見まごう邪馬台国

◇「復」と「亦」

 今回は、「三国志魏書第一巻」より、「復」と「亦」の字が使われる文を拾い読み下してみる。

 (1)蝗蟲起、百姓大餓、布糧食盡、各引去。
 蝗蟲(いなご)の起こり、百姓は大いに餓える。それでまた、呂布も糧食尽き、両軍、引き去る。詰まり、百姓(曹操)も、また、呂布もと云うニュアンスとして使われる。
 (2)公分營與相當、合戰不利。時公兵不滿萬、傷者十二三。紹進臨官渡、起土山地道。公於内作之、以相應。
  公(太祖曹操)もまた、袁紹と同様に軍營を分けて袁紹に対して相当る。この時、公の兵、一萬に滿たず、負傷者十人に二・三人なり。袁紹、再び、進み官渡に臨み、土塁を築き、塹壕を掘る。公もまた、袁紹と同様に分営の内に於て、これ(土塁と塹壕)を作り、以て相応ず。
 (3)榮見太祖所將兵少力戰盡日、謂酸棗未易攻也。、引兵還。
 徐榮は、太祖の將(ひき)いる所の兵は少ないが、力戦して日を尽しているを見て、未だ、兗州陳留郡酸棗を攻めるのは容易くないと謂い。撤退か、抗戦か二つに一つとして、兵を引き、還る。
 (4)袁紹雖有大志、而見事遲。必不動也。郭嘉勸公、遂東撃備破之。生禽其將夏侯博。
 袁紹が大志を有すと雖も、事を見るに遲いので、必ず動かないだろう。郭嘉もまた(曹操と同じ意見で)、公(曹操)に勧め、遂に東して劉備を撃ち、これを破り、その將夏侯博を生禽(捕虜)にしましょう。
 (5)公曰「夫、人孝於其親者、豈不忠於君乎!吾所求也」。以爲魯相。
 公(太祖曹操)曰く、「それ、人、その親に孝たる者、これもまた、君に忠ならざらんことがあろうか。吾れ求むる所なり」と。以て魯相と為す。

 最後に見てきた事を考え併せて、「倭人伝」以下の文章を読み下してみたい。
 (1)女王國東渡海千餘里 有國皆倭種。有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里有裸國黒齒國在其東南船行一年可至
 女王國の東を渡海する事、千餘里。再び、(同種の)国が有る皆倭種。更に、(倭種とは違う)侏儒國が有る。それは倭種の住む地域の南に在り、背丈が三四尺(1㍍前後?)、邪馬壹国女王が統治する地域から隔たる事、四千餘里(九州西沿岸部の水行12日程)。更に(侏儒國とは違う)倭種の裸国と黑歯国が有る。これもまた(先の倭種が住む地域から見て)東南方向に在り、を乗り継ぎくと、(往復)一年ばかりにて至る。

 尚、この裸国と黒歯国を小笠原列島付近かとしたが、上質の黒曜石が採れる伊豆諸島の神津島や恩馳島とも考えられる。「裸」=木も生えない岩ばかりの火山島、「黒歯」=黒曜石の刃物が採れる島と云う意味か。

 (2)其國本以男子爲王、住七八十年。
 本来、その国もまた、(狗奴国同様女子でなく)男子を王と為し。過去七・八十年を住まう。

 中国の古代王朝「商殷」、最後の紂王の叔父とされる箕子(奴)が朝鮮半島に逃れて建 国した箕子朝鮮が、周武王の弟とされる召公奭(せき)か、その子匽侯旨(えんこうじ)が封ぜられた燕の人「衛満」が建国した衛氏朝鮮に滅ぼされると、その 難を逃れて渡来した人々に拠り、男子の王を戴く奴国連合が成立する。その後、その衛氏朝鮮が前漢の武帝に滅ぼされると、逃れてきた人々に、(朝鮮半島と同様の状況)も乗っ取られ、巫女王を頂く邪馬壹国と男弟の摂政を輩出する伊都国連合に移行する。

 前回から述べてきた様に、「又」=庇う様に覆い被す事から「更に」「その上」。「復」=元に戻す→再度、繰り返す→往復。「亦」=左右や上下、此方と彼方等、二例を上げ、一方か、その反対か、その何れも示唆すると云う違いがあり、夫々が持つ語義に則して使われると思う。

官渡=官渡の戦は、中国後漢末期の200年に官渡、現在の河南省中牟付近に於いて、曹操と袁紹との間で行われた戦い。地名とされるが、本来、官(つかさ=役所)の渡と云う意味だったと考えられる。
倭種=一大国から千余里とすれば、相島、宗像大島や地島付近となり、後代、響灘を領海とした宗像海人と呼ばれた人々、更には、日本海の隠岐諸島や沿岸部迄、拡がっていたと考えられる。
侏儒國=インドネシア東部フローレス島で発見された身長1㍍前後の原人の系統とも云われる人々の後裔に比定する。島に住んだと在り、氷河期の食糧不足に因る人々の移動で、彼等も筏船等を使い黒潮海流に乗って漂着したと考えられる。例えば、 江戸期、日本人の平均身長は、140~150㌢前後だったと云われる。一方で、源(鎮西八郎)為朝は、180㌢以上あったとも云われるので、低身長の侏儒 系と始皇帝の兵馬俑に見られる高身長の人々の混血があった思われる。宮崎県都城市山之口町花木の王子山遺跡から縄文時代草創期の約1万3千年前の葱の根本部分(鱗茎)と、同時期の土器に蔓豆の跡とみられる窪み(圧痕)が見つかった。もしかしたら、彼等と関連が在るのかも知れない。
奴=「論・微子」箕子、これが奴に為ると記される。尚、狗奴国と対峙する様に奴国が最南端に位置する理由は、二国が奴国連合の盟主を輩出する一族だったが、奴国が邪馬壹国伊都国連合に靡き寝返っため、防人(さきもり)としての役目を負わされたと考える。




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  1. 2015/10/31(土) 10:13:16|
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