見まごう邪馬台国

◇「リク」と「ロク」

 広辞苑に拠ると、陸(りく・くが・をか)=地球上の水に覆われてない約30%、岩石、及び、土壌で構成 される。陸奥国の略。一方、「呉音」の陸(ろく)には、水平である事、平坦な、歪みなく正しい、真っ直ぐな。(「碌」とも書く)物の正しい事、真面目な 事、きちんとしている。十分な、満足な。「六」の大字とあり、字音に拠って語義に違いが在り、呉音「ロク」は概ね良い語義として使われます。例えば、百済(くだら)系(遊牧民+耕作民?)は呉音を使っていたとも云われ、同音の麓(ろく)とも関連して、「クダラナイ→降らない(狩猟採集民?)」の語源にも繋がるのかもしれません。
 尚、前回、掲げた「ロク」と云う漢字音を持つ「禄」「録」「緑」の語義から推測すると、概ね神から授けられたもの、与えられたもの。有益で良いものと云うニュアンスがあったと考えられます。また、近い漢字音の「鹿 (しか)」は、神が与えてくれる獲物で四つ足の総称、そうした様々な恵みとして、稲等の穀類を保管する四角い倉(四本足?)、そして、それを所有する帝王 位の喩えとして派生、これと同じ中国音を持つ麓(ふもと)は、「日本書紀」麓山祇の但し書きに、山を支える足(山守?)とあります。
 日本語は同音ですが、中国音では少し系統の違う勒[lək][lək][ləi]=手綱を引き締めたり、緩めたりする事と、「肋」(近世音は異音 [lə])の隙間のある骨の状態、高所(有)と低所(無)が交互にある事が、高低、有無、善悪、正否、昼夜、干満等、陰陽の二元論に派生し、良悪、善悪・ 正否等、両面の語義を包含したのかも知れません。それが故、船乗りや漁民が禄(ろく)を得る海や河川の船から下 りる事を陸(をか)に上がると呼びました。下記の如く数詞の概念は、略24時間は「4×2」と云うサイクルで繰り返す潮汐に拠るもので、1~4と5~8の 二回で、略一日を表し、9~12で、再度、一日が始まる。3×8=24で廻る太陽に拠るものと関連し、3×4=12と云う時間の流れを表したと考えられます。


 1(干潮)→2(低潮)→3(満潮)→4(高潮)、5(干潮)→6(低潮)→7(満潮)→8(高潮)、9(干潮=始まり)~12
 1(曙)→2(昼)→3(晩)→4(曙)→5(昼)→6(晩)→7(曙)→8(昼)→9(晩)
 1(ひ/いち)~2(ふ/にぃ)→3(み/さん)、4(よ/しぃ)~5(い/ごぉ)~6(む/ろく)、7(な/ひち)~8(や/はち)~9(この/きぅ)

 言葉は、様々な思想や概念、為政者や使用者の意識に左右されながら、永い時間を経て成立しました。万物の輪廻転生を説く陰陽五行に拠ると、東「三碧木 星」で産まれた嬰児は三歳迄、足が立たないが、東南「四緑木星」で母乳から魄を授かって満ると足が立ち、すくすくと育つ(満潮=太る)。南「九紫火星」で 成人(高潮)すると、老いが始まり(引潮)、肉体が滅び(低潮)、亡くなると、その霊魂は身体から抜け出て南西「二黒土星」=地獄の竃(かまど)から中央 「五黄土星」へ還り、黄泉(よみ)の水で浄霊されて「魂」「魄」に別けられます。その「魂(陽気)」は、北「一白水星」の天宮へ還った後、陰極の西北「六 白金星」で妊み、再度、中央「五(十)黄土星(子宮)」で育まれます。例えば、東南「四木星」で嬰児が授かる「魄(はく)」も緑(ろく=みどり)→瑞(ミドゥ→ミズ)で、神から授かった禄(ろく)と考えられます。
 この「ろくでもない」は善悪を含み持つ「ロク」と助詞「も」の思ってもみない、意外なと云うニュアンスに拠り、家の宿六、本当に怠け者で、ぐうたら、良い所はないけど、と嘆きながら、「でも、憎めないのよね」と云うニュアンスを含み持ちます。

呉音=古事記は呉音、日本書紀は漢音で記述される。後者の神武天皇は生母と姨(おば→うば)の何れもを「海人+(父系遊牧民+耕作民)」と特筆し、降らない者には属さないとするのか。また、古事記は仏教系、日本書紀を神道系と比定した。
禄=幸い、扶持(ふち)、俸禄を与える力、原義は、神(示)からの 贈り物の御零れ。禄々=幾らでも転がっていて平凡な様。「録」=記す、文書、書き抜き、良く品定めする、統べる、取り上げる、括る、検束する。本来の語義 は、神の信託(正否)を受けるために青銅器等の表面に刻んだ金文か。「緑」=黄色と青色の中間色、同色の絹、艶のある黒(緑髪)、かりやす(萌葱色の染 料)、身分の低い者が着る衣の色とあるが、本来、神(王)から授かった色と、その衣かも知れない。漢字音[bluk][lıok][lıu(lu)]
鹿=古代の神器と云われる銅鐸等に描かれる事からすれば、狩猟採集を糧とする人々にとって神の恵みと云える。また、アイヌの人々は熊を神様として祀り、イヨマンテと云う火祭りを行った。
魄(はく)=南西の地獄への入口から黄泉へと返る力を失い滅びる身体=穢れた黒土に対して、浄化された「魄=白」は肉体を司る。おそらく、死者の霊と肉体は太陰の月(肉月)へ還り、太陽光に照らされて満月(月偏)になり、浄化されて「魂魄」に別けられると考える。



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