見まごう邪馬台国

(15)鬼奴国

 鬼[kıuәr][kıuәi][kıuәi]=(字統)人に従い鬼頭を象ると在り、人屍の風化したものを云う。「畏」と同系で鬼が呪杖を持った形
 奴[nag][no(ndo)][nu]=捕らえた女で祭祀官下属の女囚

 漢字音を併せると、「キゥァナッ→クァナ→カナ」、語義から王族や貴族の死を司る隠亡や墓守の一族で、鬼国に下属する女囚を掌る国になる。おそらく、先述の福岡県福岡市博多区金隅(かねのくま)遺跡の共同墓地だけではなく、王族や貴族の御陵も管理した。
 旧来の委奴国連合を構成した国で、再起を期して南下、独立した狗奴(くな→くぬど)国(狗[kug][kəu][kəu]・奴[nag][no(ndo)][nu])にも関連が在るのは云うまでもない。邪馬壹国とは素不和(もとよりわせず)とされる後者は、中古音「カゥノ(カゥヌド)→クノ(クヌド)」となり、後代の百済(くだ・ら)に繋がる。
 この国も一大率から官卑狗(文官)や副卑奴母離(武官)が、(13)鬼国との国境、佐賀県武雄市西川登町板屋・同県嬉野市嬉野町木場・焼山付近に派遣された。尚、地名「かなた・かねた」には下記が在る。

  滋賀県彦根市金田(かねだ)町・男鬼(おおり)町・宮田町
  鳥取県西伯郡会見町金田・荻名
   同県江津市金田(かねた)町
  岡山県岡山市金田・久米・小串(こぐし)
  愛媛県川之江市金田(かなだ)町金川
  高知県高知市金田(かなだ)・萩町
  福岡県福岡市西区金武(かなたけ)・四箇・野方(叶岳)・飯盛山、同市早良区金武(かなたけ)
   同県福岡市東区志賀島叶崎(かなさき)・叶浜、同県田川郡金田町金田(かなだ)
   同県北九州市小倉北区金田(かなだ)・神崎
  佐賀県小城郡三日月町金田(かなだ)・三ケ島・久米、同県伊万里市金武(金武神社/弁財天)
  宮崎県都城市金田・広瀬・大淀川

 ただ、比定地の流れに順うと、「邪馬国」と大村湾を挟み対岸の長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷・木場郷・里郷・瀬戸郷(大神宮神社)・飯盛(飯盛山)・同郡川棚町浦川内・木場郷、同郡波佐見町鬼木郷・金屋郷、同県大村市宮小路(みやしょうじ)付近一帯とする。
 彼杵(そのぎ)とされるが、「彼方(かのあた→かなた)」と訓むので、本来、「カノギ→カナギ」だったとも考えられ、南下していた狗奴国の攻勢に因るのか、投馬国と邪馬壹国連合の一部「記紀」天照大御神(天照大神)の姐奴(ざの)国等が天降りしたため、スサノヲの蘇奴(せなう→その)国等の領域に組み込まれた後、「ソノギ」に転音したのかも知れない。

 鬼奴国(クァナ・ラ→カナ・ダ)は卑彌呼が能くする鬼道に繋がるのか、「赤鬼」は製鉄民の別称とも云われるが、手持ちの資料では付近に金属が精錬された遺跡は見えない。ただ、佐賀県小城郡三日月町金田、兵庫県佐用郡三日月町三日月・鎌倉、同郡南光町鎌屋・萩原等の地名があり、万葉仮名の甲「き」に使われる「岐・伎」の現代北京音は、「チ(qi)/ジ(ji)」の近似音とされるので、三日月(ミカヅキ→ミカヅチ)=武甕槌神=御鍛冶(みかづち→みかぬち)になる。

 また、志賀島と資珂島を「シカ」とするが、「記紀」成立期の中古音では、何れも近(チカ)で、東彼杵町遠目(遠海)郷と関連し、福岡県東部の遠賀川河口域は旧く汽水域の古遠賀湾があり、遠つ淡海の遠賀(ゑんか→をんが)に対し、近つ淡海(有明海や博多湾?)=近賀(きぬか→ちぬか→ちか)=茅渟賀になる。
 「カナ→カヌ→カヅ→クヅ→キヅ」に転音したとすれば、河原や湾岸に治水を施して陸地化した地名で、福岡県糸島郡志摩町香月(かづき)、福岡県北九州市八幡西区香月(かつき)、同県鞍手郡鞍手町木月(きづき)、大分県杵築市杵築(きつき)、山口県小野田市杵築、島根県簸川郡大社町杵築等がある。

