見まごう邪馬台国

◇「又」と「復」

 「三国志魏書第一巻」に於て、「又」、「復」の字が使われる文章を読み下してみる。

 (1)袁紹與韓馥謀、立幽州牧劉虞爲帝。太祖拒之。紹、又嘗得一玉印。於太祖坐中、舉向其肘。太祖由是笑而惡焉。
 袁紹、韓馥と共に幽州牧・劉虞(りゅうぐ)を立て帝にしようと謀るが、太祖、これを拒む。袁紹、その上、以前にも、一玉印を得て、太祖が座る中、その肘に向けて挙げる。太祖、笑顔で応えたが、これにより袁紹を悪(にく)む(~に良い印象はない)。
 (2)太祖要撃晆固、撃匈奴於夫羅於内黄。
 太祖は、晆固を要害で待ち伏せして撃ち、更に、匈奴の於夫羅も内黄に於て撃つ。
 (3)今、不若畜士衆力。先爲固守、彼欲戰不得、攻不能、其勢必離散。
 今は兵士達の力を畜えておかなければならない。先ず、固く守る策を為せ。それに戦おうとしても良い結果は得られず、その上、攻めることもできず、その士気は必ず失せてしまうだろう。
 (4)術走襄邑、追到太壽。決渠水、灌城。走寧陵、追之。走九江。
 袁術が、襄邑に逃走すると、太祖は追い太壽に到り、渠水を決して城に灌ぐと、袁術、寧陵に逃走する。更に、これを追い払うと、袁術は揚州九江に逃走する。
 (5)汝南潁川黄巾何儀劉辟黄邵何曼等衆各數萬、初應袁術。附孫堅。
 汝南潁川の黄巾は何儀・劉辟・黄邵・何曼等、各々数万を集め、初め、袁術に応じる。その次ぎに孫堅に附く。
 (6)陳宮等沮其計、求救于術勸布出戰。戰敗、乃還固守、攻之不下。
 陳宮等、その計を沮(はば)み、袁術に救いを求めた呂布に出戦を勧める。(呂布は)その上、この戦いにも敗れて還り、固く守り、(陳宮等は)これを攻めるも下せず。
 (7)備將關羽屯下邳、進攻之、羽降。昌豨叛爲備、攻破之。
 (袁紹に敗れた)劉備の將關羽が徐州下邳に屯営しているので、(曹操等は)再度、進攻して関羽を降す。昌豨が叛き、劉備に為(くみ)したので、更に、これを攻めて破る。

 (1)還到龍亢士卒多叛。至銍建平收兵得千餘人。
 還りて龍亢に到り、士卒の多くが叛したので、銍・建平に至り、離反した兵を收めて、再び千餘人を得る。
 (2)董卓之亂、避難瑯邪、爲陶謙所害。故太祖志在讎東伐。
 董卓の乱に難を徐州瑯邪に避け、陶謙の害する所と為る。故に太祖の志、陶謙に讐を復(かえ)す事、東伐する。
 (3)夏、使荀彧程昱守鄄城、征陶謙。拔五城、遂略地至東海。
 夏、荀彧・程昱を使い鄄城を守らしめ、再度、陶謙を征し、五城を下し、遂に、地を略(なら)して東海に至る。
 (4)二年春正月、公到宛。張繡降、既而悔之、反。
 二年春正月、公(曹操)、宛に到る。張繡降るも、既に、これを悔い再び、反く。
 (5)「~諸卿、觀之!自今已後、不敗矣」遂還許。
 「~諸卿、これを觀よ、今より已後、二度と再び、敗れず」と。遂に許に還る。
 (6)公之自舞陰還也、南陽章陵諸縣叛爲繡。
 公(曹操)、舞陰より還ると、荊州南陽と章陵の二縣が、再び叛して張繡に為(くみ)す。
 (7)呂布爲袁術使高順攻劉備。
 呂布、再び、袁術に為(くみ)し、高順を使(つか)い劉備を攻めさせる。
 (8)使登壘望之曰、「可五六百騎」。有頃白、「騎稍多、歩兵不可勝數」
 使い土塁に登り、これを望みて曰く「五・六百騎なるべし」と。暫くして、再び、白(まを)す「騎、(先より)やや多し、歩兵は勝り数えられず」
 (9)公謂運者曰「卻十五日爲汝破紹、不勞汝矣」。
 公(曹操)、謂ひて兵站を運んだ者に曰く「十五日を卻(却)りて汝が為に袁紹を破り、二度と再び、汝を労す事はないだろう。」
 (10)紹歸、收散卒攻定諸叛郡縣。
 袁紹、帰り、再度、離散した兵卒を收めて攻め、叛いた諸郡縣を定む。

「瀚海と一海」項、(C)南渡一海~は、述べてきた事からすると、「更に南へ渡る一海~」とした方が良いようです。此処で訂正します。
内黄=冀州魏郡、襄邑=兗州陳留郡、 予州沛国龍亢、予州沛国銍・建平、鄄城=兗州済陰郡鄄城、五城=益州広漢郡、宛=荊州南陽郡、舞陰=荊州南陽郡 


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  1. 2015/10/22(木) 21:10:35|
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