見まごう邪馬台国

◇一大国と瀚海

   
  又南渡一海千余里名曰瀚海至一大国 官亦曰卑狗副曰卑奴母離 方可三百里
  竹多木叢林 有三千許家。差有田地耕田猶不足食亦南北市糴

 一[・iet][・iĕt][ıəi]=(字統)横一を記す。当初、数字の1~4迄は横画で記号的に表示した。数の始めであり、声義の近い、壹(壱)は壷の中で発酵したものが充満する事、詰まり、壺一つ=全一。
 大[dad/dar][dai/da][tai/ta]=(字統)天と大地の間で手を広げて立つ人の正面の形を表す。金文の「太保」では特に優れた体格の形に記し、盛大・長大等の語義。

 使われる漢字の音を併せると、訓みは「ィエタ→エタ(江田)・イタ(伊田)・ヤタ(八田・矢田)」で、これを現在の壱岐として、語義を考え併せると、前 項の對海国の比定地とされる南北二島の対馬と違い、独島=全一とできるが、決して大きくはないので、他に大きな理由や意味があると思われる。
 これに関連すると思しき記述、「倭人伝」伊都国が常治する一大率が女王国以北の諸国を検察、皆、これを畏怖すると在り、對海国と同様、この一大国にも卑狗と卑奴母離と同一名称の官吏が置かれる。但し、役割が違うのか、對海国の場合、大官卑 狗とされる。この大官を海神「たま(玉)」の神祇官とすれば、官卑狗は文官、副卑奴母離は武官で、一大国には一大率の本役所か、出先機関があったのだろう が、国名に拠る命名か、機関名が国名にされたのかは判じがたい。ただ、ここでは40~50㌔四方の南側に陸地や離島が見えるので、前項の「所居絶島~」 の記述はないが、一海の名称「瀚海」と特筆、同じ領海として示唆する。また、その漢字、瀚[ɦan][ɦan][han]=広い海、ゴビ砂漠、唐代、都護 府の名称、ゴビ砂漠以北の遊牧民を管理したと在り、海[məg][hai][hai]の上古音は馬[măg][mă(mbă)][ma]と近似音である 事、英語で船=mere-hengest(海の馬)とされる事や「氵(さんずい)」のない「翰」=高く飛ぶ事→縦の広がり(天空の鳥→天馬)に対して、 「瀚」=横の広がり→草原を走る馬や河川や海上を航行する船として良い。更には、同音の韓[ɦan][ɦan][han]が使われる倭人系外洋航海民の狗 邪韓(くぬがわに)国を考え併せると、「瀚海」=ファヌマッ→ゥァヌマ→ワヌマ(鰐海)とせざるを得ない。詰まり、この一海は倭人系海民の鰐(わに→鮫)、「記紀」和邇氏・和珥・丸邇氏等の領海の南側全体で、福岡県の志賀島で発見されたと云われる金印「漢委奴国王」を「漢の鰐国王」とした事にも繋がるので、瀚海(一)上の鰐国(大)を統率する役所と云ったニュアンスと考えられる。
 魏帝の勅書と下賜品を授けるため、初めて外洋(瀚海)を渡った魏使は、此処でも戦略的な見地から列島の地理的な状況を調査し把握する事が目的とせざるを 得ない程、正確な地理情報を報告した。当時、日出と日没(東西)、その南中と北極星(南北)、地形等を頼りに相対的な八分割の方向と徒歩や乗馬・馬車等、 一日で進める距離の設定から換算した一里を基本とするのだろうが、地図で簡単に位置関係を判断できる現代人には考えられない程、倭人が持つ朝鮮半島と日本 列島西側、九州北部の地理的状況の知識が如何に正確だったかが判る。
 白川静編「字統」「韓」=旗竿の取っ手に鞣し革を付ける。旗を掲げ、韓人思想の広がりを示唆するが、編者陳寿には、当時の韓国は楽浪郡や帯方郡を通じて 中華思想が広まっていると云う認識があった。一方、海[məg][hai][hai]と毎(まい)・悔(くい)・晦(つごもり・くらい)等は同声で、「」とされた狗邪韓国や、「始度一海」とされた對海国と同様、邪馬壹国上層部は「漢委奴国王」の時代とは違い異言語で蒙昧な民族と云う認識だったと考える。

(字統)旧くは 横画を四本引いたと在るが、漢数字「四」、アラビア数字「4」やローマ数字「Ⅳ」等、1~3と規則性が違うので、干潮(ひる)→経過(ふる)→満潮(み つ)→経過(よる)と経過し、新月→半月→満月→半月、朝→昼→夕→夜(よる)等、十二進法(3×4)に関連する。
瀚海(わぬま)=對海(たま)を対馬とすれば、最北端の長崎県上県郡上対馬町鰐 浦、付近には高麗山(こうれいやま)が在り、鳥取県西伯郡淀江町と同郡大山町の境にも孝霊山(こうれいさん)、別名「瓦山」と在る。カハラ(河羅)→カッ パ(河伯→河童)→カワラ=蛋民(阿曇系)で、高句麗王祖解(高)朱蒙の生母は河伯の娘、柳花「ユファ→イゥファ→イワ(石・磐)」とすれば、沿岸航海民 (住吉系)にも繋がり、神功皇后の新羅討伐は住吉海人の後押しで行われたとある。「仲哀紀」五百枝賢木を舳と艫に立てて~等とも関連し、錦(二色=白黒→ 陰陽)の御旗の下、支配と服従の関係も示唆。*賢[ɦen][ɦen][hien]
漢委奴国王=「金印考」で後述する予定。



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  1. 2015/02/26(木) 21:29:31|
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