見まごう邪馬台国

◇和語

 古来、この島国には大陸を北回りで渡来した狩猟採集民、南回りで渡来した海民や水耕稲作民、朝鮮半島を経て渡来した遊牧騎馬民や畑作民等、様々な人々の 言語が飛び交い、「記紀」成立期、未だ、現日本語と同等の文字体系や文法形態は成立していなかったと思います。例えば、朝鮮半島の百済(ペクチェ)と親密 な交流の在った飛鳥期、中国大陸の隋・唐と新羅(シルラ)に強い影響を受けた奈良期~平安前期を経て、平安中・後期、これらの呪縛から解き放たれたかの様 に独自の文化が萌芽、和語と思しき言語が成立し始めたのでしょう。仮名文字も万葉仮名を簡略化して創り、大和や東国(蝦夷)と西国(熊襲)等の言語も併せて発展し、現代日本語に近い言葉や文字と文法体系として成立しました。
 「記紀」は神名等に万葉仮名を用い、文法や漢字の用法に和臭は見られますが、何れも漢文体で記されます。「紀」の仮名や訓読点等は、古くても平安期の9 世紀以降の成立としましたが、北条氏や足利氏等の板東武者が表舞台に立った鎌倉・室町期、古文書は、書写される過程で、その本拠、東国や西国の文化や言葉 等、担い手の解釈に拠る仮名や訓読点、校異等も取り込まれました。それが故、「紀」の写本は南北朝時代を経た室町期のものが全巻揃い、注釈本も残ります。 また、江戸前期、真福寺で発見された古事記も本居宣長に拠る注釈本があるのだと思われます。
 ただ、これらの本文や説明文は漢文体、神名や歌謡は略万葉仮名に拠りますが、用いる漢字音は、「記」と万葉集は呉音、「紀」は漢音と云う違いがあります ので、夫々、編者の思想背景には、古来からある神道や「他し神」の仏教等、何らかの違いがあったと推測されます。尚、鎌倉期以降、武家の思想背景として仏 教(禅宗)と共に儒教(朱子学や陽明学)も用いられました。
 一方、朝鮮半島は大陸と陸続きだったためか、北方中国の唐王朝李氏の影響下にあった新羅(朴氏・昔氏・金氏)を倒した王建が建国した高麗時代(10~15世紀)の中期朝鮮語を基本に現代朝鮮語として成立、その前時代の文献や文書等は殆ど焚書され、未だ古朝鮮(韓国)語の詳細は分からないと云われます。その後、中国の唐王朝系李氏朝鮮王朝となり、儒教思想が採用された。15世紀半ば、大陸の影響から解き放たれたのか、世宗大王の訓音正字(ハングル)発布が契機となったのか、朝鮮や韓族的な意識が芽生え始め、独自の文化や言葉が急速に発展したのでしょう。
 但し、両国とも支配階級の公文書等では漢字文が使用された。被支配階級は現代日本語の訓と同様、旧来の言語に近いものと推測されますから、その辺りの扱いには十分に注意する必要が在ります。
 尚、前項の(3)眉(まゆ)から蚕(*蠒)には朝鮮(韓国)語に拠る対応が見えません。「紀」天照大神に食神の保食神の様子を見て参れと請われた月読尊が、その所作を見て汚したものを出すと疑って殺した食神の亡骸に生りしもので、「古事記」にもよく似た説話があります。
 八百万神に神遣らいされた速須佐之男命は大気津比賣に食物を乞い、気都比賣の所作を見て汚したものを出すと疑い大宜津比賣を殺す。その亡骸の於頭(かしら)生蠶(かひこ)、於二目生稲種(もみ)、於二耳生粟、於鼻生小豆(あずき)、於陰(ほと)生麦、於尻生大豆(まめ)とあります。
 食神の名が大気津比賣→大気都比賣→大宜津比賣と変遷、行為者も須佐之男命とされます。また、「紀」頂化為牛馬は見えず、蠒(蠶)や穀類も違う部位に生りますので、掛詞と云う言葉遊びの類で食物の発生起源を語る説話ではないでしょう。次回から一つ一つ見ていきましょう。

