見まごう邪馬台国

◇百済禰軍

 最近、中国で墓誌(大唐故右威衛将軍上柱国禰公墓誌銘并序公諱軍 字温 熊津蝸夷人也~)が発見された百済の将軍とされる禰軍の先祖は大陸東岸に拠った蝸夷人(沿岸航海民か)で、他に西安でも百済出身の禰寔進・禰素士・禰仁秀と云う人物の墓が見つかったと云われる。平均気候の冷温化に伴う政情不安から戦乱が続いた西晋の永嘉(307~313)年間末に百済に移ったと在る。但し、百済建国は、346年とされるので、当時の馬韓(伯済)や弁辰伽耶(弁韓)に属した後、統一百済に服属したと考える。また、同一人物と思しき名が「日本書紀」665年条九月庚午朔壬辰条、唐国朝散大夫沂州司馬上柱国劉徳高等を遣す。右戎衛郎将上柱国百済禰軍・朝散大夫上柱国郭務悰を謂う。凡て二百五十四人。七月二十八日に対馬に至る。九月二十日に筑紫に至る。二十二日に表函を進ると在る。
 古来、大陸から難民が北回りで朝鮮半島に流入し、沿岸部に住む狗邪韓国等の海民と共に押し出される様に対馬や壱岐、更には五島列島や九州西北岸や日本海 沿岸部に渡来した。また、それ以前から南回りで揚子江流域の耕作民が会稽東治(紹興)付近の蛋民や海民を伴い南西諸島を経て九州西南岸部に渡来した後、水 耕稲作に適した場所を探して北上したと考える。古くは樺太等、北海の島々を伝い北海道へ渡来し、早くから河川を遡り、主に狩猟と牧畜や漁労を営み、一部、 栗や椎櫪等の栽培も行った父系制狩猟採集民の系統も居り、現在、これらの人々も殆どが併合され、自らを日本人と称する。尚、永く異民族とされたアイヌモシ リは、近年、漸く列島の先住民として認められた。
 現在、朝鮮半島南部大韓民国にも使われる韓[ɦan][ɦan][han]と漢民族に使われる漢[han][han][han]の中原音は同じだが、上 古音と中古音は微妙に違う。広辞苑に拠ると、「韓」=中国、戦国時代の国名。戦国七雄の一つ。晋の六卿の一人韓氏は、魏・趙と共に「晋」を三つに分割し、 平陽・宜陽・鄭に都し、国勢が盛んな時もあったが、秦に滅ぼされた(BC403~BC230)。彼等の後裔や縁者は何処へ行ったのだろうか。

 
「倭人伝」従郡至倭循海岸水行暦韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里の文意を、帯方郡衙から倭に至るには半島西沿岸沿いに水行し、西沿岸部(韓国)の彼方此方に立ち寄りながら、南下後、南岸沿いに東へと進み、倭の領域北岸狗邪韓国に到る。此処迄の距離七千余里とすれば、朝鮮半島南岸巨済島付近の海上で、依りて国邑なす事のできる島嶼(の北岸)を狗邪韓国に比定する。
 現在の国境線に対する認識とは随分と違うが、この様に考えると、狗邪韓国と伊都国だけが、「到」とされた理由が分かる。詰まり、狗邪韓国から末盧国迄は海民の領域で、伊都国以降が邪馬壹国と狗奴国を含む「倭地」で、陸上の領域になる。おそらく、韓国南岸部や末盧国沿岸部には蛋民の家船が係留されていたと考える。
 倭(人)とは、朝鮮半島東沿岸部や南沿岸部の島嶼や玄界灘の対馬・壱岐等を含む九州北岸部の末盧国や日本海の隠岐島や山陰沿岸部を含む海域を往来する外 洋航海民(耕作民を含む)と沿岸航海民や蛋民等の総称で、普段、海岸沿い小さな島々や陸地の河口部に住む彼等は、為政者にとって必要な機動力を持ち、本 来、帶方郡や韓国、北部九州の邪馬壹国等、その何れにも属さない独立した人々だったが、對海国と一大国には、大官(官)と副官に同名称が記載されるので、 当時、邪馬壹国側の伊都国が常治する一大率に服属していた。尚、「記紀」の海人綿津見や阿曇等が往来した海域を領有し、後の倭寇とも関連があると考える。

蝸夷(クゥディゥ/クァィイ)人=手許に資料がないので不詳だが、蝸[kur] [ku][kua]=かたつむり(蝸牛)・渦巻型(指紋)と在り、「記紀」応神条、束ねた髪に隠した弓弦を出して云々~。束ねた頭髪を蝸牛状の巻髪にして いたか、渦巻模様の文身を施していたか、その模様の衣服を纏っていたと推測される。おそらく、中国大陸の東南沿岸に住んだ東夷(夷[dier][yii] [i])の沿岸航海や河川航行に長けた蛋民で、それが百済や唐等、為政者に重用された理由となる。倭人系海民とも近い縁を持つ人々で、古伝承に日本に渡来 したと云う徐福等に代表される人々と同様、百済が用いたとされる呉音の漢字を持ち込んだと考える。詰まり、百済人とは云えど、自身の拠り所を失った流民 で、通説では百済の支配階級を扶余人とするので、某かの差別や区別があったのだとすれば、唐に靡いた理由は、故地の中国東南部に戻って自身の拠り所を再興 するためか、生きるための方便だろうが、倭国(日本)迄の航海士か、通訳者として来朝したと考える。おそらく、出自を加羅王とする新羅(シルラ)の将軍金 庾信等と同様、服属を強いられたと考えられる。
巨済島や済州島等、何れも「済(渡)り島」と云う語義となる。「百済」の場合、百=多部族の全一+済(渡→亘→渉)とも繋がり、束ねると云う語義。「伯済」とされた場合、高句麗を弟の国と意識した名付けと考えられる。



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  1. 2015/02/13(金) 13:03:49|
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