見まごう邪馬台国

◇狗奴(かっな)国

 ~次有奴国此女王境界所盡 其南有狗奴国男子為王、其官有狗古智卑狗 不屬女王国 自郡至女王国万二千餘里

 上記を読み下しすると、次ぎに奴国有り、これ女王領の境界が尽きる所、その南に有る男子を王(卑弥弓呼)とする狗奴国。その官に狗古智卑狗が有る。女王国に属さない。帯方郡より女王国に至る一万二千余里。 この「奴国」を道程記事に見える奴国とした。敵対する狗奴(かな)国との通字「奴」には何らかの関連が在り、それが故、最南端の前線で狗奴国に対する防人 (さきもり)を兼ねていたのは間違いないと思う。おそらく、邪馬壹国伊都国連合の南端、有明海沿岸の重要な泊津であり、最前線でもあったので、一大率の出 先機関が置かれたのは云うまでもない。
 尚、通説的な「奴国」の比定地は銅鏡が出土した福岡県春日市の須玖岡本遺跡付近とされるが、邪馬壹国傍国の好古都(ハカタ)国とした。また、奴国の泊津とした佐賀県小城市牛津町の東南、同県佐賀市東与賀町大字飯盛字二本榎付近の沖神社(大綿津見神/大鷦鷯尊)が祀られる。
 縄文後期から弥生前期に架けて南中国から南西諸島を経て渡来した海民と水耕稲作民が興した北部九州の委奴(わぬ→ゐぬ→いぬ)国連合国へ朝鮮半島経由で渡来した北方(畑作と遊牧)系の箕子朝鮮王族と関係者(邪馬壹国)や北方(騎馬)系の衛 氏朝鮮王族と関係者(伊都国)が覆い被さり、こうした国域の変遷が起こった。当初、狗奴国は「カナ・ラ)」と称したが、後代、半島が新羅(シルラ)に統一 されると、加羅(カルラ→キァロ)や百済(ペクチェ)の王族と、その関係者が難を逃れ、北部九州に渡来、狗奴国に取り入るが、新羅の父系統が、唐王朝の王 族李氏(李氏朝鮮)に追われて新羅(しらぎ)として北部九州に渡来、百済(カヌドラ→くだ ら)として九州南部、四国を経て近畿圏へと追われた。こうした国域の変遷に因るのか、筑紫平野西部の室見川流域には福岡市早良区干隈(ほしくま)・田隈 (たぐま)、同市城南区七隈(ななくま)等、奥まった入江や谷間等の地形を表す「~隅・~隈」は在るが、「ハキ」の近似地名は見えず、、福岡県福岡市博多 区金隈や同県筑紫郡那珂川町埋金(うめがね)等、カナ⇔カネと訓音が変わるので、西部の新羅(しらぎ)+中国漢音系と東部の百済(くだら)+中国呉音系に 別れて、対立した事に関係すると思う。
 女王卑弥呼の死後、その宗女壹與(伊豫)を奪われたのか、その勢力範囲は狗奴国に併合されて組み込まれたため、邪馬壹国伊都国連合の王族(臺與=豊)は「邪馬国」と国名を変えて東遷したと思われる。例えば、佐賀県伊万里市二里町金武(かなたけ)や、福岡県福岡市西区金武(かなたけ)・叶岳(かのうたけ)、同県福岡市早良区金武(かなたけ)、同市城南区金山(かなやま)、同県大野城市乙金(おとがな)、狗奴(かな)国の訓みに繋がると思しき地名が在り、その伊万里市二里町金武には弁財天(海人の市杵島姫=宗像大社中宮)を祀る金武(かなたけ)神社が在り、上記、沖神社に祀られる大綿津見神(狗奴国王)と弁財天(卑彌呼の宗女)には何らかの繋がりがある。 
 福岡県春日市付近の福岡市博多区馬出(まいだし)、同市東区箱崎も多々良川と宇美川河口付近の堆積地先端部、同市中央区舞鶴(まいづる)も同様の堆積地 で「場出(ばいづる・ばいだし)」と考えられる。また、福岡県朝倉市杷木(はき)町も河川(筑後川)が土砂を吐き出す事で、博多(はくぁた)、吐田・伯 太・伯方(はくた)や八田・発田(はった)、垢田・赤田(はくぁた→あかた)等も同源で、こうした堆積地で稲作が行われたと考える。(了)

