見まごう邪馬台国

◇古代日本語と朝鮮語の関係

 日本語は文法的に朝鮮語、音韻的にはポリネシア系に近く、古代には8種あったとされる母音は5種に減り、母 音調和等、音韻上での朝鮮語からの影響は消滅したとされます。また、語彙の面でも日本語と朝鮮語に共通する単語は非常に少く、4世紀頃と7世紀頃に朝鮮半島から多くの人々が渡来したにしては、その影響は大きくないとも云われます。私見では、地理的状況から現在でも一衣帯水の関係にある日韓、文法的にも同形 式として発展した言語に関係性がないこと等、あり得ないと考えます。 仮にそうだとすれば、何らかの理由や経緯が在って然る可きだと思います。
 古代朝鮮語の資料は、10世紀の高麗王朝期以降のもの以外、余り残っていないらしく、古代日本語との関係を研究するには材料不足と云う指摘があります。 東京外国語大学の趙義成氏等に拠ると、万葉集が朝鮮語で解けると云う研究者や論者達は、勝手に古代朝鮮語を創作して万葉仮名と対応させていると詳しく解説 されています。以下、「記紀」や万葉集は韓国語で読めると云う研究者や論者の有名な説(【】内)を参照し、古代日本語(倭語?)と古代朝鮮語の関係を考えてみましょう。

 【日本書紀(以下・紀)や古事記(以下・記)の書き下し文に多少の解説を加えると、かなりの部分が理解できるので、八世紀の日本語は現代日本語と余り遠くないと考えられる。「記紀」を無理矢理、朝鮮語で読み解こうとする説は別として、現代韓国人は理解できるのだろうか。
 例えば、「紀」月読尊が保食(ウケモチノ)神に食物を乞うたが、汚れたものを出したと怒り殺した。その亡骸から家畜や穀物ができた在る。このままでは何のことだか判らないが、朝鮮語で解釈すると次のような掛詞になる。

 (1)頭(アタマ)から馬(ウマ)      頭(mara)から馬(mar)
 (2)額(ヒタイ)から粟(アハ)      額(cha)から粟(choh)
 (3)眉(マユ)から蚕(カヒコ)      無し
 (4)目(メ)から稗(ヒエ)        目(nun)から稗(nui)
 (5)腹(ハラ)から稲(イネ)       腹(pai)から稲(pyo)
 (6)陰部(ホト)から麦(ムギ)豆(マメ) 陰部(poti)から麦(pori)小豆(pat)

 朝鮮語では体の部位と化生した動物や植物とが奇麗に対応するので、この神話は朝鮮半島で生まれ、日本語に翻訳されたものと考えられる。翻訳によって原語にあった掛け言葉が全く意味の判らないものになってしまったのだとすれば、古代朝鮮語は現代朝鮮語とそんなに違わず、日本語とはかなり相違していたと考えることができよう。】
 
 12世紀半ば~13世紀朝鮮半島の高麗王朝時代に成立した古文献にも似た様な説話が記載されると、何かで読んだ気がします。確かに朝鮮語に拠る近似音が使われます。但し、上記、日本書紀や古事記の書き下し文に多少の解説を加えるとかなりの部分が理解できるので、八世紀の日本語は現代日本語は余り遠くない。 としますが、「日本書紀」成立当初から現在の訓読点が在り、それがあるがままに書写されてきたと云う前提であれば、当時の言語と現日本語に大きな相違はないと云えます。ですが、現存最古(奈良後期~平安初期)の「紀」写本には仮名や訓読点、校異等の注記はありませんので、古態には訓読点等はなかった。詰まり、成立当初の700年代初期の言葉とする確証はありません。その後、9世紀後半~10世紀半ばの写本には、平安中期と後期、一条兼良に拠る室町期、三期 の訓読点が付されます。その平安中期とされるものが、現在、見られる訓読点と略同じで、平安中期に書写された後の書き足しではないとすれば、平安中期から後期には、現日本語に近づいたとして良いでしょう。今回は、ここ迄とします。

母音調和=一つの語に現れる全ての母音が、或る音声上の特徴、例えば、円唇・前舌等を共有 する事。トルコ語・フィンランド語・朝鮮語等にはみられ、曾て、古代日本語にも存在したと云われる。おそらく、大陸北方に居た遊牧騎馬民族の突厥族や匈 族・鮮卑族等の言語に在ったものが、漢族の拡がりに因るのか、周辺部へ分散して影響を及ぼしたと考える。
古事記=稗田阿礼が天武天皇の勅により、誦習した帝紀、及び、先代旧辞を太安万侶が元明天 皇の勅により撰録、712(和銅5)年献上。現存する日本最古の歴史書(三巻)とされる。江戸期、真福寺(宝生院前身)に残されていた「古事記」写本を本 居宣長の門人で尾張藩士稲葉通邦が発見する迄、行方不明だったと云われる。真福寺第二世信瑜(しんゆ)の命で寺僧賢瑜が、応安4(1371)年に上・中 巻、翌年に下巻を写し終えて、信瑜が校正した。全て流麗な古漢字で書かれ、訓読点や訓注はない。全巻揃ったものでは、現存最古。奥書に「執筆賢瑜俗老廿八 歳」とある。尚、上・下巻と中巻は伝来系統が異なるとされる。また、真福寺本に次いで古い、永徳元(1381)年に道果が書写した。上巻前半部しか現存し ない。訓読点が記され、所々に訓があり、道果の書き込みもある。その目的は校正だったのではないかとも云われる。
 真福寺=名古屋市中区にある真言宗の寺。別称「宝生院」。通称「大須観音」。建久(1190~1199)年中、尾張国中島郡大須郷(岐阜県羽島市)に建 立、中島観音堂と称したものを1612(慶長17)年現在地に移建。古事記・日本霊異記等の古写本を蔵し、大須本・真福寺本と称する
古文献=『三国史記』朝鮮の現存最古の史書。50巻。高麗の仁宗の命で金富軾等の撰。 1145年に成る。新羅・高句麗・百済の三国の歴史を紀伝体に記す。『三国遺事』三国史記に漏れた事項等を集録。5巻。高麗の忠烈王の時、僧一然 (1206~1289)撰。三国の遺聞、特に仏教説話が多く、風俗・地理等の資料を含む。
訓読点=当時、「記紀」を漢文を読み理解できる支配者層の知識人には訓読点等の必要ない。もしかしたら新しい語と旧訓の整合性を持たせるための校正作業だったのかも知れない。


 
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