見まごう邪馬台国

◇漢籍と「記紀」

 矢治一俊氏は【『後漢書』は卑弥呼が都した国は「邪馬臺」だという。また、『隋書』は俀国(倭国)の都は邪靡堆と呼ばれ、『魏志』に書かれている「邪馬臺」だという。『魏志』には「邪馬壹」と書かれてあったはずなのに『隋書』は、何故、その国は「邪馬臺」だと書いたのだろうか。その理由として、一つには卑弥呼が都した国は、本来、「邪馬臺」だったという事、二つには『後漢書』が、その国を「邪馬臺」だと書いている事が挙げられる。『魏志』には「邪馬臺」とは書かれていなかったが、卑弥呼が都した国の実際の名が「邪馬臺」であり、回りの史書の全てがそうなっており、『隋書』の編纂者魏徴も『魏志』にも「邪馬臺」と書かれてあったと錯覚してしまったのではないか。『後漢書』「案今名邪摩惟音之訛也」は唐の李賢によるものとされる。この「邪摩惟」は『隋書』にいう「邪靡堆」の間違いだろう。
隋・唐時代、倭国の都は「邪馬臺」に近い発音がされていた様にみえる。そうであれば、倭国の都は、既に卑弥呼の時代から「邪馬臺」だったとしなければならない。「邪馬壹」は、この時代、或いは『魏志』編纂時に中国側がつけた国名だったとみるしかない。『魏志』に「邪馬壹」とあるのは「邪馬臺」の間違いではなく、この時代の中国の倭国に対する歴史書としての忠実な記録の結果だったのである。しかし、「邪馬壹」は本来の国名ではないから、順って卑弥呼が都した国は何と呼ばれていたのかと聞かれたら、「邪馬臺」でよいのではないかと思っている。但し、『魏志』を語る時は「邪馬壹」とするのが史書の正しい読み方だろう。】
 
「後漢書」倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百余國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里=倭は韓の東南大海中~(中略)。30ばかりの国、皆、王を称し、世世、伝え統べる~云々。
一方、「魏志東夷伝倭人条」倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國。漢時有朝見者、今使譯所通三十國=倭は帶方東南大海の中~(中略)。漢時、朝見者有り。今、使訳を伴い通じる三十国となっていますが、その傍国とされる国々を併せても29ヶ国、邪馬壹国連合国家だけではなく、敵対する狗奴国も含めざるを得ず、卑彌呼の没後、狗奴国王が邪馬壹国(臺與/壹與)を娶り、金印を奪い「邪馬臺」の大倭王を称したのではと考えます。
>『後漢書』「案今名邪摩惟音之訛也」は~云々。この「邪摩惟」は『隋書』にいう「邪靡堆」の間違いだろうとしますが、使われる漢字音、惟[diuər][yiui][uəi]=ディゥェ/イゥィ、壹[・iet][・iĕt][iəi]=・イェッになります。これと堆[tuər][tuəi]=ツェー/ツェィ→タィ」との何れが近似音なのでしょうか。
上記、「今名邪摩惟音之訛也」の案ず=推量、調べ考えるから、編者李賢が「惟」「堆」字形と「壹」「臺」の音韻等から、何れかと思い巡らした末に出した答えだと窺えます。後代の編者や編纂者が迷うのには理由が在ります。それは、この列島の有史が倭国や邪馬壹国に始まり、スンナリと大和朝廷へ移行して形成されたのではないからで、授かった金印「漢委奴国王」と「親魏倭王」に於いて、前者の場合、漢王朝の属国、後者を支配権の象徴とすれば、それを対立する狗奴国に奪われた卑弥呼の系統は中国の史書から消えるのは致し方ない事でしょう。
「枕詞」飛鳥のあすか、春日のかすが、日下のくさか等と訓じる理由を理解せずに、大和(やまと)の意味は分からないでしょう。古事記や日本書紀のみならず、漢籍も丹念に読み解いていくと春日の彼方に微かに見え隠れする飛ぶ鳥が日の下に晒されるのではないでしょうか。
 
上古音と中古音の狭間の漢音は、長安(今の西安)地方で用いられた標準的な発音を写したものとされるが、前漢の高祖漢王「劉邦」は南中国の江蘇省沛(はい)県の人と云われる。また、中古音の一つ唐音も、本来、禅僧や商人等の往来に伴い主に南中国江南地方(杭州音)の発音が伝えられたとある。唐の高祖李淵(字=叔徳)の先祖は隴西(甘粛省)李氏とされる。母は鮮卑族独孤氏の出。祖父・父は共に唐国公に封ぜられる。
国号「唐」は、李淵の祖父李虎が漢の太原郡にあたる唐国公の封爵を北周より受け、李淵が隋より唐王に進封された事に由来。初め、隋に仕えて太原留守、617年次子世民(太宗)の勧めによって挙兵。突厥の助けを借り、群雄を破って長安をとって煬帝の孫恭帝(楊侑)を擁立、唐王となる。翌年、煬帝が、その臣に殺されるに及んで帝位につき、長安に都して「唐」とした。但し、唐王室の李氏は、北周王室鮮卑族宇文氏、隋王室楊氏と共に北魏が北辺に配置した6軍団の一つ武川鎮軍閥の出身であるという共通点をもっていた事もあり、唐の政治と制度は、北周と隋のものの多くを継承する。
 
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  1. 2014/10/29(水) 10:52:51|
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