見まごう邪馬台国

◇宮地岳

 倭地「末盧国」比定地の西側、長崎県北松浦郡高島町阿翁免宮地岳(猿田彦神社→宮地岳神社)、福岡県前原市の雷山神籠石北側、同市神在の宮地岳東側、同市高祖に宮地嶽神社がある。その西側、同県糸島郡二丈町松末南側、同県朝倉郡(現朝倉市)杷木町林田・穂波付近の大山中腹、筑後川や有明海を望む城壁の全長2.5km、二ヶ所の水門を持つ把木神籠石付近にも同町道目木松末(ますゑ)には宮地嶽神社、その西北、同県朝倉郡宝珠山(現東峰)村福井・板屋、同郡三輪(現筑前)町高田がある。

 傍国「姐奴(ざの)国」比定地、福岡県太宰府市大佐野の東南、同県筑紫野市阿志岐・吉木高良神社)の阿志岐神籠石は、宮地岳(339m)西側の宝満川を望む位置に展開するが、何故か、西側に在る太宰府政庁南東7㌔の前畑遺跡で、7世紀頃の版築に拠る土塁が発見された。当時、太宰府と対立する勢力が在ったのかも知れない。
 その南側、福岡県久留米市御井崎の高良山神籠石は高良大社(高良玉垂命・八幡大神・住吉大神 豐比咩大神)を登った所に在り、有明海を睨む要所に位置する。現在、北側の城壁は殆ど崩壊するが、南側中腹に列石と土塁が残る。東北側の同市善導寺町島には宮地嶽神社がある。

 福岡県久留米市草野町吉木、古僧都山や清水山(清水寺)麓に山門(やまと)、筑後川南岸の同県八女郡三橋町起田(玉垂神社)、同県八女市川犬との境、同県筑後市溝口と同市若菜に宮地嶽神社、同市長浜に玉垂命神社、同県山門郡(現柳川市)大和町北関に高良神社、同県大牟田市岬に玉垂神社、同県三池郡高田町舞鶴がある。
 また、福岡県山門郡瀬高町大草の女山(ぞやま)神籠石は、東からの丘陵、女山(ぞやま=宇佐神宮の比賣大神?)の末端にある。山頂から南北に伸びる尾根に沿う総延長推定3kmの列石や土塁が連なり、麓の谷には四ヶ所の水門が残る。神籠石群中、列石・水門共に残る貴重な例である。頂点から豊かな水田地帯の先に有明海の対岸、奴国付近が望まれる。
 有明海西北部から西部の佐賀県多久市と同県東松浦郡相知町と同県厳木町境の女山(おんなやま=宇佐神宮の神功皇后?)に関係し、三町と佐賀県武雄市境にある八幡岳(石清水八幡宮の仲哀天皇→應神天皇)と云う関係かもしれない。

 神籠石は見えないが、狗奴国の領域か、熊本県本渡市(現天草市)枦宇土町道目木宮地岳町(十五柱神社合祀宮地嶽神社)、同県天草郡(同市)新和町大宮地・小宮地・宮地浦が見える。官名を彌彌と彌彌那利とする海民(投馬国)が分裂して山幸彦(官狗古智卑狗)に靡いた沿岸航海民→河川民の玉依姫(壹與)を葺不合尊(卑彌弓呼)を伴い北上、航海民の豊玉姫(臺與)を追い払ったと考える。
 例えば、「古事記」天降条、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命と高木神の娘、万幡豊秋津師比賣命との間に生る皇孫天津日高日子番能邇邇芸命が天降りする。皇孫は、国神の道祖神猿田毘古命と天宇受賣命に先導され、氏祖神を従え、竺紫日向の高千穂の久士布流多気に天降り、大山津見神の娘、木花之佐久夜毘売命を娶り、三兄弟を生む。
 道祖神猿田彦に先導された後、天宇受賣命に先導されて伊勢海で死んだ猿田毘古→猿女君の御魂「皇祖天照大御神」を祀る神南備(宮地岳?)、福岡県宗像郡(現福津市)津屋崎町宮司元町の宮地嶽古墳に葬られた後、石室自体を御神体とする宮地嶽神社本社は、その蘇りを禦ぐために建立されたのかも知れない。

