見まごう邪馬台国

(16)邪馬国

  邪[ŋiăg(yiă)][ziă][sie(ie)]=邪なる事(よこしま・悪い)=呪術等、漢方では陰陽のバランスが悪い事(傾ぐ)。
 馬[măg][mă(mbă)][ma]=草原を駆ける馬→帆に風を受けて海上を航行する船。

 前項の「躬臣国」の役目とも関連して、国名「邪馬」は覡王と違い父系制の宗女が巫女として神事を掌る国と云う意味になる。邪馬壹国の女王卑彌呼は、この巫女で、共立後、神殿に籠もり、希にしか姿を見せない秘巫女(ヒメィホ→ヒミコ)とされる。

 「私説」華北の燕から朝鮮北西部に逃れた衛満が建てた衛氏朝鮮(BC195頃~BC108)が漢の武帝に滅ぼされ、渡来した関係者に拠るのか、伊都国の台頭が要因か、年を経た争乱の後、委奴国連合で擁立された覡王ではなく、独立した投馬国連合の宗主国邪馬国から巫女王を共立する事で収めた。狗奴国は、それを不服として南下して独立したと考える。
 邪馬壹国の副官「彌馬升(みませ)」は、この国の女子を娶り、男婿として巫女王(御体)を生す男系で、政を佐ける男弟。また、同副官「彌馬獲支(みまわき)」は、巫女の側で飲食や伝辞を掌る男子と考えられる。

 漢字音を併せると、「ンギァッマッ→ガマ(ヤマ)」で、比定地の流れに順うと、海峡を挟み(17)躬臣国対岸の長崎県西彼杵郡西彼(せいひ)町亀浦郷・大串郷・木場、同郡大瀬戸町瀬戸板浦(城ノ尾岳)・道目木・山ノ田・雪浦郷久良木・木場、同郡西海町木場郷付近一帯に比定する。尚、地名「カマ~」は以下の如く在る。

 福岡県嘉麻(かま)市、同県北九州市小倉北区蒲生(がもう)、同県筑紫野市山家(やまえ)・筑紫・萩原
  同県柳川市蒲生・筑紫町、同県北九州市小倉南区蒲生・徳力(とくりき→とどりき)・山田
 佐賀県佐賀郡富士町鎌原(かまはら)・大串・大野、同県東松浦郡七山村木浦・鮎帰
 熊本県玉名郡菊水町竃門(かまど)・萩原、同県山鹿市蒲生、同県上益城郡清和村鎌野
  同県八代市坂本町鎌瀬・鮎帰
 大分県南海部郡蒲江町蒲江浦、同郡宇目町木浦内
 山口県下関市蒲生野・(旧豊浦郡)豊浦町川棚・小串(こぐし)・長府印内
 鳥取県岩美郡岩美町蒲生・院内、同郡国府町稲葉(御陵参考地・因幡国府跡・宇倍神社)
 大阪府大阪市城東区蒲生
 京都府船井郡丹波町(京丹波町)蒲生(こも)・院内、同郡瑞穂町鎌谷
 滋賀県蒲生郡蒲生町蒲生堂、同郡安土町豊浦

 「記紀」成立期の中古音「チァマ→タマ」とすれば、「紀」亀の背に乗って山幸彦(狗古智卑狗)の上国へ行った玉依姫(卑彌呼の宗女壹與)が豊玉姫(同宗女臺與)の御子不合尊(狗奴国王卑彌弓呼)の乳母から妻になると云う伝承に繋がるのか、「亀(かめ)~」と云う地名が在る。

 青森県弘前市亀甲町・高田・豊田、静岡県掛川市亀ノ甲印内・大野・高田・萩間、千葉県柏市亀甲台(きっこうだい)町・高田、山口県下関市長府亀ノ甲豊浦町・長府印内町・山田、同県小野田市亀ノ甲・萩森、福岡県大牟田市亀甲町、同県八女市亀甲、長崎県島原市亀ノ甲町・萩原、熊本県玉名市亀甲・山田、同県鹿本郡植木町亀甲・豊田、大分県大野郡野津町亀甲
 青森県西津軽郡木造町亀ヶ岡・豊田、同県南津軽郡藤崎町亀岡・豊田、宮城県仙台市青葉区川内亀岡町(国分寺)、同県気仙沼市亀山、山形県東置賜郡高畠町亀岡、福島県南会津郡只見町亀岡、茨城県水海道市亀岡町、同県西茨城郡岩瀬町亀岡、栃木県真岡(もおか)市亀山、同県黒磯市亀山、群馬県新田郡尾島町亀岡、千葉県千葉市中央区亀岡町、石川県七尾市亀山町、福井県大野市亀山、愛知県渥美郡渥美町亀山、兵庫県姫路市亀井町亀山、同市飾磨区亀山、岡山県倉敷市亀山、広島県広島市安佐北区亀山、山口県山口市亀山町・荻(をぎ)町、大分県日田市亀山町。

