佐、島根県簸川郡(出雲市)大社町杵築・稲佐浜・鷺浦も伊奈西波岐神社の摂社に白兔神が祀られる。
 焼火神社(たきび/たくひ)=大日孁尊は、島根県隠岐郡西ノ島町の火山(452m)焼火山中腹にある焼火神社は日本海の船人に海上安全の神と崇められている。焼火神社(大日孁尊/比奈麻治比賣命)長崎県西海市西海町七釜郷1814番地

 気多前(きたのさき)に来た時、丸裸の兎が伏せっていた。八十神は、海の潮を浴び、高い山の峰上で風の吹かれて伏せよ。と言った。その教えに従うと、潮が乾くにつれて、その身の皮は、悉く裂け、痛み苦しみ、泣き伏せっていると、最後にやって来た大穴牟遅神が、どうしておまえは泣き伏せっているのか。と言った。
 僕は、淤岐島から、この地に渡ろうと思いましたが、渡る術がありませんので、海の鰐(和邇)を欺き、私とお前と仲間の多い少ないを数えよう。そこで、お前は仲間を従え、この島から気多前迄、列になって伏して並べ。その上を私が走りながら数えて渡り、何れが多いかを知ろう。
 海民の和邇(わに)は欺かれ、列になって伏せったので、その上を踏んで数えながら渡って来て、いざ地面に下りようとした時、お前は、私に欺かれたのだと言い終わるや、一番端に伏せっていた和邇(わに)が、私を捕え、悉く衣服を剥いでしまったのです。

北野=滋賀県野洲郡野洲町北野、同県東浅井郡浅井町北野、京都府京都市右京区嵯峨野北野町、大阪府大阪市淀川区新北野、同府泉南市北野、兵庫県姫路市飾東町北野、同県姫路市広畑区北野町、同県赤穂市北野中、同県篠山市北野、同県川辺郡猪名川町北野、同県加東郡滝野町北野、同県氷上郡氷上町北野、奈良県山辺郡山添村北野、同県吉野郡大淀町北野、和歌山県海草郡美里町北野、鳥取県倉吉市北野、岡山県御津郡御津町北野、愛媛県宇摩郡土居町北野、福岡県三井郡北野町大城(おおき)、長崎県南高来郡小浜町北野等、天満宮に関係するか。
 尚、「喜多」「喜田」「木田」は河川や道路が集まり、入り交じる所や、湾が細長く入り込んだ所、河川の流域が大きくうねる所に多い。広辞苑「きた」項、東京都23区の一つ荒川の右岸にあり、旧滝野川・王子両区を統合。大阪市北区の大阪駅南東一帯の繁華街の俗称。江戸の吉原、大坂の曾根崎新地・北浜等の俗称。



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  1. 2017/08/08(火) 21:43:47|
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