見まごう邪馬台国

◇奴国と海民

  東南至奴国百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二万余戸

 奴[nag][no(ndo)][nu]=(字統)捕らえた女で祭祀官下属の女囚「論・微子」箕子、これが奴に為る。最後の殷王紂の叔父胥余(しょよ)は周武王から「箕」に封ぜられたと漢籍では伝承され、中国東沿岸部の蛋民等を伴い朝鮮に入り、箕子朝鮮を興した。「倭人伝」其国本亦以男子為王、往七八十年、倭国乱相攻伐暦年、乃共立一女子為王、名曰卑弥呼~ と在り、後、燕人の衛満(衛氏朝鮮)に滅ぼされると列島に渡来、倭人系の海民や水耕稲作民の祭祀権を奪い男王を戴く奴国連合とした。更に、その衛氏朝鮮が 前漢武帝に滅ぼされた後、楽浪郡・帯方郡等、漢の出先機関が置かれて服属を余儀なくされると、一部の王族や高級官僚(遊牧騎馬民か)等が北部九州へ渡来、 伊都国として、その支配権を奪おうするが、長引く戦いから女王卑弥呼を共立して争いを収めた。それに従わない奴国連合の人々は狗奴(カナ→クド)国として 南下、邪馬壹国と伊都国連合に対立した。
 奴国の支配者層は潅漑施設等の設計施工や土木工事に関わり、城京や安京とも関連して河原や小高い丘を平(なら)して建設した。韓国語では奈良(なら)=国とされるが、新羅(シル→しぎ)、百済(ペクチェ→くだ)等から、奴国=奴羅(なら)で、狗奴羅(クヌァ→クヌド)となる。

 ○官兕馬觚
 兕[不明][zii][sı]=一本角の野牛(水牛)に似た動物とし、犀の一種と在る。
 馬[măg][mă(mbă)][ma]=草原を駆ける馬と帆に風を受けて海上を航行する船=天翔る鳥(天之鳥船)、何れも雄のトーテム。
 觚[kuag][ko][ku]=保管・管理する。

 使われる漢字の音を併せると、「兕」を中古音に拠ると、「ツィマックァッ→チマコ/チムバコ」で、語義を考え併せると、一本角(帆柱)の馬(=船)を 操る海民や蛋民の長(大倭?)となる。「記」歌謡「島」を「斯麻」「志麻」と二種の万葉仮名で訓じ、前者の「斯麻(狭=せま→せば)」は伊都国の副泄謨觚 (大倭)、後者「志麻(ちま)=小し→低し」とすれば、官兕馬觚は卑狗(凹=ぺこ)となる。また、「記紀」黄泉国から還り、禊ぎして伊奘諾尊(伊邪那岐 命)の生した綿津見神(穂積系外洋航海民)と住吉系筒之男神(沿岸航海民→阿曇系川民)等、二系の海民がおり、奴国(ナクォ)=凪・薙・投・和(倭)とも繋がる。
 述べてきた外的要因で、此迄の秩序が乱れた。先述した燕人の衛満が興した衛氏朝鮮も前漢武帝に滅ぼされた後、その王族や高級官僚が倭人系海民を伴い渡来して興した伊都国の男弟(年下の)が、箕子朝鮮系の奴国の統治権と祭祀権を剥奪、伊都国の一大率から派遣された官吏、対海国や一大国の副官と同名称の卑奴母離に監察させた。おそらく、奴国の兕馬觚は金印「漢委奴国王」を授かった王の後裔で、伊都国と協定を結び大倭として命脈を保った。その後、南下した呉音系の人々(遼東太守公孫氏等)が後押したのか、奴国(壹與→天照大御神)と狗奴国(スサノヲ系統大年神)が統治権を奪い伊都国王(+臺與)を東国(豊=登余)へ追い遣り、女系卑弥呼の宗女壹與を服属させる。
 上記の流れと「記」出雲神話で、海の彼方から少名毘古那命(スクナビコナ)神が顕れるが、その名前を足の立たない山田之案山子(曾冨杼=蛭子)だけが知る。そのスクナビコナは大国主神(大穴持神・大己貴神)と共に国作りをした後、常世国へ逝かれたとする等、大国主神との対比か、優劣のニュアンスを持つ文字「少」が使われるので、「卑狗」「卑奴母離」に関連すると思われる。
 
微子=殷代末の忠臣、紂王腹違いの兄「啓(開)」、紂王の淫乱を諫めたが聞き入れられず、逃げたが、周公旦は殷の後を嗣ぐものとして宋に封じた。
奴国の通説的な比定地福岡県春日市(須玖岡本遺跡)の近く同県福岡市南区横手南町の笠抜遺跡から大規模潅漑施設が発掘された。また、官兕馬觚=小さいとすれば、水耕稲作民の豊壌を祈願する巫女「委(わ)」が身体を屈めて踊る姿とも繋がる。
新羅(チルアゲ→チラゲ→しらぎ)=「百済(くだら)考」で詳述の予定だが、高天原に参上る速須佐之男命=南風(はえ→ハィエ)に関連が在る。
「紀」大伽羅王子都怒賀阿羅斯等(角が在る人)と関連して、二本角の牛(二本帆 柱)と一本角の犀(一本帆柱)の船を操る外洋航海民と沿岸航海や河川を往来する蛋民が居り、夫々の縄張り争いで対立した。尚、後代、白村江戦で倭軍を破っ た新羅の大将軍「金庾信」とも繋がり、海民の長と考える。
奴国=漢和大辞典「奴」項、箕子、これが奴と為る(論・微子)。漢籍の史記に殷王 紂の叔父胥余は周武王に「箕」に封ぜられると云う伝承があり、風神箕伯と呼ばれるので、戎克(ジャンク)船や小形船(サンパン)等を使い大陸東沿岸部や南 西諸島を南風に吹かれて北上した海民や蝸夷人の百済禰軍等との係わりを抜きには考えられない。「神功記」建振熊命が伊佐比宿禰を謀り、弓弦を絶ちて偽りて 帰服させた後、頂髪(たぎふさ)に設けた弦を出して追い撃ちき。とあり、蝸夷人とは髪の毛を頭の頂で捻り丸めた人々と考える。
前漢武帝=この頃、遼東郡・楽浪郡・帯方郡等、漢民族の半島経営が始まる。
服属させられた委奴(ワヌ)国王は神事や農耕儀礼を掌る(委=早乙女)等の既得権を奪われ、奴国とされたが、邪馬壹国と対立して南下(くだ)った狗奴国は男系卑弥弓呼(大年神)を奉じ、服従・服属する事を嫌がり、分裂するも、壹與を奪い北上(あが)ると考える。
壹與(臺與)=私見では、壹與=伊豫と臺與=豊に関連が在り、当初、狗奴国王卑彌 弓呼は邪馬臺国を標榜、壹與を奪うと、海人豊玉姫と玉依姫の如く分裂し、敗れた伊都国(出雲)系は臺與を伴い日本海側へ東遷する。一方の壹與は周防(す は)灘から四国沿岸部を東遷したと思われる。 
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  1. 2015/03/26(木) 14:22:07|
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