かなた/かねた=彼方(かなた)とは、西方浄土に還る事と関係が在り、輪廻転生が叶・適(かな)う事とも繋がり、二つを兼ねる。後代、人の生を掌る神道と、人の死を掌る仏教とを併せ、神仏混淆思想が生まれる。お寺の梵鐘は彼世(死後の世界=山上)から麓の現世に向けて鳴り響くのかも知れない。それが故か、除夜の鐘は年末から年始にかけて鳴らされる。
 他にも広島県比婆郡口和町金田(きんで)・吉木、大阪府吹田市金田(かねでん)町・穂波町、同府守口市金田(きんだ)町・馬場町がある。

東彼杵町=麻生瀬遺跡(墳墓・弥生中期)・東彼杵郡川棚町麻生瀬(あそぜ)は、調査の結果、箱式石棺25基、甕棺 3基、集石遺構 7基を検出。箱式石棺は副葬品が少ないため築造時期が不明だが、石棺の特徴から弥生時代中期頃のものとされる。
 甕棺は何れも日用品を転用した小型の単棺で、埋置方向は横位である。副葬品は全く出土していない。 集石遺構は河川円礫を円形に配置したものであるが、遺構に伴う出土遺物は無い。墳墓とは異なる祭祀遺構ではないかとの推定がなされている。石棺墓、甕棺墓、土壙墓、集石遺構 。
 宮田A遺跡(縄文時代・弥生時代)・東彼杵町八反田中の坪。
 小薗城跡城館跡(旧石器・縄文・弥生・古墳・中世・近世)・東彼杵町瀬戸郷字小薗は、標高28m~32mの台地の城館跡で、当該地は大村郷村記に小薗城(こぞのじょう)との記載がある。調査の結果、城の遺構としては空堀が確認されたが、他は近世の遺構により攪乱を受けており、判然としない。

大神宮神社=三上六所神社に天照大御神と豊受大御神をご祭神とする大神宮神社が合祀される。 大神宮神社「配 饒速日命他」長崎市栄町6番地12号

大村市宮小路(みやしょうじ)=竹松遺跡は、弥生期の特殊な墓で知られる。夫々、異なる特徴を持ち、その中、1基は弥生中期で、初めて見つかった。何れも子ども用で、大きな土器を死者の棺として埋葬する甕棺墓が見つかっている。
 弥生期の遺構(約2300年前~約1700年前)は地面を掘り窪めて床を造る竪穴建物跡、穴中に立柱を並べて建物を造る掘立柱建物跡。尚、十点余りのカミィヤキ、11~13世紀、遥か南方、徳之島阿三(あさん)の亀焼地区で焼かれた南西諸島の在地土器が見つかる。
 西海道を統べた太宰府等の中枢以外では確認されていない律令時代のものと見られる越州の青磁も発掘された。大村湾を挟んだ対岸西彼杵半島は、9~16世紀に流通した滑石製石鍋(宮崎康平氏は坩堝とする)で有名。そうした製品や海産物の集積地だったとされる。
 長崎県島原市(南高来郡有明町)大三東(おおみさき)・三之沢付近で発掘された縄文晩期(BC4世紀頃迄)の小原下遺跡から製鉄屑を含む炉状遺構が出土、考古学界に問題を投げかけている。 07年2月の島原新聞に拠れば、従来、東日本に多く見られた土偶5個と、竪穴住居跡28基が出土した。

三日月=土生遺跡(はぶいせき)佐賀県小城市三日月町久米2488。平成4年に三日月町教育委員会が実施した指定地外の発掘調査で、全国初の青銅製ヤリガンナ鋳型が出土した。兵庫県佐用郡(現佐用町)三日月町三日月町(茶屋遺跡/詳細不明)がある。

志賀島と資珂島=志[tiəg][tʃıei][tsï]・賀[ɦag][hə][ho](チハ→チカ→ッシカ)、資[tsier][tsii][tsï]・珂[kar][kə][ko](チィカ→ッシカ)。芦屋釜は、遠賀川河口で鋳出した茶湯釜。室町時代が最盛で優作があり、地肌なめらかで地文鮮麗。その後、各地で類似のものを作り、越前蘆屋・播州蘆屋・伊勢蘆屋等がある。尚、全国の刀鍛冶は、河原で採れる砂鉄の蹈鞴製鉄で有名な奥出雲地方の真鉄(まかね)を使う。*長崎県西彼杵郡外海(そとめ)町
 茅渟(ちぬ)=大阪府南部の和泉国にあたる地域の古称。血沼・千沼・千渟・智努。茅渟鯛(ちぬだい)=黒鯛。「ちに」とも。 *赤鯛=赤女



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  1. 2017/09/11(月) 16:39:30|
  2. 7.傍国考
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