 北部九州に拡がる神籠石は宗教施設とする説が有力だが、邪馬壹国伊都国連合東側の傍国(私説)を囲む様に位置する事から、本来、70~80年続いた委奴国連合宗主国の奴国と、その構成国の動向を見張る山城だったと考える。
宮地岳 

阿翁(あをう)免=妻が夫の父を呼ぶ称、祖父とあるが、もしかしたら、猿田彦の呼び名かも知れない。

城壁=その阿志岐神籠石の西側、7世紀頃の太宰府政庁を護る城壁とされる土塁が発掘された。政庁を周る城壁の一部で、その高さ1.5㍍・下部の幅13.5㍍の二段構造は、東側を急勾配にしてを巡らせた防御施設で、版築工法に拠り、固められたとある。これからも對蘇国の比定地とした佐賀県鳥栖市付近に版築作業の技を持つ中国系の人々や石工等が居たのは略確かだろう。
 邪馬壹国が敗れて東遷した後、500~600年頃、対立する政治組織があったのか、この阿志岐山神籠石は含まれない。付近には「景行紀」熊襲討伐経路に点々と続く地名「轟(木)」や「道目木」、宮地嶽神社も見えない。ただ、福岡県筑紫野市吉木には、高良神社(高良玉垂命・大伴建将)がある。

吉木= 岡山県川上郡川上町吉木(よしぎ)、広島県山県郡豊平町吉木(よしき)、愛媛県温泉郡中島町吉木、福岡県久留米市草野町吉木・矢作(やはぎ)、同県豊前市吉木、同県遠賀郡岡垣町吉木・矢矧(やはぎ)川

宮地=岡山県御津郡建部町宮地、同県上房郡北房町宮地、同県上房郡賀陽町宮地(みやち)、同県久米郡久米南町宮地、広島県山県郡芸北町宮地、山口県宇部市宮地町、徳島県麻植郡山川町宮地、高知県高岡郡越知町宮地

海民=「海幸山幸説話」山幸彦が娶った豊玉姫が生んだ葺不合尊、その御子の乳母として送られた玉依姫。また、「記紀神話」伊邪那岐が黄泉国から帰還した後、生した宗像系綿津見三神や住吉系筒之男三神等。尚、「記紀」共によく似た説話が見えるが、夫々に微妙な違いがある。

三兄弟=その火が盛んに燃える時に生まれた子の名は火照(ほでり)命。これは隼人阿多君の祖である。次に生まれた子の名は火須勢理(ほすせり)命。次に生まれた子の御名は火遠理(ほをり)命、亦名天津日高日子穂穂手見命三柱。

宮地嶽古墳=260年以上前に発見された宮地嶽中腹の不動神社を祀る日本最大級の巨石古墳は、御物から推察すると六世紀末~七世紀始めとされる。全長23mという大規模な石室は、高さ、幅とも5mを超す大きな石を積み重ねたもの。
 創建は約1600年前、本来の被葬者は、伊勢の海で亡くなった猿田彦(委奴国王=皇祖天照大神)と考える。その後、天宇受賣命(女王卑彌呼?)も追葬されたが、天照皇祖神として伊勢神宮に遷座したため、祭神は息長足比売命(神功皇后)と、勝村大神、勝頼大神に変わったと考える。
 古墳からは、馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉や硝子板等、凡そ300点が発見され、どれも第一級の素晴らしいもので、その中、十数点は国宝に指定される。この地を支配した氏族の繁栄と富みを象徴する品で地下の正倉院といえる。ただ、馬具が副葬されるから騎馬民族とするのは、早計で、何度も述べてきた様に、海原の船=草原の馬とすれば、投馬国を構成した海民かも知れない。


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  1. 2017/10/28(土) 11:08:33|
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