仮名=漢字の草書から創られた女文字の平仮名は手紙等の文章に使われるが、漢字の旁や偏から創られた片仮名は漢文の訓読点に用いられる。
真福寺=名古屋市中区にある真言宗の寺。別称「宝生院」、通称「大須観音」。建久 (1190~1199)年中、尾張国中島郡大須郷(岐阜県羽島市)に建立、中島観音堂と称したものを1612(慶長17)年、現在地に移建。古事記・日本 霊異記等の古写本を蔵し、大須本・真福寺本と称する。
北方中国==唐の初代皇帝李淵(565~635)、廟号高祖、字は叔徳。先祖は隴西(甘粛)の李氏という。祖父・父は共に唐国公に封ぜられ、母は、鮮卑族独孤氏の出。初め隋に仕え、太原留守、617年次子世民(太宗)の勧めによって挙兵。突厥の扶けを借り、群雄を破って長安を取り、煬帝の孫恭帝(楊侑)を擁立、唐王となる。翌年、煬帝が、その臣に殺されるに及んで帝位(618~626)につき、長安に都して唐と号した。
 唐音=宋・元・明・清の中国音を伝えたものの総称。禅僧や商人等の往来に拠り、中国江南地方の発音が伝来、行灯(アンドン)、普請(フシン)とする類。 呉音=古く中国の南方音で、行(ギャウ)とする類。仏教用語等として後世迄用いられた。平安時代、後に伝わった漢音を正音としたのに対し、和音(わおん) ともいった。漢音=唐代、長安(西安)地方の標準的な発音。遣唐使・留学生・音博士等に拠り、奈良~平安初期に伝来、官府・学者は漢音、仏家は呉音を用い る事が多く、行(カウ)、日(ジツ)とする類。宋音=唐音の一部分。日本の入宋僧、または渡来した宋僧が伝えた。実質上は唐末から元朝の初め迄の音、鎌倉 時代迄に渡航した禅僧・商人から民間に流布した音と同一のもの、行(アン)、杜(ヅ)とする類。
王建(877~943)=高麗太祖、松岳・松都(開城)の人。仏教を崇信。935年新羅を併合、翌年、後百済を従えて半島を統一。高麗(918~1392)=都は開城(松岳・松都)。仏教を国教とし、建築・美術も栄えたが、後期、元に服属、34代で李成桂に滅ぼされた。高句麗(こうくり)。一般に朝鮮の称。
 莽(BC45~23)=漢末の簒立者。字は巨君。10代元帝(劉奭)の皇后弟の子儒教政治を標榜、人心を収攬する。平帝を毒殺し、幼児嬰を立て、自ら摂皇帝の位(8~23年)に就く。次いで真皇帝と称し、国を奪い「新」と号す。その政策に反対する反乱軍に敗死、後漢が復興する。
李氏朝鮮(1392~1910)=太祖李成桂(イ・ソンゲ)が高麗を倒して建国、都は 漢城(ソウル)。対外的には朝鮮国と称す。1897年に国号を大韓帝国と改める。国教は朱子学(儒学)。朝鮮の最後の王朝。朝鮮王朝。1910年(明治 43)日本に併合され、27代(519年)で滅んだ。
言葉=現在でも漢字語が多く見られる。例えば、挨拶に使われる「感謝」「安寧」「未安」、「健康」「約束」「医師」等。
「紀」=頂牛馬化為→頭(mara)から馬(mar)、顱上生粟→額(cha)から粟(choh)、眉上生(まゆ)→無し、眼中生稗→目(nun)から稗(nui)、腹中生稲→腹(pai)から稲(pyo)、陰(ホト)生麦及大小豆(まめ・あずき)→陰部(poti)から麦(pori)と小豆(pat)
気都比賣=「記」建速須佐之男命が大山津見神の娘神大市比売を娶り生む子、大年神と食神宇迦之御魂神、その大年神の子羽山戸神の妻大気都比賣とあり、「都=合わせる」と云う語義からすると、男系の武人(+川民)と女系巫女(+耕作民)の併合として良い。




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  1. 2016/03/03(木) 13:57:13|
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