見まごう邪馬台国

◇中華思想

広辞苑等に拠ると、春秋時代の十二諸侯の一つ「」、都は絳(陝西省侯馬市)、姫(き)姓の周成王弟の叔虞後裔、文公に至り、楚を破り、周を助け、国力充実、領土は河北南部、河南北部に及ぶも、BC403年、韓・魏・趙、三晋の独立により名目的な存在となる。
上記、春秋時代の晋から韓・魏・趙の三国が独立後、名目的な存在とする事、後漢の権臣曹操は帝位の簒奪ではなく、献帝から禅譲されて「魏」を建国したとする事、これと同様、曹魏の権臣司馬懿が魏帝位を簒奪し、その孫司馬炎が建国した「西晋」を禅譲とするために書かれた「三国志」だとすれば、極限られた期間にだけ、短里と思しき異単位が使われた理由や、その事情を推測し、理解する必要があろう。
当時、中国国内で、物資や将兵の移動は河川や運河等の水行に拠った。詰まり、魏使にとって沿岸航海だけでなく外洋を渡る事等、日常的ではなかったと思う。卑彌呼の遣使は「魏」と遼東半島太守公孫氏が覇権争いの最中、或いは、終戦直後に行われたとされる。当時、呉は夏后少康が封ぜられた大陸東南岸の会稽付近に広く住んだ蛋民や海民を支配し、半独立的な公孫氏とも繋がりがあったらしい。魏帝は呉に服属した沿岸航海民の機動力を欲し、彼等をも支配したと考えられる。そして、それが反旗を翻した公孫氏側の理由とも云われる。
編者陳寿が、狗邪韓国から對海(對馬)国へを始度一海とする理由は、既知の情報にった沿岸航海「郡至倭循海岸水行」と違う外洋航海と云う意味だけではなく、郡使は何度か渡ったが魏使の渡海は「一目」と云うニュアンスもあるのかも知れない。詰まり、沿岸航海や外洋航海に対する里単位ともとれるが、呉志だけではなく、魏志にも使われるので、それだけとも言い切れず、少し、見方を変える。
例えば、司馬懿の司馬を役職名(馬を司る=馭者?)とすれば、騎馬民族に関わりのある人々の長とも考えられる、司馬懿の子司馬昭が、春秋時代の十二諸侯の一、姫姓の周、成王弟叔虞が封ぜられた「後裔の血統、曹魏の王統に近い魏氏等の女性を娶って生んだのか、それとも養子なのかは判然としないが、孫の司馬炎(武帝)が統一国家として「西晋」を建てた(AD281~316)事に対する自負心や自尊心で以て、度量衡を統一、中華思想として魏・晋の里単位(長里)とした。史上最後の清王朝はツングース系女真族「奴児哈赤」の孫世祖が北京へ遷都後、漢民族の文化遺産の多くを収集、漢字の辞書を作った等の事実も、中原の覇者として自らを中華思想に於ける王統とする自負心や自尊心の顕示と思う。これらから、對馬国と對海国との関連も見える。詰まり、遊牧騎馬民族の草原を走る馬と海民の海原を走る船が同等とする認識だった。

 
「韓」=中国、戦国七雄の一。「韓」=戦国時代の国名。戦国七雄の一つ。晋の六卿。魏・趙と共に晋を分割、平陽・宜陽・鄭に都して強勢な時期もあったが、秦に滅ぼさる(BC403~BC230)。韓氏は、晋分家桓叔(成諸・曲沃県当主)の庶子韓万(諱武・荘伯の弟)が武公の馭者としての功に拠り、韓に封じられて氏とした。献公が粛清対象とした桓荘の族。趙氏の再興に絡み有名な韓厥の代に卿に列し、次代には趙武の後任として執政になる。一族の傾向として慎重かつ細心で、自立後も影が薄い。『左氏春秋』では妙に人格者を輩出する家系、『左伝』が韓に於て成立したとされる所以(BC403~BC230)。
「魏」=中国、戦国七雄の一。晋の六卿、魏斯(文侯)が、韓・趙と共に晋を分割、安邑に都。後、大梁(河南省開封)に遷る。山西の南部から陝西の東部、及び河南の北部を占め、後、秦に滅ぼさる(前403~前225)。後漢の末、198年、劉邦と同郷江蘇省沛の曹操が献帝を奉じ、天下の実権を握って魏王となり、その子丕に至って帝位(曹魏)に即く。都は洛陽。江北を領有。5世で晋に禅る(220~265)。洛陽=洛河の北(洛北)。中国河南省の都市。北に邙山(ぼうざん)、南に洛河の形勝地。周代の洛邑、後漢・晋・北魏・隋・後唐の都となり、今日も白馬寺・竜門石窟等旧跡が多い。
「趙」=中国、戦国七雄の一。趙氏は晋の六卿、顓頊(せんぎょく)帝後裔とされる「造父」が、穆王馭者を務めて「趙」に封じられて氏としたもの。幽王時代に造父の孫叔帯が晋に移り、文侯に仕えた。立場は魏氏と同様だが、重耳(晋文公)の外戚になった事と資質の差で、文公時代から重用され、屡々、正卿を輩出。秦や鮮虞や胡に接し、嫡長だけで継承をできない事情もあったか。外様の常か、趙朔の死後、趙鞅の代、趙無卹の代にも瀬戸際を経験、自立後の内訌も多い。韓・魏と共に晋より独立、諸侯となった。邯鄲(かんたん)に都、武霊王の時、王号を僭称、一時、強盛を誇ったが、秦に滅ぼさる(BC403~BC222)。
穆公=春秋時代の秦の君主。五覇の一人。名は任好。西戎に覇を称えたと云う(在位BC660~BC621)。大夫百里奚(ひゃくりけい)を用い領土を拡大。
百里奚=字「井伯」、晋に敗れて虞君と共に秦に送られたが、恥じて逃げるも楚人に捕らえられた。穆公は五羖羊を与えて譲り受けたと在る。
幽王=周の宣王の子(?~BC771)。申侯の娘を妃としたが、褒姒(ほうじ)の愛に溺れ、犬戎の軍に攻められて驪山(りざん)麓で、殺された(在位BC782~BC771)
司馬=中国古代の官名。周の六卿の一つ。夏官の長。国家の軍政をつかさどる。漢代には大司馬とし、三公の一つ。魏晋南北朝では将軍・都督の属官。隋唐では州の属官。後世、兵部尚書の雅称。地方官、掾(じょう)の唐名。
ツングース(通古斯)=シベリアのエニセイ川からレナ川・アムール川流域やサハリン島、中国東北部にかけて広く分布するツングース諸語を話す民族の総称。漢代以降の鮮卑、唐代の靺鞨・契丹、宋代の女真、満州族等を含む。生業は狩猟・漁労・採集、トナカイ・馬・牛の飼育等を主とする。
 


関連記事
スポンサーサイト
  1. 2014/06/11(水) 15:54:45|
  2. 1.距離の感覚
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<◇海民の単位 | ホーム | ◇異民族の単位>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://mimago.blog.fc2.com/tb.php/4-68ae4661
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)