見まごう邪馬台国

◇「渡」と「濟」

  当時、大陸の為政者には外海を渡ると云う認識はなかったのか、編者陳寿は、朝鮮半島沿岸部を循海岸水行とし、狗邪韓国~對海国~一大国~末盧国への外洋航海を「渡一海」として書き分けた。序でに、「三国志魏書第一」で使われる漢字の「渡」を拾ってみる。

 (1)是歳、孫策受袁術使、渡江。數年閒遂有江東。
 この歳、孫策、袁術の使を受け、長江(揚子江)を渡り孫策は、遂に数年間、江東を有す。
 (2)是歳長安亂。天子東遷、敗于曹陽。渡河、幸安邑。
 この歳、長安で乱が起き、天子は東に逃れ、曹陽の地で破れ、黄河を渡り、司隷河東郡安邑に行幸した。中国山西省南西部河東郡付近を流れる黄河東側の地域の称。
 (3)公到、撃破蕤等、皆斬之。術走渡淮。公還許。
 公到り、張蕤等を撃破し、皆、これを斬る。術走り、淮河を渡る。公(曹操)は、許に還る。袁術が淮河を渡り、河南省に逃げたため、追うのを止め、予州潁川郡許に還る。尚、許(もと)とすれば、前線基地か、生国の予州(江蘇省)沛国「譙」に還ったとも考えられる。
 (4)夏四月進軍臨河、使史渙曹仁、渡河撃之。
 夏四月、軍を進めて黄河に臨み、史渙・曹仁に、黄河を渡らせて、これを撃たす。
 (5)二月紹遣郭圖淳于瓊顏良、攻東郡太守劉延于白馬。紹引兵至黎陽、將渡河
 二月、袁紹、郭圖・淳于瓊・顏良を遣はし、兗東郡太守・劉延を兗州東郡白馬に攻めさせる。袁紹、兵を引いて黎陽に至り、將に黄河を渡らんとする
 (6)公到延津、若將、向其後者。紹必西應之。
 公(曹操)、兗州陳留郡延津に到り、若し、将に兵を渡たし、その後、向かはんとすれば、袁紹、必ず西し、これに応じるだろう。前段に、荀攸公に説きて曰く「今、兵少なく敵せず、其の勢を分くるが乃ち可なり」とあり、延紹の兵を別ける策として、将いた兵を渡らせる。
 (7)遂解白馬圍、徙其民、循河而西。紹於是渡河追公軍、至延津南。
 遂に兗州東郡白馬の圍(かこ)みを解き、其の民を徙(うつ)し、河を循じ、西す。袁紹、黄河を渡り、曹操の軍を追い延津の南に至る。
 (8)郃等聞瓊破、遂來降。紹衆大潰、紹及譚棄軍走、渡河
 張郃等、淳于瓊が破れたと聞き、遂に来降す。それを知った袁紹の兵衆は意気消沈し、袁紹と袁譚、軍兵を放棄して逃げ、黄河を渡り、生国の河南汝陽に還る。

 何れも単に黄河や長江等の大河川や、その支流を渡る事を云う。また、同訓「濟(わたす)」が在り、序でに、この使い方も見ておく。

 (1)玄謂太祖曰「天下將亂、非命世之才不能也~」
 橋玄謂ひて太祖に曰く、「天下將(まさ)に亂れんとし、世の才に命ずるに非ざれば、濟す能はざらんや」。→ 天下、将に乱れようとするが、天命でもない限り、この乱れを収めることはできないでしょう。
 (2)光和末、黄巾起。拜騎都尉、討潁川賊。遷爲南相。
 光和末、黄巾乱が起こる。(太祖)騎都尉を拜し、潁川の賊を討つ。遷りて黄河南岸の南相(黄河南岸の水運を司る役人?)になる。
 (3)且紹、布衣之雄耳、能聚人而不能用。夫以公之神武明哲而輔以大順、何向而不
 且つ袁紹、布衣(ほい=無官)の雄なるのみ。能く人を聚(あつ)めるが、用ふる能力はない。夫れ、公(曹操)の神武明哲(天命)を以て、而して輔くるは大いなる順を以てす。何ぞ向ひて濟さざらん。→ 袁紹に、そんな能力はないが、曹操、貴方にはある。何故、身を投じて収めようとしないのですか。
 (4)九年春正月、濟河遏淇水入白溝以通糧道。
 九年春正月、河を濟(わた)り淇水を遏(とど)め、白溝に水を入れ、以て兵糧の水道を通す。→ 黄河の水運を治め、淇水の流れを止めて白溝に水を入れて兵糧を運ぶ水道を通す。

水行=河川航行に拠る水運が軍団や兵站の重要な移送・輸送手段だろうが、常識だったの か、「三国志魏書第一巻」に「水行」と云う記述はない。上記、(10)黄河南岸の濟南相になる事や、(12)河を濟り=黄河の水運を収める等、為政者にと り、戦略上、有効な手立てと考える。
渡一海=狗邪韓国から對海国へ「始一海」とした編者陳寿の意図を、「初めて=一度目」と云うニュアンスとした。「三国志魏書一巻」でも、度数や回数や「制度」等、尺度と云う語義として使われる。詰まり、「始度一海=一海を渡り始める」となる。
孫策=呉郡富春県出身、呉を建国する孫権の兄で、孫堅の子とある。
江東=大きく北向きに湾曲する長江下流南岸の地。江蘇省南部、及び浙江省北部に相当する。江左ともいう。春秋戦国時代の呉越地方の古称。孫策は呉を建国する孫権の兄で、孫堅の子とある。詰まり、江東=呉となり、この場合、国境と考えられる。
山西省(Shan xi)=太行山脈西方、華北地区西部の省。東西を山地に挟まれた高原地帯で省都は太原。別称「晋」「山右」。春秋時代の「晋」の地。石炭・鉄等の地下資源が豊富。
淮河(Huai He)=中国の大河。河南省南部の桐柏山に発源し、安徽省を経て洪沢湖を貫流、江蘇省に出て大運河に連なる。旧、下流は黄河の河道を通って黄海に注いだ。中華人民共和国成立以来、大規模な治水工事が進んだ。全長約1千㎞。淮水。
袁紹=後漢末の群雄の一人。河南の予州汝南郡汝陽の人。霊帝の死後、宦官を皆殺しにしたが、董卓のために冀州に追われ、後、反董卓派の盟主となる。やがて曹操と対立し、200年河南の官渡で大敗。(?~202)
黄巾乱=184年、後漢の霊帝の時、張角を首領として河北で起こった農民反乱。張角等 は、悉く黄巾を着け、黄老の道を奉じて太平道と称し、貧民を救済したので、忽ち強大となり、蜂起した。同年末、張角の病死によって衰えたが、その後も残党 の反乱は続き、後漢滅亡の契機となった。
潁川(えいせん)=河南省臨潁県付近。隠士の許由が帝尭から位を譲ろうという話を聞き、耳が汚れたと、この川で耳を洗い清めたという。潁水。
済南(Jinan)=山東の省都。黄河南岸に位置、京滬(けいこ)・膠済(こうさい)両鉄道の交点。物産集散地で、重工業も発達。河南(He nan)=中国華北地区南部の省。黄河中流以南と、若干、黄河北方も含まれ、省都は鄭州。殷代以後、屡々、洛陽・開封が首都となった。周代、洛陽の別称。別称「中州」「豫(よ)州」。
淇水=河南省にあり、衛河に濯ぐ。衛河=兗州(山東・河北両省の一部)東郡衛付近を流れるか。



 
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  1. 2015/11/24(火) 18:53:28|
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