好古都(ハカタ)国=那珂川と御笠川中流域の奥まった同県福岡市博多区月隈(つきぐま)付 近、同区の弥生期の稲作跡が発掘された板付遺跡、同期の共同墓地跡の同区金隈の金隈遺跡(かねのくま)、紀元前とされる銅剣の鋳型が出土した須久タカウタ 遺跡付近一帯とした。海民と耕作民の委奴(わぬ)国連合の京都(けいと)として良いと思う。
大綿津見神=沼名前(ぬなくま)神社「大綿津見命・須佐之男命」広島県福山市鞆町後地。神功皇后西国へ御下向時、この浦に船を寄せると海中より尺余の霊石を得ると神璽として斎場を設け、大綿津見命を祀り、海路安全と戦勝を祈る。田土浦坐(たつちのうらにまします)神社「大綿津見神」岡山県倉敷市下津井田之浦。大国玉神社の摂社宇留布津(うるふつ)神社「埴安姫命・大綿津見命」三重県松阪市六根町。海(あまの)神社「大綿津見命」兵庫県豊岡市小島字海ノ宮。二見興玉神社(猿田彦大神・宇迦御魂大神)三重県度会郡二見町大字江の摂社・龍宮社「竜宮大神・大綿津見神」。大国玉神社「大國御魂神 配大上御祖神・市杵嶋姫命・菅原道眞・早玉男命・須佐之男命」三重県松阪市六根町の摂社宇留布津神社「埴安姫命・大綿津見命」。大 海(おおわたつみ)神社「豐玉彦命・豐玉姫命」大阪市住吉区住吉。延喜式神名帳では「津守安人神」、安人神とは現人神で海人の信仰する塩筒老翁か、安曇磯 良、または、大綿津見命・玉依姫命、塩土老翁・豊玉姫命・彦火火出見尊。尚、大和岩雄氏は住吉大社創建前から鎮座していたとし、安曇氏の祀神を津守氏が担 い津守安人神となったとする。田裳見宿禰の領地を社地とし、後裔津守氏の氏神的存在だが、祭祀は安曇氏、管掌の津守氏は専ら住吉大社の祭祀に係わった。綿津見神社「大綿津見神・闇於加美神・玉依姫命・五十猛神」福島県相馬郡飯舘村草野字大宮内「陸奥(磐城)行方」。大神社(天照皇大御神・配豐受姫大神)の摂社西神社「天疎向津比賣命、大綿津見命、大屋比古命、火具土命」和歌山県田辺市芳養町。10猛島神社(五十猛神・大屋津姫神・抓津姫神)長崎県島原市宮町の配・譽田別命・大綿津見命・菅原道眞・猿田毘古命・多紀理比賣命・狹依比賣命(市寸嶋比賣命)・多紀津毘賣命・神速須佐能男命・大國主命他。11老津神社「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、配・多紀理毘賣命・市寸嶋比賣命・田寸津比賣命・須佐之男命・菅原道眞・大綿津見神」愛知県豊橋市老津町字宮脇(三河国渥美郡)等がある。
箕子朝鮮=古伝承では殷の紂王の暴虐を諫めたが用いられず、気違いを装い逃げたと云う叔父の胥余は殷王朝の滅亡後、周武王に朝鮮(箕)に封ぜられて、BC1600年頃、朝鮮半島の王険(平壌)に入り、箕子朝鮮を興す。尚、「論語」箕子を奴と為すとある。
衛氏朝鮮=秦始皇帝に滅ぼされた「燕」の人衛満が衛氏朝鮮(BC195頃~BC108)を 興した。漢の武帝に滅ぼされて、その出先機関(楽浪等四郡)に拠って支配される。そうした興亡の難を逃れた王族や高官の一部が、その度に北部九州へも渡来 したと推測され、そんな彼等と上手く繋がり共存、共栄する人々と反抗する人々に別れて争乱が起こる。
百済(くだら)=狗[kug][kəu][kəu]奴[nag][no(ndo)][nu]を「記紀」が成立した隋唐期の「中古音」に拠ると、「ケァノ(ケァヌド)→カノ(カヌド)国」。
対立=飯盛神社(福岡県福岡市西区飯盛)の上社=伊奘・玉依姫・誉田別命、中宮=五十猛命(素戔鳴尊)、下社=天太玉命(大山咋神)と、福岡平野を挟み東側、同県糟屋郡篠栗町大字若杉字石ヒシキの若杉山に坐す太祖神社(伊邪那尊)は、飯盛山(飯盛神社)と夫婦山として古代よりの国産み伝説の基となったと云う。この二系が夫婦になり、万世一系の天皇家、引いては単一民族の日本人と云う思想が生まれた。
狗奴(かな)国=他にも九州管内には、福岡県北九州市小倉北区金田(かなだ)、同県福岡市 城南区金山(かなやま)、同県甘木市金丸、同県行橋市金屋、同県鞍手郡若宮町金生(かなう)、同県鞍手郡若宮町金丸、同県田川郡金田町金田、佐賀県小城郡 三日月町金田、長崎県長崎市金屋町、同県南高来郡小浜町金浜・同郡国見町金山・宮田・里名、同県北高来郡高来町金崎(かなさき)名、同県諫早市金谷町、同 県東彼杵郡波佐見町金屋郷、熊本県荒尾市金山、大分県大分市金池町、同県中津市金屋、大分県宇佐市金丸・金屋、同県下毛郡耶馬溪町金吉(かなよし)、宮崎 県都城市金田(かなだ)町等、略全国に在るが、何故か、高知県・佐賀県・長崎県は「金(かね~)」は見えない。*兼
弁財天=旧来、インドの河神で、音楽・弁才・財福等を掌る女神。妙音天・美音天ともいう。 二臂(にひ)か、八臂。琵琶を持つ姿か、武器を持つ姿等で表される。後、学問・芸術の守護神となり、吉祥天と共にインドで最も尊崇された女神。日本では後 世、吉祥天と混同、福徳賦与の神として弁財天と称され、七福神の一つとして信仰される。弁財天は、安芸国一宮・厳島神社の宗像三女神の一人、市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)と云われる。田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)を合祀する社殿は海辺に建つ。宝物類には平家寄 進のものが多く、大鳥居・朱塗の殿堂・五重塔・千畳閣・能舞台等、国宝・史跡に富む。他にも、大和の天川、近江竹生島、相模江ノ島、陸前金華山を併せて五 弁天と称す。






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  1. 2016/02/19(金) 08:47:01|
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