見まごう邪馬台国

◇とてもじゃない

 副詞「迚(とて)も」という言葉は、どのような方法を尽くしても実現不可能だ等といった時に用いられますが、語源的には否定を伴って使うのが正しい使い 方とされます。かの芥川龍之介も、その著作中、「迚も良くはない」「迚も安くはない」「迚も綺麗ではない」と否定的に使う可きだ。この頃では「迚も良い」 「迚も安い」「迚も綺麗だ」等と肯定的に使われるが、誤用も甚だしいと憤慨したと云います。こうした彼の言い分は迷信でなく、その憤慨は正当なのでしょう か。変化の兆しは、既に明治40年代、学生の間で「迚も」を肯定的に使う誤用が広まり、昭和に入って次第に定着し、現在、「大変」「非常に」に代わる言葉 として「とても美しい」「とても立派だ」等と肯定的に使われます。
 広辞苑「迚もじゃない」項、「とても」を強調していう語、どんなにしても。到底、等。同「迚も」=〔副〕(否定を伴い) どんなにしても、何としても。どうせ、ともかく、所詮。非常に、大変。また、よく似た語句に「迚もかくても」=何れにしても。どの様にしてでも。「迚もの 事に」=いっその事とありますが、漢和大字典「迚(国字)」項、とても、到底、~といって、然り乍ら、~とも、~といえども、~と思って、~として。「解 字」之繞(しんにょう)+中=途中迄で最後迄行けないとあります。詰まり、「迚も」=どんなにしても、どうせ、所詮等の語義になりますが、これが、何とし ても→どんなにしても→どうせ→所詮の如く派生したとしても、「非常に」「大変」の語義にはなり得ないと思います。
 例えば、「とてもできない→どうせできない」「とても飲めない→どんなにしても飲めない」と言い換える事ができますが、上記、漢字「迚」の語義では、 「とても迷惑です→どうせ(どんなにしても)迷惑です」「とても美味しい→どうせ(どんなにしても)美味しい」とはできませんので、当初、「迚も」は、非 常に、大変等の語義はなかったと考えられます。そこで少し見方を変えましょう。
 「迚もじゃない→迚も無理→所詮できない→到底できない→大変→非常に」と派生したとも考えられます。おそらく、慣用句の「迚もじゃない」が使われ始めた後、「突き抜ける→非常に→大変な」等の語義を持つ「突(とっ)ても」がよく似た訓音を持つ「迚も」の強調形とされて、「とっても」は同語に扱われたと思われます。  
 広辞苑「迚も」項には(否定を伴い)どんなにしても・如何様にしても・どうしても。非常に・(すこぶ)る等とあります。その語義の一つ「すこぶる」から、「迚も」の基礎的な語義の成り立ちを考えてみましょう。
 広辞苑「頗る」項、やや多く少し、 夥しく、甚だ、余程と在り、漢和字典「頗」項、偏る・傾く等、予想の状況や状態より程度が違って、一方に傾いている様子、非常に・大変な。その「字解」波 (水面が傾く)、跛(身体が傾く)等と同系字。漢字の語義からしますと、本来、傾きや食い違いがあると云うニュアンスで、見込み違い、思っている事と違 う。予想した事と僅かに違う。少し多い→余分→予定外、意外として良いでしょう。詰まり、これにも「非常に」「大変な」等の語義はなかったと考えられま す。
 述べてきた事と「迚(国字)」=途中迄、最後迄は行き着けないと云う語義からすれば、「非常に(大変な)~と迄はいえない」になりますので、芥川龍之介 の否定を伴わなければならない」と云う主張は強ち迷信とも云えないでしょう。次回は、この語源を考えてみたいと思います。

「突 (とつ)ても」=突(とつ)=棒状のもの等で押す→手の届かない所へ届く→予想できない事、予想しない突発的な状況、思いもよらない突然の出来事、突き抜 ける事を表す。「凸(とつ)」=物の表面が部分的に出ばっている事→余分・余計部分。⇔凹(おう)等に使われる音、突(とっ)=突出した状態や状況に、 「迚も」と同様の「~ても」を併せた「とつても→とっても」=突発的、突き抜ける、敵わない等の語義の言葉として成立し、「迚も~ない」が持つ語義の広が りに伴って併合されると促音便が失われて、「迚も」と同化、語義も付加された。 
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  1. 2015/06/14(日) 11:46:57|
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