見まごう邪馬台国

◇「自」と「從」

   ここで序でに、今迄、述べてきた「自=相対より主体への動き」、「從=主体から相対への動き」と云う違いを考え併せ、「三国志魏書第一巻」に於いて二つの漢字を使う文を読み下してみたい。尚、自(みずか)ら、從(したが)うとされる場合も、本来、同じニュアンスだが、ここでは除外する。

 (1)公曰「尚大道來、當避之。若西山來者、此成禽耳」。尚果循西山來、臨滏水爲營。夜遣兵犯圍、公逆撃破走之、遂圍其營。
 公(太祖曹操)曰わく、「袁尚が、自身の居所(鄴?)から大道(官道?)に従い来ても、(大軍なので)これをやり過ごせ。若し、西山の道に循い巡り来たならば、(少数なので)これを必ず虜(擒=とりこ)にせよ」。果たして、尚は、西山の道に循い廻りきて、滏水に臨み屯営する。夜陰に紛れて兵を遣わし、囲みを侵犯するので、逆に公(太祖曹操)は撃破して、これを走らせ、遂に、袁尚の営を囲む。

 (2)興平元年春、太祖徐州還。初、太祖父嵩、去官後還譙。董卓之亂避難瑯邪爲陶謙所害。故太祖志在復讎東伐。
 興平元(194)年春、太祖は、遠征先の徐州より還る。初め、太祖の父嵩、官を去りて後、生国の予州沛国譙に戻ったが、董卓の乱が起こり、山東省東南部の瑯邪(ろうや)に避難するが、陶謙の害する所と為る。故に太祖の志、讎(あだ)を復す事に在り、東伐す。この場合、曹操は徐州より還った譙に於て、父嵩が瑯邪に遷居した後の経緯を知り、讐(あだ)をなすと誓い、東伐する。*瑯邪(ろうや)は同省「諸城」東南にある山名。

 (3)張濟、關中走南陽、濟死。從子繡領其衆。
 張濟、関中より南陽郡に走る。濟は死に、その從子の繡(甥)が衆を領す。これも張濟が、その居所の関中より、逃げ還った荊州南陽郡に於て死んだとなり、その後、從子の張繡が南陽郡の衆を領す。これも前項と同様、居所より移動し、既に到着している。

 (4)公謂諸將曰「吾降張繍等。失、不便取其質。以至於此。吾知、所以敗。諸卿、觀之!今已後、不復敗矣」。遂還許。
 公(太祖曹操)、諸將に謂ひて曰く、「吾れ、張繍等を降し、失(あやま)って其の質を取るを便(よし)とせず。以てこれに至る。吾、敗るる所以を知る。諸卿、観じよ、今より已後、再び、敗れず」と。遂に許に還る。詰まり、誤って人質を取らずに敗れた時より、この方、もう、こんな失敗は繰り返さないとなる。尚、許(もと)とすれば、今から人質を取らずに敗れた地所(時点)に還るとも読み解ける。

 (5)袁術敗於陳、稍困。袁譚、青州遣迎之。術欲下邳北過、公遣劉備朱靈要之。
 陳琳との戦に敗れてよりこの方、袁術は次第に追い込まれており、長子の袁譚は(居所の⑥青州より、(袁術の居所に)人を遣わして迎えさせる。袁術は、徐州の下邳からの道に従い北に過ぎんと欲す。それを知った公(太祖曹操)は、劉備・朱靈を遣はして要所を固めさせる。となる。この例文では、「自=時間経過と移動距離」、「從=随従」の典型的な用法として使われる。

 上記の何れの「從」と「自」も述べてきた用法で以て使われると思う。もう一つ以下の文章の「自」は、どの様に読み下したらよいだろう。

 (6)天子之東也、奉、梁欲要之不及。冬十月公、征奉。奉、南奔袁術。遂攻其梁屯、拔之。
 この前段、建安元年秋七月、楊奉・韓暹(かんせん)、天子を以て洛陽に還り、奉、別れて梁に屯すと在り、天子、東(許)に遷居するや、楊奉、司隷河南尹(予州)の梁より之を要害にせんと欲し、及ばず。冬十月、公(太祖曹操)、奉を征し、奉、南して袁術に奔ると、遂に、曹操は梁の屯営を攻め、これを拔く。と読み下される事が多いが、楊奉自ら、梁、これを要害として欲するも、及ばずと読み下した方が良いと思う。

滏水=滏陽河(ふようが)は、中華人民共和国河北省南部から中部を流れる河川のひとつ で、海河水系西南の支流に属する。曾て、滏陽河は水量が多く邯鄲から天津市や北京市等へ向かう水上交通の重要な幹線であった。邯鄲市峰峰鉱区にある太行山 脈の滏山(ふざん)南麓に発する。源流域には元宝泉、黒龍洞泉、広盛泉等、72ヶ所の泉が湧出しており、これらが合流し、滏陽河となる。河北省南部の邯鄲 市、邢台市、衡水市を縦断し、滄州市の献県で山西省の五台山北部から流れる滹沱河(こだか)と合流し、子牙河(しがが)となる。
父嵩=裴松之が注に引く書(裴注)に拠れば、養子「嵩」は、夏侯氏の出とあり、夏侯惇 の叔父とする。漢高祖の武将に夏侯嬰とあり、滕の県令となった夏滕公と呼ばれた。尚、夏后(夏王朝の母系?)を出す諸侯=夏侯か。夏=商殷の前にあったと される中国最古の王朝。禹が舜の禅(ゆずり)を受けて建国したと伝わる。都は山西省安邑等。BC21~BC16世紀頃迄続く。桀(けつ)に至り、殷の湯王 に滅ぼされたという。殷に先行する時代の都市遺跡が夏王朝のものと主張される。
予州沛国=沛国は前漢高祖劉邦の生国。現在の江蘇省沛県とされるが、豫州は古代中国九州の一つ。河南省の風土がのんびりと広いところから命名された。「沛」=草の生えた沼地、ぱっと勢いよく出て拡がる様とある。
從子を甥(⇔姪)とするが、当時、漢字がなかったのか。何故か、その漢字を使わず、「従う子」とするには理由があるだろう。曹操の祖父曹騰と同様に張濟にも子がなかったのか、養子になったとも考えられる。「常侍」とは常に側近に侍い奉仕する。
許=鄭に滅ぼされた国。今の河南省許昌付近とされる。鄭=中国春秋時代の国。周宣王の弟友(桓公)を祖とする。今の陝西省渭南市の地から河南省新鄭市に移る。韓の哀侯に滅ぼされた(前806~前375)。
青州=古代中国、禹貢(うこう)の九州の一つ。今の山東省北部と遼寧省遼河以東とある。
徐州(Xuzhou)=古代中国、禹貢(うこう)の九州の一つ。今の山東省南部、及び江蘇・安徽省北部の地。江蘇省北西部の都市。京滬(けいこ)・隴海(ろうかい)両線の交わる交通の要衝。古く楚の項羽が都を置いた。
奉、梁欲要之不及=冬十一月公南征至宛(冬十一月、曹操自ら南を征し、宛てに至る)。公將東征備(曹操は自ら東へ向かい劉備を征伐)。紹軍破後、發病歐血、夏五月死(袁紹自ら、軍を突破した後、病を發し血を歐き、夏五月に死す)等と同様。




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