船=草原を走る馬に化体されたのか、海原を走る馬と認識された。天空を天翔る鳥=天之鳥船と同様、雄のトーテムとされるので、大陸の東南沿岸部では、海の女神「媽」が祀られる。
 馬の進行距離(70~140㌔/日)とあり、通常、三日間とも進んだ場合、70×3=210㌔だろうが、一日の休息日や予備日を儲けて同距離を進んだとすれば、70+140=210㌔、その平均値の105×2=210㌔となる。これから私説の里数を決定する基本を船の走行距離を千余里/日=105㌔/日、一里≒105mに設定した。

男子=其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂相攻伐歴年。乃共立一女子爲王名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆。年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者。以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人、持兵守衞。

宇倍神社(鳥取市県大字宮下)=祭神武内宿禰命・彦多都彦命(因幡国造祖彦坐王の子) 神祇史料 武牟口命(伊福部氏先祖)姓氏家系大辞典
 因幡国一宮・法美郡の延喜式名神大社。『因幡国風土記逸文』に難波の高津宮に天の下を治めなされた。55年春3月、大臣武内宿禰は、御年三百六十余歳で当国に御下向あり、亀金の双の履を残して御陰所知れずになった。聞く所によると、因幡国法美郡の宇倍山麓に神の社があり、これを宇倍社という。これは武内宿禰の御霊である。昔、武内宿禰は東方の夷を平らげて宇倍山に入った後、終わる所を知らずと言うとある。
 『万葉緯』所引「武内伝」、これにより、祭神を武内宿禰としているが、この逸文は鎌倉期以前には遡らない。宮司家伊福部氏は、明治維新後、宮司の世襲を断ち、北海道に移住、著名な音楽家(伊福部昭氏)を輩出する非凡な家系であった。
 『日本の神々』で川上廸彦氏は、真の祭神は伊福部氏祖武牟口命とされる。八頭郡の式内社多加牟久神社も武牟口命に係わると云う。百人一首に在原業平の兄行平の歌が残る。「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松としきかば今かへり来む」

亀~=岩手県稗貫郡大迫町亀ヶ森、宮城県亘理郡亘理町亀井戸、秋田県由利郡岩城町亀田亀田町、同県平鹿郡増田町亀田、福島県郡山市亀田、同県田村郡三春町亀井、同県二本松市亀谷(かめがい)、栃木県佐野市亀井町、同県富津市亀田、神奈川県横浜市栄区亀井町、同県藤沢市亀井野、新潟県中蒲原郡亀田町荻曽根、富山県上新川郡大山町亀谷(かめがい)、愛知県名古屋市名東区亀ノ井、同県岡崎市亀井町、三重県亀山市亀田町・鹿島町、京都府亀岡市東別院町鎌倉・大野、大阪府八尾市亀井町、兵庫県姫路市亀井町・亀山、同市飾磨区亀山、同県宝塚市亀井町、鳥取県東伯郡大栄町亀谷、島根県邑智郡瑞穂町亀谷、同県仁多郡仁多町亀嵩(かめだけ)、広島県甲奴郡総領町亀谷、山口県宇部市亀浦・小串(こぐし)、香川県高松市亀井町、愛媛県西宇和郡伊方町亀浦、福岡県大牟田市亀谷町、同県三池郡高田町亀谷、長崎県北松浦郡田平町亀免、熊本県熊本市清水亀井町、同県牛深市二浦町亀浦


関連記事
スポンサーサイト
  1. 2017/09/04(月) 14:20:21|
  2. 7.傍国考
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<(15)鬼奴国 | ホーム | (17)躬臣国>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://mimago.blog.fc2.com/tb.php/163-cac85b1a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)