見まごう邪馬台国

◇投馬国と記紀

  南至投馬国水行二十日  官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五万余戸

 投[dug][dəu][t`əu]=(字統)兵仗で打って棄てる事=投棄と在り、薙ぎ払う事か。
 馬[măg][mă(mbă)][ma]=草原を駆ける馬、帆に風を受けて海上を航行する船は天翔る鳥(天之鳥船)、何れも雄のトーテムとなる。

 使われる漢字の音を併せると、訓みは「トゥグマッ→トゥッマ(苫・泊)→ツマ(褄・端・妻・夫)」、語義を考え併せると、東西何れかの端(つま)の南端に位置する国で、近似音の地名に当麻(たぎま→たいま)・田隈・田熊・託麻・宅間、但馬(タヂマ→たんば)等がある。「記紀」黄泉国から還ったイザナギが杖を投げ棄てると生る衝立船戸神(岐神)とあり、「記紀」の国々に擬えてみると、草創期、伊都国(豊葦原瑞穂国)の命で狗奴国(黄泉国→出雲)との国境監理と警備の役目を負う。前項の奴国(葦原中国)や次項の邪馬壹国(高天原)と共に投馬国(丹波)も狗奴国との南境界線上に並ぶと考えます。

 ○官彌彌
 彌[miər][miə(mbiə)][mi]=豊かな毛髪と女性の美しい文身、弓男性のトーテム。先述の「爾支」にも使われた爾(矢)を射る弓。

 漢字の音を併せると、訓みは、「ミェッミェッ→メメ(目々)→ミメ(御妻=妃)」、語義を考え併せると、「記」イザナギ大神が左目を洗うと顕れた天照大御神には高天原を治めよ。右目を洗うと顕れた月読(月・月夜見)命には夜食国を治めよ。鼻を洗うと顕れた建速須佐之男命は海原を治めよと命じられたが、亡母の山陵がある黄泉国に行きたいと嫌がる。更に、須佐之男命(卑彌弓呼)の乱暴狼藉に拠り、「記」天照大御神は天岩戸に隠り、速須佐之男命は神避いされて、出雲で退治したヤマタノヲロチの尾にあった剣(建)を天照大御神に献上し、その魂(玉+剣)を宿し、ウケヒで生した「記」正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命は、同国内の娘を娶り、火明命と天津日高日子番能邇邇芸命を生む。その日子番能邇邇芸命は天孫降臨して異国の女性に婿入りする。
 当初、委奴国系統の娘に婿入りした箕子氏(奴国)は伊都国(衛氏)が渡来すると、卑彌呼(+男弟)と狗古智卑狗(壹與と卑彌弓呼)に分裂する。「記紀」 山幸彦が豊玉姫に婿入りした様に、古来、海民や蛋民は母系制で一族内の娘に婿を取ったが、玉依姫が継子葺不合命の乳母から妻になった如く、投馬国は伊都国 (衛氏)に妻を出す国に変化したと考える。

 ○副彌彌那利
 彌[miə r][miə (mbiə )][mi]=前項と同字。
 那nar][na(nda)][na]=(字統)冄(ぜん)声、「冄」は日母(じつぼ)で、燃・熱等の声がある。枝のしなやかで美しい様。
 利[lıed][lıi][li]=(字統)禾と刀に従う。金文には犂鋤や犂の形で見える。禾稲を刈り、実益を得る=利益とある。

 漢字の音を併せると、訓みは「メィメィナルェッ→メメナレ」、語義を考え併せると、御妻川→御笠川で、古代、銀河・天川(漢)を映して滔々と流れる阿利那礼川が、福岡県福岡市を縦断する御笠川東南の宝満川へと続く低地の筑 紫平野中央部の南北を貫き流れていたとも云われる。その流域、同県筑紫野市針摺や阿志岐シメノグチ等の縄文遺跡では先土器が出土した。その東南に宮地岳、 同県前原市神在の宮地岳、同市の雷山神籠石付近の怡土城跡(大門)にも宮地嶽神社がある。おそらく、「記紀」邇邇芸命(瓊瓊杵尊)の妻大山津見神の娘木花 佐久夜毘賣(木花咲耶姫)の木花(カハ→カバ→カマ)を裂く国で、先述の神功皇后伝承の雷電が踏み裂いたと云う裂田溝に関連する裂田神社(福岡県筑紫郡那賀川町安徳)、その治水を目的として造られた水城の維持と管理を掌ったが、伊都國の命で奴国と共に国境監理と警備の役目を負わされたと考える。尚、福岡県糸島市三雲の細石神社には木花咲耶姫が祀られる。


