見まごう邪馬台国

◇伊都国と金印

  東南陸行五百里到伊都国 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千余戸
  世有王皆統屬女王国
 郡使往来常所駐

 朝鮮半島西や南沿岸部を航海する海民「韓(わに)」と同系と思われる狗邪韓国で、「到」とする理由を邪馬壹国と伊都国連合に取り込まれて支配されたた め、帶方郡に服属する沿岸航海民の領海(水道)や韓国領域を出て伊都国(一大率)に服属する倭人系外洋航海民(陸鰐)の領海に入る事を示唆するとしたが、 「到伊都国」は、その領域(海上)から外れ、陸上の女王国連合と狗奴国領域(倭地)に入った事になる。

 伊[・ıər][・ıi][i]=(字統)君(旧くは女性)を補佐する役職名。伊尹=伝説上の殷初の名相、名は摯と云い湯王を補佐、夏の桀王(けつおう)を滅ぼして天下を平定したので、尊んで阿衡(あこう)と称したと云う。
 都[tag][to][tu]=(字統)祝禱を入れた器を埋納し、城壁で囲んだ所。
尚、現代北京音[dou]=京都、[du]=集める・集まる、全て等と在り、その全体を城壁で囲った京都や都市には人が集まる。

 使われる漢字の音を併せると、訓みは「ィェアータッ→ヤァタ(八咫)」、エタ(江田)・イタ(伊田)・ヤタ(八田・矢田)、語義を考え併せると、巫女王 卑弥呼を補佐する男弟(丞相)を輩出し、その宗廟を守護する城壁を構えた国で、郡使や魏使が往来する国と云った語義になる。また、前項、末盧国の「灯明」 とも関連し、「記」伊邪那岐が我が子火之迦具土神の頚を斬った剣神伊都尾羽張神(亦名天之尾羽張神)の裔孫建御雷之男神→建御(タケミィカヅチ)神が出雲国譲に遣わされた。こうした経緯との係わりを示唆する様に、傍国の名称や女王国の情報等を述べた後、先述した以下の如き記述が見える。

  自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
  王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津搜露 傳送文書賜遺之物 詣女王不得差錯

 伊都国の常治する一大率を畏怖したと在り、近似音の国名「一大(ィェタ)国」も旧くは王権と祭祀権を持っていたが、諸国を監察するために置かれた一 大率の本役所か、出先機関から、邪馬壹国と伊都国に支配されていたと思しき対象となる以北の倭人系の航海民と水行稲作民の諸国、對海国や一大国の他にも文 官や武官の「卑狗」か「卑奴母離」が派遣されたとして良い。また、我国中に有る刺史と云う役職の如くとも在り、卑狗と卑奴母離の組織体系がよく似ていたの だろうか。上記の前段、國國有市、交易有無、使大倭監之とも在り、「都」=集める・集まる、全てと云う語義からすると、常置する一大率の役人だけではなく倭人系海民の長(水上警察)だろうか、「大倭」をして交易の有無を監するとあり、邪馬壹国を連合国の全一、卑彌呼を盟主として伊都国(一大率)が二重支配したと考える。

  今以汝爲親魏倭王假金印紫綬 裝封付帶方太守假授 汝其綏撫種人勉爲孝順
  汝來使難升米・牛利 渉遠道路勤勞 今以難升米爲率善中郎將 牛利爲率善校尉 假銀印青綬

 金印紫綬「親魏倭王」を仮すので安心して人民へ孝順を為せ。遠路遙々詣でた難升米を率善中郎大將、牛利を率善校尉と為し、仮銀印青綬(不明)とあり、使者が戻ると委奴(わぬ)国王から奪っていた印璽「漢委奴国王」は不要になり、委奴(ワヌ/ゥイヌド→イドゥ)国王墓か、伊都(ヤァタ→イドゥ)王墓に埋納されたと思われる。ただ、(伊都国)世、王有りとあり、伊都国王墓とされる福岡県前原市の平原遺跡から径46.5㌢の銅鏡(八咫鏡か)が出土したが、これは狗奴国に敗れた伊都国王や卑彌呼の呪力を削ぐためと考える。次回は、伊都国の官職名を考えてみる。

