見まごう邪馬台国

◇到着

 先の岩元正昭氏は以下の如く続ける。【「倭人伝」に載る「到」字を検証する。「~にイタル」の意に使われている「到」字は、下記の4か所のみである。他は全て「至」字が使われている。

  (1)從郡至倭、循海岸水行、歴韓國乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里
  (2)東南陸行五百里到伊都國
  (3)其八年太守王頎到官。
  (4)難升米牛利還到録受忝可以示

(1)「到狗邪韓國」の「到」字は郡より倭に至る間の狗邪韓國が行程の端緒国である故に用いられた可能性がある。又、「狗邪韓國」への到着が最終目的地への方向と違えたために使用された可能性もある。つまり、脇道を示すためかもしれない。どちらか?この答えは簡単である。
 もし、狗邪韓国への方向が最終目的地への経過コースに違えていなければ、狗邪韓国が端緒国であっても「至」字を使用しなくてはならない。随って狗邪韓国への方向が脇道である事は定かである。
(2)「到伊都國」の「到」字は「倭人伝」に載る末廬國を起点とするバイパスである事を明らかにしている。この事は同時に本源的ルートも末廬國を経由している事を端的に示している。
(3)「其八年太守王頎到官」に使用された「到」字は、太守の王頎が帯方郡を最終的赴任地にしていない事を告げている。つまり、王頎が直ぐ官を辞する事が分かる。
(4)「難升米牛利還到録受忝可以示」の「到」字は「還り到らば」という意味で、未だ至っていないので、「到」字が起用されている。


 台湾中華書局印行「辞海」に拠ると、到=至・・弔とあり、或る目的で以て着く→目的を遂げて元に戻り、終点→始点→周→倒となる。一方、至=・到・大・善とあり、それ迄の経過→その結果として、極→次への始点等、何れも文脈に因る派生語義になる。こうした違いを考慮しながら、例文を読み下し、私見を含め、意訳すると下記の如くなる。

(1)帯方郡から倭の領域に至る。(沿岸航海民の水道に従い)半島西沿岸に循じて水行、(郡治との境界)韓国の沿岸部を歴て、南下後、東行すると、倭の領域北岸(外洋船を乗り換えるための出先機関)狗邪韓国に到る。そこ迄、七千余里。

 >狗邪韓国への方向が最終目的地への経過コースに違えていなければ、狗邪韓国が端緒国であっても「至」字を使用しなくてはならない~。も帯方郡から見て東南方面に拡がる倭の領域と女王国が同領域とすれば、二つを書き分ける必要はない。
 南側に位置する女王国に服属する倭人海民の狗邪韓国へのコースを違えるのではなく、当地から南へコースを変えるための目的地であり、倭の北岸狗邪韓国が南至投馬国水行二十日と南至邪馬壹国水行十日陸行一月の始発地でもある。

(2)東南陸行五百里で到る伊都国は女王国に至るため、東南の奴国ではなく不彌国へ向けて東行する分岐点に到着した事を示唆する。詰まり、本源ルートやバイパス等の示唆はない。論者の云う別ルート等があれば、地理志として正確に記述すると思われる。

(3)文脈からすれば、その八年、帯方太守として、任地の郡衙に到着した(任官した)。となり、官を辞する等の文意はない。「到」「至」の二字、何れにも起点からの道程がある。但し、物理的に移動するかしないかに拘わらず、任官と云う目的があり、前太守の後任王頎が、最終の赴任地にしていない等の文意は無い。

(4)洛陽に居る遣使の難升米と牛利に対して、女王卑彌呼の下に還り、到着したならば、受けた記録で以て、(魏王の命を)悉(ことごと)く示すべし。になる。

 論者の説は、記述法を変えて文意を違る事で、編者や文官の意を含ませる「春秋の筆法」等とは全く異なり、殆ど表意文字の機能を逸脱している。


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  1. 2018/01/22(月) 10:24:37|
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