島 根県隠岐郡都万村都万、岡山県倉敷市玉島爪崎、山口県宇部市妻崎開作、宮崎県西都市妻町。おそらく、投馬国へは倭人の領域とした狗邪韓国から末盧国迄の渡 海と末盧国で船を乗り換え、九州西沿岸沿岸航海か、河川や運河に拠る水行で行ける。20日は、その合算。蛋民系大山津見神(大山祇)の娘石長比賣(磐長 姫)→木花知流比賣(河内姫)や妹木花佐久夜毘賣(木花咲耶姫=河外/琴→事)と呼ばれた人々に擬えられる。
出雲=大分県日田郡(現日田市)中津江村鯛生に「出雲岳」、西側の福岡県八女郡黒木町付近、姫御前山・石割(平野)山・御前(権現)岳がある。
邪馬台国の女王卑弥呼が崩じた後、復立卑弥呼宗女臺與(壹與)と在り、一族内の娘(宗女)から女 王に擁立し、祭祀に関わる巫女(斎女)とする。同族の男子は他氏族に婿入りする母系制で、投馬国は、その婿を出す国だったが、その権利を伊都国に奪われ た。例えば、「記紀」神武正后、比賣多々良伊須氣依姫(五十鈴姫)は山神が麓の娘に生ませたとあるが、「紀」崇神六年、百姓流離或有背叛其勢難以徳治之是 以晨興夕惕請罪神祇先是天照大神倭大国魂二神並祭於天皇大殿之内然畏其神勢共住不安故以天照大神託豊鍬入姫命祭於倭笠縫邑仍立磯堅城神籬神籬此云比莽呂岐 亦以日本大国魂神託渟名城入姫命令祭然渟名城入姫命髪落体痩而不能祭とある。その後、「紀」垂仁十五年春二月乙卯朔甲子喚丹波五女納於掖庭 第一曰日葉酢媛 第二曰渟葉田瓊入媛 第三曰真砥野媛 第四曰薊瓊入媛 第五曰竹野媛 秋八月壬午朔立日葉酢媛命為皇后以皇后弟之三女為妃 唯竹野媛者因形姿醜返於 本土則羞其見返到葛野自堕輿而死之故号其地謂堕国今謂弟国訛也 皇后日葉酢媛命生三男二女第一曰五十瓊敷入彦命 第二曰大足彦尊 第三曰大中姫命 第四曰 倭姫命 第五曰稚城瓊入彦命 妃渟葉田瓊入媛生鐸石別命与胆香足姫命 次妃薊瓊入媛生池速別命 稚浅津姫命と在り、垂仁天皇(委奴国王)と丹波との繋がり を示唆、対立する景行天皇(狗奴国)となる。また、皇統を持つ持統天皇(高天原広野姫)へ天武天皇(大海人皇子)が婿入り、光仁天皇(天高紹=あめむねたかつぎ)の娘、酒人内親王の皇統(あめ)に婿入りした桓武天皇(生母百済王後裔高野新笠)等とも関連すると考える。
「日本書紀」於是、共生日神。號大日孁貴。大日孁貴、此云於保比屢咩能武智。孁音 力丁反。一書云、天照大神。一書云、天照大日孁尊。此子光華明彩、照徹於六合之内。故二神喜曰、吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于 天、而授以天上之事。是時、天地相去未遠。故以天柱、舉於天上也。次生月神。一書云、月弓尊月夜見尊月讀尊。其光彩亞日。可以配日而治。故亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歳、脚猶不立。故載之於天磐櫲樟船、而順風放棄。次生素戔鳴尊。一書云、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命=天照大御神とのウケヒで速須佐之男命の剣=ヤマタノヲロチの尾にあった剣から生まれた五男神中の一人。
同国内=高木神(高御産巣日神の亦名)の娘、萬幡秋津師比賣。異国の大山津見神の娘、妹木花佐久夜比毘賣(姉石長比賣は醜いとして娶らず)を娶り、火照命・火須勢理命・火折命(天津日高日子穂穂手見命)を生む。
燃・熱=同声には「紀」伊奘冉(いざなみ)に使われる漢字「冉」が在る。旧くは、 婀那や婀儺とし、花の美しく咲く様を云う語だが、「委」=稲魂を被り、舞い踊る姿と同様のニュアンスがあり、那=儺(おにやらひ)にも通じる。当初、伊奘 冉(伊邪那美)も天降りしてきたイザナギを婿に取ったが、火神カグツチを産むと、イザナギと袂を分かち自身の息子に嫁を取り嗣がせた。尚、奴国(ナ クォ)=凪・薙・和・投とすれば、「記紀」伊奘諾尊(伊邪那岐命)が海をかき混ぜた矛から滴るものがオノゴロ島になったと在り、海人(あま)との繋がりを 示唆すると考える。
「神功紀」仲哀の妻神功皇后羽白熊鷲を討とうと松峡宮に移動中、御が飛ばされたと在り、現在の福岡県太宰府市御笠川付近とされる。また、桓武天皇の母御を百済王(くだらのこにきし)後裔、高野真妹の妹(娘)の高野新とする。
御笠郡(福岡県筑紫野市大字原田字森本)の筑紫(ちくし)神社の御祭神は白日別命 にて、後世、玉依姫命・坂上田村麿の神霊を相殿に奉祀。当社は延喜式神名帳に名神大の神格を定められる。往古、九州を筑紫と云ふ称は白日別命の神号より起 り、筑紫(筑前・筑後)の国魂にして朝廷より、当社は筑紫の国魂を祀る式内名神大社で、伝承では近くの城山頂上に祀られており、五十猛命の別名とされる白 日別神には光・明・火等を表す「白」が付きウラルアルタイ系諸族に共通する天神・祖神を示す。五十猛命の渡来伝承も青銅器生産の担い手と思しき渡来者集団 との関わりもあるかも知れない。また、背振山地東部低丘陵地帯は、弥生中期の甕棺墓地出土の中心地であり、後期の銅剣・銅矛・銅戈だけではなく、古式銅鐸 も含めた青銅器生産の中心地である。これら金属器類と朝鮮半島とは深い関係があり、弥生後期に畿内で流行する銅鐸祭祀の源流は筑紫にあるとも云われる。



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  1. 2015/04/09(木) 15:06:38|
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