初め半島から逃れてきた殷王の叔父と伝承される箕子朝鮮関係の王族や高級官僚に拠る委奴(わぬ)国連合として漢王朝に朝貢したが、漢王朝に滅ぼされた周王の 兄弟が封ぜられたと伝承される燕(大陸東北部)の人衛氏朝鮮の王族や高級官僚に支配される。尚、神功皇后の新羅討伐の後ろ盾、住吉系海民(一大国系)や漢 王朝の圧迫から逃れてきた遊牧騎馬系衛氏朝鮮(衛満)後裔と考えられる。邪馬壹国前代、奴国連合(委奴)の時代、祭政一致だったが、新たな渡来者に拠っ て、政事を奪われて、祭祀の邪馬壹国と伊都国(政と武)で二重支配した。
伊都尾羽張=漢字音を併せると、ヲハハリ→ヲゥハリ→ヲワリ(尾張→終→末)と訓 める。伊邪那岐が竺紫日向橘小戸阿波岐原で禊ぎ祓いして生る神直日命・大禍津日命・大直日命と、安曇連祖神の以ち拝く綿津見三神、墨之江の三前の筒之男三 神とある。一大国の比定地、壱岐から鉄の精錬工房跡が見つかった。*尾羽=舵羽→船舵(ふなかじ)
建御雷之男神=迦具土神の頚を斬った剣(伊都尾羽張神)の本に著いた血も亦、津石村を走り就きて成れる神、甕速日神、樋速日神、建御雷之男神、亦名を建布都神、豊布都神。「紀」火神軻遇突智の身体を三つに斬った剣の鐔から滴った血から甕速日神(武甕槌神の祖先)、熯速日神とする。
漢委奴(かんのわぬ)国王=「委」に人偏が付かないので補佐役の男弟(遊牧騎馬民 の衛氏系)は含まれない。水耕稲作民と海民を束ねる王。尚、糸島半島基部に在る「怡土城跡」は、怡・已[diəg][yiei][i]、土・菟 [t`ag][t`o][t`u]、伊都が「ヤァタ→イェィト→イト」と訓じられた後の用字で、早くとも平安期以降となる。尚、佐賀県唐津市に属す島や糸 島近辺を経て東に向けて宮地嶽神社や同山名が在り、福岡県福津市宮司の
宮地嶽神社が鎮座する古墳に埋納されたと推測する。
平原遺跡=前一世紀の三雲南小路遺跡西北1㌔程、瑞梅寺川と雷山川に挟まれた福岡県前原市大字有田1番地の丘陵上にある。1965年多数の鏡が発見され、発掘された一号墓は18m×14mの溝を周らせた四隅が丸い方形周溝墓(出雲等、山陰地方は四隅突出型の方形墓)、長辺4.5mの墓坑内に長さ3mの割竹形木棺が検出された。棺外の頭側には中国製の素環頭大刀1本があり、墓坑の四隅には埋葬時に破砕されたであろう鏡39面が出土した。
伊都国=狗奴国として南下(くだ)った委奴(わぬ→イドゥ→イヅ)の王族や高級 官僚の一部に卑弥呼の宗女壹與を奪われ、追われた伊都国は宗女臺與(豊)を伴い東遷した。福岡県遠賀郡水巻町頃末の伊豆(イドゥ→イヅ)神社(彦火火出 見尊、合祀 神直日命・大禍津日命・大直日命他)、他にも福岡県遠賀郡岡垣町、奈良県宇陀市榛原内牧。*伊豆=出(いづ)







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  1. 2015/03/13(金) 10:59:41|
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